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海軍軍需部倉橋島燃料置場跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

地買収が始まりました。その後、段階的に重油槽が建設され最盛期には36基の重油槽と1基の地中式重油槽が完成しました。また、燃料置場防衛のために室尾の砲台山と西宇土に高射砲が、海越と鹿島に探照灯が配備されました。しかし、太平洋戦争中期の昭和19年半ば辺りから縮小され終戦時は6基のみが

室尾の防空壕跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

室尾の民家の防空壕跡室尾集落は倉橋島南東にある集落で、コミュニティバスが通る集落の中では最大の集落です。集落の東側にある民家跡に防空壕跡が残っています。呉市周辺で見られる民家の防空壕跡は貴重品用と人間用で2つあるものが多いですが、ここは小型が1つのみです。貴重品用のみしか作られな

地区別 - 呉市周辺の遺構まとめ

の防空壕跡 桂浜の防空壕跡 得蔵寺(駆逐艦楓戦没者慰霊碑) 海軍軍需部倉橋島燃料置場跡 宇和木新開の防空壕跡 海越小学校跡 海越の防空壕跡 室尾の防空壕跡 尾立の防空壕跡その他の地域(呉市内) その他の地域(呉市内) 安浦港防波堤(武智丸) 安浦海兵団跡之碑 大平山公園(大平山砲

尾立の防空壕跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

空襲を受けて作られたのか、もしくは大きすぎる壕口は燃料置場の関連施設のせいなのか詳細不明です。尾立の防空壕跡(東側)東側の防空壕は尾立集落と室尾集落の間の音戸倉橋線(県道35号線)沿いに3つあります。位置的には尾立集落の外れにあり1つはミカン畑の農業用モノレールの線路の近く、1つ

海越小学校跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

も同様に進められました。太平洋戦争終戦後の昭和20年代には、生徒数も増え一時100人以上となりました。しかし、その後は生徒数減少により近隣の室尾集落にある東小学校(後の倉橋東小学校)に統合されて昭和43年に廃校となりました。現在は校舎は残っておらず、静かな跡地にはかつての小学校の

倉井(空母阿蘇終焉の地) - 呉市周辺の遺構まとめ

少し拡張されているが海岸線は当時と同じ位置である ・倉井バス停は標識や看板が一切無いため乗降する際は地図で場所を確認すること ・南の室尾港に古い町並みのがあるので興味があれば一緒に観光するといいかも ・近くに大浦突撃隊大迫支隊(Q基地跡)と亀ヶ首射撃実験場跡と海軍軍需

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