登録日:2021/04/02 Fri 23:19:00
更新日:2024/05/27 Mon 09:44:20NEW!
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2006年、天皇賞(春)。
こんな馬が存在していいのか?
敗北など考えられない戦いに、人はどこまでも夢を見た。
奇跡に最も近い馬──
ディープインパクト
競馬は時々、競馬を超える。
──2013年天皇賞(春)CMより
ディープインパクトとは、日本の元競走馬、種牡馬。
ナリタブライアンに続く国内史上6頭目の三冠馬であり、シンボリルドルフ以来の無敗で三冠達成の記録を持つ。
圧倒的な強さで当時の競馬界を席巻し、競馬の枠を超えた社会現象をも引き起こした。
種牡馬としても素晴らしい活躍を見せ、サンデーサイレンスの後継筆頭、絶対的リーディングサイアーとして君臨。その血統は日本の馬産業界の一大ブランドのみならず、世界的に猛威を振った。
データ
誕生:2002年3月25日
死亡:2019年7月30日
父:サンデーサイレンス
母:ウインドインハーヘア
母父:Alzao
調教師:池江泰郎 (栗東)
馬主:金子真人ホールディングス
生産者:ノーザンファーム
産地:早来町
セリ取引価格:7,350万円 (2002年 セレクトセール)
獲得賞金:14億5,455万円 (中央)
通算成績:14戦12勝 [12-1-0-1]
主な勝ち鞍
2005年
弥生賞(G2)
皐月賞(G1)
東京優駿(G1)
神戸新聞杯(G2)
菊花賞(G1)
2006年
阪神大賞典(G2)
天皇賞(春)(G1)
宝塚記念(G1)
ジャパンC(G1)
有馬記念(G1)
●目次
出生
2002年3月25日、ノーザンファームで誕生。偶然にもこの日は父、サンデーサイレンスの誕生日であり、サンデーサイレンスが死亡した年でもある。
父は言わずと知れた大種牡馬。母も母で現役時代には妊娠中にドイツG1を制覇、繁殖入りしてからはディープクラスはさすがに出なかったが重賞馬を複数輩出し、2023年現在も32歳でご存命という肝っ玉母ちゃんである。
全兄弟としてはスプリングS勝ち馬でかのキタサンブラックの父ブラックタイドなど。
しかし、生まれたときの評価はSS産駒としてはそこまで高くなく、セレクトセールでは同時に上場されたSS産駒の中では14頭中9番目の7000万円で落札された*1。
落札したのは産業用ソフトウェアメーカー社長(現会長)の金子真人。
当時他にもクロフネ・キングカメハメハなどを所有し、ディープインパクト以降も数々の名馬*2を所有することになる日本競馬史屈指の個人馬主である。
ちなみにノーザンファーム代表の吉田勝己氏によると、金子オーナー以外にディープインパクトの落札希望者はなく、金子オーナーの一声で落札されたとのこと。慧眼ってレベルじゃねえぞ!
曰く「瞳の中に吸い込まれるような感覚に襲われた」らしい。
かくして金子氏の「自分が受けた衝撃と同じように、多くの人に強い衝撃を与える馬になってほしい」という思いから、この馬はディープインパクトと名付けられた。一見するとビッグマウスもいいところな大層な名前だが、これは全くその通りになるのはご存じの通りである。
馬体が小さくて柔らかく、牝馬のような馬だったという。管理する調教師が初めて彼を見た時、本当に牡馬なのか股間を覗いて確認したというエピソードがあるほど。また、幼少期からめちゃくちゃ負けん気が強く、放牧時代は集団のリーダーではなかったものの常に先頭に立とうとし、薄い蹄をすり減らして血まみれになるまで走り続けたというレースジャンキーな一面もあったとか。とにかく走るのが大好きな馬だったようだ。
幼駒のディープインパクトは他のサイレンス産駒の中ではおとなしいほうではあったが、「彼の背に乗ったことのある人間は一度は落とされていると思う」と関係者が語る程度には手を焼く部分もあったようだ。気性はレースの進行を左右する事も多い為、ノーザンファームの横手厩舎長は、ヤンチャで神経質なディープを女性ならうまくなだめられるのではないか、少しでも体重の軽い人間が乗るほうが彼の気に障らないのではないかと、トレーニングや身の回りのお世話担当に伊津野貴子氏を抜擢。
19歳で馬術のくまもと国体に出場した経歴のある彼女が、23歳でディープインパクトを託されてから、いつも優しく話しかけて寄り添うように接した事で、彼も彼女にとても懐くようになったそうである。彼の精神面の安定や人間への信頼、安心感が培われたのは伊津野氏の存在が大きかったと関係者は語る。
上記のように最初の評価こそ芳しくなかったものの、ノーザンファームでの放牧を経て池江泰郎厩舎に入厩してからは才能が開花。調教中も同期の中でずば抜けたスペックを見せ、調教で初騎乗した武豊騎手をして「この馬、ちょっとやばいかも」と言わしめたほど。
ちなみに武豊氏との出逢いはデビュー1週前の追い切りで、新馬戦を前に武豊氏には他の馬の騎乗依頼もあり、ディープの騎乗を断る可能性があったという。それでもブラックタイドの弟という事で調教に乗せてもらったところ「これは凄い」と直感し、僕に乗らせて下さいと自ら頼みに行ったそうである。
2歳 - 3歳(2004年 - 2005年)
2004年12月に阪神競馬場の新馬戦でデビュー。武豊騎手は「すごいことになるから見ていてください」と発言し、陣営も自信満々の様子。もし負けていたらネタ馬まっしぐらだっただろう。
しかし、レース前に池江氏から「あまり派手に勝たないでくれ」と言われていたにもかかわらず、レースでは上がり3ハロン33秒1という恐るべき脚を繰り出し、4馬身差の圧勝。直後、武豊騎手は「おばけや。遂に出たな」と呟いたという。
この年の12月阪神開催は冬馬場らしくタフな馬場で、この馬以外に芝コース(スプリント戦含む)33秒台の上がりを使ったのは同じく超スローペースとなったラジオたんぱ賞での数頭のみである。もちろん33.1なんてぶっちぎりの最速であり、何なら当時の新馬戦史上最速の上がりであった。*3
新馬戦でウオッカ並みの末脚である。なんじゃこりゃ。
どれくらい衝撃的な勝ち方であったかというとこの日の翌日のイベントで競馬評論家の井崎修五郎氏(1983年から競馬番組に出演)が「一番『これは強い』と思ったレースは?」と聞かれた際に昨日のディープインパクトの新馬戦と答えたほどである。
同レースでコンゴウリキシオーに騎乗した佐藤哲三騎手は「姿は見えないのに後ろから迫ってくるディープインパクトのもの凄い威圧感を僕もコンゴウリキシオーも感じた。こちらも伸びてるのに凄い脚で差し切られた。同じ草食動物の2歳馬があの威圧感、オーラを醸し出せるのは本当にすごい」と舌を巻いた。
また安藤元騎手は「どんなG1で勝ってもそこまで興奮しなかった武がディープの新馬戦の後は非常に興奮した様子だった」と語っている。
思い切り派手に勝ってしまい、消耗が心配されたが大して消耗した様子も見せなかったという。
続く2戦目は京都で行われた若駒ステークス。そこで更に桁違いのレースを見せる。
直線に入って最後方、そこから1頭だけ早送りしているかのような末脚を炸裂させ5馬身差でまた圧勝。ディープの上がり3Fのタイムはレース上がりより2.5秒も速い33.6。
YouTube等で見てもらえれば分かるが、まじで他馬が止まって見えるほどの加速力である。ちなみに直線に入った時には先頭と10馬身近く離れており、届かないと思われたのか一度カメラの外に消え、その後大外を上記のような走りをしている所が映し出され衝撃を与える。
おまけにディープはまだ余力を残しているかのような走りで、武も全く追っていないという有様。早くも「三冠は確実」とまで言われるようになった。
この年の冬の京都開催もやたら時計が掛かる馬場状態であり、1800m以上のレースで上がり3Fが33秒台だったのは日経新春杯のサクラセンチュリー、きさらぎ賞のアドマイヤフジとディープインパクトのみである。しかも日経新春杯は前半が64.1、きさらぎ賞が同61.5というスローペースだったのに対し、ディープは前半59.3からこの脚を使っている。正に次元の違う脚であった。
続いては弥生賞。史上最高記録の単勝支持率71.5%を叩き出したディープだったが、レース内容はアドマイヤジャパンにクビ差で勝利というギリギリのものだった。
……こう書くと一見物足りなく見えるが、映像をよく見ると最後の直線で鞭を一発も入れてない。要するに、他馬の全力疾走にジョギングで勝ったようなものである。最内をロスなく駆けぬけたアドマイヤジャパンに対してディープは大外を回るというロスがありながらも差しきるという強い勝ち方。アドマイヤジャパンは京成杯勝ち馬、3着のマイネルレコルトに至ってはG1の朝日杯勝ち馬という相手に対してノーステッキである。そんな馬鹿な。
次は皐月賞。歴代2位の単勝支持率63.0%(オッズ1.3倍)とまた圧倒的支持を得たディープだったが、レース開始直後に躓き、落馬寸前まで体勢を崩してしまい4馬身ほど出遅れてしまう。
しかし、この馬にはそれすらハンデにもならなかった。
4コーナーで武が初めて鞭を入れるとぐんぐん加速。最終的には2着のシックスセンス*4に2馬身半の差をつけまたもや勝利。これだけめちゃくちゃなレースをしながら1.59.2の勝ち時計は弥生賞から3秒縮め、当時で史上4番目の好タイムであった。上がり3Fは34.0。残り200mからは鞭を入れていないのので、追っていれば33秒台も出ていただろう。フジテレビ系で実況を担当した塩原恒夫アナウンサーの「武豊、三冠馬との巡り合い!」という五七五名実況は有名である。
レース後のインタビューで武は
「いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。走っていると言うより飛んでいる感じなんでね」
と答えた。この「飛ぶような走り」はディープの象徴として後世に語り継がれることとなる。
「向正面で内のローゼンクロイツに何度か馬体をぶつけられ、少し熱くなってしまったが、馬はムキになる事なく自分の走りをしてくれた」と武豊騎手はパートナーを称えた。
レース後の記念撮影で武は競馬学校時代の1984年に無敗での三冠を達成したシンボリルドルフの主戦騎手・岡部幸雄氏が行ったパフォーマンスと同じ、指を1本立てて三冠取りをアピールした。武自身もこの時から三冠を確信していたのだろう。
また、このレースの少し前くらいからマスコミやJRAがこの馬をかなりプッシュし始めていた。というのもこの時期は競馬の人気が低下していた期間であり、名門牧場の名馬が当代一の名ジョッキーを背に三冠を達成する、というストーリーで競馬界を盛り上げよう、オグリキャップ以来のスターホースを作り出そうという意図があったのだろうと噂されていた。そしてこの後から実際に非常識とすら言われ逆に多くのアンチを生むような数々の施策が行われてしまうこととなる(詳細は後述)。
その次は東京優駿(日本ダービー)。ここでの単勝支持率はなんと73.4%(オッズ1.1倍)。またまた同レース記録を更新してしまった。ちなみにディープはそんな人気は我関せずとばかりに、パドックで寝ようとした。
未知の勢力として京都新聞杯を快勝したインティライミがやってきたがディープの相手にはならんだろうという見方が大半だった。そしてその通りになってしまった。
スタートではまたもや出遅れをかまし最後方からの競馬となるも、いつぞやのナリタブライアンの如く最後の直線では横に大きく広がった馬郡の大外から捲るというめちゃくちゃな走りを見せ、残り200mで先頭に立ちその後はあっという間に他馬をちぎって圧勝。上がり3Fは33.4。ダービー史上最速の上がりであった。このタイムは昨今の高速馬場となったダービーでもそうそう出ず、これを上回った年は例外無く前半60.5以上のスローペースであるが、ディープは前半59.9の流れから最後は流してこの脚を繰り出した。
そして勝ちタイムは前年にキングカメハメハが叩き出した極限のレコードに並ぶタイ記録、2.23.3。まさに完勝であった。
インティライミは3F目からラップが落ちない非常に厳しい流れから2着に粘ったが、ディープには5馬身ちぎり捨てられる完敗であった。しかし実況通り彼も頑張っていたのである。ディープさえいなければ2.1/2馬身差の完勝でダービー馬だったのだから。
記念撮影では武は2本指を立てて二冠をアピール。「秋の京都へ衝撃は引き継がれる」の実況通り、ますます三冠への期待が大きくなることとなった。
翌日の新聞において、武自身がディープの二つ名として「英雄」を提案。なおまったく定着しなかった模様英雄というより魔王とかの方がまだ合っている気がする。何ならどっかの覇王より覇王してる気がする
夏において陣営は気性面の改善に取り組むことにした。菊花賞に向けて、前の馬を抜かして前に行ってしまってはスタミナを浪費するばかりになってしまうため、調教で並走させ、抜かしたがっても必死に我慢させる事を繰り返したという。この鍛錬の甲斐あってディープは我慢することを覚え、後の飛びにも繋がったという。え?有馬記念と凱旋門賞の敗因これじゃないかって?そうかな…そうかも…
夏を越し成長を遂げたディープインパクトは菊花賞前哨戦の神戸新聞杯に出走。上述の調教では初めて並走遅れをやらかし、池江調教師が「まさか馬の抜かす気を無くさせてしまったのか」と非常に心配したというが、レースではそんな素振りを全く見せず、前半59.1というハイペースを最後方で追走し、3コーナーから動いて直線はあっさり突き放して最後はシックスセンスに2.1/2馬身差を付け圧勝。勝ち時計はなんとあの天馬トウショウボーイが持っていた、ビワハヤヒデやシンボリクリスエス、ゼンノロブロイ、果てはキングカメハメハさえ破れず半ば不滅のレコード扱いされていた1.58.5 を上回る1.58.4のレースレコードであった。どうも調教の手抜きを覚えていたらしい
万全を期していよいよシンボリルドルフ以来の無敗三冠へ挑むこととなる。
ちなみに皐月賞・神戸新聞杯とディープに屈したラジオたんぱ杯2歳S馬ヴァーミリアンは、この後ダート路線に転向。ディープと同じ武豊と共に時々ディープと同期同馬主なカネヒキリとの対戦時に騎手が代わりつつダートG1・Jpn1総計9勝を挙げる事になるのだが、それは別の話。
ついに迎えた菊花賞、京都競馬場には863人の徹夜組を含む1万1936人のファンが午前7時20分の開門時に列を作り、菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人もの観客が押し寄せた。また、本来フジテレビの競馬中継は関東と関西で異なる内容なのだが、この日は京都競馬場に特設スタジオを設置し共同中継を実施。特設スタジオ設置自体は快挙が掛かったレースでたまに行われるが、共同中継というのは初めての試みであった。
単勝支持率は79.03%を記録し、オッズはまさかの1.0倍(つまり元返し!)となった。賭けが成立しなくなるほどに誰もがディープの勝利を信じて疑わなかったのだ。多分池のスワンも勝つと思っていただろう
レースでは過去1番の好スタートを切り中団へ。最初は順調に見えたが、前半61.2というスローペースが故か、最初の3コーナーからスタンド前の直線で首を上げかかってしまう。
武騎手の証言によると、1周半のレースが初めてだったがゆえに、1周目の最終直線をスパートのポイントと勘違いしてしまったとのことだが、武はそれに対して馬群の内側にディープを入れて前に行くのを防ぐというファインプレーを見せ、スタミナを温存。しかし他の馬達も黙って三冠を取られる訳にはいかない。アドマイヤジャパンが残り1400m地点から決死の超ロングスパートを敢行し、4コーナー付近ではディープと前とは10馬身程度の差があった。観客からは歓声と共に「果たして届くのか」というどよめきも上がっていた。しかしディープは最後の直線で怒涛の末脚を炸裂させ、横山典弘と共に執念の逃げ込みを図るアドマイヤジャパンを残り100m付近で捉え、突き放した。最後は2馬身差を付け勝利。
シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠制覇を達成した。
上がり3Fは33.3。これは2021年現在においてなお京都芝3000m以上の史上最速タイムである。また勝ち時計3.04.6は当時史上3位のタイム。実はこの日は雨残りの馬場で当時のレコードの98年の3.03.2が出た馬場と比べると1秒以上時計が掛かっているのだが…
記念撮影では武はついに3本指を立て三冠をアピール。正しくシンボリルドルフに次ぐ大記録を達成した瞬間であった。
また、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの名実況「世界のホースマンよ見てくれ!!これが日本近代競馬の結晶だ!!」はあまりにも有名。なに?両親はどっちも海外産だろって?世界のホースマン(競馬関係者)に誇ったのは血統というよりも、日本のホースマンがこれだけの強い競走馬を育てたという意味合いではないだろうか。
ちなみに13万人も観客が入れば帰りは当然ごった返す。その上当時の淀駅(京都競馬場周辺唯一の駅)は現在よりかなり小さく、結果として菊花賞終了後の淀駅は空前の大混雑になり、駅まで本来徒歩10分程度の道が1時間掛かるほどであったという。この混雑に京阪電鉄は淀駅に普段は停車しない特急を臨時停車させるという措置を取った。この措置は現在後にも先にもこの時のみである。誰が呼んだか「淀に特急を停めた馬」。
そして次は年内の競馬の総決算、有馬記念。初めての古馬レースである。
ファン投票では16万297票を集めて堂々の1位に。
当日の中山競馬場では16万2409人もの大観衆が押し寄せ*5、単勝オッズは1.3倍とまたまた圧倒的支持を受けた。
しかし、レースはこれまでの常勝パターンである後方から進めるも、いつもの末脚が炸裂しない。
そこに立ち塞がったのが4番人気(17.1倍)で、ハーツクライ。1歳上の古馬だが好走はしても勝ちに恵まれておらず、今回もディープを脅かせるほどではない……と思っていた人は多いだろう。実際ディープとの馬連(7.5倍)やワイド(4.1倍)は共に3番人気、複勝も4番人気ながら2.6倍と低倍率で、2〜3着を争う馬という評価を集めていた。
そのハーツクライ、追い込み馬であったはずなのだが3番手に付けて先行するというまさかの策略を打った。最終直線、いつも通り他の馬をごぼう抜きにしていくも、先頭に立ったハーツクライだけは尚も粘り続ける。
結局そのハーツクライに半身及ばず、8戦目にして初の黒星を喫することとなった。JRA職員「余計なことをしてくれた」
ディープインパクトの無敗神話はついに崩れ去ってしまったのだ。
この敗戦には武豊騎手も相当ショックを受けたようで、「勝った馬は強いが、全力を出して負けたなら分かるが今日は飛ぶような走りではなかった。普通に走ってしまった」とコメントを残している。
また陣営は「三冠を取ったことでスタッフが安心して気を抜いた。それをディープが感じ取ったのではないか」とも語っている。
このレースは前半61.3のスローペースから、7Fのロングスパートのラップ。このスローから長めのスパートというレースでは菊花賞や翌年の有馬記念で普通に走っており、むしろ翌年よりディープにとっては楽なペースであった。また、翌年と比較して馬場に違いがあった訳でもない。
やや早仕掛けの様にも思えるが、そもそもディープの強さはスピードの持続力で、仕掛けたタイミングがその持続力でカバーできないほど早かった訳でもない。ディープの他のレースのパフォーマンスを見ても、飛ばなかったという武豊の評価は恐らく正しかっただろう。
この時の界隈はディープから競馬に入った女性ファンが幻滅するやら、ボーナスをぶっこんだ馬券オヤジが発狂するやら、「ほら見ろ、あんなもん偽物だ」とディープアンチがドヤ顔するやらと大変な騒ぎであった。また弥生賞が僅差であったことと今回の結果から坂を速く登るパワーが無く中山が苦手なのではないかとも言われた。
一方ハーツクライは出し抜きがハマっただけ。という有馬の評価を覆してこの後勢い付き、海外G1のドバイシーマクラシックを逃げ切りで圧勝。凱旋門賞と並ぶ欧州最高レベルのG1キングジョージでも帯同馬もいないクソ遠征体制で絶不調に苦しむ中世界最強クラスの2頭を相手に熾烈な3強争いを演じ、馬券入りを果たす。その後喉鳴りにより競走生命を断たれてしまうが、その前にこの勝利が単なるマグレではないことを証明できたのは両馬にとって幸いだったと言えよう。
このハーツクライとは産駒の代に至るまで度々争いジャイアントキリング染みたメに遭うことになるのだが、それはまた別の話。
なお、この年の活躍によって、WBRRの長距離*6区分のレーティングにおいて世界9位(3歳馬の中では4位)、超長距離*7の区分で世界1位にランク付けされた。
無論、JRAの年度代表馬にも選ばれた。
「世界のホースマンよ見てくれ、これが日本近代競馬の結晶だ!」
──『菊花賞』馬場鉄志アナ──
4歳(2006年)
無敗神話の崩壊とともに「他が弱かっただけなんじゃね?」という声が囁かれ始めたが*8、そんな折で迎えた2006年初戦の阪神大賞典。
3ヶ月の休み明け、ディープインパクトにとっては初めて背負う58kgの斤量、初めて体験する稍重馬場、直線で吹き付ける強い向かい風、菊花賞以来の3000メートルの長丁場での折り合いといった不安材料が懸念されたが単勝オッズは1.1倍で1番人気に支持された。
レース中、やや前に行きたがるそぶりも見せたが武が上手いこと御したおかげで抑えられ、そして最終コーナーで追い上げて直線で先頭に立つと差がみるみる開き、持ったまま3馬身半の圧勝。風評を黙らせる圧巻の走りを見せた。稍重と言っても時計の掛かり方は重や不良馬場のそれであり、その中でこのレース2着であるトウカイトリック*9の鞍上芹沢騎手をして「勝った馬はスタミナが違う」と言わしめ、更に重い馬場を伸び切ったことで、スピード一辺倒ではなく非常に高いスタミナとパワーを備えていることも証明した。
この頃から凱旋門賞行きの話が持ち上がり始めており、次の天皇賞(春)はディープが「どう勝つか」が焦点となった。
生半可なレースでは認めないぞとファンが見守る中、ディープは伝説のパフォーマンスを披露する。
迎えた天皇賞(春)当日、例によってオッズは1.1倍という大人気。
しかしレースはスタートに失敗、4馬身ほどの出遅れとなり、場内は騒然とする。
だが、ディープはこの程度で負ける馬ではなかった。
レース前半は60.3と早め。あまり緩まないまま一団で追走する中、ディープは後方のまま3コーナーへ差し掛かると、なんと京都の難所・3コーナーの上りで大外から一気にスパート。
場内にどよめきと大歓声が沸き上がる中、その勢いで先頭に出てコーナーに差し掛かり、スタミナお化けのライスシャワーやゴールドシップですら一旦息を入れた下った直後のコーナーでも一切速度を落とさず、ハングオンバイクの如き切れ込むようなコーナリングを見せ直線に差し掛かる。
普通の馬ならバテてそのまま撃沈してもおかしくない走りだがディープはまだまだ伸びる。
リンカーンなど後続馬を突き放し、そのまま3.1/2馬身差を付けゴールイン。
上がり3F33秒台どころか上がり4F44秒台。レースラップはラスト4Fが11.3-11.0-11.2-11.3。スプリント戦でも滅多に見ないラップである(下り坂を含む記録じゃないかと良く突っ込まれる所であるが、スプリント戦で速い時計が出やすい中山・小倉の1200mのコースは標高差的には京都とそう変わりない下り坂である)上がり3F33.5は現在も天皇賞春の上がりタイム史上最速タイ。あの捲りから訳の分からない末脚を繰り出し、勝ち時計の3分13秒4は当時の芝3200mの世界レコードタイム*10。1997年の天皇賞(春)においてマヤノトップガンが記録した伝説の記録3分14秒4を1秒も更新してしまうというとんでもない時計。あんた追い込み馬だろ
更に3コーナーの坂の登りでディープは事も無げに動いたが、本来はそんな所から速いラップを刻むとラスト1Fはどうしても息切れする。だから基本的には先述の通り下り切った所で一旦息を入れてラップを落とすのだが、ディープはむしろこの本来ラップを落とすべき所で最速ラップを刻んでいる。ちなみに、ディープが動いたのは厳密に言えば残り1000m過ぎの辺り。残り800mからのレースラップはディープが先頭のため彼基準のものだが、レースラップに現れていない残り1000-800の区間も当然前に行くために速く走っている。しかもこの天皇賞春、1400m地点まではそれなりにペースが流れており、ディープが残り1000mから動いたので、ディープはこのレースでなんと4F程度しか息を入れていない。ゆっくり走ったから最後速く走れた、という訳では無く、むしろ早めの流れを早仕掛けして最後も物凄く速く走った、と言うのが正しいだろう。
このレース内容を字面にすると「出遅れ→やや早めを団子追走→坂を全速力→直線逃げ切り→レコード」である。正直異次元と言う他無く、このレースひとつを取って史上最強馬論争で戦えるほどの"深い衝撃"であった。やはりディープインパクトは只者ではなかったということである。
2着リンカーンも3.14.0という日本レコードペースで3着には5馬身差つけていたが、3馬身以上前に化け物がいた。鞍上の横山典弘は一言「生まれた時代が悪すぎた」。リンカーンは泣いていい
そして陣営は凱旋門賞への出走を決定。前哨戦として宝塚記念に出走することに。
壮行レース感も漂い、当然のように単勝1.1倍に支持される中、先の春天の激走の疲れや雨の影響で稍重となった馬場ものともせず、先輩皐月賞馬ダイワメジャー、シンガポールにて史上初の地方馬による芝G1制覇を成し遂げたコスモバルク、前走の雪辱を期すリンカーンらが馬場に苦しむ中、いつものように4コーナーで先団に取り付き、直線は鮮やかに伸びて2着のナリタセンチュリーに4馬身差で勝利。上がりタイムはディープの他のレースと比べると平凡に見える34.9。しかし、宝塚記念ではそもそも34秒台の上がりすら珍しく、まして雨が降り続く非常に時計が掛かるコンディションの中加速ラップで34秒台の上がりを使っている。京都競馬場で行われたため一概に他のレースと比較はできないがこのパフォーマンスも十分異常と言えるものである。やはり馬場で負ける馬では無く、非力というイメージも完全に払底された。
この宝塚記念で2着となったナリタセンチュリー鞍上の田島騎手によると、「道悪が得意なセンチュリーに有利なレースと思っていた。足音が聞こえず気づくと斜め前方を飛んでくディープが見えた」「あんなちっこい体で全身バネみたいな走り。しかもあの馬場。まるで追いつく気がしないしマジで化け物だった」──らしい。
そして満を持して凱旋門賞に送り出されたディープインパクト。海外でもディープの評価は高く、なんと圧倒的1番人気に推される――と言ってもこれは日本から来たツアー客がディープの馬券を買いまくった影響が明らかであり、初動のオッズは上位の一角くらいだったが。ちなみに現地最終オッズは1.5倍だったとか。
日本人の誰もがディープの勝利、そして日本競馬の悲願の達成を信じて疑わなかった。現地ヨーロッパの関係者も「今回はディープに勝たれても仕方ない」というムードであったとか何とか。
また、当時ヨーロッパで無双していたハリケーンランの参戦、また当時ヨーロッパの馬は比較的層が薄かったことから、この年の凱旋門賞は8頭立てと超少頭数であった。
そしてレース本番、好スタートを切ったディープは今までとは違い2番手~3番手の前方でレースを進め、一時は先頭に立つ。
しかし、残り100m地点でレイルリンクに、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。
あのディープインパクトでも敵わないほどに、世界の壁は高かったのだ。
「ヨーロッパ特有の重い馬場に適応できなかった」とか「現地のレースを経験させとくべきだった」とか「いつものように出遅れてれば勝ってた」とか敗因に関して様々な憶測が飛び交ったが、日本最強馬が世界に敗北したという事実はどのみち変わらない。ちなみに天皇賞春の実況で「待っていろ」と言われた前年の凱旋門賞覇者ハリケーンランは初めて連対を外す4着入線であった。コンディションが悪いのにこの馬に先着できてる辺りちゃっかり地力は見せているとも言える
そして、帰国したディープに衝撃の事実が発覚。
なんと、体内から禁止薬物が検出され、凱旋門賞史上初の失格処分を下されたのだ。
引っかかったのは体調を崩し咳込むディープにフランスの獣医師の処方のもと池江厩舎スタッフが与えていたイプラトロピウムという薬物。ただ、該当薬物は気管支炎などに投与される一般的な薬物であり、その使用自体はフランスでも日本でも認められている。体内に残留した状態で出走するのがアウトだったのだ*11。
池江調教師も勿論残留した状態では失格になる事を把握しており、レースの5日前には投与しないよう厩舎スタッフに通達しており、スタッフも投与はしていなかったという。そしてこの薬物は残留時間が24時間ほどであり、そもそも検出された事自体が不自然だった。
では何故検出されたのかというと、どうもこの薬物を吸引させる際にディープが暴れ、薬が藁に飛び散り、その藁をレース前日に食べたせいではないか、というものだった。つまりは現地スタッフが「ディープの藁を交換しなかったこと」が直接の原因であった*12、というのだ。
客観的に見て、日本の最強馬という国の威厳を背負ったレースで、その後の負の評価や影響の大きさが容易に想像できるような、直後の検査ですぐバレる安易なドーピング行為を犯すほど、リスキーな賭けをするとは到底考えにくい。
であればこれはきちんと管理ができていなかった陣営の落ち度であり、ディープは何も悪くないということになるのだが、その経歴と人気に大きな傷がついたのは確かである*13。
またこの件では、ドーピング疑惑が発表されても池江師が頑として口を閉ざし続けて何の説明もしようとしなかったこと、「誰かに薬を盛られたのでは」という主張も出る中でファンから真相究明を求められていたJRAが最後まで曖昧な態度を取ったことなどから、陣営やJRAに数々の批判や疑いが向けられた上かえって薬物常習疑惑まで持ち上がってしまった。
これを受け、このままではいかんと陣営はある決断をする。
それは引退レースと定めた有馬記念までディープには獣医師含め部外者を一切近づけさせないという決断だった。
普通だったら注射を打つような場合でもマッサージで対応し、馬体に疲れが溜まらないように調教メニューにも工夫を凝らした。
これで勝つことにより、ディープの強さは決して薬漬けではないと証明しようとしたのである。
帰国して薬物検出までの間の10/11に、4歳限りでの引退が発表された。池江調教師、武豊騎手ら関係者も寝耳に水であったという。種牡馬入りに関する詳細は下述。
海外帰りということで天皇賞(秋)を回避、ジャパンカップに臨む。
但し、この天皇賞(秋)の登録には初めから出走意思はなかったという疑惑がある。
海外から帰国した競走馬は民間施設で3週間の検疫を受けなければならず、本来は民間施設で着地検査を受けることとなるのだが、その期間内に特別登録をすれば競馬場での検査に変わるというものである。
民間施設での検査の場合、施設のスタッフが調整を行うのだが、競馬場での検査の場合は自厩舎のスタッフの手で調整を行えるのだ。
それを狙っての登録、回避だとも言われている。
ルールの隙を突いた頭脳プレイとみるか、ズルとみるかは人それぞれだろう。
ジャパンカップでは前年の有馬記念で打ち負かされたハーツクライとの再戦となった。また、英愛オークス、香港ヴァーズを制し、BCフィリー&メアターフも2回制覇したイギリスの名牝ウィジャボードも去年に続いて参戦した。また、この年の2冠馬メイショウサムソンと、その影で涙を飲み続けたドリームパスポートも3歳世代の刺客として参戦していた。
上記の事件のせいか、単勝支持率61.2%、オッズ1.3倍と彼の国内レースでは最低の数値に*14。
しかし、レースでは前半61.1というスローペースの中、最後方で温存して毎回恒例の4コーナーから進出。ウィジャボードをあっさり交わし、1頭ずつ料理しながら末脚で捲るという王道パターンでドリームパスポートに2馬身差で勝利。汚名返上を果たした。上がり3Fは本来の調子を取り戻し33.5。勝ち時計はやや遅いが、この日の馬場はディープのダービーの日と比較して2秒程度時計が掛かる馬場であったため、そこまで気にする物でも無いだろう。それでいてジャパンカップの当時史上最速の上がりなのだから恐れ入る。机上の空論ではあるがそのまま馬場差を当てはめるとスローペースなのに2分23秒台の時計で走ったことになってしまう
あんなことがあっただけに絶対に負けられなかったこのレース、武も相当嬉しかったようで珍しくゴール前でガッツポーズし、表彰式ではファンと一緒に万歳三唱までした。また、記念撮影においてはこのレースまでは武が1人でやっていた、G1勝利数に合わせた本数の指を立てるパフォーマンスに金子オーナーが加わり、武5本、金子オーナー1本の6本の指が掲げられた。
のちに武は「ディープのレースでプレッシャーがかかったものがあったとしたら、あのジャパンCです」と振り返っている。
一方ハーツクライはあのダイワメジャーをダメジャーにした喉鳴りに苦しめられ、見せ場なく10着に終わりそのまま引退して種牡馬となった。
ウィジャボードは3着で、このレースが結果的にラストランとなった。*15
そして次は有馬記念に出走。これがラストラン。
ディープ不在の秋天とマイルCSを制したダイワメジャーや海外GIのメルボルンカップを制したデルタブルース、そのメルボルンCで2着だったポップロック、再戦となるメイショウサムソンとドリームパスポート、史上2頭目に牝馬で宝塚記念を制したスイープトウショウなどなかなかのメンツが揃ったが、単勝支持率は70.1パーセント(オッズ1.2倍)で史上2位の数値。
これでディープは全レース1番人気となった。それも全て1倍台である。当然こんな記録はG1勝ち馬ではディープのみの記録である。
レースではスイープトウショウがゲート入りをゴネたりしたがゆったりスタートして後方3番手につけ、アドマイヤメインが大逃げする中その2秒程度後方を追走して3コーナーで捲り、直線で先頭に立ってそのまま突き放すといういつもの戦法。これまでで最高の「飛び」で2着のポップロックに3馬身差をつけての圧勝。
上がり3Fは当時の有馬記念史上最速の33.8。しかも3コーナーから仕掛けながら最後は流して出した数値なのだから恐ろしい。現在においても、極端なスローペースとなった2011年、14年を除けば2010年のブエナビスタと並び最速タイである。
当然こんなパフォーマンスを見せたことで中山苦手説も完全に消えた。
観客の最後の祈りに答え、最後の衝撃を観客に、競馬ファン全てに残し、最多タイ(当時)のGI7勝目を挙げ、見事に有終の美を飾った。
また、このレースで引退したことにより国内全戦上がり3F最速という記録も達成。大崩れしない、レース数が少ない、後方脚質でないと達成しづらい等の要因はあるが、G1を勝った馬でこれを達成した馬は未だディープインパクトのみである。
武豊はこれで有馬記念2勝目。オグリキャップ、ステイゴールドに続き名馬のラストランを見事にエスコートしてみせた。
レース後に武は「生涯最高のレースができた」と語り、凱旋門賞への無念を残すようなコメントもした。ファンも「これで引退なんて信じられない」と仰天したらしい。
記念撮影では武5本、金子オーナー2本の7本の指が掲げられた。
「間違いなく飛んだ!間違いなく飛んだ! ディープインパクト先頭だ!
最後の衝撃だ!これが最後の、ディープインパクト~!
ラストランを見事に飾りましたディープインパクト!
これが、これが私達にくれる最後の衝撃!
…強い!ディープインパクト、強し!」
──『有馬記念』ラストラン 三宅正治アナ──
あと1年走っていたらいったい何勝できていたんだろうか。G1・10勝に手は届いていたのであろうか。
屈腱炎でスランプに陥った兄や早期引退を余儀なくされた弟を見て「脚部が弱い傾向のある血統だからここが引き際だった」という声もあれば、成長力に優れた産駒達を見て「もう1年やってウオッカやダイワスカーレット相手でも十分勝てた」という声もある。競馬において最も語りたくなるたらればの1つであろう。
尚この有馬記念は去年同様、入場制限など行われてとても入場出来ないのでは…?と噂され(実際は制限無し)、当日がクリスマスイヴだった事もあってかレース観戦者はあちこちに分散傾向にあった。屋内外を問わず競馬中継が観られる場所には多くの人が集まり、新宿アルタ前などは競馬ファンやミーハーなお祭り好きでごった返した為に警察隊が動員されるというカオスな状況もあったりもした。
また凱旋門賞失格からジャパンカップでの復活劇が女性達の心を掴んだのか、中山競馬場内ではいつにも増して黄色い声が飛び交っていたという。
この年にはIFHA(国際競馬統括機関連盟)の06年1月-7月のレーティングにおいて125ポンドの評価をされ、ハリケーンラン、シロッコと並び2003年の設立以降、半年間のみの中間発表ランキングとはいえ日本調教馬で初めて本レーティングの世界一位を獲得。
最終的には芝の長距離部門で127ポンドの評価を得、レイルリンク、ジョージワシントンと並びレーティング部門別世界一位タイを獲得した。(マイルやダート等を含むと総合4位タイ)
また、
世界も英雄の「衝撃」を認めたのである。
もちろん年度代表馬にも選ばれた。
上記の有馬記念も含め、彼のレースはYouTubeなどに多くアップされているため、興味がわいたら見てみよう。初見ではそのジェットエンジン…いや、ワープしているかの如き末脚に驚かされることだろう。
引退して3年が経過し、顕彰馬選定投票の対象になった2008年、記者投票で186票中164票、得票率86.6%で史上28頭目の顕彰馬に選出。堂々と名馬の仲間入りを果たした。
種牡馬として
その活躍と、大種牡馬サンデーサイレンスの後継最有力候補という点からやはり大きな期待を寄せられ、組まれたシンジゲートは驚異の8500万×60口-51億円。当然ながら歴代1位の金額。もう高いとかそういう次元を通り越している。
もう1年見たかったというファンも多かったが、どう見てもまだやれそうだったのに早めに種牡馬入りさせた判断は間違っておらず、初年度から勝ち馬を順当に輩出し続け、あっという間にアグネスタキオンの記録である25頭を上回り、最終的に41頭が勝利。JRA2歳新種牡馬の勝馬頭数の新記録を達成。なんだったら初年度からG1馬を2頭産み出している。英雄は種牡馬になっても英雄だった。
その血は海外からも注目されており、オーストラリアでは日本国内では居場所がないディープ産駒の種牡馬を買い取る動きが活発化し、日本のサンデー以上にサドラーズウェルズの蔓延が酷いことになっている欧州でも、世界的には傍流もいいとこな血統(特に気性が酷過ぎて不人気だった種牡馬とアピールポイントが頑丈な事ぐらいしか無い牝系が合流して産まれた親父殿)を活かした薄め液としてディープを付ける取り組みがちょくちょく行われるようになった。そのためにG1含む様々な海外重賞を制覇した女傑達が彼の種を付けるためだけに来日してくる。産駒初の海外重賞及び海外G1勝者も遠征した日本所属の子供達ではなく、イギリスで産まれてフランスで走っていたビューティーパーラーだったりする。
その他にも彼の種牡馬としての実績は数多く
- 産駒出走初年度の総獲得賞金記録を16年ぶりに更新
- 初年産駒のマルセリーナを皮切りに2011年から産駒が4年連続で桜花賞を制覇。連対まで含めれば6年連続。
- 2012年にリーディングサイアーに輝き、その後2022年までリーディングサイアー入り。
- 産駒による八大競走完全制覇。
- 2018年のワグネリアンから4年連続でダービー制覇。種牡馬としての産駒によるダービー勝利数最多を更新し、2022年現在でダービー7勝。
- 三冠競走全体では桜花賞5勝、皐月賞3勝、オークス4勝、ダービー7勝、秋華賞5勝、菊花賞5勝の計24勝を挙げている。
- 父サンデーサイレンスですら3年目で途切れた三冠競走勝利の皆勤記録を現在進行形で更新中。つまりクラシックG1馬を毎年輩出している。そして2022年もクラシック最終戦の菊花賞をアスクビクターモアが制し、12世代連続クラシック制覇を達成した。日本の最終世代は6頭しかいないため、ほぼ全世代でクラシック制覇を達成したことになる。
- 2012年にはジェンティルドンナが牝馬三冠を達成。性別は異なるが史上初の親子三冠を達成した。これはかの皇帝帝王親子があと一歩で成しえなかった大偉業である。
- 2020年にはコントレイルが自身以来となる無敗での三冠を達成。もちろんこんな業績は全世界においても史上初、前代未聞である。
- 産駒の勝利数合計は父を超えて歴代1位。ラストクロップ(最終世代)が2023年クラシック世代なのでさらなる可能性が秘められている。
- 2014年にレッドキングダムが中山大障害を制した事で、現段階で制していないJRA・G1はフェブラリーS、高松宮記念、チャンピオンズC、中山GJ。史上初のJRA平地芝G1完全制覇に王手を掛けている。
- 本場ヨーロッパのクラシックもサクソンウォリアーやスノーフォールを筆頭に6勝。
- 更に日本国内でしか種付けを行っていないにも関わらず、産駒が日本はもちろんアメリカ、イギリス、フランス、アイルランド、UAE、オーストラリア、香港と8ヶ国のG1を勝利。
- 果てには世界にわずか12頭の最終世代から、アイルランド調教馬のオーギュストロダンがイギリスの2歳G1フューチュリティSを制覇。種付けを行った13世代全てでG1馬を輩出したことになった。そしてオーギュストロダンは英ダービーと愛ダービーを勝利。産駒13世代全てがクラシックを勝利という空前絶後の偉業がここに樹立された。
- また最終世代の内日本にいる6頭の中から、ライトクオンタムが2023年G3シンザン記念を武豊鞍上で勝利。これにより全世代産駒でのJRA重賞勝利も達成された。
などなどなどなど、挙げたらキリがない。
現代日本ではもはや一流馬の血統が「ディープ産駒かそれ以外か」で括れてしまうほどに日本競馬を席巻している。
産駒の傾向としては芝の1600~2400あたりの距離では無双の強さを誇り、特に京都での強さはバツグン。
だが、現役時代のハチャメチャな捲り戦術を支えたスタミナはあまり遺伝していないのか、2500以上の長距離だとやや分が悪いようで、自身が最高のパフォーマンスを見せた菊花賞や天皇賞(春)での成績はなかなかパッとしない…と思われていたが、2016年のサトノダイヤモンドの菊花賞制覇を皮切りに18年〜20年で産駒が菊花賞3連覇、そして22年も勝利。7年間で菊花賞5勝を挙げ、ジンクスを完全に払拭した。更に天皇賞春は過去5年で3連覇を含む4勝を挙げており、むしろディープ系の庭になりつつある。(ただしこれについては自身の遺伝ではなく父同様繁殖牝馬の血統から力を引き出す能力によりスタミナを得させたという意見や、スローからの上がり勝負になりがちな近年のレース傾向が更に味方したとする向きもある)
反対にダートは基本的に弱い傾向で、G1級と言えるのはJBCレディスクラシックを勝ったアンジュデジールしかいない。
まあ、父サンデーサイレンスもダートで活躍した子供はゴールドアリュールぐらいしかいなかったので、この辺りは孫世代に期待と言ったところか。
今のところキズナの産駒がダートもこなしており、ディープ後継の中では屈指のリーディング成績を出している。
他には素軽でスピードに優れた産駒を多く出す一方、パワーにやや劣る面があり、馬場が渋ると成績を落とす傾向にある(マリアライトとかエイシンヒカリとか例外もいるが)。
また、ライバルのハーツクライとは対照的に2歳戦やクラシックではすこぶる強い。ただ、そのクラシックを制した馬が古馬になると低迷することもしばしば。
一方、「遅れて来た大物」と言われる、条件戦を強い勝ち方で勝ち上がってくる馬も毎年数多く排出し、その馬が重賞やG1を制することも多く、成長曲線は様々なようだ。
前述のようにしばしばクラシックまでに勝って以降G1を勝てない馬が出ていたことから「早熟早枯れ」と揶揄されることもあるが、ステイゴールド、ハーツクライ、ロードカナロア等の種牡馬と比較しても産駒の古馬の成績そのものは寧ろ良い方である。
彼の種牡馬生活の様子を撮影した動画もいくつかアップされている。
競走馬を退いて10年近く経過してもなお現役時代とほぼ変わらない引き締まった馬体を維持しており、放牧地を元気よく駆け回る姿を拝むことができる。
その走りは未勝利相手くらいならまだ勝ててしまうのではないかと思えるほど。
また、隣同士だったシンボリクリスエスと仲良しだったようで、厩舎に帰るボリクリを見て寂しそうにするなど愛らしい姿も見せてくれている。同じく隣で、現役時代に何度も戦ったダイワメジャーとも交友?があったようだ。
種付け自体は体の柔らかさや大種牡馬SSの遺伝子が幸いしたのか上手で、俳優ばりにオンオフの切り替えも早かったという。……AV男優感覚だったのでは?
2019年、首に痛みが出たため予定していた種付けを中止。手術を試みた。
術後の経緯は安定していたものの、7月29日午前に突如起立不能となった。
翌30日の検査で頸椎骨折が判明。回復が見込めないと診断されたことから、同日、安楽死の措置が執られた。
17歳没。人間でいえば50歳くらいであり、そのあまりにも早い死を日本中のファンが惜しんだ。各方面への衝撃も大きく、テレビではニュースが速報で伝え、大手紙でも1面に載るほど。Twitterでも「ディープインパクト」がトレンド1位を獲得した。
「種牡馬として競馬界を席巻する中の早すぎる死」「晩年に残した子が死後に無敗の三冠馬となる」という結末は奇しくも父・サンデーサイレンスのそれを思わせる物であった。
一応23年クラシック世代が本当のラストクロップだが、この世代はスイープトウショウ*16等24頭にしか種付けしていないため、実質22年クラシック世代がラストクロップとなるだろう。
なお馬主・在籍スタリオン・没年が共通していたからか、その墓碑は社台スタリオンステーション内にキングカメハメハと並ぶ様に建てられている。
その多大な功績をたたえ、彼の死後、弥生賞は報知杯弥生賞ディープインパクト記念に改名された*17。名前が長すぎるしダサい
ただしこの改名、日本馬主協会連合会企画予算委員会において事前連絡なしにJRA側が提案、出席した馬主全員から反対されたにも関わらずその場で強行されたものであり、ファンからも「伝統あるレースを軽んじている」「若駒ステークスなら相応しいが弥生賞は違う」「ウイポで時空の歪みが起こりディープインパクトがディープインパクト記念を走る」などとファン・アンチ問わずたいへん不評。
ちなみに改名後の初レースは彼の産駒であるサトノブラックが「ディープとともに戦い抜いた武豊を鞍上に」「ディープ譲りの4角捲りを行って」制している。
また、JRAは顕彰馬が死亡した際に直近の開催のメインレースを追悼競走とすることがあり*18、ディープが死亡した19年7月30日の直近の開催である8月3日、4日のメインレースの副題に「ディープインパクト追悼競走」が付された。追悼競走が2日に渡って実施されたのは初めてであった。
なお2019年のジャパンカップは「ディープインパクトメモリアル」の副題がついたが、2着から4着をディープインパクト産駒が独占する中で勝利したのはよりによってハーツクライ産駒のスワーヴリチャードである。なんという因縁深さ。
代表的な産駒
- リアルインパクト
産駒初G1こそマルセリーナに譲ったが、産駒牡馬初のGⅠ制覇をグレード制移行初となる3歳馬の安田記念制覇で達成する第一世代、2011年世代牡馬代表。
同父同世代のダノンシャークたちとともにマイル戦線で走り、国内ディープ牡馬初の海外G1ジョージライダーステークスも獲得した。
種牡馬としても、ラウダシオンが2020年のNHKマイルカップを勝利しディープ孫直系の初GⅠ獲得。初って言葉が似合う奴である。
- トーセンラー
第一世代の一頭で、マイルCSの勝利でディープ主戦の武豊のGI 100勝目になった馬。
これに限らず京都競馬場では滅法強くマイラーの癖して天皇賞春でも好走したが、輸送が苦手で関東では弱かったり、太陽神の名前通り雨に弱かったり妙に強弱がわかりやすい奴であった。馬券買う方からしたらありがたい存在かもしれない。
宮城の山元トレセンにいた時に被災したり、オルフェーヴル相手のクラシックだったり苦労気味。
武豊によれば父に「最も近いフットワークをしていた」そうな。
2年目の産駒にして現在でもディープ産駒最高傑作の呼び声高い怪物牝馬。最強世代候補にも挙げられる12世代の一角。イタリア語で貴婦人を意味する名前ではあるが、とんでもない成績ぶりに「鬼婦人」と呼ばれる。ヴィルシーナをお供に牝馬三冠を達成すると、次戦のジャパンカップで1歳年上の三冠馬オルフェーヴルを文字通りぶっ飛ばして(物理)強豪古馬軍団に勝利。3歳牝馬のジャパンカップ勝利はもちろん牡馬を交えた秋古馬G1を制するのは史上初。これ以降続く三冠牝馬は秋華賞→ジャパンカップというローテを組むようになった。
3歳牡馬には、共同通信杯・皐月賞・神戸新聞杯・菊花賞・有馬記念を制し、例年なら十分年度代表馬に相応しい成績を残したゴールドシップがいたのだが、それを差し置いてジェンティルドンナが年度代表馬に選ばれた。2012年クラシック世代が如何に恐ろしい連中の集まりだったかがわかる。
秋華賞以降は牝馬限定のレースを使うことなく、漢のローテと言わんばかりの出走で強豪ぞろいの同世代の牡馬たちと互角に渡り合い、史上初のジャパンカップ連覇を達成。ドバイシーマクラシックでは国内ディープ産駒初の海外G1勝利となった。
そしてラストランの有馬記念によって最終的にG1・7勝の金字塔を打ち立て、当時の賞金女王にも輝いた(序にハーツクライ産駒で秋天で一度ブチのめされたジャスタウェイへのリベンジも成し遂げた)。母トナブリーニの血からかこの時期のディープ産駒にしては故障のコの字知らずで牡馬に喧嘩売ってたのもまた凄まじい。
競走馬引退後の2016年には顕彰馬にも選出。4例目の親子の顕彰馬となった。更に繁殖入り後も母馬として成功しており、娘のジェラルディーナが2022年にエリザベス女王杯を制している。まさに文句なしの名牝である。その圧倒的で安定した強さと漢らしいローテ、見た目のムキムキ具合からも「ゴリラ」だの「ゴリラウーマン」呼ばわりされ寧ろ筆頭扱いされている。とは言え人間大好き子煩悩のお母さんらしい。
詳しくは個別項目参照
尻尾のない繁殖牝馬ハルーワスウィートとの子であり、同期のジェンティルドンナの裏で牝馬三冠レースで全て2着になった永遠の2番手シルバーコレクター。しかも秋華賞ではジェンティルドンナと7cm差で2着と言う悲劇にも遭っている。と言ってもジェンティルドンナ躍進の理由はヴィルシーナの絶妙なペース配分の恩恵である意味で戦友とも言える。
ジェンティルがジャパンカップに行った裏でのエリザベス女王杯でも2着となり、重賞5戦連続2着の珍記録を達成した。
しかし、このままで終わることはなく、4歳になってヴィクトリアマイルを制覇。悲願のG1勝利をあげる。
その後は不調に陥るも、5歳になって復活。史上初のヴィクトリアマイル連覇を達成した。ちなみにその後同期でフジキセキ産駒のストレイトガールが6歳&7歳にしてヴィクトリアマイルを連覇して同世代で2×2連覇という珍記録が生まれる。12世代はつくづく恐ろしい世代である。
繁殖成績では、新潟記念を制したブラヴァス、府中牝馬Sを制したディヴィーナと重賞馬を2頭輩出し、成功の兆しを見せている。これからに期待したいところ。
ちなみに、馬主はハルーワスウィート産駒全コンプした「ハマの大魔神」こと佐々木主浩。
2023年11月には妹ヴィブロスと共に『ウマ娘 プリティーダービー』に登場。先行登場していた半弟シュヴァルグランと合わせ三姉妹となっている。
- ディープブリランテ
2012世代の牡馬。
クラシックの登竜門、東京スポーツ2歳Sを制覇して期待を集めるが、クラシック二冠の白いアレに阻まれて皐月賞を逃す。
その後は主戦の岩田騎手直々の調教が行われ、ダービーではフェノーメノの猛追をしのぎ切って勝利。ディープ産駒初のダービー馬となっただけでなく、岩田騎手、矢作芳人調教師、そして生産牧場のパカパカファームにとっても初のダービー馬となった。岩田騎手の男泣きが印象的。
その後は欧州のキングジョージ6世Sに乗り込むも、流石に超ハイレベルな面子が揃ったレースでは通用せず敗戦。また日本ダービーでのハイペースが祟ったのか、菊花賞前に屈腱炎で引退した。
種牡馬入り後に大阪杯でコントレイルに先着したモズベッロを輩出している辺り、最強世代ともいわれる12世代のダービー馬は伊達ではないということだろうか。
- スピルバーグ
トーセンラーの全弟でジェンティルたちの同期。映画監督のスティーヴンとは由来含めて無関係。
同父のディープブリランテが勝利したダービーで惨敗し脚部不安で一年休養したのち復調するもまた休養を挟む羽目に。
とはいえ2012世代のクラシック戦線は「どのディープ産駒が勝つか」・「世はまさにディープ産駒時代」と言われるほどディープ産駒が幅を利かしていたにもかかわらず、大抵白いアレと競って壊される形で古馬入り前後に軒並みターフを去ったことを考えるとまだ運がよかったといえる。
そこからなお条件戦をコツコツとこなし、翌年の天皇賞秋ではジェンティルドンナを最終直線で差して重賞初勝利をG1勝利で飾った。
これは12世代唯一のディープ牡馬による古馬G1勝利のみならず馬主にとってもG1初勝利で、鞍上の北村宏司騎手及びディープ産駒には初の天皇賞制覇であった。
その後はイギリス遠征などを敢行するも勝利はできず、引退して種牡馬入り。
- キズナ
2013年世代のディープインパクト産駒。自身の半姉に二冠牝馬のファレノプシスがおり、母のキャットクイルも半姉にパシフィカス(ビワハヤヒデとナリタブライアンの母)を持つ良血馬である。
3歳の5月までに重賞で2勝をあげ、日本ダービーに出走。最後方からゴール前の直線で上がり最速を使って先頭に立っていたエピファネイアを抜き去り、落馬事故以降低迷していた名手武豊に復活のダービー5勝目をプレゼントした。
更にはシンボリルドルフ・トウカイテイオーやタニノギムレット・ウオッカと言った親子ダービー制覇の記録は数あれど同じ騎手が跨っての親子制覇はこのディープインパクト・キズナの例が初の例であり、もしかするとこれが最初で最後と言う可能性もある…
ダービー後は凱旋門賞に向かったものの4着に敗れ、以降はケガなどもあって勝ち星も当時G2だった大阪杯のみとなり、2015年天皇賞春を以て引退。
種牡馬としては前述の良血っぷりから大人気となり、初年度から重賞勝ち馬を多く輩出。2019年に産駒がデビューし、2歳リーディングも父に次ぐ2位にランクインした。
高い勝ち上がり率による安定感に加え、SS後継屈指のダート適正から関係者からは高く評価されているようで、2019年に早逝した父の後続種牡馬として期待されている。
しかし、リーディング最上位にいるのにG1馬がいないという種牡馬善戦マンの気配がちょっとしてるのが心配されていた。何ならそのG1制覇をサンデーサイレンス産駒にG1制覇を阻まれまくったフジキセキのように親父のディープインパクト産駒に阻まれまくっていた。
しかし21年のエリザベス女王杯で10番人気のアカイイトが父に捧ぐ念願のG1初制覇。更にソングラインが22年に安田記念を制し、翌23年にはヴィクトリアマイルと安田記念を連勝。ウオッカ以来史上二頭目の快挙を達成した。ほか、ディープボンドも中長距離のGIIを4勝、GIでも天皇賞(春)3年連続2着を含む2着4回という安定した成績を残しており、GI勝利が期待されている。
そして、ディープインパクトの産駒がクラシックから消えた2024年。ジャスティンミラノが皐月賞を制し、ようやく産駒から牡馬のG1ホースが誕生した。
同期の菊花賞馬エピファネイアとは現役時代も種牡馬としてもライバル。全体のリーディングではほぼ同格で、向こうがキズナより勝ち上がり率が低い代わりに三冠牝馬デアリングタクトや皐月賞馬エフフォーリアといった大物を出している、いわば安打量産機とホームランバッターという対照的な成績である。
ちなみにフランスには同い年の同名の牝馬(Kizuna)がいた。この馬自身の競争成績は大したことないのだが、あろうことか繁殖牝馬として来日。紛らわしいので「キズナII」と呼ばれている*19。更にキズナとの交配が実現してしまった。馬主は「ナカヤマ」の冠名の和泉氏。2022年現在の情報によると名前はオールアイズオン(「みんなの注目、衆目」の意味)との事。そらみんな注目するわな
ちなみにキズナIIの父はディープの凱旋門賞で4着入線であり、ディープと同期であるハリケーンラン。キズナとキズナIIの子供は父と母、父の父と母父が同期という中々珍しい血統であり、また地味に良血である。だからみんな名前以外にも注目してあげて
- ミッキーアイル
ディープインパクト産駒で初めてスプリントG1で3着以内に入った、2014年世代の個性派。ディープ産駒はマイラーまでなら沢山居たが、スプリント戦となると上級条件ではさすがに速いペースに付いていけないのか不振気味であった。しかしこの馬は有り余るスピードを武器に逃げ切り5連勝でNHKマイルCを制覇。以降は逃げ馬の宿命かピンかパーの戦績となったが、徹底して1600m以下のレースに拘り、高松宮記念2回、スプリンターズS1回の好走でこれまでのディープインパクト産駒のイメージを覆すスピード能力を見せつけ、16年のマイルCSで久々のG1・2勝目を上げてその年に引退。
種牡馬としてもあの暴走娘メイケイエールやナムラクレアが1200mの重賞を制すなど、高いスピードを子供達に伝えている。
- エイシンヒカリ
ディープ産駒屈指の個性派にしてクセ馬である「暴走超特急」。ミッキーアイルと同期。
体が弱かったためデビューは遅れに遅れ3歳4月。クラシックを早々に放棄するハメになったが、そこから破竹の5連勝。
特に5勝目のアイルランドTでは右に大斜行しながら3馬身半差で完勝するという狂気の逃走劇を見せた。
かと思えば初の重賞挑戦ではコロっと惨敗し、かと思えば毎日王冠を平然と勝利したりとお前はステゴ産駒かと言いたくなるような曲者だったのだが、実力は本物であり香港マイルと仏G1イスパーン賞と2か国のG1を制するという快挙を達成した。
特にイスパーン賞は10馬身差の大圧勝である。
…だが、イスパーン賞の次に挑んだ英G1プリンスオブウェールズステークスでは6頭立ての6着に惨敗。女王陛下の御前で大恥をかいてしまった。
その後は未勝利に終わり、引退。気性面がアレなため種牡馬としての期待度は低めだったが、産駒は結構走っている。
ちなみに(途中からだが)鞍上武豊、ハイペースの逃げを身上としていたということもありサイレンススズカに例えられたりもした。
- マリアライト
クリソライト、クリソベリルなどG1馬を複数輩出した名牝クリソプレーズとの間の産駒。これも2014年世代。
期待にたがわぬ…というほどでもなく4歳春までは条件戦止まりだったものの少しずつ調子を上げて挑んだエリザベス女王杯で同父で前年覇者ラキシスを破る活躍。
翌年の宝塚記念では逃げるキタサンブラックを差し追い込むドゥラメンテを封じ、ディープ産駒初の宝塚記念勝利。その後は秋に3レース出走するが、全て5着以下に終わり、その年限りで引退。秋のレースはいずれも良馬場である一方、2勝したGⅠはどちらも稍重であり、重馬場での勝利が目立つ牝馬らしからぬパワー系であった。
繁殖入り後は、エピファネイアとの間に設けた初年度産駒のオーソクレースが、ホープフルステークスと菊花賞で2着に入る活躍。残念ながら同馬は浅屈腱炎により4歳で引退してしまったが、マリアライトはいきなりGⅠ制覇も十分狙えた産駒を送り出しことで、繁殖牝馬としての可能性も示したと言っていいいだろう。
- リアルスティール
15年クラシック世代の代表…になるはずだった馬。
嫌味なほどの超良血に生産は天下のノーザンファーム、オーナーは最強のクラブ馬主サンデーレーシング、調教師は関西屈指の名伯楽である矢作芳人という完璧な布陣であった。
デビューから破竹の4連勝で皐月賞に駒を進め、本来なら完勝したはずの立ち回りを見せたがドゥラメンテの豪脚に成すすべなく交わされ2着。ダービーでもドゥラメンテのレコードの激走の前に4着。
ドゥラメンテが戦線離脱した菊花賞ならばと再起をかけるも、覚醒したいとこのキタサンブラックにわずかに及ばず2着と、同期の化け物の後塵を拝してきた。
しかし、その翌年にドバイターフにてついに栄冠を掴み、世代レベルの高さを証明してみせた。
なのだが、この後はロゴタイプの幻惑逃げに屈したりモーリスに粉砕されたりとやっぱり化け物たちに蹂躙され、結局G1はドバイのみで引退、社台SSで種牡馬入りとなった。ディープ牡馬屈指の良血とそれに見合わぬ格安の種付け料から人気種牡馬となり、産駒の評判もなかなか。
初年度産駒にはセントライト記念を勝ったレーベンスティールが、2年目産駒には全日本2歳優駿とサウジダービー、そしてUAEダービーを制し、ケンタッキーダービーでも3着に好走したフォーエバーヤングがおり、芝でもダートでも産駒が走れるというのも魅力的。
2024年はブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動になりつつも種付け権は既に満口になっており、これからが期待されている。
もう少し世代がずれていればあと1つ2つくらいG1を勝てていたのでは…と思うようなスペック、そして不運ぶりであった。
ちなみにドバイで勝ったその当日に後述する全妹ラヴズオンリーユーが誕生した。彼女もまた同じ矢作厩舎で海外G1を勝利することになる。
- マカヒキ
ディープ産駒3頭目のダービー馬。2016年世代。
同父のディーマジェスティ(皐月賞)やサトノダイヤモンドと人気を分け合う中ダービーをハナ差で勝利し、川田将雅騎手にダービージョッキーの称号をプレゼントした。
その後も凱旋門挑戦を志してフランスに渡り、前哨戦ニエユ賞を勝ったのだが、本番の凱旋門賞は惨敗。
その後はまるで勝てなくなり、ダービー馬の名が廃るなんてレベルじゃないほどに連敗を重ね、「もう引退させてやれよ」「オペックホース*202世になるつもりか?」「まだフランスから帰ってこない」なんて声が聞かれるようになりながらも走り続けた。
そして2021年、ダービーを僅差で争ったサトノダイヤモンドはウマ娘化されて産駒デビューを翌年に控えているという状況になっても8歳になったマカヒキは現役続行。この年初戦の春天はやっぱり敗北。かつてのダービー馬はもう終わったと思われた。
そして次走の京都大賞典、終わったと思われて久しいマカヒキは9番人気に。
しかし、ここで馬群の間を縫う鋭い末脚で先頭を猛追し、キセキとアリストテレスをハナ差捕らえて勝利。実に5年1ヶ月ぶりの勝利を挙げた。これはダービー馬としては史上最高齢の勝利である。また、途中のレースで勝利を挟まない最長間隔重賞勝利でもあった。
老兵の劇的な復活劇に多くのファンが祝福の声を送ったのは言うまでもないだろう。
次走のジャパンカップはさすがにメンバーがきつかったか14着と大敗してしまうものの、2022年も現役続行。共に走ったキセキが一足先に種牡馬入りするのを見届けながら、JRA史上最年長平地G1制覇記録*21更新を目指し、老兵は戦い続けた。
そして2022年9月、この年は精彩を欠いていたことから、遂に引退とレックススタッドでの種牡馬入りが発表された。彼の忘れ物を、彼の産駒達が取りに行くことを期待したい。
「サトノ軍団はG1を勝てない」「ディープ産駒は長距離を勝てない」という2つのジンクスを払拭した馬。マカヒキは同期。
ルメール騎手、父ディープにに初の菊花賞のタイトルをプレゼント。そしてディープインパクトは父サンデーサイレンスが2000年にエアシャカール、アグネスフライトで達成した同父三冠を成し遂げた。記録づくめの勝利である。続けて3歳馬ながらその年の有馬記念でキタサンブラックをはじめとした古馬の強豪たち相手にも完勝した。
天皇賞でも父のレコードを更新したキタサンブラックと差のないレースを演じ、不利な外枠ながら3着となる。
だが、その後は前哨戦のフォワ賞でまさかの大敗を喫し本戦の凱旋門賞でも敗れ、それ以降は3歳の輝きを取り戻せず引退。なんか凱旋門で壊れてばっかだなあ…
種牡馬としてはセレクトセールで産駒が億超えを連発。高い期待が寄せられている。
またディープ産駒として初のウマ娘参戦キャラでもあり、キタサンブラックのライバルにして特に繋がりはないがメジロマックイーンに憧れるお嬢様キャラである。
ウマ娘の彼女は個別記事を参照。
マカヒキ、サトダイらと同期の牝馬。ヴィルシーナの全妹で馬主も同じ。
デビュー後にノドの疾病や胃潰瘍で苦しみながらも、秋華賞では末脚を発揮して姉に果たせなかった勝利を獲得。
翌年にG1ドバイターフに勝利すると3年連続でそこに出走し、3年全てで連対。1回だけ出走した香港マイルでも2着に入っている。このように海外のレースには滅法強く、賞金額も海外で国内の4倍稼いでいる。
- アルアイン
2017年の皐月賞馬。母はアメリカのG1馬という良血。ちなみに同期のダービー馬レイデオロはディープの又甥(=ディープの姉の孫)。
皐月賞を制した後は2年間にわたって善戦しつつも勝ち星を上げられていなかったが、9番人気の低評価を覆し2019年の大阪杯を勝利している。
ちなみにこの二つのG1勝利は両方鞍上G1初勝利という面白い記録を持つ。
また、後述する全弟シャフリヤールは2021年に接戦の末ダービーを制覇し、兄が5着に敗れたリベンジを果たしている。
- ワグネリアン
2018年世代の牡馬。
上述の通り初戦を全場新馬戦&古馬含む中京芝1600m以上の史上最速の上がり3F32.6で制すと、野路菊S、東スポ杯を連勝。世代の有力候補に名乗りを上げる。しかし弥生賞では朝日杯を制し、怪物の呼び声高かった同父のダノンプレミアムに完敗の2着。続く皐月賞では稍重馬場を苦にしたか7着に敗れてしまう。
しかしダービーは不利と言われる大外枠の8枠17番から、これまでとは打って変わって先行策に出ると、直線で粘る皐月賞馬エポカドーロを捉え勝利。
福永祐一騎手はキングヘイローから最多タイの延べ19回の挑戦で掴んだ、また父の洋一騎手が取れず福永家悲願であった、ダービージョッキーの称号を得たのである。
その後は神戸新聞杯を制した後長休。19年は度々不利や落鉄などのアクシデントがありながら全レースで掲示板に乗る堅調な走りを見せたが、20年は大阪杯で不利を受け5着、宝塚記念は馬場とペースに苦しみ13着。ここで喉鳴りを発症してしまい2度目の長休。それ以降は少々物足りない成績になってしまう。
そして父・馬主・厩舎が同じマカヒキと共に参戦したジャパンカップで福永騎手が乗る同父のコントレイルが有終の美を飾る中、ひっそりとシンガリに沈むも再び輝きを見せる為に7歳でも走り続けようとした矢先、2022年1月6日に胆石症*22による多臓器不全でこの世を去った*23。
ちなみにこの馬、父ディープインパクトはさることながら、母ミスアンコール、母父キングカメハメハ、母母ブロードアピール、そしてワグネリアン自身、全て金子真人氏の持ち馬である。
- フィエールマン
ワグネリアンの同期の牡馬。
サトダイの次のディープ産菊花賞馬にして平成・令和の時代を跨がる天皇賞(春)連覇を達成し、ディープ産牡馬初のG1三勝馬となった。
凱旋門挑戦こそ48馬身差の大敗だった*24が、それで決定的に壊れることもなくG1最前線でアーモンドアイを始めとするスーパー牝馬たち相手にも善戦。
虚弱体質で出走こそ少なかったものの、ディープ牡馬の中では随一の父譲りのスタミナとキレを見せつけ、王道路線に限ればジェンティルドンナ、コントレイルに次ぐ活躍だったと言えるだろう。
しかし最後はそのガラスの脚の宿命か、繋靭帯炎を発症してしまい引退。父として、彼のように速く、強靭な脚を持った馬を送り出すことを期待したい。
- グローリーヴェイズ
ワグネリアン、フィエールマンと同期の馬。メジロ牧場後継レイクヴィラファーム生産の、珍しいディープ×メジロ牝系の馬である。ちなみに母方の曽祖父母は宝塚記念馬メジロライアンと初代牝馬三冠メジロラモーヌ。
3歳春までは普通の馬だったが、3歳秋で菊花賞を12番人気から5着に入り見所を作ると4歳で才能開花。日経新春杯を制すと天皇賞春で同世代の菊花賞馬フィエールマンと後続を6馬身ちぎるマッチレースの末、クビ差の2着。
その後休養して京都大賞典を叩いた後香港ヴァーズに挑むと、同世代&先輩牝馬ラッキーライラック、ディアドラ、香港の名馬エグザルタント、英ダービー馬アンソニーヴァンダイクらを抑えG1初制覇。しかもレコードのおまけ付きだった。
5歳時は初戦の宝塚記念こそ記録的な重馬場に苦しみ最下位も、次走の京都大賞典で巻き返し勝利。そしてジャパンカップに挑む。アーモンドアイ、コントレイル、デアリングタクトと三冠馬3頭を相手に果敢に先行、早仕掛け気味になりながらもアーモンドアイから0.3差の5着。確かな地力を示した。
迎えた6歳、初戦の金鯱賞はまた馬場に苦しみ4着、次走の香港・QE2世Cは出遅れてスローペースという致命的な流れながら猛然と追い込むもラヴズオンリーユーにわずかに届かず2着。休養してオールカマーを叩き、再び香港ヴァーズに挑むと、欧州G1馬パイルドライヴァー、エベイラを全く寄せ付けず勝利。G1・2勝目を挙げた。
翌年はドバイSCと札幌記念に出走するが共に掲示板外に終わり、7歳最後のレースもやはり香港ヴァーズに決定。このレース限りでの引退も同時に決まり、有終の美を飾れるか注目されていたが、五歳にして覚醒したウインマリリン、フランスから参戦したボタニクには届かずに3着に敗れた。
引退後は北海道日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬となる予定となっている。
- サクソンウォリアー
クールモアが送り込んだカルティエ賞最優秀2歳牝馬、メイビーとの間の産駒であるアイルランド調教馬。
デビューから3連勝でイギリス2歳G1であるレーシングポストトロフィーを制覇。翌年英2000ギニーを制覇し、日本生産馬として史上初の英クラシック制覇という偉業を達成した。
その後英ダービーなどの中距離路線で5戦したものの勝ち切れず、マイル路線への転向を狙っていたものの屈腱炎で引退。オブライエン調教師は「マイルで使い続ければよかったかもしれない」と語った。
種牡馬としては2022年にヴィクトリアロードがBCジュベナイルターフを制覇するなど、なかなかの滑り出しを見せている。
彼の活躍は欧州の生産者にディープの可能性を確信させ、欧州の一流の繁殖牝馬とディープとの交配を促すこととなり、後述のスノーフォールなどの誕生につながったといえる。
- ワールドプレミア
ディープインパクト産駒3頭目の菊花賞馬で、ゴールドシップ世代のワールドエースの全弟にしてコントレイル世代のヴェルトライゼンデ(父ドリームジャーニー)の半兄。2019年世代。
武豊を背にフィエールマンの菊花賞の日の新馬戦を勝つものの、極端にズブい(=速い脚を使うまでが遅い)せいか京都2歳S3着、若葉S2着と春の時点では目立ったところが無かった。その上ソエ*25を発症し、3歳春を棒に振ってしまう。秋初戦の神戸新聞杯は3着で、迎えた菊花賞は皐月賞馬、ダービー馬が不在の大混戦。そんな中でワールドプレミアはこれまでとは違って好発から先行し、同父のサトノルークスの猛追を振り切り勝利。これで武豊は昭和・平成・令和の3元号G1勝利、菊花賞5勝目となり、また同年7月に逝った父ディープに捧ぐ弔い星ともなった。その後の有馬記念は3着だったが、ここで11ヶ月の長休。復帰戦は三冠馬3頭が激突した20年JCで6着。続く有馬記念は道中で疾病を発症した馬に巻き込まれる不利を受け5着。21年は日経賞3着から阪神で行われた天皇賞春を制し、G1・2勝目を上げた。その後に期待が掛かっていたが、天皇賞・秋11着をの後故障を発生して引退、種牡馬入りをした。
余談だがパドックや輪乗りでは異常なほど首振りを行う癖があり、また時たまステイゴールド産駒のような変顔をすることもある。実際に菊花賞勝利時にドヤ顔のような表情で写真に映っていたのが話題になった。地味に好評のようだ。
- グランアレグリア
2020年前後のマイル戦線を席巻し、一部では「女タイキシャトル」とも称されるマイルの女王。2019年世代。
初戦から阪神JFを勝つ同父のダノンファンタジーを圧倒して能力を示した。
3歳春までは朝日杯、NHKマイルCでは牡馬の圧力に押されたらしく敗れてしまうが、それでも桜花賞を当時のレコードで制す強さを見せていた。とはいえ、当時は香港マイル勝利にまで至った世代のマイル王アドマイヤマーズや、アーモンドアイをも下した春秋マイルG1覇者インディチャンプの影に隠れた存在だった。
休養を挟み阪神C圧勝から更に覚醒。安田記念、マイルチャンピオンシップと言った方々のマイルG1を荒らしまわり、安田記念ではあのアーモンドアイ相手にも勝利を収める。
更に2020年にはスプリンターズSをスプリント戦、後方2番手、中山の残り200mから前の全馬ぶっこ抜きして2馬身突き放すという前潰れを差し引いても常識外れのパフォーマンスで勝利。2階級制覇を成し遂げた。ディープ産駒としても念願の初のスプリントG1制覇である。
2021年は3階級制覇を目指し大阪杯に参戦するも三冠馬コントレイルともども重馬場に泣かされて4着。
しかし、次走のヴィクトリアマイルでは余裕の勝利。もはや牝馬では相手にならないと思われた。
ところが安田記念では疲れからか、或いは進路が無くなったせいか同父のダノンキングリーに敗れ2着。再びの2000m挑戦となった天皇賞秋ではエフフォーリア、コントレイルに先着を許し3着。さすがに距離に気付いたらしい。。その後、同年11月のマイルCSを最後に引退することが決定する。
迎えた引退レース。道中やや後方から追走し、直線で大外に出すと、持ち前の切れ味で前方の馬を全て差し切り、最初にゴール板の前を駆け抜けた。最後のレースを有終の美で飾り、これでマイル・スプリントを合わせたGⅠの勝利数は6となった。これはあのロードカナロアに並ぶ数字であり、牝馬では単独1位の記録である。
ちなみにラジオの国会中継を聞くのが趣味*26だったり、中距離挑戦にあたって藤沢調教師に「いつもより距離が長い事に気づいてないから大丈夫」*27と妙な太鼓判を押されたりと変わったエピソードが多い事でも知られる。
一方で彼女の母タピットツフライは空胎が続いて初仔としてグランアレグリアを授かり、翌2017年には全弟ブルトガングも生むも2018年に急死。
その全弟もデビュー戦を快勝するも腰の怪我で安楽死、それから1月も経たずに父もあの世に旅立ってしまうなど3歳で身内を全て亡くしてしまっている。
しかし繁殖入りするも2年連続不受胎だった母と異なり2023年にはエピファネイア産駒の初仔を無事に出産。彼女が今後も無事に血を広げていくことが期待される。
グランアレグリアと同世代の牝馬であり、上記のリアルスティールの全妹。
詳細は個別項目を参照。
- カレンブーケドール
主な勝ち鞍:スイートピーSのままデビューから16戦連続掲示板入り・4億円以上の賞金を獲得した令和の善戦ウーマン。グラン、ラヴズ、ワープレの同期。桜花賞こそパスしたが、オークス(このレースではまだ目立っておらず12番人気であった)、秋華賞の2着を皮切りに1600でも3200でもどの競馬場であっても馬場状態がなんであっても鞍上が若手でもベテランでもライバルがどんな面子でも掲示板を確保し続けるという生粋のシルコレとして頭角を現すようになる。
特に牝馬ながら3200mの天皇賞で馬券内(3着)になったのは38年ぶり*28の快挙なのだが…。
その戦績から結構ファンは多く、「海外行ったら覚醒しそう」「武豊乗せようぜ」「引退レースは香港ヴァースだな!」など、シルバーコレクターの大先輩絡みのネタで散々な言われようである。
有識者曰く、どうもこいつは先頭に立つと不安になって譲っちゃう気質の持ち主であるらしい。
陣営によると5歳にしてまだまだ成長中だというので期待されていたが、衰えを見せ始める年頃故か天皇賞秋では初めて掲示板を外す12着に敗れてしまう。
さらにJC前に発症した繋靭帯炎のダメージが思った以上だったとのことで、引退・繁殖入りが決定した。
2勝馬としては獲得賞金がサウンズオブアースを僅かに下回り、「最強の2勝馬」の称号を奪取できなかったのが惜しまれる。そこまでシルコレを徹底したとも言えなくもないが。
ちなみに同父の同期ワールドプレミアとは20年JCから6レース中5レースいっしょに走り、全てのレースでほぼ同じ着順(20年有馬記念に至っては同着)。しかもどちらも21年JCを回避し、引退のタイミングもほぼ同じ。最後まで仲良し?であった。
コロナ禍の2020年に現れた三冠馬。
2戦目の東スポ杯2歳Sを1.44.5、上がり3F33.1という、高速馬場を抜きにしても衝撃のタイムで制すると堅実に勝ちを重ね、無敗のまま三冠を達成。
ルドルフ・テイオー親子が成しえなかった親子での無敗三冠を達成した。
詳細は個別項目を参照。
- レイパパレ
2020年にデビューした快速牝馬。
クラシックは未出走であるが古馬のG1大阪杯まで無敗で6連勝を達成した。古馬混合芝G1を無敗で制覇という記録は他にファインモーションしか達成しておらず、G1初挑戦での達成は史上初である。
前年の秋華賞に登録していたが抽選除外となってしまった。出走していたら無敗の三冠馬デアリングタクトといい勝負をしていたと多くの競馬ファンは予想している。
その大阪杯では同父の無敗の三冠馬コントレイル、3階級制覇を目指すグランアレグリアを相手に勝利を収めた。
宝塚記念ではグランプリホースであるクロノジェネシスの3着、オールカマーではウインマリリンの4着、エリザベス女王杯では前総崩れの流れに巻き込まれ初めて掲示板を外す6着と、大阪杯以降はイマイチ恵まれないレースと使い方をされている。今後はどうだろうか。
ちなみに母方の曽祖父がウイニングチケットであり、レイパパレが出走する日は繋養先であるうらかわ優駿ビレッジAERUの公式ツイッターで応援していたり。
声優のLynn氏が大阪杯で3連単を1000円で賭けたらなんと100万円となって帰って来たらしい。
大阪杯後レイパパレの血統を知らべていたらウマ娘で自身が担当するマルゼンスキーの子孫と知って驚いたそうな。
母方にクロフネ、トウショウボーイ、トニービンがおり、米国・欧州血統が主流な最近の競馬において中々珍しい血統である。
- スノーフォール
2021年に現れた欧州オークス三冠馬。
上記ディープの種を付ける為に日本に送り込まれた繁殖牝馬の亜種であり、凱旋門賞馬の全妹をノーザンファームに送り込んでディープを付けており*29、生産と初期育成は日本、本格的な競走馬としての育成はアイルランドで行われている。
2歳戦線では苦戦を続けており、未勝利脱出までに3戦、その後も話題になったのがG1で8着になったら3着入線馬と取り違えられて3着になりかけたと言うどう贔屓目に見てもネタ馬扱いなものぐらいであった。
しかし3歳になって変わり身を見せ*30、前哨戦を3馬身半差の圧勝を見せるとイギリスオークスへと駒を進める。*31
そこで「逃げ馬が2着に粘った前残りのレースを」「直線まで中団後方の競馬で」「抜け出してからの残り400m足らずで」イギリスオークス史上最大着差となる16馬身差を付けてのぶっちぎりと言うとんでもないパフォーマンスを披露。
この時鞍上だったデットーリ騎手はインタビューで、
「多くのダービーを勝利してる自分でもこんなに簡単にダービーを勝ったのは初めて。まるで熱いナイフでバターを切るような感覚。」とその能力を高く評価した。
続くアイルランドオークスでも直線で一気に突き抜けると同い年の叔母さんを*32過去100年のレース史上最大着差の8馬身半差でちぎり捨てる。
しかもレース映像を見れば分かるが、アイルランドオークスではノーステッキである。
さらに欧州オークス三冠を狙ってヨークシャーオークスに参戦すると、これまたノーステッキで後続を3馬身突き放しての快勝。
ここまでのレースで「先行も大外捲りもいけます。中団から馬群割れます。道悪大歓迎です。時計勝負もいけます」という冗談みたいなスペックを見せ、欧州競馬史に残る名牝になりえる存在と目されている。
…だが、凱旋門賞の前哨戦として挑んだヴェルサイユ賞では格下のティオーナに敗れ、重馬場となった凱旋門賞では特に目立つこともなく6着に沈んでしまう。更に続戦した英チャンピオンズフィリー&メアステークスではヨークシャーオークスで先着した相手に敗れる3着となってしまう。
秋の不振の原因に関しては、早熟傾向ではないか、使いすぎて疲労が抜けていないのではないか、など様々な推測がなされていた。
それでも、オークス三冠を全て圧勝したことが評価され、欧州の年度代表馬に送られるカルティエ賞の最優秀3歳牝馬を受賞。ディープインパクト産駒がカルティエ賞を受賞するのはこれが初のこと。
翌年は、繁殖入りしディープインパクトの血をヨーロッパに残すのか、それとも現役を続行し古馬となって再び巻き返してくれるか、注目されていた。
しかし、そうはならなかった。2022年1月12日の日本時間未明、馬房の中で骨盤の故障により安楽死になったと報じられた。あまりにも呆気なく、早すぎる死であり、彼女を管理していたエイダン•オブライエン調教師も、スノーフォールが競走馬としても繁殖牝馬としても大きな可能性を秘めていたことに触れた上で「すべての人にとって大きな損失」とその死を嘆いた。*33
- アカイトリノムスメ
2021年世代に現れた牝馬。
まず彼女の注目すべき点はその血統である。父ディープインパクトは言わずもがな、母親がアパパネ。この馬は2010年の三冠牝馬であり、G1・5勝の名馬である。牡馬牝馬三冠馬同士、計十二冠のこの輝かしい血統は彼女より前にモクレレ、ジナンボー、ラインベックという3頭がおり、モクレレは4勝を挙げ、ジナンボー、ラインベックはOPクラスまで勝ち上がり重賞でも馬券圏内に好走する堅実な活躍を見せていたが、その血統から来る期待値の高さには正直釣り合っていない実績であった。
そんな中でアカイトリノムスメは2020年の8月に新潟1600mでデビュー。元々人気の血統で初の牝馬という事でそれなりに注目されていたが、追ってから伸びず7着に敗れてしまう。その上実況にアパパネノムスメ*34と呼び間違えられてしまっていた
しかし2戦目で一変、雨が降る稍重馬場の未勝利戦を差し切って初勝利を挙げると、続く赤松賞ではステッキ1発で鮮やかに突き抜け2勝目。勝ち方が良かったのでこの辺りから「(いまいちパッとしなかった)兄貴達とは違うんじゃないか」との声も上がり始める。
そして次のレースに選んだのが2月のクイーンC、前2戦とは違い先行しての押し切り勝ち。この馬にとって、またアパパネの仔にとっても悲願の重賞初制覇となった。
そうして一気に世代上位層に名乗りを上げた彼女は母が制した牝馬三冠路線へ。初戦は桜花賞に挑むが、元々血統的にマイルがベストでは無い中で超高速馬場が応えたのかクロイフネノムスメソダシの4着に敗れる。
それでもクラシック2戦目のオークスでは血統的に距離不安が無かったので桜花賞より人気を上げ、2番人気。レースでは内から良く伸びたが、外差し傾向のあった馬場でシロイアレノムスメゴールドシップ産駒ユーバーレーベンに惜しくも敗れ2着。
夏は休養し、牝馬三冠最終戦の秋華賞へは直行。桜花賞と同じ4番人気に支持された。
そしてレースではややスローの流れを、オークスとは違い先行してファインルージュの猛追を凌ぎ切り勝利。
父ディープインパクト、母アパパネの名に賭けて、譲れない三冠目*35を勝ち取り一族念願のG1初制覇を遂げた。
また、彼女の勝利によりディープインパクト産駒はサンデーサイレンスのG1馬頭数43頭を上回り、史上最多となる44頭目のG1馬の排出となった。
素晴らしい成長力を見せた彼女の今後に期待がかかっていたが、4月9日阪神牝馬ステークス(GII)にて右後肢跛行を発症、その後右第3趾骨々折を発症していることが判明し引退となってしまった。
余談だが、この秋華賞は1着から7着までの馬が全てディープインパクトの血を引いていた。
- シャフリヤール
2021年の日本ダービー馬。
上述した2017年の皐月賞馬アルアインの全弟。新馬戦を勝利するも共同通信杯ではエフフォーリアの3着に敗れる。しかし続く毎日杯をレコードタイムで制し、満を持して挑んだ日本ダービーでは無敗の皐月賞馬エフフォーリアを馬群を割って内側から強襲、ほぼ並んでゴール板を駆け抜けるという熾烈なレースを披露した。結果、写真判定の末ハナ差で、しかもまたもレースレコードで勝利し、ディープインパクト産駒7頭目のダービー馬となった。
夏は休養し、秋初戦の神戸新聞杯では1着のステラヴェローチェから大きく離された4着と敗北する。続くジャパンカップではレース序盤で内ラチに激突するという不利を受けながらも、前年の無敗の三冠馬コントレイルを始めとする古馬たち相手に互角以上に渡り合い、3着と健闘した。
そして2022年初戦となったドバイシーマクラシックではクリスチャン・デムーロ*36を鞍上に迎えると先行策でレースを進め、最終直線では前年のジャパンカップで後塵を拝したオーソリティをかわし、外から凄まじい末脚で猛追してくる前年のBCターフ馬ユビアーをクビ差で凌ぎ切って見事1着。ハーツクライ、ジェンティルドンナに続き日本馬としては3頭目(GI昇格前も含めるとステイゴールドが勝利しているため4頭目)のドバイシーマクラシック覇者となった。なお、日本ダービー馬として海外GIを勝利したのはシャフリヤールが初である。
しかし秋は秋天ではイクイノックスの5着・JCではヴェラアズールの2着に敗れ、翌年も前年覇者としてドバイシーマに出走するもイクイノックスがレコード勝ちするのを5着で見届けた。
その後はBCターフ目標の前哨戦として、かつて21年ダービーでハナ差で負かしたエフフォーリアの鞍上・横山武史騎手を新たに迎えて札幌記念に出走するも初の掲示板外となる11着の大敗、更にはレース後に喘鳴症を患っていたことが発覚し、一時期BCターフ遠征も危ぶまれていた。
ただ患ったのは喉頭蓋エントラップメント*37であり、幸い術後も良好だったことから予定通りBCターフ遠征を実施。
レースでは同じディープ産駒で英愛ダービー馬でもあるオーギュストロダンとダービー馬同士の夢の対決が実現。
道中は前寄り内ラチでレースを進め終盤鞍上が内ラチから持ち出して追い出しにかかったが、内ラチが開く瞬間を待って抜け出したオーギュストロダンを追うも3着に終わった。
しかし最後は鞍上の判断で明暗が分かれたようなもので、この馬の実力が衰えていないことを証明した結果でもあった。
この好走によって獲得賞金が10億を越え、21年世代では初めて10億越えも達成した。
次走は香港ヴァーズの予定だったが、現地入り後の馬体検査で不整脈の疑いがあったことから出走取り消しに。幸いにも大事に至らなかったことから急遽有馬記念の出走を決定。
レースではスタートから4番手でレースをすすめ、最終直線で3番手のプラダリアを捉えるが、逃げるタイトルホルダーと2番手のスターズオンアースは捉えられず、更に後方から追い込んできたドウデュースとジャスティンパレスに交わされてしまい5着。それでも、香港での出走取消から短時間で立て直した上で、G1ホース以外に先着を許さなかったのだから、十分健闘したと言えるだろう。
なお着順こそ同期に負けたが加算賞金では僅かにタイトルホルダーを上回り21世代ではトップ、彼と共に10億越えを達成した。
6歳になった初戦には3年連続出走となるドバイシーマクラシックを選択、前年覇者不在ながらもオーギュストロダンやスターズオンアースとは2度目の対決。
しかしリバティアイランドなどの数々の有力馬に人気を奪われ8番人気、スタートは出遅れることなく前目でレースを進め、最後は1着馬に逃げられるも2着を確保しまだ実力が衰えていないこと証明した。
ダービーだけでは終わらないダービー馬として力を見せたシャフリヤールの今後に期待したい。
- アスクビクターモア
2022年の菊花賞馬。
戸崎圭太を背にデビューするも3着、未勝利戦で勝ち上がるもアイビーSで敗れると田辺裕信にスイッチ。
条件戦・弥生賞を制しクラシックに挑むも皐月賞は5着、ダービーでは武豊がドウデュースと共に6度目の制覇・レコード勝利を3着で見届けた。
秋初戦は菊花賞の前哨戦としてセントライト記念に出走、条件戦を勝ち上がりクラシック戦線に殴りこんできたガイアフォースに惜しくも敗れた。
菊花賞ではガイアフォースに次ぐ2番人気に支持され道中はハイペースで逃げるセイウンハーデスの番手でレースを進め最後ボルドグフーシュ・ジャスティンパレスに猛追されるもハナ差で勝利。
馬にとっては初G1であると同時に阪神3000mのレコードを更新、鞍上にとっても初の芝G1・クラシック制覇を成し遂げた。
クラシック3冠を全て出走し好走・勝利したこともあり人気投票で上位に入り有馬記念へ出走も可能だったが回避し全休となった。
古馬になった初戦に日経賞を選択、同レースには同じ阪神開催の菊花賞を制したタイトルホルダーも出走しG1以外で初めて新旧菊花賞馬対決が実現。
タイトルホルダーは春の絶好調から一転凱旋門賞、有馬記念を惨敗し調子が戻っているかが疑問視、更に唯一斤量59というハンデも相まってアスクビクターモアが1番人気に支持された。
だが当日は雨による不良馬場も相まって出遅れてしまい、タイトルホルダーが後続に8馬身差の圧勝復活を見せるなか9着と初めて掲示板外の敗北。
次走は天皇賞(春)となったがここで鞍上を横山武史に変更、タイトルホルダーの鞍上は横山武史の兄・横山和生だったため新旧菊花賞馬で兄弟対決となった。
ところが本番ではタイトルホルダーは右前脚跛行で競争中止、アスクビクターモア自身も菊花賞で勝利した同期同父なジャスティンパレスの11着に敗れた。
鞍上続投で宝塚記念に挑むも、同レースでもイクイノックスの11着に敗れて春戦線を終了。
秋の復帰に向けて放牧に出されていたが、8月9日に熱中症による多臓器不全でこの世を去ったことが報道された。
現役G1馬としては前年のワグネリアン、現役4歳G1馬としては2008年のアストンマーチャン以来15年ぶりの急死。
直前の宝塚記念人気投票で7位・118,143票、前年の有馬記念では5位・209,788票もの人気を集めた競走馬の突然の訃報にネット上では悲しみの声が木霊したのは言うまでもない。
- オーギュストロダン
2023年のイギリスダービー勝者。
僅かに残ったディープインパクトの最終世代の一頭。
クールモアスタッドで生産され、サクソンウォリアーやスノーフォールと同じエイダン・オブライエン調教師のもと、アイルランドでデビュー。
デビュー戦こそ2着で落とすものの、次走で勝ち上がると、厩舎の主戦騎手のRムーアを背にイギリスのチャンピオンズジュベナイルステークス、フューチュリティトロフィーで連勝。ディープインパクトに全世代産駒でのGI勝利を齎した。
欧州2歳の頂点の座を掴んだ勢いそのままにイギリス2000ギニーへ出走するも、ここは22馬身差という大差で敗北。単勝2.6倍という1番人気を背負った中での大敗は、この馬の能力が疑問視される要因としては十分だった。しかし、このレースは適正距離外のマイル上に重馬場に脚を取られていたことなど、明らかに悪条件が重なった結果でもあった。*38
そのため、オブライエン調教師も「自厩舎のダービー最有力馬であることに変わりはない」と前向きなコメントを残していた。
そして、巻き返しを図ってダービーへ出走。
ダービーではスタート直後からコーナーまでは中段で構え、直線ではブービー人気のキングオブスティールが抜け出し、後続を突き放す中で、オーギュストロダンだけが、それを一頭しぶとく追走。
2頭で後続をドンドン突き放しながら、最後はキングオブスティールの抜け足が鈍ったところを入線前に1/2馬身差し切って優勝。ディープインパクトはこの勝利をもって産駒全世代のクラシック制覇を成し遂げた。
ディープインパクト産駒のダービー馬もこれで9頭目*39となるのだが、最終世代に残された十数頭の中から、イギリスの本家ダービーを制する馬が誕生することとなった。
続けてアイリッシュ(愛)ダービーに出走、前走から人気を取り戻し1番人気に支持され番手でレースを進め最後は僚馬を競り落とし愛ダービー制覇、Rムーアにとっても愛ダービーは初制覇だった。
この勢いでキングジョージ6世&クイーンエリザベスSに出走するも出走が決まったのがギリギリでドタバタした影響やコースの坂の影響もあってか馬があまりやる気を見せず
結果1番人気だったものの126馬身 3/4差で2000ギニーどころではない圧倒的大敗となった。
大敗したものの既にGⅠ3勝という実績もありアイリッシュチャンピオンSでは変わらず1番人気に支持され、前年覇者ルクセンブルグを抑え見事GⅠ4勝。
そして引退説も囁かれる中BCターフの出走で初の欧州外への遠征が決まり、実績と3歳馬による斤量有利もあり1番人気に推された。
道中は途中ダート横切る必要があるサンタアニタ競馬場のコースに嫌がりつつも番手で競馬を進め、同じレースに出走したディープ産駒のシャフリヤール騎乗のクリスチャンが
内ラチから外に出したのに対しムーアはずっと内ラチで開くのを待ち続け、開いた瞬間に内ラチから猛追し見事1着で5勝目を挙げた。
このレースが引退レースという説もあったが、何と陣営は現役続行を表明。始動戦としてドバイシーマクラシックの参戦を予定している。ドバイシーマクラシックには前述したシャフリヤールや三冠牝馬リバティアイランドといった日本の強豪も参加を表明しており、彼らとの激突が期待されていた。
予定通り出走が実現しJRAの馬券販売ではリバティアイランドに次ぐ2番人気に支持された…がレース直後から後方で走る気を見せず結果12着の最下位に終わった。
レース後馬体診断が行われるも異状はなく、2度目の大敗にはファンどころか陣営も頭を抱えたのは言うまでもない。一方でやる気次第でピンパーはっきりしている独自の癖馬で新たなファンを獲得したのは言うまでもない
強さ
言わずもがな後方からの凄まじく速いロングスパートが最大の武器であった。「飛ぶような末脚」と称される足を大きく伸ばして走る大跳び(ストライド走法とも)と呼ばれる走り方を競歩のように歩幅を小さいが回転力の高いピッチ走法の回転率で行う競馬ファンが我が耳を疑うような末脚を武器とし、新馬戦、ダービー、菊花賞、天皇賞春、ジャパンカップ、2度目の有馬記念で当時史上最速の上がりを使っていた。新馬戦以外の上記のレースで、彼より速いペースを追走して彼より速い上がりを使った馬は、未だに存在しない。
彼の末脚を1Fごとのラップで見ると、最速でほぼ11.0前後。短距離戦や超スローペースの際に見られる10秒台のラップや、32秒台のキレキレの末脚、という訳では無いが、中・長距離では十分すぎるほどの速さである。
しかし、彼の本当の武器はその「追込馬の最速の一瞬の切れ味として見ても一流に値する数値のラップをハイペースでもスローペースでも4F5F平然と連続で叩き付けるスピード持続力」であった。
最後方から速い上がりを使う馬というのは時々居るが、ディープの場合はこの非常に高い持続力のおかげで「最終コーナーでもう先頭付近に居る」という光景が見られたのである。産駒に割と先行する馬や短中距離馬が多めになっているのも、ディープのスピード持続力が遺伝しているからなのかもしれない。
追込脚質ゆえマークや包囲はほぼ不可能、ほぼ常に大外を回るので馬体を併せに行くのも無理、 ハイペースにしても最後方にいるディープには寧ろ有利、ならばスローに落として前残りにしてやろうとしても途中から動かれる、それで4コーナー先頭付近から33秒台の上がりを使われるのは先行馬が最速の上がりを使うのにも等しく、そんな走りをされては他馬はどうしようもない。
「前につけるか後ろにつけるか」が真逆ながら、同じく驚異的なスピード持続力を武器に対策不可能と言われる戦法を有したサイレンススズカとはしばしば対比される。
また、上述の通りディープが走った馬場は冬の時計が掛かる馬場から阪神大賞典、宝塚記念の重馬場、ダービーや天皇賞春の高速馬場など幅広く、それでもディープは全ての馬場に対応した。更に前半59.1〜66.0という幅広いペースに全て対応して走っており、追込脚質というのもあるがどんなペースにも動じずスパートを掛けられる対応力の高さも大きな武器であった。
追込脚質である限り他馬が作った展開に乗るしかないため、苦手な展開があれば真の意味で対策不可能とは言えない。この対応力があってこそと言えるだろう。
スタミナ能力に関しても、7Fのロングスパート勝負となった菊花賞、稍重馬場でハイペースだった阪神大賞典、馬群一団で早めのペースとなった天皇賞春といったレース全てで非常に高いパフォーマンスを見せており、強い心肺機能からくる非常に高いものを持っていた。
ちなみに、勝ったレースで1番接戦だった弥生賞、2着だった05年有馬記念、3着入線だった凱旋門賞に共通するのは、いずれも他馬と併せ気味に走っていたこと。他の勝ったレースでは馬群と離れた位置を走っていただけに、ここに何かディープの弱点があったとも考えられる。
放牧先の牧場では馬群から突出しては行かなかったとの話もあり、単に他の馬が近くに居ると楽しいから抜かさなかったのではないかという意見もある。「併せるとディープはやる気を失うのかもしれない」との事。
ちなみに岡部元騎手は某紙のインタビューで「終始馬体を併せる作戦を取ればルドルフなら勝てる」と語っている。
かつて武豊氏はディープの走りを「チーターのようだ」と表現した。
チーターを含めたネコ科動物の特徴に”背骨の柔らかさ”が挙げられるが、彼らは走る時に背骨を曲げ後肢を可能な限り前方へ運んで着地し、次に前肢と曲げていた背骨を思い切り伸ばす事で、引き絞った弓の弦を離すかの如く、より前方へと前肢を運ぶことができる。
一方、草食動物である馬は、長く重い腸を吊り下げる為に背骨は丈夫で硬いという。それは人間が安定して騎乗する事を可能にしているが、ネコ科動物のように柔軟とはいえない。
だがディープの腰には平均以上の柔軟性があった。走行時の手前後肢と反手前前肢間の距離が長く、骨盤をグッと沈み込ませて後肢をより前方へと振り出し、振り戻しながら地面を蹴ることで大きな推進力を得ていた。このようなディープインパクトの走りが、軽やかでバネのあるネコ科動物に重なって見えたのではないか。
(厩務員曰く「ディープは身体が柔らかく、痒い時には後肢を噛んでいたので、後肢で耳も掻けるんじゃないかな」)
※ディープインパクトの強さの秘密についてはデータを参照し詳しく考察をここに文字を入力されてる方も多いので、興味のある人は調べてみるといいかもしれない。
評価
言うまでもなく、関係者やファンからの評価は非常に高い。JRA公式の人気投票では毎回ダントツの1位を獲得し、有名な記者、競馬評論家、また岡部幸雄、安藤勝己、藤田伸二、O.ペリエといった往年の名騎手からも「間違いなく最強クラス」と口を揃えて讃えられる。無論、史上最強馬論争でも最有力候補に上がる存在。
こうした高い評価から、競馬に詳しくない人からも一定の知名度がある。
一方で、前述したようにJRAをはじめ当時の世間があまりにもこの馬だけを持ち上げすぎたのもあって、アンチも結構多い。
特に凱旋門賞の事件は彼の大きな汚点となってしまっており、この時の池江調教師をはじめとした陣営の対応もあまりよろしくなかったのもあって未だにあちこちから批判の声がしょっちゅう上がる。
そんなアンチからは「ドープインパクト」という不名誉な蔑称で呼ばれることも多々ある。
ただし、凱旋門賞〜引退までの「獣医師に見せないことにした」というのはあくまで普段の調教中の彼の話であり、彼がレースでの検査などをも拒否して押し通した訳では無い。またそもそも凱旋門賞の際に問題となった薬物は前述の通り日本では禁止薬物に指定されていなかったことからも、その戦績自体は否定されるものではない*40。
また「同世代が弱い」との批判もある。事実ローゼンクロイツ、シックスセンス、インティライミ、アドマイヤフジ、シャドウゲイト、ダンスインザモア、コンゴウリキシオーなどがその後古馬重賞を制しているものの、クラシック勢から芝の古馬G1馬は出ていない。
(他同世代芝古馬G1馬自体は晩成だったせいでディープと戦う機会自体が無かったスズカフェニックス(2007年安田記念)とエイシンデビュティ(2008年宝塚記念)がおり、ダートはカネヒキリやヴァーミリアンを筆頭に史上屈指の世代とされるが)
ただディープに限らず三冠馬は「世代が弱かっただけ」と言われがちであり、83年(ミスターシービー)世代や11年(オルフェーヴル)世代などのG1馬を多数擁する世代ですらそのように評されることもある。
またディープ自身も三冠達成後に古馬GⅠを4つも制しているのは先に書いた通りであり、仮に同世代のレベルが低かったとしても、彼の評価を落とす理由にはなり得ないだろう。
海外からの評価も高く、かつ欧州では異系血統ということから種牡馬入り後はディープの元へ数々の名牝が送られた。その後産駒が世界の名だたるレースに勝利してきた事でディープインパクトの血は益々価値のあるものとして周知され世界へと広がりを見せている。
またイギリス王室ゆかりの血統ということもあり、かなりの競馬好きで知られていたエリザベス女王も彼に注目しており、ディープインパクトに対する賛辞が綴られた親書をノーザンファーム宛に送っている。女王は日本の競馬関係者に会う際にディープの様子を尋ねたり、2017、2018年と連続で自身の所有する牝馬ディプロマを送り交配させたりと、その実力と血を高く評価していたようだ。
2006年”ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキング(World's Best Racehorse Rankings; WBRR)”の芝部門において、ディープインパクトは世界一位タイとなる127ポンドを獲得。(ディープインパクト、レイルリンク、ジョージワシントンの3頭)
また英国の『Racing Post』誌は2006年の”ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキング(World's Best Racehorse Rankings; WBRR)”のレーティングが日本の競馬のレベルを低く見すぎていて保守的であると不満を唱え、独自のレーティングでディープインパクトを133ポンドで単独世界一としている。
(※”ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキング(World's Best Racehorse Rankings; WBRR)”は欧州のレースに出場する事や欧州馬に先着する事で高いレーティングが与えられるという欧州馬偏重、レースのペースや馬場の状態に関係なく千切る事が評価される等といった問題があった。現在は見直されているものの、依然としてこのような傾向は存在するとの事)
他にも彼に対する最大限の賛辞や対戦騎手のお手上げコメントは枚挙にいとまがない。
この馬が競馬界に旋風を巻き起こし、社会現象をも引き起こせたのは、確かにJRAやマスコミの力によるものは大きいがそこに実力がなければできなかったことでもある。種牡馬としても大いに活躍し、その後の日本競馬の発展にも貢献したというのは競馬を知るものなら誰もが知るところである。かつてのハイセイコーやオグリキャップ、ハルウララのような「競馬は知らないけど知っている馬」というのは伊達ではない。彼はその衝撃的な走りを、圧倒的な強さをもって人々の心に刻んだ。
ディープインパクトを認めていなかった。完全に僻みであった。グラスワンダー、ナリタブライアン、オルフェーヴルと自分の好きだった馬の方が強いと意地を張り続けた。しかし突然の訃報。悲しくたまらない。
だから本当の事を言います。あなたが日本競馬史上最強で最高の馬でした。感謝そして謝罪します。――2019年 カンニング竹山
武豊氏の語るディープインパクト
ことディープに対しては「1番のファン」を公言するほどの敬意と信頼、特別感を言動に滲ませていた。本人も自覚があるのか、2017年品川プリンスホテルで開催されたファンミーティングにて『ファンが選んだ武豊騎手が騎乗したG1優勝馬ベスト10』企画でディープが2位だと知ると「1位じゃなかったのは意外でした」と語っている。1位のキズナに対しては「ディープの子供が1位ですか」とコメント。(ちなみに3位スペシャルウィーク 4位キタサンブラック 5位オグリキャップ)
僕は乗っているだけでした。文句のつけようがありません。
――2005年 若駒ステークス勝利後
スタート直後に大きくつまずいたときは、スタンドがどよめき、僕自身も思わず、「うわっ!」という声を上げていましたが、立ち直ったあとの走りは、さすがディープ。ちょっと気を抜きかけた4コーナーで、左ムチをいれたときの彼のびっくりしたような仕草は忘れることができません。
初めて見せたディープの本気――大外のヴィクトリーロードを気持ちよさそうに駆ける姿は、またがっている僕がア然とするほどのすごさでした。
――2005年 皐月賞勝利後 ”日刊大衆”自身のコラムより
感動しました。この馬の強さに。何よりも僕が3冠馬誕生の瞬間を見てみたい。過去の馬とは比較したくありません。この馬がすでに名馬なので。
――2005年 東京優駿(日本ダービー)勝利後
僕はずっとこういう馬を探していた気がする。すごくシンプルに、走るのが速い馬。
スピードがあるとか、持久力があるとか、全てを通り越して、圧倒的に足の速い馬が現れるのを待っていた。――『誰も書かなかった武豊 決断』著:島田明宏 2005年 東京優駿(日本ダービー)勝利後
負けたどうこうより、走らなかったので心配した。(体調面とか)アレッという感じで、大丈夫かなと。普通に出て普通に走れば(負けない)というところがあったので。
――2005年 有馬記念 2着後
ディープインパクトが、今日も空を飛んでくれました! 本当に素晴らしい走りで、世界中を探したって、ディープインパクト以上に走る馬が存在するとは思えません。
――2006年 天皇賞(春)勝利後 武豊公式サイト 自身の日記にて
飛びましたね。強烈に吹っ飛んだ走り。僕は今でも、世界で一番強い馬だと信じています。だってディープの一番のファンは僕ですからね。
――2006年 有馬記念 ラストラン勝利後
やっぱりディープでしょう。今でも夢に出てきますよ。悔しさが抜けきれないですよ。
可能ならもう一度ディープと行きたいですね。凱旋門賞を勝ちたいですね。目標です。
――2012年 オルフェーヴルの凱旋門賞挑戦直前 常石氏「凱旋門賞への思いは…?」との問いに
凱旋門賞で優勝に導くことができなくて、ディープインパクトは残念だったけど、
その時の鬱憤を晴らすかのように帰国後ジャパンカップと有馬記念を見事に連勝してくれ、ディープの強さを証明でき、最高に嬉しかったです。
やっぱりディープは強いと証明し、有終の美を飾ることができました。――2012年 netkeiba.com 武豊インタビューより
もしも、“ドラえもんのひみつの道具”を一つもらえるとしたら“タイムマシン”が欲しい。
使うのは過去へ、それも一度だけ。2006年の凱旋門賞。
最後の直線、残り300mになってもディープの翼は閉じたままで、飛ぶような走りを爆発させることができなかった。
なぜ、勝てなかったのか。なぜ、勝たせてあげられなかったのか――
今でも夢で見るほど、悔しさだけが残っています。――2020年10月 ”日刊大衆”自身のコラムより
2006年凱旋門賞での敗北が余程ショックであったらしく、15年経った今でも夢に出るという。(2022年現在)
「ディープは間違いなく勝てる能力を持った馬。なのに勝たせてあげられなかったのが悔しい」引退後も「凱旋門の時だけ借り出せないかな(笑」と半分本気?で語っていた。
この方、ディープは弱いと思われるのが耐えられず、敗北やダーティなイメージ払拭に並々ならぬ執念を燃やしていたようだ。
ちなみに「凄い走りをするだろうからマイル戦もしてみたかった。ダートも向くのではないか」旨の発言もしている。
武豊氏にとっての”特別な馬”
ディープインパクトの全レースの鞍上を担いその乗り味を独り占めしてきた武豊氏であるが、ラストランの有馬記念勝利後は、別れを惜しむようにディープを撫でたり、首筋に顔を埋めたり鼻先にキスをしたりして親愛の情を示した。同様に2006年ジャパンカップのレース後もディープの首にすがりつくようにキスをしていた事など、武豊氏が競走馬に対してここまで堂々と自身の感情を表現するケースは比較的限られる。
無論マスコミがこの瞬間を見逃すはずもなく、ラブラブな様子はしっかりとカメラに収められている。あの写真、ディープへの想いが詰まってるよね。
「ディープキスをしました(笑」「あまり触れたことないので沢山触った」「あと1年乗りたかったなぁ」と後に漏らしていた。
2017年毎日放送『戦え!スポーツ内閣 競馬界のレジェンド 武豊特集』では、「普段乗っていた馬には会いに行かないんだけど、(ディープインパクトは)毎年夏に会いに行っていた」と明かした。
強くて、速くて、かっこいい。どんな距離でも、どんな条件でも、どんな状況になっても勝ち切る。――こんな馬が本当にいたらいいのになぁ。
彼は、そんな思いを体現して僕の前に現れたヒーローでした。
――2019年8月 ”日刊大衆”自身のコラムより
ディープの代名詞、普通はメディアが先行する形だけど、僕が提案してもいいですか?
『英雄』 ダービーの後に、もうこれだな!と浮かびました。――2005年 "スポーツニッポン"手記より
数々の名馬に騎乗させていただいたが、その強さに感動しながら馬を追ったのはディープのダービーが初めてだった。GIの大舞台でも最後は流すだけでよかった。
とにかくディープらしい走りをさせたい、それが叶えば負けることはないと思えるほど、競争能力はずば抜けていた。――2019年”優駿”9月号 沢田康文氏の記事より
ディープを見るために、沢山の人が遠くから足を運んでくれます。僕は触れて、乗ることができて『いい役目だよなぁ』と。
僕にとってもディープはアイドルでありヒーローだったし、輪乗りをしてる時なんか、独り占めしてるようで気分がよかったです。
夢ではなくこんな馬が実在したのだから、またこういう馬に出逢えるかもしれない。それがディープの仔ならいいですね。
――2019年”優駿”9月号 島田明宏氏の記事より
今後この馬を超える馬は出ないんじゃないかって。正直なところ、なかなかね。簡単には出ないとは思うんですけど、
逆に言えばそれが目標のような感じで「ディープを超える馬」をみんなでつくりたい、僕は乗りたいという気持ち。――2020年 福永アナとの対談より
ディープインパクトのことが、ずっと頭にありました。
(※競馬場やトレセン、自宅でくつろいでいる時、車を運転している時もふとディープの姿が浮かんだり、騎乗時の感覚が蘇ってきたという)
――2019年”優駿”9月号 島田明宏氏の記事より
なかなか結果が出なくて苦しい時期でしたが、そこで(ディープ産駒)キズナと出会って。それこそディープインパクト以来に日本ダービーを勝つことができて。
ディープが僕にプレゼントしてくれたような気になりました。――2019年12月10日 BSテレ東『ディープインパクト-受け継ぐものたち-』より
(父)ディープインパクトがいて、(子)キズナがいて、そして(孫)キズナの子でレースに挑んで勝ったというのは嬉しかったですし、特別な思いはありますね。(親子)3代に渡って日本ダービーを勝つチャンスが僕にはあるということですからね。これは達成したいです。だから騎手は辞められないですよ。
――2019年12月10日 BSテレ東『ディープインパクト-受け継ぐものたち-』より
いつか……彼の最強の遺伝子を引き継いだ、最強の産駒と一緒に凱旋門賞に挑み、そして、勝ったぞ! 逝ってしまったディープに、その言葉を届けられたら、と思っています。
その日が来るまで、ディープインパクトの主戦ジョッキーだったことに恥じない騎手として、これからも精進を続けます。――2019年8月 ”日刊大衆”自身のコラムより
これからもジョッキーを続けていくことが、ディープへの恩返しになると思っているので、まだまだ……そうですね、あと10年は引退しません。
――2019年12月 ”日刊大衆”自身のコラムより
相変わらず子供たちが日本のみならず、世界に名を轟かせているのが嬉しいね。今まで以上にその名を高めている感じがします。いなくなった感じがしないね。
また、ああいう馬が現れて、乗れたら最高ですけどね。――2021年7月
どうやら彼は、出会いから現在に至るまで変わらずの”一番のファン”であるようだ。
その武豊氏といえば「僕の思う最強馬は僕だけの秘密で特権。全ての馬が大切で特別な瞬間がある」旨の姿勢を貫いていた事で知られているが、人生半ば、50歳の節目だしそろそろぶっちゃけるかといった素直な感情の吐露ともいえる言葉がこちら。
中でも心が震えたのは、ともに時代を駆け抜けた最大の友・ディープインパクトの死です。
日本の競馬史上、最強馬と呼べる馬は、何頭かいると思いますが、僕にとっては、ディープインパクトが最大で最強、最速の名馬でした。
彼に掛ける言葉があるとすれば、あの当時も、今も変わらず、“ありがとう”です。
来年も、再来年も、その先も、彼らに恥じない競馬を続けていくのが、残された僕らホースマンの使命です。――2020年1月 ”日刊大衆”自身のコラムより
もっとも「知ってた」としか思われないのだが、これまで競馬業界への彼なりのポリシーや配慮があったのだろう。ため込むのイクナイ。
彼がJRA-VANサイトにてディープインパクトへ寄せたメッセージは以下の通り。
日本の競馬を変えた馬。僕がジョッキーをしている時代に日本で産まれてくれて、そして騎乗する機会に恵まれたことにとても感謝しています。
史上最強と言われる馬とコンビを組めたことは僕にとって宝物です。ディープインパクトと過ごした2年間は、僕の騎手人生の中でも素晴らしい時間でした。
全てのレースに思い出がありますが、中でもラストランの有馬記念は、僕自身、集大成の想いで臨んだレースでした。
ディープインパクトが僕の指示を待っているような感じがして、人馬一体となってレースができました。
ディープインパクトの主戦を務め、レースでの背中を知っているのは、僕だけっていうのは、誇りです。
ディープインパクトを伝説たらしめているものは、思わず涙を誘うドラマ性や奇抜な個性などではけして無い。
圧倒的な”強さ”、競走馬としてこの上なくシンプルで純度の高いその特質こそが、見る者の胸深くに鋭く衝撃を刻むのである。
ディープインパクトは決してJRAやマスコミに作られただけのお飾りの英雄ではないのだ。
呪い?
実はこの馬には「ディープインパクトの呪い」と呼ばれる物騒な都市伝説がある。
簡単に言ってしまえば「ディープが勝ったレースの2着馬はロクなことにならない」というもの。
ディープインパクトが勝ったG1競走の2着馬は7頭いるが、うち6頭(シックスセンス、インティライミ、アドマイヤジャパン、リンカーン、ナリタセンチュリー、ドリームパスポート)がそこから1年以内に故障を発症している。ポップロックは唯一まともに競走生活を送れたものの、ついにG1を勝てないまま2010年(9歳)に屈腱炎で引退。話をG1以外に広げると、ディープの2着馬はもれなくG1を勝てずに現役を終えている。ディープの相手関係がわかりにくいのはぶっちゃけこの呪いの影響が結構大きい
もっと言ってしまえばディープに勝った馬にももれなく災難が降りかかっている。
ハーツクライは先に述べたようにジャパンカップで喉鳴りを発症して大惨敗して引退、更に凱旋門賞の勝ち馬であるレイルリンクも翌年骨折、その後腱を痛めて引退している。なんてこった。
これら一連のアクシデントが「ディープインパクトの呪い」として雑誌「AERA」でも取り上げられた。
というかこの05年世代自体、牝馬クラシック組はみんな故障やら急死やらで早期脱落し、最優秀ダート馬カネヒキリは屈腱炎で長期離脱するハメになった上死因が引退後種付け中の事故で予後不良等、呪われてるのかと思ってしまうほど引退後も含めアクシデントが多数発生した世代であった。
これらの事は陰謀論レベルのオカルトに過ぎないものの、偶然にしてはあまりにも集中し過ぎていることからこんな名前がついてしまったのだろう。勝手なもんである。
ちなみにある特定の世代が異様なまでに故障する、という事例は競馬では何故か偶に起こり、有名な例では87年世代、12年世代などがある。
性格など
●穏やかで人懐っこい。優しい
「最強の馬」のイメージに反して意外にも普段は人懐こく穏やかな気質。スタッフがやってきて喜ぶ様子なども収められている。
当時の池江厩舎のディープ担当の市川厩務員曰く
「ディープは人間が好きで素直で優しい性格。でも気が強いところもあり近寄る人間のこともよく見ていた。人が困るほどではないが時々噛むこともあった。特に女性に対しては"甘噛み"でした」(2020年7月30日 花岡貴子氏のコラムより)
2005年菊花賞のパドックでは、手綱を引く市川厩務員がディープの歩き方に元気がないと感じたが、何周かして引き手が片山調教助手に代わると、打って変わって元気よく歩き出したという。
どうやらディープは、当日歩行困難なほどの腰痛に見舞われていた市川氏を気遣っていたらしい。
また種牡馬になると雄の本能が刺激されるのか、人間に対しても自分のほうが立場が上だと振る舞う馬もいる中、ディープは人間にも対等にといった様子でフレンドリーに接していたという。
●素直で無邪気。可愛らしい
デビュー前、慕っていたトレーナーの伊津野貴子氏が近くにいると、タカタカッと寄ってきたという。かまってほしくて常についてくるという甘えん坊である。彼女もそんなディープが可愛くて仕方なかったという。
市川厩務員曰く「(初対面の時は)近寄ったら甘えるように顔を寄せてきて、優しい女の子が来たイメージでした。可愛い、可愛い馬でしたね。ずっとそうでした。子供の心を忘れないような。本当に性格がよくて扱いやすく、一緒にいて心地のいい馬でした」
関係者に印象を尋ねると「とても可愛い子」と口を揃えたそうだ。天然だとも。誰からも愛されていたようである。
引退後の放牧中、厩務員が迎えに来ると尻尾を振りながら全身で喜びを表現し、すすんで馬具へ頭を突っ込んだりもした。
ウキウキと弾むような足取りで厩務員に頭をこすりつけながら馬房へ帰っていく姿も目撃されており、それでいて歩く速度は厩務員に合わせるという、無邪気で人懐こくも賢い性格が窺える。餌物に飛びかかる猛獣のような勢いで他馬をぶっちぎていたレース中の姿からは正直、想像もつかない。むしろこんな姿がもっと知られていれば女性ファン激増じゃね?。
●お上品?
小柄な割に食事はかなり食べる方だったそうだが、人間のように水・青草・飼料を三角食べしていたという。食事量の割に太ることがなかったのはこの食べ方のおかげだとか。犬のようにクーンと鳴いておねだりするほど食べたかったご飯でもけしてがっつかず、ゆっくり食べていたそうである。
総じて上品な印象から厩舎では「お坊ちゃまくん」と呼ばれていた。
●よく寝る
レース直前は興奮する馬が多い中、若駒ステークス前は馬運車に乗せる直前まで寝ていたという。
東京優駿(日本ダービー)の輪乗りの際は、スタートを待ちくたびれたのか、武騎手を乗せたままふっと電池が切れたかのように砂場に前脚を折った。そのままゴロンと寝転んで砂浴びをしようとしたところをなんとか武氏が止めたが、後ろの蛯名騎手もそんな馬を初めて見たと驚いたそうだ。
また2007年、サントリーBOSSのCMに起用された時も、ディープは待機時間に飽きて寝ていたとかなんとか。
調教後の洗い場や馬房もウトウトの常習スペース、らしい。
●賢い
また、頭のいい馬でもあったようで、調教助手の池江敏行氏によると、普通の馬が10回で覚えることをディープインパクトは2、3回で覚えてしまったんだそうな。
菊花賞でディープが1周目にかかってしまったのは、頭が良いので3コーナーから4コーナーにかけてスパートをかけることを覚えていたせいだと言われている(実際はもう1周しなければならない)。
武豊氏「こういうレースもあるんだと、次のレースからはきちんと理解していた」
また日本ダービー後しばらく経った7月に札幌入りし、”いきたがる気性”や”他馬に前に入られると熱くなる気性”克服の為にトレーニングを始めたが、10日間ほどで完全に学習してしまう優等生ぶりだったいう。
ON/OFFスイッチの切り替えも素早く、2005年日本ダービーの輪乗りで砂浴びをダメ出しされた後、ゲート集合の合図が出されるやいなやメラッと闘争心を燃やしたという。厩務員もそんなディープの表情を初めて見たと驚いたとか。武豊氏「燃えて凄かった。目がイッてた」
普段もレースや鍛錬のオンタイムと、それ以外のオフタイムがあり、人間の定めた生活にリズムがあるという事を理解していたようである。
また自分の理想体重を知っているのか、レース前は餌の食べる量を自分で調整する事もあったと関係者は語っている。
前述の種付け時のオンオフっぷりについて、社台スタリオンステーション現場スタッフの証言によると
「かっこいいのは、種付け場に入ってくるときはいたって冷静なのに、イザとなるとスーッと瞬間的にスイッチが入る、いかにもモテそうなコントラストです。だから無駄な体力も時間も使わないんです。スムーズに仕事をして、コトを終えると、また何事もなかったように帰っていく。このあたりのスマートさもまさにプロの男といった感じでした」(nippon.com 2019.8.6 記事より)
空気が読める馬でもあり、種牡馬時代は厩舎の近くに作られた撮影場所の上で「ここで立っていればいいわけですね」といった様子で、顔と耳をカメラに向け、口取り写真のようにポーズを決めていたという。(やっぱりAV男優ばり)
●ひたすらマイペース
2歳の秋、栗東トレセンに入厩してから5歳12月の有馬記念(GI)翌日に現役を退くまでの話。
馬房の数に限りがあった為、他の馬のように放牧に出される事はなく、ディープインパクトはずっと競馬場の管轄にある施設で時を過ごしていた。
レースを控え気の立った馬達の近くで過ごし続けることがストレスとなるケースもある中、ディープは我関せずでひたすらマイペースに、時に厩務員と遊んだり、ディープなりの"息抜き"をしてリラックスして日々を過ごしていたそうである。
また競馬ラボによる市川厩務員への『ザ・インタビュー』(2019年8月4日)によると
「精神面が非常に強いなと。どんな環境に行っても適応するし、自分を見失わない。メンタル面は、僕が思うサラブレッドの理想でしたね」
ディープはどこに行っても普通に、いつもと一緒の事をしてあげれば上手に輸送も競馬もしてくれたという。ペースを乱される事を極端に嫌がる究極のマイペース馬だったようだ。
●走る時はイケイケ? 走るの大好き!
その一方、乗る方からしたらかなり難しい馬であったようで、調教の時もとにかく前に行きたがるというある意味非常に競走馬向けの性格をしていたようだ。全レースにわたって騎手を務めた武は「この馬が本気で行きだしたら止めるのは容易じゃない」と語っている。
つまり、ペースをしっかり制御できていなければ途端に大崩れして敗れていたことも十分考えられる。またディープは蹄が薄く、制御できなければ装蹄の職人技があっても早々に故障していたかもしれない。
そのため、ファンからは「武豊だからこそディープはここまでやれた」と考察されることが多い。
市川厩務員「走り出すと豹変するというか、凄いパフォーマンスをする。それとディープは走るのがとても静か。他の馬のようにパカッパカッという足音や鼻息が聞こえにくいのです。こんな馬はいません」
武豊騎手「走りたい気持ちが強く、旺盛な闘争心を持っていた。ラストラン後お披露目の為に地下道で再度跨った時は『もう1回レースするの?』と嬉しそうな顔をしたような気がした」
「(ダービーの)直線では、喜んで走っていました」
池江調教師 「歩くのはあまり好きじゃないですが走るのは大好き。今はのびのび走る事が出来てすごく喜んでます」(フランス滞在中 シャンティーにて)
●引退後は人間不信?
種牡馬として人気が殺到しあまりにも種付けが行われた結果、晩年は好みの牝馬の尿臭を嗅がせたり投薬しなければ発情しなくなり、人懐っこいことで有名だったディープも人間不信の気が出ていたという切ない話もある。
早世してしまったことも含めて、色々な意味で人間に振り回された馬生であった。それでも人参などを与えた時には喜んで食べていたというから本当に性格の良い馬である。食いしん坊なだけ?
余談
ディープインパクトの馬主である金子真人氏はその前にも前述の通りクロフネ・キングカメハメハ等持ち馬がG1を勝ち取っており、ディープインパクトの活躍、そしてカネヒキリ等他の持ち馬達及び彼らの産駒の活躍により、
持ち馬だけでクラシック三冠・牝馬三冠・春秋天皇賞・安田記念・宝塚記念・ジャパンカップ・有馬記念・中央ダートG1・中央牝馬限定G1をコンプリートしダービー馬4頭を輩出(カメハメハ以外はディープ親子)した強力な個人馬主となった。
年々売り上げが右肩下がり傾向だったJRAは、ディープフィーバーを盛り上げようとした結果三冠どころか二冠すら達成する前に等身大像を造ってしまった。もちろん前例のないことである。
しかもお披露目されたのはなんと日本ダービー当日。これには「さすがにやり過ぎ」と批判の声も上がった。
また5戦5勝でヒーロー列伝に選ばれたがまだ三冠が取れていないにも関わらず、そのフレーズが「一着至上主義」という反応に困るものだった。
この時のJRAがディープ人気に肖りたかったのは前述した通り。その他にも
- 菊花賞当日のレース前に 三冠祈念弁当なるものを販売する。
- 有馬記念の入場券に前年覇者ゼンノロブロイと並べて印刷する(通常は前年の勝ち馬のみ)
など、却って批判されるような活動が幾度も繰り返された。公正競馬とは何だったのか
曰く「JRAはディープが絡むと掛かり気味になる」。当時の企画部長が今の理事長ということもあるせいなのか、前述の弥生賞改名に見られるように今でもこの掛かりっぷりは全く改善されておらず、それを理由とするアンチも根強い。こうした状況を招いているとしてJRAがディープ最大のアンチとすら言われることもある。
2013年のJRA公式CM「The Legend」のディープのもの(冒頭の文章)は普通にかっこいいのだが…
2014~2019年には同じ馬主の持ち馬で3頭目の牝馬三冠馬となった「アパパネ」(父キングカメハメハ、G15勝)との交配が行われ、結果4頭の仔が誕生。7冠と5冠、合わせて12冠ベビー誕生と話題になった。
ちなみにアパパネの次の牝馬三冠ジェンティルドンナは三冠馬オルフェーヴルとは遺伝子的にいとこにあたるためか2頭の交配は行われておらず、またその次の三冠牝馬アーモンドアイも母父サンデーサイレンスのため同様の理由で配合の可能性は薄いので、2021年時点では貴重な配合となっている。2020年の三冠牝馬デアリングタクトとオルフェーヴルは一応配合できそうだが、サンデーサイレンスの3×5×4とまあまあ濃くなる。果たしてどうだろうか。この血統を許容するなら2020年の三冠馬同士、コントレイル×デアリングタクトという配合もできることになる。ちなみに3冠馬同士のオルフェーヴル×母父ディープインパクトという馬は僅かながら存在し、スライリーという牝馬が頑張っている。また、コントレイル×母父オルフェーヴルはサンデーサイレンスの3×4という理想の配合となるため、いずれ増えてくるかもしれない。
ちなみに、ディープ亡き2020年にアパパネと配合されたのはディープの兄ブラックタイド。金子氏はこの血統に強いこだわりがあるようだ。
テレビ番組『相席食堂』で富山県射水市に訪れたりゅうちぇるが、ディープインパクトを含む3頭の競り会場でディープインパクト以外の2頭を競りで落札したという男性と遭遇。
その直前に千鳥の大悟を博打打ちとこき下ろした件もあってか、盛大なブーメラン発言となってしまい、「大博打打ち」「ゼロ・100億・ゼロの、ゼロとゼロを取ったんや」など散々な言われようだった。
漫画『みどりのマキバオー』の続編『たいようのマキバオー』に登場する無敗の三冠馬フィールオーライのモデルはディープインパクト。
そもそも作者が『たいようのマキバオー』を描き始めたきっかけが、ディープインパクトとハルウララの存在。
勝ち続ける馬と負け続ける馬が、どちらもヒーローとして扱われる。
同じ競走馬なのに「こんなにも住む世界が違うんだ!」という格差を描きたかったとか。本作のマキバオーは母父がフィールの父なので、序盤以降勝てる馬になるのと合わせ逆に高知版ヴァーミリアンにも見えなくもないが
その他逸話として───
- 凱旋門賞を含めた14戦全てのレースで単勝1倍台という驚異の記録保持馬。菊花賞は1.0倍という事態に。
- 三冠達成時「ディープインパクト三冠おめでとう!」と書かれた飛行船が空を飛んだ。
- 三冠達成時の京都競馬場の入場者数は13万6701人で菊花賞としては最多の1位。同競馬場入場者記録としても史上2位。
- 2005年ハーツクライに敗れた有馬記念での中山競馬場入場者数は16万2409人で同レース史上3位。オグリキャップ引退以降、競馬人気が落ち込んでいた世代としてはあり得ない人数である。ちなみに1990年有馬記念、オグリキャップのラストランは17万7779人で1位。
- 2007年『翔んで ディープインパクト』唄:和田青児(サブちゃんの弟子)というディープ応援歌が発売された。
- ディープインパクトの焼酎が製造され、記念切手が発行され、銀座松坂屋で福袋が売られた。
- ヤングサンデーにて『ブレイブハート-ディープインパクト物語-』が連載される。
- 試験の時事問題にディープインパクトが出題される。
- 凱旋門賞のディープインパクトの薬物騒動について、TBS『朝ズバッ!』放送中にみのもんた氏が「日本の恥」等と発言した事で視聴者から猛反発を受け、以降のレースについてはスタジオで褒めちぎるという掌返しを行った。
- ミルコ・デムーロ氏が放牧中のディープインパクトにこっそり乗った事を武豊氏に暴露された。「乗ってみたかった。素晴らしい馬で、そんなに大きくないけど綺麗だし、力が凄かった」 (2019年07月31日 大井競馬場でのトークショーにて)
- 放牧エリアが隣接しているシンボリクリスエスとは大の仲良しで、どちらも厩務員がお迎えに来て姿が見えなくなると、呆然と見送ったり、淋しそうに鳴いたりと、落ち着きがなくなるところを目撃されている。
ちなみにコントレイルも種牡馬入りしてからはシンボリクリスエスの代表産駒エピファネイアと仲良くしているらしい。これも遺伝だろうか? - 実は牧場では非モテキャラであり、牝馬達からはまったく相手にされていなかったそうな。
お前は何の漫画のキャラだというレベルでモテモテだった逸話のあるハーツクライとはこの点でも対照的である。 - シンボリルドルフに騎乗していた岡部幸雄騎手は「実力はルドルフのほうが上*41*42」としながらも「ディープインパクトの大ファンでおっかけ」を公言。
鮮やかに刻まれた、その瞬間。
いまも目に浮かぶ、あのとき。
「運命から逃げるように」ではなく、
「燃えたぎる闘志」でもない。
「並んだら抜かせない根性」でもなく、
「計ったようにきっちり勝つ」でもない。
「過酷な鍛錬に耐えて」でもなく、
「血統の限界に挑む」でもない。
速いから、強いから、万能だから、
軽やかに、飛ぶが如く、
いつも真っ先にゴールする。
競争の原点。競馬の理想。
なのにそれは、新しい風景。
ディープインパクト。
風は颯爽。
――JRA 名馬の肖像『風は颯爽!』ディープインパクト
追記・修正は無敗で三冠を制してからお願いします。
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*2 例としてはダート戦線で活躍したカネヒキリ、2010年の三冠牝馬であるアパパネ、後述するマカヒキ・ワグネリアン・アカイトリノムスメ、白毛馬として世界初のGⅠ勝利を成し遂げた2021年桜花賞馬のソダシなど。「自分の所有馬を交配させて生まれた馬を所有→それがまた大活躍」というパターンも多く、ネット上ではリアルダビスタ(リアルウイポ)と呼ばれるのも納得な成績を収めている
*3 ちなみに現在の記録は息子のワグネリアンが持っている上がり3F32.6。
*4 当時「主な勝ち鞍:2歳未勝利」という伏兵だったが、このレースをきっかけに飛躍。幾度となくディープ相手に善戦し、「最強の1勝馬」とも称された。最終的にはディープ引退後に日経新春杯を勝って1勝馬ではなくなっているが
*5 なのだが、ライト層ばっかだったせいでこの動員数の割に馬券売り上げは逆に減った。
*6 2101-2700m
*7 2701m以上
*8 これは三冠馬が出た世代には必ず言われるような言葉であり、ディープに限った話ではない。……のだが、実際同期の牡馬クラシック組で古馬戦線において活躍した(=他の世代に優位を示せた)馬は香港ヴァーズ2着のシックスセンスくらいだった。
*9 同期だが最終的になんと12歳まで現役を続け61戦、2700m以上のレースを34戦した生粋のステイヤーである
*10 後にキタサンブラックが更新し、2022年現在は2位。
*11 フランス以外にもイギリスやアメリカなど他の国々で同様に禁止されていたが、日本では禁止指定されていなかった。これは当時流通量が比較的少なかったためであるが、後に禁止された。詳細は後述
*12 日本では毎日厩舎の藁を交換するが、フランスでは汚れたものだけ部分的に交換らしい。またのちに池江師は、何故交換していなかったかという質問に対して「現地厩舎から無償提供されるもので大事に節約していた」という旨を答えている。
*13 その影響か、同年の有馬記念のファン投票では最終的には1位になったものの、前年より大きく票数を落としてしまった
*14 それでもテイエムオペラオーの50.5%、単勝1.5倍を上回るジャパンカップ最高記録であったのだが
*15 この後香港ヴァーズに出走予定であったが、故障してしまい回避、そのまま引退となった
*16 ディープとは3回目の交配となったが、2020年にこの時に出来た仔の出産後次の受胎中に急死し、最期の仔「スイープアワーズ」はディープだけでなくスイープにとってもラストクロップとなった。
*17 馬名を冠したレースはシンザン記念以来の53年ぶり。廃止されたアラブ系の馬名を冠したレースを含めても46年ぶりである。
*18 必ず実施される訳では無く、過去にはオグリキャップ、シンボリルドルフ、トウカイテイオー、テイエムオペラオー、ウオッカが死亡した際に開催された
*19 海外から輸入された繁殖牝馬はたまに、日本にいる馬や既に輸入されていた馬と名前が被ることがあり、そういった場合は血統表などの名前にII(セカンド)を付けて呼称する
*20 1980年のダービーを勝ったのを最後に32連敗して故障引退し、「最弱のダービー馬」として有名になってしまった競走馬。ちなみに現役年齢だけだと既にマカヒキはオペックホース(7歳を最後に引退)を超えていたり。
*21 現在の記録はカンパニーの8歳である
*22 死後解剖の結果、胆管に鶏の卵ほどの大きさの胆石が詰まっていたという。
*23 ちなみに馬の胆石症は極めて珍しい症例。論文で報告された事例は6例のみで、うち外科手術で助かったのは1例のみだった。そんな病なのでJRA側の記録にも前例が無く、正に不運というべきだろう。
*24 日本では10馬身差以上は『大差』と表記されるが、海外では詳細な馬身差が記録され公表される
*25 正式には管骨骨膜炎と言い、若い馬が骨が未成熟な段階で強い調教などを行うと前足に起こしてしまう炎症
*26 彼女を管理する藤沢厩舎では馬を音に慣れさせるために馬房でラジオを流しているのだが、グランはこのラジオが大のお気に入り。特に好きなのがなぜか国会中継であり、反対に競走馬でありながらスポーツ実況はあまり好きじゃないらしい。政治通なのか?
*27 この発言と2000mを2回とも負けてマイルでは別の馬のような圧勝劇を繰り広げたことから「中距離をマイルだと思い込んで走っている」というネタが生まれた
*28 当時3200mだった1983年秋天のカミノスミレの2着以来。春天に限ると1955年セカイイチ(2着)以来66年ぶり。
*29 余談だが、実は姉の方にも付ける計画が立てられていたが、肝心のディープインパクトの急逝で頓挫したんだそうな。
*30 それまでが短距離~マイルぐらいのレースばかりで3歳になってからは2000~2400を使っている事も大きいか
*31 余談だがこの間に行われていたイギリス1000ギニーでは上記取り違えられて3着だったのに8着にされかけた馬(ちなみに同厩舎)が勝っていたり
*32 母の全妹
*33 なおこの骨折の原因は『キャスト』ではないかと言われている、キャストとは『馬が壁の真横で寝た際に間違って壁の方に寝転んでしまい、パニック状態になり暴れてしまい怪我をしてしまう』ことでなくすことが出来ない事故、餌をあげて1時間後見回りで立てなくなった彼女を見つけたという話からも絶対に防げない事故が少し関係者が目を離したすきに起きてしまったのは不幸としか言いようがない
*34 ちなみにアパパネはハワイの"赤い鳥"という意味である
*35 グリーンチャンネルの実況より
*36 日本ですっかりお馴染みとなったイタリア出身の名手、ミルコ・デムーロ騎手の弟。2020年凱旋門賞をソットサスで、2023年凱旋門賞をエースインパクトで制するなど、現代の欧州競馬で活躍する名手の一人。
*37 喉頭蓋の根元にあるヒダが持ち上がってしまい、喉頭蓋を覆ってしまう症状のこと。喉頭片麻痺と異なり神経に問題があるわけではないので、持ち上がった分のヒダを切除すれば治療が可能。グランアレグリアやシーキングザパールも患っていたことがあるが、いずれも治療技後に復帰し、G1を勝利している。
*38 もっとも、マイルG1のフューチュリティトロフィーを既に不良馬場で勝っていたため、中距離が向いているという部分はともかくとして、マイルと馬場が適正外だったという話にメディアが疑問を持ったことに関しては無理もないだろう
*39 日本ダービー馬7頭に加え、フランスのダービーに当たるジョッケクルブ賞を2018年にスタディオブマンという産駒が制している
*40 ちなみにその禁止薬物「イプラトロピウム」については、彼の引退直後の2007年1月に行われた全国の競馬主催者で構成される「禁止薬物に関する連絡協議会」において「イプラトロピウムは競走能力に影響を及ぼす明らかな禁止薬物である」「これまで日本では使われていなかったが、今後使われる危険性が非常に高い」という見解から、日本でも急ぎ禁止薬物に指定されるべきという見解を発表。最終的には2007年3月1日付けで、日本中央競馬会競馬施行規程の一部改正による禁止薬物規定の整備で禁止薬物に追加されると発表された
*41 隙のないルドルフに対し、戦歴で示されているようにディープには「スタートが苦手」という明確な弱点(追込なので大きな問題にはならなかったが……)があるのが一因か
*42 また、ディープが併せ馬状態になると伸び切らない事を指して「ルドルフなら最初から徹底的に馬体を併せて走らせれば勝てる」と攻略法まで明言している事も原因か
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