岸田森

ページ名:岸田森

登録日:2017/08/28 Mon 00:19:47
更新日:2024/02/09 Fri 10:46:44NEW!
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岸田 森(きしだ・しん、本名同じ)は1939年生まれの俳優。東京都杉並区出身。
後述する特撮作品から怪奇映画まで幅広い役柄をこなした名バイプレーヤーとして活動をしていた。
残念ながら43才という若さで他界してしまったものの、その存在感は今なお多くのファンを引き付けている。





俳優デビュー

叔父は戦前から戦中にまで活躍した劇作家・岸田國士、その娘(つまり岸田にとっては従姉)は岸田衿子*1と岸田今日子*2という芸術家一族だったものの、森自身は当初演技には興味がなかった。
転機となったのは一浪を経て法政大学の二部(つまり夜間大学)に入学した大学生時代、突如学校を辞め叔父の劇団・文学座へと入団。
同期には寺田農や北村総一朗、そして橋爪功と言った実力派が揃っているが、生活は苦しく、インタビューでは当時の状況を「年間収入が2〜3万円という暮らしが5〜6年続いた」と語っている。
ただしこの頃から積極的に舞台へと起用されており、当初から能力を高く買われていたのが見受けられる。
また文学座自体も、この頃中堅以上の団員達が二度にわたって脱退するという騒動を起こしており、森にとってはまたとない好機に恵まれていく。



TV出演、結婚、文学座独立

文学座の養成所を無事に卒業した森は1962年、NET(現:テレビ朝日)の『短い短い物語』で初のTVデビューを果たす。
その2年後・1964年には同期の劇団員・悠木千帆*3出会って3時間という短さで結婚を決意。
ただし、当時は悠木が『七人の孫』というドラマでお手伝いさん役として大人気を博していた為に、あくまで世間からは「知名度急上昇中の女優とその夫」のようなオマケ扱いを受けていた。
ともあれ、その2年後には夫婦揃って文学座を退団し、「六月劇場」という劇団を独自に旗揚げ。この年には人気ドラマ『氷点』でレギュラー出演を果たし、一躍お茶の間に顔を知られるようになる。
そして1968年、森は一つの作品と出会う…



『怪奇大作戦』、そして特撮へ

脱『ウルトラマン』化を目指していた円谷プロが製作したドラマ『怪奇大作戦』。
ここで冷静な科学者・牧史郎役を演じる事になった岸田は主に実相寺昭雄監督との間で名コンビとして活躍。
数多くの登場人物がひしめく中で存在感を発揮し続け、4話『恐怖の電話』を皮切りに、主役級の出番を与えられ、
中でも『京都買います』はファンの中でも最高傑作として名高く、これ以降「僕は円谷育ち」と公言するようになる。
実際、『帰ってきたウルトラマン』(1971年)、『ファイヤーマン』(1973年)と円谷プロの作品でレギュラーをこなすだけでなく脚本も手掛け、
シルバー仮面ジャイアント』(1972年・宣弘社)、『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年・東宝)と他社の特撮作品にも出演し、
『ウルトラマンA』(1972年)『スーパーロボット マッハバロン』(1974)ではナレーションとしても活躍を始める。
この頃の岸田森の状況を語るエピソードとして、次のような物がある。


森の師匠的存在である若山富三郎がとある後輩俳優に「やあ、何の仕事だい?」と声をかけると、
その俳優は謙遜のつもりで「いや、下らない子供相手の仕事ですよ」と答えた。
この言葉に若山は怒りを覚え、岸田今日子にこうこぼしたと言う。


「森はそういう所がない。森は、そういうものを本当に好きで面白がってやっている。俺は森のそういうところが好きなんだ」


この時期、森はこれら特撮以外の路線としてもう一つの代表作を見つける。



和製吸血鬼俳優として

1971年、東宝の映画『呪いの館 血を吸う眼』にて吸血鬼役(役名は「影のような男」)のオファーを受けた岸田は、起用された理由を次のように語っている。


「植物的なところを見込まれたのでしょう。吸血鬼は筋骨隆々という感じではサマになりませんからね。肉感的でないぼくみたいな俳優のほうがいいんです」


勿論それも理由としてあるだろうが、タイトルにもある『眼』の演技を大事にするという点が決め手と言っても過言ではない。
また、それまでの吸血鬼像にはないパワフルでアグレッシブなアクションは痩躯の森からは想像も出来ない程活発に発揮され、
それでいて元の紳士的な雰囲気を残している為独特の怖さを生み出していた。
この2年後"血を吸う"シリーズ3作目『血を吸う薔薇』では女学校の学長であり妻帯者、その上乳房から血を吸うという珍しい役どころの吸血鬼を演じ、日本におけるドラキュラ役を確たるものとした。
この活躍が縁となり、ドラキュラの足跡を追うドキュメンタリーでレポーターを勤めた事がある他、
晩年にはコント番組でドラキュラのパロディを演じた事もあり、
「おじさん知らないの?ウルトラのシリーズ」と聞かれて「いやぁ、あれは良い出来だった…『怪奇大作戦』」と自分の作品をネタにしたボケをかましている。



幅広い活躍

プライベートでは1969年に悠木千帆と離婚、1971年に六月劇場が劇団ではなくマネージメント事務所となる等変化を余儀なくされるも、1974年に一般女性と再婚(ただし、翌年に離婚している)を果たし、
大映倒産でセルフプロデュースを始めた若山富三郎・勝新太郎兄弟に演技を認められ『新・座頭市』等の時代劇に出演。
後に勝新太郎自らが主宰した「勝アカデミー」の講師となり、ルー大柴や小堺一機を輩出する。


ショーケンこと萩原健一・今では『相棒』の杉下右京などでもお馴染みの水谷豊が主演した『傷だらけの天使』で脇役として出演したり、伝説のカリスマ俳優・松田優作から『探偵物語』のゲスト出演を依頼されたりと、
一般的によく知られる名俳優からも大変慕われたことが、彼の俳優活動を支えた要因の一つにもなったようだ。


このほか、水谷豊が出演するCMの演出を手掛けたり、ラジオドラマでブラックジャックの声を演じたり、
浮世絵画家の歌麿の生涯を描いた映画『歌麿 夢と知りせば』で初の主演を演じ、カンヌ映画祭に出品するため渡仏を果たすなど八面六臂の活躍を見せる。
1981年には久々の特撮にして唯一の東映作品である『太陽戦隊サンバルカン』に出演し、チームを纏めるリーダー・嵐山長官を演じる。
また、趣味である蝶の採集を生かしてドキュメンタリー番組『野生ふれあいの旅』で自ら日本各地を渡り歩きレポーターとしての評価も受けている。


まさに多彩な活動をこなしていたのだが…



死去

1980年ごろから度々体調が悪化するが、メイクで顔色の悪さを誤魔化し、周囲には「芝居で変な声使ったらこうなった」「痔が痛くて動けない」とうそぶいていた。


…が、食が細くなり頬が痩せこけている姿は隠し通せるものではなく、俳優仲間や親戚らは病院での検査を勧める。
そこでは本人に知らされていなかったものの、食道がんが発見されたとの診断が下された。
森本人は「手術をして除去すれば治る」と楽観的で、治療をしながら仕事を入れられる範囲で入れていた。
一度は回復し食欲も戻ったものの、後に再発。声帯から声が出なくなっていく。
この頃にようやく森もガンの自覚を持ち、徐々に面会を拒絶していく。
そんな中、数少ない面会を求められた俳優に睦五朗*4がいる。
骨と皮だけになった痛々しい姿で、話すにも母の眞理子の通訳が必要なほど弱っていた森を見ていたたまれなくなった睦は「大丈夫、治るから!」と励ましの声をかける。


しかし、森が返した言葉はあまりにも残酷だった。


「僕は、助からない」


その言葉通り、睦の訪問の翌日、森はこの世を去る。
享年43。あまりにも早すぎる死であった。
出棺の際には彼が愛した蝶の標本が入れられ、天国への道を共にしたという。



余談

  • 岸田の入院報道は徹底的に規制され、新聞やTVでの報道で死去を知った人も多かった。
    それでも師匠的存在であった勝新太郎や若山富三郎、ドラマ等で共演した松田優作や萩原健一、坂上二郎、薫陶を受けた水谷豊や中学生時代の同級生である加藤紘一と言った顔ぶれが駆けつけてくれた。
    視聴者だけでなく、同業者からも愛された彼の存在感と人柄を感じさせる話だろう。

  • とりわけ水谷は死去の前日、不思議な体験をしたと言う。
    TV局でのパーティーを終え、タクシーの中で眠りについていた水谷は、運転手に「『明日、森さんのお通夜だからちょっと大変だぞ…』とはっきり話しかけていた」と言われたそうである。
    睡魔に襲われ、そもそも森の不調を知らなかった水谷が言えるはずもないのだが…

  • 『サンバルカン』を途中降板してしまった初代イーグル役の川崎氏のことを常に気にしており、「何とかして、また出演させてやる事は出来ないだろうか」と口にしていたという。
    また、氏は過去に『帰ってきたウルトラマン』と『ファイヤーマン』で脚本を執筆した事があり、「『帰ってきた大鷲龍介』のタイトルで「ヤドカリモンガ-に苦戦するサンバルカンを助けるべく、大鷲がNASAから帰還する」という内容の脚本を執筆してみせる」と意気込んでいたとか。


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  • ファイヤーマンのサントラのライナーノーツによれば当時から海外からのファンレター貰ってたとのこと、ある話の脚本は円谷プロ脅して書いたそです -- 名無しさん (2017-08-28 07:52:42)
  • ずっと岸田森って役名なんだと思ってた -- 名無しさん (2017-09-17 13:44:04)
  • 今年末で亡くなってから40年。そんなに経ったのか...。 -- 名無しさん (2022-07-30 18:12:00)
  • 当時まだジャリ番なんてくだらねえって風潮が特撮全般にあった中で楽しんでやってる人だったのか -- 名無しさん (2022-12-06 17:50:40)
  • ↑それだけ熱意があったからこそ息の長い活動が出来たのかも -- 名無しさん (2022-12-10 11:08:38)
  • ↑2そういう姿勢もあって、同僚や先輩の俳優からも買われていて、だからこうしたエピソードが残っているんだろうね -- 名無しさん (2024-01-01 11:00:52)

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*1 『アルプスの少女ハイジ』や『フランダースの犬』等の作詞も手掛けた童話作家
*2 女優・代表作に『犬神家の一族』や『八つ墓村』『動物のお医者さん』 ムーミンの声としても有名
*3 後に「樹木希林」に改名。2018年死去
*4 代表作に『マグマ大使』や『ゴジラ対メカゴジラ』、『ファイヤーマン』では岸田森と共演している

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