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吾、その名を知らず、これに字して「道」という。
老子道徳経・25章
道教とは、中国を代表する固有の宗教である。
儒教、仏教と並んで三教と呼ばれる。
【概要】
道教とはなにか、というと「中国の宗教」である。
しかしそれ以上の説明は少し難しい。
まず道教は、キリスト教や仏教などの「一般的な宗教」とは異なり、明確な教祖を持たない。
いちおうは老子を始祖とするものの、当の老子は弟子をとったことも、教団や学閥を作ったこともない。一介の哲学研究者で生涯を終えている。
また「道教」という教団や名称が登場するのは後漢以後からだが、
それは「仏教が流入してきて、これまでの宗教と区別しなければいけなくなったから、しょうがなく『道教』を名乗り『教団』を組織した」という、便宜上の都合が大きい。
教祖も教団も後付けなのである。
つまり、明確に「道教」という名前や組織がなくても「道教」は存在していたのだ。
その「名のなき道教」は、あるいは「道教の系譜の宗教」は、確認できる限り殷代にまでは確実に遡る*1。恐らくは夏王朝以前、中国文化黎明期の石器文化にも源流はあるだろう。
次いで難しいのは、その規模があまりにも大きいこと。
上述したように源流は殷代以前まで遡る道教だが、明確な教祖がいないことからわかるように、だれか哲学者や偉人が生み出したものではなく、中国人全体の常識、観念から自然発生的に生まれたものだ。
つまり道教は「中国人の思想」そのものなのである。
それゆえに、道教の思想、道教的な発想は、中国全体を網羅している。
国家の運営、神霊や祖先の祭祀といったマクロ的なものから、多数の神々への崇敬、病魔退散・幸福招来などの民間信仰、食事・建築・医療などの風習や知識に至るまで、あらゆるところに「道教」が存在する。
とにかく幅広いのだ。
ではそういう迷信的なものだけが道教なのかと言うと、さにあらず、哲学まで含む。
道教はある時期から、老子を祖とする哲学「老荘思想」を取り込んだ。そのため、老子やその系譜を継ぐ荘子、管仲や子産、呉子や韓非子などの諸子百家の大部分、はたまた、老子より前の太公望や伊尹や黄帝まで、多くの思想を取り込んでいったのである。
またその老師の哲学(タオの思想)は、後述するがたいへん深遠で玄妙、かつ幅広く適用される教えであったため、ただでさえ幅広い道教が、さらに奥深くなる結果になった。
(なお、タオは漢字で「道」と書くが、文章では「道路」「道徳」「方法」などと取り違えやすく、また項目冒頭のように、老子自身もタオについて「本当は言葉では説明できない概念で、文字に表すことも出来ないのだが、それでは困るので仮に「道」の字を当てて呼ぶことにする」といったぐらいなので、本項目では老子の道とはタオと表記する)
従って、「道教」は中国における思想や発想、行動や常識、哲学から倫理観に至るまで、あらゆるものを範疇に納め、しかも秩序立てないまま取り込んでいった、渾然にして一体の宗教である。
あまつさえ、道教を「淫祠邪教」と排撃した儒家・儒教や、インド伝来の仏教さえ取り込んでいったため、儒教や仏教の影響もそこらに見られるカオスな状況となった。
そのうえ、中国の民衆は文盲が多かったことから、民間に属するものは文献資料にもなりがたく、確認もしづらい。
総合すると、中国の天から地まで、東西南北あらゆるものを網羅し、しかも固定の教義もなく、民間信仰から哲学、異教までをすべて雑然として取り込んだ「中国人の中国人による中国人のための宗教」こそが、真の道教と言える。
道教を完全に理解できれば、おそらく中国人の思想はほとんど理解できるだろうが、逆に言うと道教を理解するのは中国人を完全に理解することに等しく、そんなことは当の中国人にも、未来永劫できないだろう。
しかし、ハナから理解できないと匙を投げてもしょうがない。
道教に影響をもたらしたもの、道教が影響をもたらしたものを分析していけば、多少はカタチは掴めるのではないか。
また、実は日本人は、道教に近しい宗教を持っている。
特定の教祖も教義もなく、自然発生し、王朝から民衆まで漠然と帰属し、仏教の接触から教団化したが、仏教や儒教を取り込んで哲学性をも備えた、カオス的な宗教――
つまり神道が、非常によく似た特性を持っているわけである。
道教をムチャクチャ乱暴に言うと「中国人の神道」とも言える。
【源流その1.民間信仰】
道教の源流は大きく分けて二つ。
「民間信仰」と「老荘思想」である。
民間信仰とはその名の通り、民間の庶民が自然に抱き、自然に発生した、素朴な宗教感である。
道教の源流はここにある。それはおそらく、石器時代のむかし、人類が中国に到着したときから源流があるのだろう。
中国は、西アジア(ペルシャ、メソポタミア)に比べると湿潤・肥沃な土地で、自然環境は豊かである。
黄河・淮水・長江という三本もの巨大河川が東西を縦断し、下流域には広大な平原が広がる。
しかしそうした豊潤な面とは裏腹に、中国の自然環境は荒々しく凶暴な一面がある。
黄河が引き起こす大洪水は、地球全域で見ても激しいもので、あらゆるものを呑み込み押し流す。
それどころか、時に黄河は自らの洪水で流れを大きく変える。すると、これまで黄河の水を引いていた田に水が来なくなり、水がないところで育てていた畑に流れ込んで、旱魃と洪水を同時にもたらした。
しかも中国では定期的に蝗害が起きる。黒ずんだバッタが天を埋め尽くして飛来し、あらゆる食物を根こそぎ奪い去っていく様は、人間の人生観を変えるには十分だ。それが、酷ければ毎年起きるのである。
さらにバッタが飛びまわり泥水が流れ込んだ地域には、疫病も発生する。目に見えないだけに余計に恐怖であった。
天は蝗害、地は洪水、人は疫病。いずれも人間個人の力が及ぶものではない。
それも、死ねばまだマシ、食料も耕地もなくなり病みながら生きることは、まさに「生き地獄」、死以上の苦しみと恐怖をもたらす。
中国の自然環境は、豊潤でありながらも凶暴で、まさに圧倒的なスケールを持っていた。
人間はもとより、宗教的な動物である。
ただ生きるだけなら不要なほどの知性を持って進化した人類は、その知性を「この我々が生きる世界はどうなっているのか」を分析するのに使った。そこから「宗教」が生まれる。
中国に至った中国人も例外ではない。
ここに道教の源流のひとつがある。
つまり道教は、まさに中国の自然に揉まれながら、中国人が生み出した宗教だった。
道教がしばしば迷信の様な行動を採り、儒教など他者から「淫祠邪教」と呼ばれたのは、最初から不条理な民間信仰に根差しているからである。
つまり「淫祠邪教」という批判はある程度あたっている。しかしそれだけに、道教の深遠は中国人の意識と一体である。
もちろん現在の道教は、単なる民間信仰ではない。深遠な哲学も含まれている。
ただ、先に哲学があったのではない。
まず民間信仰・民間宗「教」があり、彼らがのちに「道」家の哲学を選択し、取り込んだのだ。
【源流その2.道家思想――タオの教え】
道家は、いわゆる「諸子百家」の一派である。
端的に言うと「タオ」を研究した老子の哲学で、そのタオの思想が、やがて民間信仰と溶け込み「道教」を生み出す。
春秋戦国時代の哲学者・老子が説いた「タオ」とは、端的に言うと「万物の根本法則」である。
この世界には大小あらゆる物質あらゆる現象がある。それら物質は勝手に存在し、現象は気ままに発生しているように見える。
しかし実はそうではない。物質も現象も、我々の行動もその結果も、あらゆるものに「法則」=タオに拠って成り立っている。
天は高く地は大きく、どこまでも続いているように見える。しかしそれは、天や地に「高く、低く、広く、大きい」という条件や法則がそろっているからだ。
もしも天が「崩れる」法則に合致すれば、宇宙は破裂するし、地が「破れる」法則に合致すれば、大地震が起きて地球が爆発する。
路傍の石ころ、飛び回る虫けらも、それらがそのような形状、そのような形態になっているのは、彼らのなかに条件や法則があるからだ。
線香を炊いたら、灰になって落ち、煙になって昇る。それは偶然そうなっているのではなく、線香が持つ必然の法則によって灰と煙になり、灰と煙はそれぞれが持つ必然の法則によって落ちて昇る。
決して、炊いた線香から黄金が落ちたり、燃やした先端から蝶が湧いて舞ったりはしない。
自然現象だけでなく、人間すらも法則によって動いている。
夏の桀王と殷の紂王は天下を失い、殷の湯王と周の武王は天下を取った。
桀紂は本人も自覚しないまま「滅亡の法則」にしたがって行動しており、結果として当たり前のように滅びた。
湯武は「成功の法則」にしたがって行動し、結果として当たり前のように成功した。
神々や鬼・悪魔さえタオによって動いている。
神はその霊力によって恵みをもたらし、鬼や悪魔は祟りによって害を為す。
しかしもしも神が霊力を発揮できない状況になれば、どれほど祈りを捧げられても神はただ拱手傍観するのみ。
鬼や悪魔がどれほど凶悪でも、悪事を為せない状況にあれば、些細なイタズラさえできなくなる。
だから、タオはあらゆる物質に存在し、あらゆる現象に関わっている。
宇宙や太陽、天地や海のような大きく遠いものから、田畑や家畜、会社における仕事、料理・洗濯などの家事、といった身近なもの、あるいは路傍の雑草や道路の石ころ、便所の糞尿やその悪臭に至るまで、ありとあらゆるものに存在する。
国家の栄枯盛衰、戦争の勝敗、いずれも偶然そうなるのではない。勝つ側には勝つ法則、負ける側には負ける法則があった。
恋愛の成就も、仕事がうまく行くのも、伝えたいことが伝わらないのも、すべて「法則」あってのことだ。
この項目を読んで意味がわからないとするなら、書き手は「伝わらない法則」によって書いており、読み手は「読み取れない法則」に従って読んでいるのである。
地を埋め尽くす洪水、天を覆い尽くす蝗害、人を殺していく疫病。いずれも理解できないもののように見えるが、これらもすべて条件・法則がそろって発動する。すなわちタオによって行なわれる。
西洋の唯一神ヤハウェについて、グノーシス主義の立場から「至尊なる神は万物を作ったと言うが、悪魔や悪徳、悲劇や絶望まで作ったと言うのか。ならば神は悪の源泉ではないか」「神と名乗るあのヤハウェは、邪悪な世界を作った悪魔ではないのか」という議論が出、神の善性まで巻き込む大論争となった。
しかしタオにおいて、その論は成り立たない。なぜならタオは初めから悪魔のなかにもあり、現在もその悪魔を悪魔として構成している。つまり間違いなく、神も悪魔もタオによって生まれたのだ*2。
タオは善悪さえ超越している。
善悪正邪美醜尊卑を問わず、あらゆるものにタオが関わっている。
ゆえに、もしタオを真に理解することができれば、いかなる災いも解決できるし、いかなる願いも叶えられる。
「不老不死」「翼なしの飛行」「水に没しても溺れない」「火の中にいても焼けない」……これらは人間ではとうていできないように思えるが、それは単に「やり方を知らない」だけである。
真にタオを理解した人間――「仙人」ならば、それらを成し遂げるために必要な「法則」を知り実行することで、老いず、死なず、患わず、雲に乗り、水に沈み、火もまた涼しく感じることが、できるようになる。
不老不死になっても退屈で苦痛だと言うのは、不老不死の楽しみ方を知らないだけである。
タオについて「無為自然」という言葉が知られる。
ついこれを「なにもしないで大自然に身を任せる」と読みがちだが、そうではない。
「無為」とは「為す無くして為さざる無し」、目的のために必要のない、よけいな作為はしてならないが、目的のために必要な、為すべきことは全てする、という、極めて積極的な言葉である。
そして「自然」とは、森や山や河や海といった「自然環境」のことではない。
「自ら然り自ずから然る」、必然の法則ということだ*3。
自然環境のみならず、人為的な世界にも適用される思想である。
「無為自然」というのは、なにもしないとか、自然環境の流れに任せれば幸せになれるだろうとかではない。
望みがあるなら、それを果たすためには「為すべきこと・為してはならぬこと」がある。
目標を叶えるためには叶うまでの必然の法則、必然の過程があり、願いを果たすためには為すべきことと為してはならぬことがある。
為すべきことを為し、為してはならぬことは為さず、かくして必然の法則に乗って、願いを果たせ、という、極めて積極的・主体的・能動的な教えなのだ。
むしろ、流れを読み取り支配するのである。
あえて「無為自然」を読み説くなら、「無を為し、自ずから然る」というべきだ。この場合、「無」はタオである。
以上が「タオ」の基本である。
これを説いた老子だが、彼はこれを現象からの逆算で想定した。
なんらかの神の役割を補強して「最強の神」を考案したわけではなく、現実に起きる現象そのものに着目し、そこに「根本の法則」を見いだした。
つまりタオの教えには「否定」がなく、「肯定」しかない。別の宗教を「邪教」と見做して排撃するのではなく、懐に潜り込み、「解説」を与えて取り込むことができた。
そのため、老子のタオの哲学は、民間宗教を取り込み、諸子百家の懐にも忍び込み、異郷からの仏教とさえ調和した。
「法家」に分類される韓非子がタオの思想を取り込んだのも、「国家を安定させる法則を理解し、そのタオ=安定の法則にしたがって法律を定めるならば、国家は必ず安定するはずだ。めくら打ちででたらめに国を運営するのと、安定の法則にしたがって運営するのとでは、まったく違う」と見極めたからである*4。
その韓非子と続く始皇帝、張良、曹参、といった法治主義者の思想が「黄老の学」と呼ばれたのは、まさに「老子の教え」すなわちタオが、政治哲学にも援用できることの証明である。
インドから伝わった仏教も「ダルマ(法)」の体得を理想とするが、そのダルマとタオがよく似ていたのも、両者の接近に幸いする。
時代はやや下るが、タオの理論は儒教にも演繹された。朱子学の宇宙論(物質の生成論)も、基本は道教から借用したものだ。
老子が提唱した「タオ」の哲学は、道教と中国におけるもっとも深遠なる教えである。
【道教の融合と混乱】
文字が生まれる以前から連綿と続く民間宗教と、あらゆるものを肯定して定義するタオの思想は、早いうちから融合した。
もともと「宗教」とは、「神話を用いる哲学である」と定義されるほど、哲学に近しい存在である。
現実世界から生じた民間宗教と、現実世界を分析したタオの哲学が接近し融合するのは、自然の成りゆき――自ずから然る必然の成りゆき――であった。
ただこうした成立過程のため、道教には、まさに淫祠邪教と言われても仕方のない迷信じみた部分と、仏教やギリシャ哲学にも並ぶ洗練された哲学性とが、いわば雑居するカタチになった。
道教のおもしろいところは、そのまま放置されたことである。宗教や哲学として、二つの要素を議論したり紡ぎ合わせたり淘汰しあったりはせず、道教内部で「雑居状態」のまま放っておいたのだ。深遠な哲学性と、邪教じみた迷信性が、そのまま残っている。
哲学者グループとしてスタートしたのではなく、純然たる民間信仰であったため、理論を突き詰めて整理することがなかったのだろう。
そこに、後漢時代から流入した仏教がひと波乱を巻き起こす。
仏教はゴータマ・シッダールタを明確な祖とする系統立った宗教で、ダルマとタオの類似や、ダルマの理解と体得を目指すなど、道教哲学(道教に取り込まれた老荘思想)と近しい点はあるが、
経典が整理されているということと、仏教徒が「教団」を作り、明確な組織と集団を持つという、道教にない特徴があった。
対して道教は、文字もなかったころの素朴な民間信仰から始まるだけに、体系だった経典など持ち合わせていなかったし、
いわば常識レベルの宗教だっただけに、教団どころか道教への帰属意識すらなかった。
みんなが道教の意識を持っていたため、ことさら「所属する」という意識がなかったのだ。
これはあたかも現代日本人が、キリスト教の神を「八百万の神」と見做し、イエス生誕祭のクリスマスを祝い、一週間後の正月には神社に詣で、寺に参れば「神様仏様」と仏も「八百万の神」として扱い崇める*5という、明らかに神道的な行動パターン・思考パターンをとりながら、自らをことさら「神道徒」と意識しないのに似ている。
また神道は、仏教が流入してくるまでは経典も教団も存在せず、仏教の教団・経典に衝撃を受けて、組織や理論を整備した。この点も道教との相似点だろう。
こうした「仏教ショック」「経典・教団ショック」に驚いた中国社会で、にわかに道教勢力の「経典編纂・教団組織」運動が進められる。
もともと「二十四史*6」のように文献にするのが好きな中国人のことである。刺激を受けた彼らは、手当り次第に「道教的なもの」を書きまとめ始めた。
だが、もともと文字などなかったころの宗教がベースの道教である。
スピリチュアル的で地域色の強い精霊神への信仰とか、病魔退散とかの「迷信」要素については、カタチにするのは土台無理だった。文字にすればするほど真意が遠くなっていく。
老荘思想についても同様である。もともと道教には、老荘思想ですら、思想体系などは存在しない。「老荘」と一まとめにされるが、老子と荘子には師弟関係もなにもないのである。彼らは先人の思想を、個人として勉強・引用・演繹したまでで、仏教徒のような伝法の系譜などは無いのだ。
結果、執筆活動はかえって道教経典を難解に、かつ膨大にしてしまった。
あまりにも増えすぎたことと雑然としすぎたことから、朝廷側・道教側でも整理に乗り出し、選ばれた経典が「道蔵」にまとめられたが、そのまとめた道教経典「三洞瓊綱」が3744巻もあった。まさかの開幕四ケタ。
しかもこれは初期段階であり、時代を追うとまた次々と追加されていく。
「道蔵」はとにかく膨大で煩雑で、読むこともままならない。いやそもそも、タオの思想に至っては老子本人が「文字にして説明することは難しい」といっていたぐらいで、文献にすること自体に無理があった。
教団化・組織化も難航した。
「道教教団」が成立したのは、三国志で有名な後漢末期から三国時代である。
この時代、後漢朝廷の衰退と官僚システムの崩壊、度重なる蝗害・疫病の乱舞によって、社会不安が一気に増していた。
そうして増えた流民をまとめた張角と張陵(張魯の祖父)が、それぞれ別個に「組織」を作り上げた。「太平道*7」と「五斗米道」である。
張角と張陵は道教の呪術を用いて組織を運営し、流民をまとめたため、これが「道教教団」の始まりとされる。
しかし、張角や張陵は「呪術」を使って信者をまとめた=「教団」を作ったのであり、老荘の哲学によって教団を形成したわけではない。
つまり、孔子や釈尊やイエス・キリストのような「思想研究グループ」としてからではなく、呪術を紐帯とした「生活互助組織」からのスタートといったほうが的確である。
この初期道教教団は曹操の勢力に吸収されて社会的にも認知され、唐代には「老子(李耳)の子孫」を称する唐朝の支持を受けて栄えたが、
時代によって仏教や儒教から排撃を受けるなどして、国政レベルでは大した影響をもたらさなかった。
そもそも中国は歴史的に、宗教的な思想を政治に持ち込むところが少ない。
むしろ皇帝や国家が過剰に宗教にのめり込むのを諫める風潮が強く*8、道教教団は政治権力と結むことはあったが、西洋のキリスト教ほどの権力は確立しえなかった。
【道教の変わらぬ変遷】
そうした、経典化や教団化の難航にもかかわらず、中国の民衆が無自覚に道教に属し、道教に影響を与えていく構図は変わらなかった。
やがて十九世紀に入り、アヘン戦争などを通じて「西洋人ショック」が巻き起こり、労働力として中国人が外国に出るようになっても、彼らは現地で道観(道教寺院)を作り、道教を中心としてまとまっていった。
華僑の町があると、必ず一つは道観があると言われる。
中華人民共和国の時代になって、一時は激しい弾圧を受けたものの、近年はふたたび息を吹き替えしており、寺院の再建なども進んでいる。
そもそも道教の正体とは民間信仰なので、中国人が存在する限り不滅である。
そうした変わらない存在感と同時に、現在進行形で変遷しているのも道教の特徴であろう。
それを示唆してくれるのが、「封神演義」で活躍した通天教主と聞仲である。
道教の最高神は「玉皇上帝」であり、次いで「三清道祖」が崇められる。
この三清道祖というのは、タオにもっとも通じた三人の神仙のことで、元始天尊、霊宝天尊、太上老君の三名を言う。
このうち太上老君とは、老子の神格化したもの。
元始天尊は、宇宙の「気」の化身とされる*9。
第二の霊宝天尊は、タオが擬人化したもの・タオの象徴とされるが、これが現在、俗に通天教主と呼ばれている。
「通天教主」という名前は、少なくとも現在確認できる古い経典には見られず、「封神演義」で敵役として作られた名前とされる*10。
対して霊宝天尊の名前は古く、道教が教団化した初期には「霊宝派」も存在したほど。
しかしその霊宝天尊が通天教主と呼ばれ始めたのは、封神演義に慣れ親しんだ庶民の認識が、神格に影響を与えたということ、つまり道教とは中国人が作り上げ、いまなお変化していっている民間宗教であることの、一つの証明である。
同じく普化天尊という神もいる。雷の神だが、この神像は現在、三つ目で鉄鞭を掲げる厳めしい顔だ。この姿が定着したのは、封神演義にて殷の太師で通天教主の孫弟子、聞仲が普化天尊に封じられた(任命された)ことに由来する。
通天教主や聞仲の進出と、霊宝天尊・普化天尊の変化は明代以降のことだが、ほかの神々も長年変化を続けている。
関羽や鄧艾なども、道教の神として長い年月を通じ、大胆に変遷している。
道教は、常に変わらず中国人とともにあり続けている。
しかし道教は、常に一所にとどまらず、目まぐるしく変遷し進化している。
民間信仰とタオの思想という二つの要素を平然と雑居させ、仏教や儒教の影響を拒絶せずに取り込み、粗雑でありながら均衡の取れた、まさに「混沌の秩序」「カオス」を備えた道教は、まさしく中国人「らしい」宗教である。
【道教の各要素】
◇仙人
老荘思想において、仙人の源流は荘子の「真人」にある。
真人は「真理を理解した人」とでも言うべき究極の存在で、タオを完全に理解したため、たとえ火中にあっても燃えず、水中に没しても溺れず、老いもせず病みもせず苦しみもしない究極の存在とされる。
始皇帝が不老不死を求めたときに、「方士」が真人招来を説いたことでも知られる。その後イカサマ師であることがバレて粛清されるが。
中国においては不老不死の探求心が強かったようで、真人や仙人は「死の克服」を成し遂げるものとして描かれている。
老子には真人や仙人について言及はなく、荘子は民間の世俗な話をも取り込んでいるため、これは道教のうち民間信仰に端を発するようだ。
とはいえ、タオの思想によれば「不老不死など、仙人の技法を体得できないのは、仙人という存在に対する理解が足りないから・実践方法が間違っているから」なので、否定する要件でもない。
ゆえに、仙人とは中国人にとって諦められない夢とされ、道教にも重要な地位を占めるのだろう。
◇陰陽図、八卦図、太極図
白と黒が分かれながらも一体化している図式と、それを包む八角形の図式。道教のアイコンと言えばあれだろう。
この図式は、タオの思想を図式化したものといわれる。
老子などにいわく、原初は初め「太極」であった。太極は「無極」とも言う。
まだいかなる方向性もない。図式で言うと完全な「円」である。
やがて「一」(太極)は陰と陽の「二」つに分かれる。太極が陰と陽に分かれた状態、これを「両儀」という。
しかし陰と陽は別のものになったのではない。「両儀」という一つのものなのだ。つまり「陰と陽でできた両儀」「両儀にして太極」であり、決して分裂したものではない。
さて、両儀を構成する陰と陽だが、それぞれの陰のなかにもまた小さな陽が生まれ、陽のなかにもまた小さな陰が生まれる。
「太陰」のなかの「少陽」、「太陽」のなかの「少陰」……しかしこの「四」つの要素も、それぞれ独立しているのではなく、一つの物質を構成している。つまり四つで一つの「四象」だ。
さて、この流れでは、一つのものから陰と陽が生まれ、それぞれの陰陽からまた陰陽が生じる。
世界の物質はすべてこのように生じる。陰と陽は倍々に生じていく。一から二、二から四、四から八、八から十六、三十二、六十四、百二十八、二百五十六……
果てしなく膨大になり複雑になっていき、かくして物質を形成するが、パターンはある。つまり万物の生成死滅にはすべて法則がある。
陰陽を真ん中に穴の空いた棒と繋がった棒で表した物を「爻」と呼びそれを三つ縦に並べ組み合わせて八パターンの属性を表現したのが
お馴染みの「八卦(はっけ・はっか)」で、八卦記号を二つ組み合わせ拡張したのが「六十四卦(ろくじゅうし・けorか)」である。
もしこの流れを読むことができれば、計算することができれば、望んで叶わないことはない。望むがままの結果を得られる……
そういう発想で生まれたのが「八卦図」「太極図」である。
要するに羅針盤や計算機、あるいは分析装置のようなものだ。
例えば「今回の試験は受かりますか」と占い師に訪ねて、八卦で分析した場合、それは八卦の神とやらに祈って答えを教えてもらっているのではなく、
「この人は試験に受かる構造になっているだろうか、試験に臨んで突破できる状態だろうか、これから臨む試験はこの生徒が突破できるものなのだろうか」を計算し、「受からない状況である」、つまり凶兆、と出るわけ。
もっとも、現実には将来を計算し尽くすことはなかなかに難しく、それこそタオの流れを完全に理解した仙人でもなければ、百発百中とは行かないのが八卦なのだが。
あたるも八卦あたらぬも八卦……しかし八卦(太極図)を完全に読み解ける人間がいれば、八卦は百発百中あたらぬことなし、になれるのだが。
ちなみにこの辺りは「易」こと「周易」や「易経」に記録された部分が大きい内容である。
これら易経は儒教経典に分類されるが、これは別に矛盾ではない。道教も儒教も中国人の思想・文化から生まれている以上、つまり同根である以上、根柢の宇宙論は共通している、というだけのことである。
儒教徒が中国社会における異民族だったわけではないからだ。儒仏道の三教が「一体」と言われたのはそれも関係する。
なお、封神演義では太上老君の太極図が登場する。
内部は虚無の空間であり、いかなる現象も生み出し、いかなる物質も生み出し、世界を作り替えることもできるとされる。
おそらく、タオを完全に理解した究極の宝貝なのだろう。
◇道教の神々
アニミズムに由来する、自然発生した民間信仰なだけに、道教における神々は実に多様である。そこは日本の神道事情に近い。
ただ日本の神々との違いとして、どこか俗物的なことと、地上の人間を威圧する反面、人間にも威圧されることがあると言う点がある。
神といいつつ肉食・雑食であり、供物として肉や魚が平気で供えられる。生贄を直接屠殺するならなお良し*11。
また、人々は供物を捧げて願いを述べるわけだが、この「供物」は願いに対する「対価」であり、供物を捧げても願いが叶わなかった、神がその祈りを叶えなかった場合、「取り引き不成立」ということで、庶民は供物を下げてしまう。
「供物を捧げるから、願いを叶えてくれ。叶えないならこれは始末するぞ」というわけだ。
周公旦も、危篤に陥った兄武王の病気平癒を祈ったとき、末尾に「この願いを聞き入れないと言うなら、我もまた供物を没収する」と述べている。
凄いときには、契約違反として神像を叩き壊して廟を焼き払うことも。
閻魔大王が不正な裁きをしたために弾劾・投獄されたり、土地神が悪さをするので仙人・行者にとっちめられたり、冥府からの魂取り立ての役人が、強すぎる武将の気に負けて近寄れなかったり、といったエピソードも、神が時に人間に力負けすることを示す。
鬼も神も、自由になるところと制圧されるところがある。
人間は鬼神を恐れるが、鬼神の側も人間を恐れはばかることがあるのだ。
なお、道教における最高神は玉皇上帝。由来は古く、殷代には「帝」を最高神として祀っている。ただし、あくまで君臨はするが、個別のエピソードには乏しいようだ。西遊記でも偉いことは偉いが、なにをするでもなくただ存在しているだけのようである。
ほかの神々を列挙すると際限がなくなるのでここまで。
◇日本において
日本に道教は、伝わることは伝わったがあまり広まらなかったようである。
いちおう陰陽道がこの系譜に属するが、陰陽道/陰陽師にはタオの哲学はあまり見られない。
むしろ陰陽道は日本の神道(山岳信仰)をベースに、神仙思想と仏教、それに天文学を取り込んだものである。
神道は汎神論・アニミズム・ネイチャースピリッツ的な要素が固まってできたため、ここに道教の影響を見る向きも強い。
しかし、神道におけるアニミズム・汎神論・自然環境の精霊信仰は、日本列島に生まれ育った日本人の感性から生まれたものであり、道教が伝わったから形成された(道教が伝わらなければ生まれなかった)ものではないだろう。
実際、神道の単語はほとんどが古代の日本語に由来しており*12、漢字は古代日本語を表記するための当て字に使われる 古事記でもそう書かれている! など、中国由来の要素は薄い。
また神道は、あらゆる自然環境や偉人を「神」に祀る点で道教と似ているが、老子のような哲学性を最後まで取り込まなかったのも相違点である。
ただ、庚申信仰など、道教由来の風習も確かに輸入されている。
◇「宗教」の定義
時折「道教が宗教と認められるのは五胡十六国時代以後、完成したのは五代十国時代」とする論説もある。
いわく「宗教とは、教祖があり、法を継ぐ系譜があり、教団があってこそ初めて『宗教』と呼ぶに値する。五胡十六国時代以前の民俗宗教は、教団もなく名前もなく、法を継ぐ系譜も存在せず、教祖すらいないため、単なる邪教であって『道教』と呼ぶことはできない」とする論である。
しかしこうした議論は「現代における学問の基準に照らし合わせて『宗教』とはこういう定義である」というところから始まり、「その定義に合致しない部分は研究する価値のない迷信である」といっているもの。
そもそもこうした「条件」とは、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教が入り組み、宗教の定義を定めることに意義があった、西洋の価値観である。
「西洋において宗教とはこう定義される」とまず言い出し、「その定義にしたがって道教を分析するのだ」という理解では、根本的にヨーロッパと異なる風土の中国で生まれた道教を理解するのは無理があるだろう。
そもそも中国は、筆マメなので膨大な文献を残すし、なにかと分類づけるのも好むが、実は体系立てて考えるところが少ない。
例えば仏教やキリスト教は、まず教祖があり、弟子と法系が存在し、それが現在まで続く。カトリックの教皇は聖ペテロから連綿と続くし、仏教では逓代伝法と言って、釈尊から現在の住職まで、伝授の系譜をまとめる。
しかし中国の思想家は、こうした系譜・教えの体系を意識しない傾向がある。
例えば春秋戦国時代のいわゆる「諸子百家」において、師弟関係と教義の系譜を意識し、「百家」的な学閥を形成したのは、儒家と墨家のみ。
兵法を扱う「兵家」には孫子と呉子が有名だが、この両名には別に師弟関係や教義の系譜はない。それどころか呉子は、学問を儒者の曾子に学んでいる。しかも呉子の思想には儒教的要素はほぼない。
韓非子は「法家」の大成者であり、その思想には老子・商鞅・慎到・申不害の影響があるが、韓非子は別に「彼らを始祖とする法治研究家の系譜」などには属したことはない。個人的にこの四者の思想を研究し、着想を得て、自分の思想を磨いたのみである。
(その意味では「師弟関係」「思想系譜」「学閥」を形成した儒家と墨家は珍しくも重要である。後世、儒家が「儒教」と呼ばれたのも、この学閥化=教団化という特徴が一因でもある)
最初から中国には、組織だった伝法の系譜と言うものはほとんどない。
むしろ中国の思想や宗教は「渾然一体」、渾沌・雑然としていながら、全体としてみれば一体である、と理解したほうがよっぽどよい。
諸子百家の学閥・法系がないのはみた通り。
漢代以後の中国の「正史」にも、異民族の建てた王朝である「遼史」「金史」「元史」が存在する。いやそれどころか、「正統王朝」といわれる隋・唐・宋も、突厥や契丹系の王朝であった。しかもそれが問題視されたことはない。
これら異民族王朝を「中華の天朝」として、平然と扱っていたのだ。華夷思想からすれば明らかな「背理」だが、取り立てて議論されたこともない。
現代の中華人民共和国も、表向きはソ連からの共産主義を掲げながら、ソ連と激突してアメリカと手を組み*13、あまつさえ「開放改革」「社会主義市場経済」などと適当な名前をつけて、資本主義政策を行なっている。
それでいて自由主義を取り入れるわけでもなく、まさに「中国的」な統治だけを行っている。開放改革を推進したのと、天安門事件でデモを鎮圧したのが、同じ鄧小平というのは象徴的であろう。
つまり中国は、頑迷なまでに教義にこだわる一面を見せながら、実際にはわりとアバウトで、あらゆるものを包括し、矛盾や背理さえも解決せずに呑み込む特性があるのだ。
その特性の根源になっているのが、神々への素朴な信仰から、神や鬼をも支配するタオの哲学、淫らな風俗から、エリートや異民族の教えまで、ありとあらゆるものをそのまま呑み込み、取り込んでいった、道教であることは、確かなことではないだろうか。
【現代日本の創作界隈における道教/タオ】
日本で道教やタオの思想を扱う作品は、そんなに多くない。
まず道教とは中国の宗教・哲学であり、中国が舞台でもなければ登場する必然がないのが一つ。
また道教は、教団とか国教とかの属性が弱いため、歴史の主体とはなりにくい。結果、歴史小説でも舞台になることは少なかった。
中国民衆を描くのならば描写は増えるのだが。
タオに関しても、日本の宗教感(なかんずく神道)に、タオに該当する概念がないこともあって、あまり使われない。
なにより、日本人には神道が常識レベルで浸透しているため、創作作品で汎神論的な宗教を作るなら神道をベースに作ればよく、道教が登場する必要がなかったのである。
残る道教の要素と言えば、八卦や風水や陰陽五行だが、これも安倍晴明を初めとする陰陽師に一本化されている。わざわざ「道教」を出さなくても「陰陽師」が出ればよかった。
結果として、道教は日本の創作分野においてはマイナーな存在となった。
そんななかで、タオや道教を中心に描いた作品としては「空の境界」がある。
本作で「 」という概念が存在するが、これが要はタオのこと。「根源の渦」とも呼ばれる。
主人公の名前を「両儀式」というのも、「太極図」を言い換えた言葉である。
安能務師も、道教とタオイズムについて深い関心があるため、作品においてしばしば触れる。
特に安能版『封神演義』における通天教主の「営鎮抱一」という技で「肉体を超克して無に帰す、すなわちタオとの全き合一を遂げて、永遠の存在となる技法」を説明している。
この、道教の究極奥義を通天教主が発動させたのは、「タオの化身」である霊宝天尊が通天教主と同一視されていることに着目したものだろう。
また『韓非子』にて、韓非子が老子の思想を取り込んだ部分で、タオについて解説している。
漫画「鋼の錬金術師」では「真理の扉」というものが登場し、その向こう側=「真理」を覗いたエドワード・エルリックらの発言、および白い影のセリフなどを鑑みるに、これこそタオと同じ「世界の真理」であろう。
“お父様”ことフラスコの小人の「扉」が無地であったのは、彼が無=真理=タオに限りなく近い存在だからだろう。というか「そこに帰るのは嫌だ」という発言からして、おそらくはその一部なのか。割ととんでもない存在である。
日本の作品ではないが、スター・ウォーズのフォースも、タオに近しいものとされる。
少なくとも初期の三部作(エピソード5におけるヨーダの修業)においては、生物が持つエネルギーと言うより、ありとあらゆる物質や概念の根本要素とされている。
実際に同作では空気はおろか、金属・ロボット・戦闘機にまでフォースによって存在するとされていた。
というか、もともと東洋思想の影響を取り込んでいる作品であるし。
道教のうちタオの難しい理論は離れて、神仙系を採用した作品ならもう少し増える。
東方Projectシリーズでは八卦炉や陰陽玉が登場・活躍したり(ただし八卦炉の使い手は魔女、陰陽玉は巫女)、
豊聡耳 神子や物部 布都、霍 青娥などが道教系勢力として登場する。
ところで……
良項目も糞項目も、タオによってできています。
しかしどうしても糞項目になると言うものでもありません。
我々がよく物事を理解し、良項目になる法則(タオ)を見いだし、実践すれば、糞項目ではなく良項目にもできるでしょう。
つまり、端的に言うなら、良項目を目指して、追記・修正をお願いします。
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▷ コメント欄
- >なお、道教における最高神は玉皇上帝 ←最高神とされたのは後からで元々は太上老君、元始天尊、霊宝天尊が最高神じゃなかったっけ?まあ実質的な最高神としての権限を握ってた四御の一柱だから最高神でも間違いないが -- 名無しさん (2020-12-25 21:17:38)
- クリスマスに突然気合の入った良宗教項目が作成されたもんだなぁ… -- 名無しさん (2020-12-25 22:33:11)
- いつかしっかり勉強したいと思っていた。まさかアニヲタwikiで噛み砕いて教えて貰うとは思わなかった。 -- 名無しさん (2020-12-26 00:03:44)
- 中国は最強である、っていうジョークがあるけどあれ本当に深いんだなぁ -- 名無しさん (2020-12-26 00:43:23)
- ハガレンの真理の扉は道教の道と言うよりカバラの概念がモチーフじゃないだろうか。セフィロトの木が門にあるわけだし…… -- 名無しさん (2020-12-26 02:50:31)
- 今ちょうど封神演義を読んでいたから助かる記事だ -- 名無しさん (2020-12-26 11:58:22)
- 項目名見た瞬間まさか…とおもったけどやっぱり中国史関係のあの人でしたか。 科挙の項目も楽しみにしておりますはい。 -- 名無しさん (2020-12-26 13:56:31)
- 出来れば儒教の項目もお願いします -- 名無しさん (2020-12-26 14:38:53)
- 全てのものに法則がある……。どこかで聞いたような覚えが……そうか、道教はゲッター線学でもあったのか! 武蔵も言っていた。『全てのものに存在する理由がある。ゲッター線を知ればそれがわかる』と!! -- 名無しさん (2020-12-26 15:02:23)
- ↑ わりと間違ってない気もする。石川賢世界も宇宙や汎神論の要素が強そうだし、タオもゲッター線も、万物に共通するけれどうまく名付けられない原理を仮に「X」として命名した概念と言えるようにも思える。 -- 名無しさん (2020-12-26 19:44:28)
- 高校時代、道教の研究を学園祭に出してた自分としてはなかなか感涙ものの項目。展示の場を貸してくれた歴史研究部の先生に感謝。 -- 名無しさん (2020-12-26 19:45:59)
- すげえわかりやすい -- 名無しさん (2020-12-27 11:41:46)
- ↑3 石川先生、実は道教を深く信仰していた可能性がひ -- 名無しさん (2021-02-28 15:29:29)
- (続き)タイプミス; 石川先生、実は道教を深く信仰していた可能性が微レ存……? まぁ、既に先生がゲッター線と同化してしまった以上、確かめようはないが…… -- 名無しさん (2021-02-28 15:30:33)
- 全知と呼べる経験と知識で森羅万象を理解し、全能と呼べる可能性を切り開く力・技・術で現実世界に体現し、善悪や物事の度合いと踏み込んではならない境界線を見極め、自身が孤独では無く円環の輪に収まる事を知る、なるほど昔の八卦を正確に読み解ける人は生ける量子演算コンピュータだったのか -- 名無しさん (2023-01-16 00:29:24)
#comment(striction)
*2 ちなみに中国ではタオを「非人格神」つまり「人格のない神・擬人化されていない神」として、キリスト教やイスラム教の唯一神(ヤハウェ、アラー)をタオと類似した概念とする学説もある。確かに「天地を含めた万物を形成し、森羅万象を司る」点では相通じる。また古代ギリシャ哲学のロゴスとも比較する。
*3 中国版ウィキペディア「維基百科」に曰く「是当時的「自然(itself)」不是今日的「自然(Nature)」」。「これ(タオ)は当時の「自然(itself)」であり、今日の自然(Nature)ではない」。
*4 そもそも「道家」「法家」「兵家」などという諸子百家の区分は春秋戦国時代には存在せず、漢代になって学者が分類したもの。春秋戦国時代の人間である韓非子が老子の思想を取り込んだ際に「我は法家で老子は道家」などと考えたことは無かった。
*5 本来「仏」とは修業を達成して悟りの境地に至った人間であり、超常的な「神」ではない。しかし日本では「仏」も「神」と認識している。そもそも日本史上、初めて仏像に触れた欽明天皇の一声が「なんと美しい神であろうか、これほど美しい神ならばさぞかし功徳があろう」であったと言う。
*6 史記から明史まで、中国史を貫く「正史」のこと。正史三国志もここに入る。清史稿を含めて「二十五史」といわれたりもする。ちなみに中華人民共和国にて現在「清史」の編纂作業が進められているそうだが、気合が入りすぎてなかなか完成しないとか。
*7 三国志で言うところの「黄巾党」
*8 武則天が寺院建立に熱心になっていたため、剛直宰相の狄仁傑が「やたらな建築は国庫を負担するばかりです、やめなさい」と諫めたところ、武則天は聞き入れた。
*9 ちなみに元始天尊は三清道祖の第一位で、実は太上老君は、三清道祖の筆頭ではなく第三位だったりする。
*10 名前に関しては、西遊記成立過程で登場した「通天大聖」というキャラクターに原型があるとか。
*11 実は日本の神道の神々ももとは生贄を献じた。例えば「絵馬」というのは、昔は本物の生きた馬を献じて屠殺していたのを、馬が貴重でそうそう用意できなかったために、絵で代用するようになった、というところから始まっている。
*12 例えば「神」を「しん」ではなく「かみ」とよむのは古代日本語「カミ」に由来する。古代日本語「カミ」から生まれた言葉には「噛む」もあり、これは「口噛み酒を神に奉納した」ことに由来する。
*13 いわゆる「中ソ対立」と「ニクソン訪中」。冷戦当時、世界を震撼させた大ニュースである。
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