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九七式戦闘機 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

葉機とは呼べなかった。まあ、高速性能はともかく、陸軍が格闘戦重視だったせいで複葉機に負けたのだが本機の特徴でもある前縁直線翼は、続く隼以降の小山悌を設計主務とする中島製単座戦闘機に採用され続けることとなった。ちなみに発案は糸川英夫。その他にも1.主翼を左右一体構造にし、胴体を乗せ

四式戦闘機 疾風 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

の増大を図った結果、重量増→翼面積増→重量増という悪循環に陥る。さらに前線の「もっと火力と装甲の強い機体を作って」という要求まで届いてキレた小山悌以下開発チームは、いっそ吹っ切れてしまった。紆余曲折の結果、計画重量を大幅にブッチする重装戦闘機として43年3月に試作初号機が完成する

一式戦闘機(隼) - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

を基準とし飛行猶予時間を30分以上取ること要は九七戦の完璧なアッパーバージョン作ってちょ、ということだった。中島では九七戦の開発指揮を執った小山悌を設計主務に据えて設計課を編成。研究科空力班からのサポート要員として、後に国産ロケット開発のパイオニアとなる糸川英夫が参加した。設計陣

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