登録日:2011/10/01(土) 22:13:18
更新日:2023/08/21 Mon 10:47:58NEW!
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ルサンチマン。
それは弱者が強者に対して抱く嫉妬、怒り、怨念などのドロドロとした負の感情である。
デンマークの思想家キルケゴールによって確立された概念で、ニーチェ、シェーラーの著書で一般に広まった。
さて、ルサンチマンについて詳しく説明していこう。
優れた人、強い人を見たとき、誰でも少なからず嫉妬や羨望を持つだろう。そして自分の非力さ、無力さを感じ、ルサンチマンを抱く。
こういった感情をバネに自らを高め、ルサンチマンを克服する者もいるが、そうでない者もいる。
後者の場合、自分がダメなのは仕方がないのだと開き直ってしまい、自分自身を正当化しようとする。
もっと言えば、何もできない自分を正当化するためのツールなのである。
ルサンチマン的思考には、強者に対する反発・不満から来るネガティブな感情がその根底にある。
そのため、まず不満の対象である強者を否定して悪とし、次にその対極にある我々(弱者)は悪ではないがゆえに(無条件に)善であるという態度をとる。
つまり、敵(悪)の存在を想定しなければ善が存在せず、善人を名乗るためには悪人の存在が必要不可欠なのである。
酷いときには、善人を名乗りたいがためだけに、無実の他人を悪人に仕立て上げることすら、さも当然のようにやってのける。
このように、弱者の価値基準(善悪)は、強者の価値基準のように独立したものではなく、
他者(強者)を否定することによってのみ成立しうる相対的な基準であるという点が特徴。
自らの内に価値基準を持たないため、それを外部に見出そうとする。
あくまで悪人(強者)の対になるようないわば"善人"像を描き出す必要があり、作り上げた"善人"像に従って価値判断を行う("善人"として振る舞おうとする)。
それゆえ、常に他人の目(評価)を気にして、それをもとに自己評価を下さなければならない宿命にある。
強者は自らの内に固有の価値基準を持っているため、その点において強者は、他人の評価に束縛されない"自由な"人間であるとニーチェは述べている。
ニーチェはこのことについて貴族道徳(君主道徳)と奴隷道徳という語を用いて対比させている。
強者の道徳である貴族道徳は、率直な自己肯定および評価によって成り立つ。
一方、弱者の道徳である奴隷道徳は、他者否定がまずその前提としてあり、かつそれこそがまさにルサンチマンの本質なのである。
強者(の性質)を妬み、自己弁護に走り、本来"良い"はずのものを"悪い"ものだと蔑みこき下ろすという歪んだ価値基準を持つに至る。
つまるところ、価値基準の逆転現象が起こってしまっているのである。
なお、ここでいう貴族、奴隷と言う語はあくまで物の喩えで、それぞれ貴族的性格、奴隷的性格とでも呼ぶべきもので、
史実の貴族や奴隷の観察・記録・研究等から着想を得た概念ではないため注意が必要。
貴族の中にも奴隷道徳的な論理で動く人物はいるし、逆に奴隷の中にも貴族道徳的な論理で動く人物はいる。
ではなぜこのような価値の倒錯が起きてしまうのだろうか。
強者と弱者の現実での力関係は、具体的な行動を起こしているわけではないため、実際のところは何も変わっていない。
……というか、力で対抗できるならとっくにやっている。
そこで、実力ではなく価値観のほうをひっくり返すことによって、思想的、道徳的、倫理的な優位を確保し、(頭の中でだけは)強者を下に置くことが可能になる。
むしろ発想の順序としては、力でどうにもならないという自覚が(意識的にしろ無意識的にしろ)多少はあるため、せめて想像の中では優位に立とうとする、あるいは同列以下に落とそうとするのである。
「~を持っているからどうした」「~ができるから何なんだ」「~が(でき)なくても生きていける」といった呪文を唱えて(そう思い込むことで)安堵し平静を保つ。
時にはそれを通り越して侮ったり嘲笑したりすることすらやってのける。
日常で耳にする「けしからん」「みっともない」「見苦しい」といった発言は、しばしばルサンチマン的な色彩を帯びていることがある。
……無論、嫉妬や怨嗟とは真逆の感情で、本当にろくでもないものに対して言われる場合も多々あるのだが。
少し脇道に逸れるが、キリスト教が世界宗教にまでなったのはルサンチマンの支持を得た結果である。
弱者を肯定するその思想がそもそもルサンチマン的である。
もっとも、ニーチェはキリスト教に対してかなり辛辣で、私怨で必要以上に叩いている部分もあるのだが、指摘そのものは鋭い。
具体的な内容は彼の著書に譲るが、要するにキリスト教の存在は、
「弱者を懐柔し、奴隷道徳を擁護し、貴族道徳的な素直さ・高潔さを妨げる方向に作用し、人が本来持つべき価値基準を歪める」
……ものだと考えている。
フランス革命、ロシア革命、ファシズムの台頭などの歴史的事件のバックには民衆(のルサンチマン)の扇動がある。
乱暴な言い方をすれば、われわれは神が死に王が廃れルサンチマンが勝利した世界に生きているのである。
地獄への道は善意で舗装されている。
善人ほど悪い奴はいない。
自らの正義を信じて疑わない者、"正義"の名の下に従わない者を非難・迫害・弾圧する者らを信用してはならない。
それはすなわちギロチン台を囲んで歓喜し高笑いしている者に他ならない。
ルサンチマンをこじらせ続けたままでいると、"悪いのは自分ではない"という発想を起点にどんどん敵を増やしていくことになる。
そして個人に原因を求めたのでは収拾がつかなくなってくると、やがて集団を対象とするようになる。
自分をこんな風にした周りの人間、学校、会社、社会、国(政府)が悪いのだと、心の中に大量の敵の軍勢を作りだす。
果ては世界が悪いのだと神をも敵に回すというところまで行ってしまう。
そして見えない戦いを延々と続けていくのだ……。
例えば、
●自分が勉強ができない
→高学歴消えろ
→あいつの教え方が悪い
●自分の容姿に自信がない
→イケメンは氏ね
●自分の収入が少ない
→金持ちなんて能力がない癖に…実家が裕福なだけだろ?
→公務員は高給取りばかり。給料下げろ
●仕事が見つからない
→不景気な社会が悪い
→俺を認めないあの会社が悪い
●恋人ができない
→くっそリア充爆発しろよ。休日とかカップルでうろうろしてんじゃねえよ。クリスマスだからって律儀にデートなんかしてんじゃねえよ。目ざわりなんだよおおお!!!…まあ、俺にも嫁はいるし?てめーらなんかより俺のが幸せだけどな。ただ、画面から出てこないし触れられないんだ…ぐわあああん!!!!リア充なんて消えてなくなれえええ!!!!→以下ループ
他にも、
ゲームで遊んでいる最中に、思うように楽しめないあまり、「こんなクソゲーやる意味はない」などと投げ出すこともルサンチマンを抱いたことによる行動と言われる。
……が、実際のところは、
勉強ができるに越したことはないし、
容姿が優れているに越したことはないし、
収入は多いに越したことはないし、
仕事があるに越したことはないし、生身の恋人がいるに越したことはないし、
ゲームを楽しめるに越したことはない
……だろう。
これらの例は、価値判断の個人差こそあれ、少なくともあって困るような要素ではないはずで、
プラスの価値を帯びた要素と言って差し支えないだろう。
割に合わないと感じる場合でも、満足できる水準でないというに留まり、価値が低いだけで価値の存在自体を否定しているわけではない。
よく「好きの対義語は無関心」と言われるように、興味・関心がなければわざわざ口汚く扱き下ろす必要など皆無で、話題にすらしないはずである。
つまり、どうしても否定しなければならないor否定したい理由・事情があるのである。
自分が持っていないもの、自分が手に入れられないもの、他人が持っているものを等しく無価値にしてしまえば、
そこに一切の貴賤は存在しない平和な世界が完成するという、典型的なルサンチマンの発想、すなわち"他者否定"と"価値の倒錯"である。
戦いに敗れたor追い詰められた悪役が道連れを企てる心理もこれに該当する、もしくはこの過程を経たものとみなせる。
価値を否定するという行為は、良いものを手に入れることが不可能(と思える)あるいは困難な現実を前にしたとき、
我々が取る心の守り方・自己防衛の一形態でもある。(酸っぱい葡萄)
そして、その帰結および究極形がニヒリズムだと捉えることもできる。別ルート*1もあるけどね。
この場合はニーチェが言うところの「消極的(受動的)ニヒリズム」に該当する。
しかしながら、ニヒリズムには価値判断の原点になるという効用もある。
全ての事物の価値をフラットにし一度リセットすることで、本能や理性の要請から来るよりピュアな価値を見出すことが可能になる。
万物の全てが本質的には無価値・無意味な存在だと前置きすることで、本当に欲しい物やしたいことが何なのかが逆に浮き彫りになるのである。
「永劫回帰」の概念もとい思考実験の話とも重なるが、
「あなたはたとえ夢の中であっても夢を見たいですかor悪夢を見たくないですか」とでも尋ねれば伝わるだろうか。
ニーチェは、一度無の境地に至り、そこから新たに価値を生み出す(見出す)人間を指して「超人」と呼んでいる。
詳しくはいろいろググってください。
ルサンチマンはいつも我々を苦しめる。
では、これらから逃れるためにどうすればよいのか。
最もよいのは上述の通り、悔しさをばねに自らを高めることでルサンチマンを解消することである。
または、全ては無意味だと主張する(ニヒリズム、虚無主義とも)か、このどちらかである。
前者は理想的ではあるが、必ず成果が伴うとは限らない。
自分の不満の種がどこにあるのかを探ることが先決。
本当に憎い相手の中に原因があるのかどうか、痛みを恐れずに自分の心に問い質してみる必要がある。
不満を解消することばかりに気を取られて本質を見失っていると自分も他人も不幸にする。
自分の無知や人生経験の乏しさ、あるいは自分の狭量さ、器の小ささからくるまやかしの不満である可能性も大いにあるのだ。
ルサンチマンそのものが憎むべき諸悪の根源であるかのように書いてきたが、
人間なら誰しもが向き合わなければならない心の問題である。
いわゆるリア充・勝ち組と見られるような人達の中にも確実に(大小、濃淡こそあれ)ルサンチマンは存在し、
決して克服したり逃れたりできるような類のものではない。
むしろ、自分の中にあるルサンチマンの存在を認めたうえで、自分の中にある歪みを明らかにし、それと向き合うことが大切。
自らの価値判断がルサンチマンによってどのように歪められているかを少しでも知るor知る努力をすること、
そして、自らの価値判断に対して批判的に検証しようとする姿勢・態度が重要なのである。
それが面倒難しいかったるいと感じるなら、「自分は真っ当な人間」だと思うこと(自分を無条件に肯定すること)をやめるだけでも意義はある。ただ単に卑屈になればいいってもんでもないが……。
要するに、己の第一感に盲目的に従うのではなく、己が理性でもってまず疑えということ。
知らぬ間に歪められてしまった自分に振り回されているうちは、真の意味での自由などないのだ。
せっかくの人生、どうせならフラストレーションを武器に憎い相手に一矢報いたほうが楽しいだろう。
見えない敵を倒そう。敵は己の中にいる。いや、そもそも敵などどこにもいないのだ。
俺が追記、修正させられているのはwiki籠りのせい。
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▷ コメント欄
- 佐藤君 -- 名無しさん (2014-04-28 20:06:30)
- ルサンチマンといえば碇シンジ -- 名無しさん (2014-04-28 20:06:55)
- 手の届かないブドウを酸っぱいと決めつける話とか -- 名無しさん (2015-05-05 13:45:13)
- 宗教やテロリズムに結びついたときにこれほど厄介なものはない。 -- 名無しさん (2015-05-05 15:35:31)
- ルワンダでの虐殺のような所謂民族紛争のような争いも元を辿るとこの概念があるのだろうか? -- 名無しさん (2015-05-05 16:13:00)
- ↑ 民族紛争はルールに従わない異物の排除っていう色の方が強いんじゃない? -- 名無しさん (2015-05-07 11:30:47)
- 寂れた田舎を踏み台に、大英雄に俺はなる! -- 名無しさん (2015-05-07 12:18:40)
- 一応かるい突っ込みを入れておくとルサンチマンって単純な嫉妬とかいうのじゃなくって、それが新しい時代を開いていく原動力でもあるっていう意味も含んで言っている(特にニーチェのは)。ニーチェ概念のほとんどがそうだが、言葉の持つ一面的なイメージだけに縛られた理解をすると絶対ずっこけるように仕組んであるw -- 名無しさん (2015-05-07 12:41:24)
- ↑そんなややっこしい話じゃ利用しづらいじゃないか。だから大衆、メディア、体制は単純化を強いる。 -- 名無しさん (2015-05-07 13:19:13)
- まあ、世界が悪いんですけどね。結局どんな極悪な奴がいても個人だけの所為とかありえない。 -- 名無しさん (2016-08-18 12:29:09)
- ↑全面的に同意だ、現実での人間・空間が隅々まで支配、監視されているがそもそも世界は誰の何の物でもない単純に国家は恐れているだけだそれらを失うことによって諸外国から文明国、みなされなくなるのを -- 名無しさん (2017-05-20 02:26:30)
- ↑杓子定規で不条理なシステムに人生を捧げることを強いられる「みんな」だの「人類」だの実態のないものにな、裸になれず本能を否定され正気でいること、演じることを生涯強要される。 -- 名無しさん (2017-05-20 02:43:40)
- ↑しかも現代は通信機器の発達で逃げる場所も隠れる場所もない半永久的に記録され不祥事を起こせばアルバムまで掘り起こされ社会的なリンチに遭う、今この世界に闇はない、かつて在ったの人の手の及ばぬ森林のような異界はない祭りもない戦争もない 地獄だよ地獄であることを認識するべきだ -- 名無しさん (2017-05-20 02:58:52)
- 『無敵の人』は良心というリミッターを失ったルサンチマンだと思う -- 名無しさん (2018-05-18 01:43:23)
- こげパン -- 名無しさん (2018-05-18 02:03:55)
- >せっかくの人生、どうせならフラストレーションを武器に憎い相手に一矢報いたほうが楽しいだろう。←これ実行したけど全く心が晴れないよ。ある分野で俺がやったことにいちいちケチをつけてくる奴がいたからそいつの後ろ暗い部分をまとめて拡散してやった。すると複数の人間からそいつに対する非難が集まって一時は「ざまあみろ」って思ったけど結局何も解決しなかったよ。そいつがいくら痛い目に合っても俺に嫌味を言った事実が消えるわけじゃないし俺自信いつまでも忘れられそうにない。根に持つタイプは息苦しいと我ながら思う -- 名無しさん (2018-08-17 22:51:22)
- 海外で流行ってるインセルはぶっちゃけリア充を殺傷する非モテ -- 名無しさん (2018-09-04 01:40:27)
- ↑2 ミサワ「これで分かったろう…復讐はめちゃくちゃスッキリするが憎しみしか産まないんだ!」 -- 名無しさん (2018-09-04 02:03:48)
- ↑3えーっと、その一文が言いたいのは「むかつくから死ぬほど努力して超えてやったわ!なめんな!」という方向での一矢報いであって「相手の悪いところ拡散してやった!」とかそういうんじゃないと思うが。そういう思考がだいぶこじらせてる証拠のように思えるぞい -- 名無しさん (2018-11-25 12:26:07)
- ↑違う。そいつは俺が死ぬほど努力して成し遂げたことを何一つできてない。にも関わらず俺がやったことを「大したことない」だの「運がいいだけ」だの言ってくるんだよ。一度や二度なら不快に思うだけで済むけど何十回も積み重なると憎しみに変わる -- 名無しさん (2018-12-14 11:08:17)
- ↑2あなたの言う「むかつくから死ぬほど努力して超えてやったわ!なめんな!」は既に実行したんだよ。それで一矢報いて満足した矢先に意味不明な難癖を大勢の前でぶつけられて俺は心底絶望した。例え結果を残しても憎たらしいやつは最後まで憎たらしい態度を崩さないんだと思い知らされたって話だ。連投失礼しました -- 名無しさん (2018-12-14 11:18:00)
- ↑ 横からすまないが休養をとって落ち着いたほうがいいと思うよ。色々と余裕がないように見える。あと周囲からどちらが正しいと見られるか、を気にするといいかと -- 名無しさん (2018-12-14 11:27:05)
- ↑ありがとう -- 名無しさん (2018-12-14 11:42:47)
- ブラック企業に行って金がない時間がない結婚できない言ってた親戚が、中学時代塾の学費をゲーセンに費やしていたこと、高校時代は俺ブラック企業行くわと笑いながら話していたことを聞いて、今泣きながらブラック企業に行った人たちのことを一から十まで信頼出来なくなった -- 名無しさん (2020-10-10 16:15:12)
- 負の感情に向き合うつもりが「単に卑屈になるだけ」に向かう場合もあるから怖いね。記事にあるような…のとは違うかもしれないけど、自らを高めようとしても、必ず成果が伴うとは限らない。そんな事が続くと、内面の奥底としてはわからないけども、外面や内面の浅い所としては、他者ではなく自分が悪い、自分が許せない、と「ただ単に卑屈」になっちゃうし。ルサンチマンとは別の事になるかもしれないが、それが新たな負の感情を生むだろうし…克服するというのは、難しい事なんだな -- 名無しさん (2021-02-03 03:42:45)
- ↑youtubeのぴよぴよ速報さんにて、そこらへんが分かりやすく解説されてるからおすすめ -- 名無しさん (2021-02-03 19:44:40)
- この極致が共産主義である。 -- 名無しさん (2021-09-27 20:14:16)
- ハガレンのエンヴィーの人間への嫉妬心からくる態度や行動もルサンチマンに該当するのかな? -- 名無しさん (2021-11-29 22:43:47)
- 「 自分の不満の種がどこにあるのかを探ることが先決」これは真理なんだけど、ルサンチマンをこじらせる人というのは徹底的にこれが出来ないんだよ。「そんな不満の種を抱えている=それをやりたいけどやれない自分」を認められないんだ。「自分は既にできている、既に(この記事で言うところの)強者である」という(本人の中で作った)事実以外を受け入れられないんだ。 -- 名無しさん (2021-11-29 22:59:24)
- 「金融義賊」という動画は、高学歴高収入の主人公がルサンチマン拗らせて、自分が革命を起こせば後に続く人が沢山現れるはずだと犯罪を起こした。なお、主人公が助けるべき弱者も主人公は平然と見下し差別していた -- 名無しさん (2023-01-29 23:34:51)
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