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『炎の肖像』は、1974年製作の日本映画である。1960年代から1980年代にかけて絶大な人気を誇った"ジュリー"こと沢田研二の第1作目となる主演映画。監督は藤田敏八と加藤彰。
沢田は本作以前にも、ザ・タイガースのメンバーとして、「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」(1968年)、「ザ・タイガース ハーイ!ロンドン」(1969年)など3作に主演しているが、ザ・タイガース解散後、ソロになってからは本作が初の主演映画。
ジュリーの愛称で人気のあるロック歌手・鈴木二郎を主人公に、虚構と現実を混在させながら、自由とロマンを求める若者の孤独と苦悩を描いた青春ドラマ。
テンプレート:ネタバレ
1974年12月28日に日活系で公開された。監督は、「非行少年 陽の出の叫び」(1967年)、「八月の濡れた砂」(1971年)、秋吉久美子主演三部作などを手がけた藤田敏八と、「野球狂の詩」(1977年)や日活ロマンポルノを手がけた加藤彰。脚本は、「スローなブギにしてくれ」(1981年)、「水のないプール」(1982年)などを手がけた内田栄一。本作の冒頭で沢田に対するインタビューが収録されているが、このインタビュアーを務めているのが内田栄一。撮影は、「あげまん」(1990年)や「シンデレラ・エクスプレス」(1990年)などを手がけた山崎善弘が担当している。
沢田は、本作公開直前の1974年12月2日に東京体育館で、「ヘイ!ジュリー ロックンロール・サーカス」と題したライヴを行っている。このライヴでの模様は、本作の後半部分でかなり登場する。「ロックンロール・サーカス」は、1968年12月にBBCがクリスマス特番として収録したもので、ローリング・ストーンズ主演。ジョン・レノン、エリック・クラプトン、ザ・フーといった超豪華な面々が出演した。演奏の合間にサーカス芸人によるショーがあった。しかし、出来に満足しなかったローリング・ストーンズのミック・ジャガーの反対により、この番組は放映されることなく、1996年にVHSでリリースされるまでお蔵入りとなっていた伝説的なロック映画。沢田がローリング・ストーンズの熱心なファンであることからも、本作は日本版「ロックンロール・サーカス」を目指したといわれている。
1960年代後半に一世を風靡したGSブームの頂点に立つ人気グループ、ザ・タイガースの中でも、飛び抜けた人気を集めた沢田の事実上の初主演映画であり、ザ・タイガース時代はトップ・アイドルとして、「星の王子様」と呼ばれた沢田が、本作ではワイルドでダーティーな大人の男への脱皮を目論んでいる。冒頭から、荒っぽい言葉を駆使しての喧嘩シーンや、人気アイドルとは思えないような過激なベッドシーンがあり、ザ・タイガースとしての主演映画とは完全に異なったキャラクターを演じている。そのあまりのギャップとストーリーの過激さから、当時は問題作とされた。本作は、当初のプレスシートのあらすじと、中盤以降全く異なる展開となっている。当初、沢田演じる鈴木二郎は、終盤で刺される設定となっていたが、本作ではそうしたシーンはなく、当初のエンディング・シーンとなっていた水に浮かぶ二郎も、本作では数秒のカット程度となっている。
主役の鈴木二郎は、ジュリーという愛称で人気のロック歌手であり、どうしても実在の沢田とオーバーラップする。意図的に虚実をないまぜにし、沢田のインタビューやライヴ・シーンを盛り込んだりする作風は時代を感じさせて面白い。沢田のライヴ・シーンでは、客席では垣間見ることの出来ない視点から撮影されていたり、殆ど映像が公式にリリースされていない井上堯之バンドの貴重な演奏シーンが見られるのも、この映画の醍醐味の一つである。俳優に転向する以前の長髪の岸部一徳による激しいベースプレイなども収録されている。
また、路地を歩く沢田が、突然「俺はジュリーや!」と叫ぶと、通りすがりの女の子が「あっ!ジュリー!」と反応するシーンがある。これはおそらくカメラを隠して撮影されたと思われる場面で、ゲリラ的な撮影が行われていた事を示唆している。
喧嘩をして血まみれの姿のまま、波間に揺れる廃船に横たわる男。彼の名は鈴木二郎。ジュリーの愛称で人気のロック歌手だ。浜辺にたどり着いた彼は、既にいない喧嘩相手に悪態をつきながらホテルに戻る。部屋では、年上の恋人である小林絵里が待っていた。激しく絡み合う二人。喧嘩の一部始終をみていたという絵里は、「死んじゃえばよかったのよ、あんたなんか」と二郎にいう。画家である絵里の絵を「面白くなくなってきた」という二郎に、「柄にもなく、当たり前の女になろうとしたからね」と答える絵里。年上の女の偏愛の煩わしさに部屋を出る二郎。あてもなく歩いていた二郎に、トラック運転手の星野が声をかける。
その頃、電車に乗っていた絵里は東京まで乗り越すことを車掌に告げていた。星野と一緒に立ち寄ったドライブインで、駐車してあった車を免許もないのに運転してぶつけてしまった二郎は走って逃げてしまった。一方、操車場で画材と共に倒れている絵里が遺体で発見された。数日後、二郎の部屋の前にいたきりこという少女を連れて、二郎の父親が訪れてきた。彼女は近くの喫茶店で待っている友人・小林ひろと会ってほしいという。ひろは死んだ絵里の妹であることを告げれた二郎は、喫茶店でひろと会うことにした。二郎を前にしたきりことひろは、絵里が死んだのは二郎のせいだと詰め寄る。「絵里が死んだんは俺のせいやとして、この俺にどうせっちゅうんや」と開き直る二郎。「こんな可愛い妹さんがいるなんて聞いてなかったな」という二郎に平手打ちを見舞って店を出て行くひろ。「一緒に食事にでもいこうよ。呼び戻してこいよ」という二郎に、「それがあなたの手口なのね」と捨てぜりふを残してひろの後を追うきりこ。
数日後、乗っていた電車から、偶然売店で働くきりこをみかけた二郎は、反対方向の電車に乗り換えてきりこを見かけた駅まで戻る。仕事が終わるまで待っていた二郎はきりこに話しかけるが、「痴漢だ」と騒がれてしまう。強引にきりこの手をとってガード下まで連れてきた二郎に、きりこは元々二郎のファンで嫌がっていたひろを無理矢理連れて行ったのは自分であることを告げる。「会ってくれなかったら投書してやろうと思ってた」というきりこに突然キスをする二郎。「それがお前の手口かよ」という二郎に、「あなたの手口がみたかったのよ」というきりこ。「投書でも何でもご自由にどうぞ」と言い残して二郎は去っていく。数日後、ひろと電車に乗っている二郎。目的も行方も知らされていないらしいひろは二郎に抗議する。二郎は、「あいつが悪いんだよ」と、一緒に誘ったのに来なかったらしいきりこを責める。二郎がひろを連れて行ったのは絵里と最後に過ごした海辺のホテルだった。「私をどうしようっていうの」と聞くひろに「何もしない」と答えた二郎は、ひろをモーターボートで沖に連れていく。通りかかった船に自分だけ乗り移った二郎は、ひろを置き去りにしたまま岸に戻ってしまう。ひろを助けに行って構わないと、通りかかった船の主に告げた二郎は、「俺、あいつ、捨てたんや」と言い残して立ち去る。
その道すがら、偶然絵里と最後にあった日に喧嘩した相手・大門正明と遭遇した。意気投合した二人は、大門の車で、星野と行ったドライブインに行く。二郎が車をぶつけてしまった店だ。あの日、ジャンパーをくれた星野に、なぜか二郎は会いたかった。しかし、二郎が車をぶつけてしまったことを憶えていた店員に騒がれ、二人は警察に連行される。父親が身元を引き受けにきた大門と警察署の前で別れると、停まっている星野のトラックが目に入った。食堂の店員に聞いたという星野が迎えにきてくれたのだ。「うちまで送ってやる」という星野に、「このまま乗っていってもいいかな」という二郎。妊娠した女房を実家まで連れていくため、途中から乗ってくるからダメだという星野に、二郎は「そこまででいいから」と頼み込む。車内で星野が元ボクサーで、誤って対戦相手を死なせてしまうという過去をもっていることを聞く。星野の女房は、その時の対戦相手の妻だという。星野の妻と入れ替わりに二郎が降ろされたのは郡山だった。部屋に戻った二郎を父親ときりこが待っていた。「この間はいけなくてごめんなさい。ひろは?」と問いかけるきりこに「関係ないよ」と素っ気なく答えた二郎は、きりこを引き寄せてキスをする。様子を察した父親が気を利かせて出かけると二人は激しく抱き合う。
壁にいたゴキブリを手に取り、「俺んち、冬でもゴキブリが出るんや。俺や。俺みたいなもんや」といいながら笑いかける二郎。「あんた、なんちゅう名前やっけ」という二郎に「きりこ。ジュリーはなんでジュリーっていうの?」と尋ねるきりこ。「それはやねえ…」と話し出す二郎。二人だけの時間は静かに過ぎていくのだった。
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