森川陽一郎

ページ名:森川陽一郎
もりかわ よういちろう
森川 陽一郎
生年月日1979年8月14日(43歳)
出生地日本の旗 福井県丹生郡清水町山内
(現・福井市山内町)
血液型AB
職業映像作家(元映画監督)、俳優
活動期間1997年 - 現在
公式サイト森川陽一郎web-index
フデハンズBLOG
主な作品
『青春の道』 - 映画祭劇場公開
『青春には果てない』
『小さな青春の浜』
福井青春物語』 - 劇場ロードショー
備考
地名研究家

森川 陽一郎(もりかわ よういちろう、1979年8月14日 - )は日本の映像作家、元映画監督。福井県丹生郡清水町(現・福井市)出身。

目次

経歴[]

幼年~高校時代[]

1979年8月14日、福井県丹生郡清水町山内(現・福井市山内町)に、農家の長男として生まれる。幼年期は絵を描いてばかりいた。清水町立清水西小学校入学。小学校時代は、少女漫画雑誌「りぼん」を愛読し、特に「ちびまる子ちゃん」(さくらももこ)や「お父さんは心配症」(岡田あーみん)を熟読していたと後年語っている。清水町立清水西小学校、清水町立清水中学校を卒業し北陸学園北陸高等学校に進学した。1996年8月、ラジオからエレファントカシマシの音楽に出会い、翌年からは頻繁にライブに行くほどの熱狂的なファンとなった。[1]。1997年1月26日、実父が病死。大きな転機となり、のちに「父を超えたい」と決意した。[2]

自主映画監督時代[]

高校在学中の1997年9月10日から自主映画を撮り始め1998年の卒業式の前日に『旅人の青春』が視聴覚室で上映された。金沢福祉専門学校保育福祉学科に進学したが1年後に中退している。1999年4月8日、映画制作・上映団体FREDERIC-HANDSを結成した。

2000年9月14日、福井インディーズ映画祭を主宰。映画祭を発足させたのは、前年に自らの監督作品を応募したぴあフィルムフェスティバルに落選したことがきっかけであった。日本初の“応募作品すべて上映”の公約を掲げた映画祭は、日本インディペンデント映画界に衝撃を与えた。その後福井インディーズ映画祭は最終回となる2003年7月19日の第五回開催までの3年間で計252作品を上映した。

2003年11月1日、東京国際映画祭に正式招待される。大手配給会社の色が強い映画祭に、無名の自主映画監督が招待されたのは異例のことであったが、レセプションに出席はしたが作品は出品せず、会場で「打倒東京映画祭」と発言し、反感を買う。

映画監督時代[]

2004年11月30日、福井出身の俳優・津田寛治と山本浩司を主演としてオール地元ロケ・全国上映を目的とした映画『福井青春物語』の制作を発表。2005年5月1日、映画祭公開。福井市響のホールにて完成記念映画祭を行い、3日間で1252人の観客が鑑賞した。

2005年10月22日、26歳で劇場デビュー。東京・渋谷アップリンクXにてロードショー公開。この日は同じく渋谷で行われた東京国際映画祭開幕の日であった。2006年4月23日、新作映画(現在、タイトル非公表)が完成。翌4月24日に関係者試写会を行った。また4月28日には企画運営を担当予定であった「福井北の庄劇場」が福井市中央1丁目にオープン予定であった。

逮捕による活動休止

2006年4月26日、福井県内の県立高校の女子生徒(当時17歳)に淫らな行為をした児童買春の疑いにより逮捕。前年に映画監督としてデビューしていたため、テレビや新聞など全国ニュースで報じられた[3]。2ちゃんねるなどインターネットでは本人のWEB日記内容から美人局疑惑が起こり憶測が飛び交った。4月28日、福井北の庄劇場のオープンが延期され、同日からの新作映画の公開が中止となる。また、5月に予定していた鯖江・新潟・長岡での「福井青春物語」劇場ロードショーが中止。

5月16日、児童買春・ポルノ禁止法違反の罪で起訴[4]。6月23日、福井地裁にて初公判、起訴事実を全面的に認めた。7月7日、論告求刑公判。7月14日、判決公判。懲役一年六月・執行猶予三年の有罪判決を受け、釈放。

7月19日、FREDERIC-HANDS解散。

映像作家時代[]

2006年11月12日、自身のWEBサイトにて「映像創作師」を名乗り活動再開を発表。フデハンズ活動開始。11月20日、mixiの福井青春物語コミュニティで『映画の「監督」を、辞める事にしました。』と本人による書き込みがされる。12月、4月に公開中止になった新作映画の監督を辞退。「福井青春物語」を映画監督引退作とすることが決まる。12月22日、WEB日記にて「映画監督を引退」して「監督をせずに、死ぬまで映画を撮り続ける」と宣言する。

2007年1月29日、WEB日記にて、精神科に通院していること、うつ病と診断されていることを告白。7月7日、職業としての映像作家活動に復帰。福井県越前市での友人の結婚式で新作を上映、「元映画監督の森川陽一郎さん」と紹介される。9月14日、自宅の小屋を改装し、ビデオプロジェクター上映する「志津映写館」を仮オープンさせる。9月16日、泥酔状態で落差2メートルのコンクリート側溝に転落、腰椎圧迫骨折で入院、全治3か月という診断を受けた。11月14日、映画「福井青春物語」DVDのWeb通販が販売終了、同映画の著作権フリー宣言をする。

人物[]

人物像[]

映画監督協会とフィルム映画への反抗心
  • 高校を卒業した頃、自己紹介として何気なく「映画監督」を名乗ったところ、ある男性に「日本映画監督協会に所属しないと映画監督とは名乗れない」「映画とはフィルムで、ビデオは映画じゃない」という指摘を受ける。当時はビデオ作品が映画館でロードショー公開されることは稀であった。しかし、これを機に「日本映画監督協会に所属せずに、ビデオを撮って、映画監督になる」という目標を立てたと語っている。[5]
  • 7年後の2005年10月22日、26歳で映画監督デビューを果たす。

メディアでのエピソード[]

  • テレビは自分のことを知らない人のために出演しているという意識で、自身のWEBサイトで番組出演を告知することはほとんど無い。
  • 福井インディーズ映画祭を主宰していた頃には、地元マスコミに取材を受けていたにも関わらず、WEB日記などで報道各社の問題点を指摘し、時に痛烈に批判している。
  • 2002年3月、福井テレビの生放送番組でスクラッチ田中に「うるせーだまってろ」という暴言を吐く。森川の話の途中で田中が口を挟んだことが原因だった。その後、映画祭の観客から指摘されると、本人は「よく覚えていない」と発言した。
  • 2002年11月、FBC福井放送のラジオ番組への生出演の予定であったが、体調不良を理由に急きょ電話での生出演となり、川島秀成アナからの「今のご気分は?」の問いに対し、「気分悪いです」と発言。
  • 2004年4月28日、テレビ金沢に生出演。話に関係なく「松井バンザイ」という発言をしたり、当時流行していた石川県出身のダンディ坂野の「ゲッツ」ポーズを多用した。

2ちゃんねる内の経緯[]

  • 2006年4月26日の逮捕時に、巨大掲示板2ちゃんねる内に複数のスレッドが立つ。
  • 2008年1月7日、森川のブログのコメント欄に「犯罪者」という書き込みがあり、本人から返信コメントがある[6]
  • 2008年1月29日、森川のブログのコメント欄にスレッドのURLが2ちゃんねらーによって書き込まれる。2日後には本人から「あらためて、ブログ記事にて紹介させていただきます。」という返信がある。
  • 2008年2月1日、森川本人によるブログ記事でスレッドのURLが掲載され、2ちゃんねるに肯定的な考えを示す。

躁うつ病などの精神疾患[]

  • 自らの精神疾患を「隠すことでもないし、恥ずかしいことでもありません。」[7]としている。
  • 中学生時代から自殺願望があり、高校2年から3年にかけて、精神科のカウンセリングを受けていた。
  • 2000年には自分の遺書を脚色してストーリーに加えた映画「da-bust-rage」を発表。
  • 2003年5月10日、左手首をガラスで切って救急車で搬送され、11針を縫うケガをする。
  • 2007年1月、精神科に通院を始める。
  • 現在はパキシルとソラナックス、レンドルミン、2008年02月からはジプレキサの服用を公言している。[8]

職業・活動[]

  • 職業 - 自営業(映像作家、映像上映業、農業)、元映画監督
  • ペンネーム非公表活動
    • 作家、文筆家、フリーライター、フリージャーナリスト、漫画家、アニメーション作家、画家[9]
  • 無償活動
    • 地名研究家、福井市山内町自警団

作品[]

監督[]

  • 1998年『旅人の青春』
  • 1998年『理由 ―青春の旅人―』
  • 1999年『貴重な経験』
  • 2000年『(ダイニト)レイン』
  • 2000年『金澤物語。』 - 東京ビデオフェスティバルビデオケーション賞
  • 2000年『da-bust-rage (ダバストレイジ)』 - 映画祭劇場公開作品
  • 2001年『結末の花』 - 映画祭劇場公開作品
  • 2001年『阪神甲子園一揆]]』 - 映画祭劇場公開作品
  • 2002年『慕情』 - 映画祭劇場公開作品[10]
  • 2002年『青春の道』 - 映画祭劇場公開作品
  • 2003年『青春には果てない』 - 映画祭劇場公開作品
  • 2004年『小さな青春の浜』 - 映画祭劇場公開作品
  • 2005年『福井青春物語』 - 劇場ロードショー作品

撮影監督[]

  • 2000年『A DAY IN THE LIFE』清水町成人式実行委員会 - 成人式記念ビデオ
  • 2001年『もうひとりのぼく。』清水香奈江監督 - 映画祭劇場公開作品
  • 2002年『熱闘!!飛龍小学校☆パワード』榎ちひろ演出 - 深海シガレットムーン第8回公演劇中映像[11]
  • 2003年『SF青春Movie』関戸暢監督 - 第5回福井インディーズ映画祭観客賞

CF[]

  • 2002年『事情 (福井工業大学映像デザイン研究部・部員募集中)』 - 第1回福井ふるさとCM大賞優秀賞[12]
  • 2003年『無情 (福井インディーズ映画祭最終回)』
  • 2004年『FREDERIC-HANDS 2004』 - 第2回福井ふるさとCM大賞努力賞[13]

出演[]

  • 2001年『一揆的行行 オープニング』鶴岡幸治監督 - 映画祭劇場公開作品
  • 2001年『WHITE COLOR』宮本高志監督 - 映画祭劇場公開作品
  • 2003年『赤と黒』高野充晃監督
  • 2005年『福井青春革命小野寺昭憲監督 - 劇場ロードショー作品


脚注[]

  1. エレファントカシマシDB・自称森川陽一郎さんのプロフィールより。
  2. 那由佗日報2007年01月26日(金) 森川富三郎 人類進化論より
  3. 児童買春で映画監督逮捕:福井県警 共同通信社 2006年4月26日
  4. 児童買春:映画監督、森川陽一郎容疑者(26)を起訴福井 毎日新聞 2006年5月17日
  5. 那由佗日報2006年08月21日(月) 映画監督としての経歴より。
  6. 平成廿年開業!志津映写館の雪化粧|森川陽一郎+山内改行+青戸千春=フデハンズBLOGより。
  7. 那由佗日報2007年01月29日(月) 鬱病闘病記より。
  8. 躁うつ病の近況報告。と、秘蔵映像@YouTubeユーチューブ|森川陽一郎+山内改行+青戸千春=フデハンズBLOGより。
  9. 森川陽一郎プロフィール・履歴書より。
  10. KENFIL-ARTS.COM - 「メロン侍」レポート - 巌九郎というキャラクターより。
  11. 深海シガレットムーンプレゼンツ「熱闘!!飛龍小学校☆パワード」おまけ写真集【ムービー撮影】より。
  12. 福井市映像文化センター/福井ふるさとCM大賞第1回入賞作品より。
  13. 福井市映像文化センター/福井ふるさとCM大賞第2回入賞作品より。

関連項目[]

外部リンク[]

  • 森川陽一郎web-index
  • 森川陽一郎+山内改行+青戸千春=フデハンズBLOG
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