清水寺 - 巡礼 Wiki
(伝)宝亀9年(778年)開基(伝)延鎮札所等西国三十三箇所16番法然上人二十五霊跡13番洛陽三十三所観音霊場10~14番文化財本堂(国宝)仁王門、三重塔、鐘楼ほか(重要文化財)世界遺産清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺。山号を音羽山。本尊は千手観音、開基(
(伝)宝亀9年(778年)開基(伝)延鎮札所等西国三十三箇所16番法然上人二十五霊跡13番洛陽三十三所観音霊場10~14番文化財本堂(国宝)仁王門、三重塔、鐘楼ほか(重要文化財)世界遺産清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺。山号を音羽山。本尊は千手観音、開基(
とともに天台の三大道場と並び称された巨刹である。京都から遠い土地柄でありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇・法皇も多かった。境内は、仁王門から十妙院にかけての東谷、摩尼殿を中心とした中谷、三つの堂のある西谷に区分される。伽藍がある書写山(標高371m)山上一帯は兵庫県指定
の御寺札所等西国三十三箇所8番真言宗十八本山16番神仏霊場巡拝の道 第35番文化財本堂、長谷寺経、銅板法華説相図(国宝)木造十一面観音立像、仁王門ほか(重要文化財)ファイル:Hasedera FutamotonoSugi.jpg二本の杉長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市にある真言
号東光山宗派真言宗豊山派本尊如意輪観音創建年不明開基伝・義淵別称龍蓋寺札所等西国三十三箇所7番文化財義淵僧正坐像(国宝/奈良国立博物館寄託)仁王門・書院・如意輪観音像ほか(国重要文化財)本堂・楼門(県文化財)テンプレート:Commonscat岡寺(おかでら)は、奈良県高市郡明日香
寺派本尊十一面観音創建年伝・推古天皇33年(626年)開基伝・尼凡薗子正式名補陀洛山 清浄光院 志度寺札所等四国八十八箇所86番文化財本堂、仁王門、木造十一面観世音菩薩両脇士立像ほか(国の重要文化財)閻魔堂・奪衣婆堂、木造如来形坐像、木造金剛力士立像(県文化財)絹本著色十一面観世
)ファイル:Gifu-kegonji5616.JPG参道ファイル:Gifu-kegonji5660.JPG笈摺堂ファイル:華厳寺01.jpg仁王門の巨大な草鞋ファイル:華厳寺02.jpg満願堂ファイル:Gifu-kegonj0060.JPG「精進落としの鯉」ファイル:西国三十三箇
関及び小玄関 - 1907年建築勅使門 - 1936年再建御影堂前回廊 - 1915年建築護摩堂 - 1940年建築宸殿 - 1907年建築仁王門 - 1889年再建弁天社 - 1867年建築Zentsu-ji in Zentsu-ji City Kagawa pref21s3s
尊十一面観世音菩薩創建年伝・用明天皇2年(587年)開基伝・真野長者正式名瀧雲山 護持院 太山寺札所等四国八十八箇所52番文化財本堂(国宝)仁王門・木造十一面観音立像1躯・木造十一面観音立像6躯(重要文化財)算額(松山市有形民俗文化財)テンプレート:Mapplotテンプレート:C
908年)に再建されたものである。阿南室戸歴史文化道への指定、とくしま88景への選定を受けている。境内[]テンプレート:Commons山門(仁王門)本堂大師堂鐘楼瑜祇塔:昭和38年(1963年)の建立。宝形屋根をもつ宝塔形の塔で、内部は宝物館になっている。絵馬堂十王堂地蔵堂肺大師
創建年(伝)大同2年(807年)開基(伝)空海(弘法大師)正式名平城山 薬師院 観自在寺札所等四国八十八箇所40番南予七福神(弁財天)文化財仁王門(町重要文化財)テンプレート:Commons観自在寺(かんじざいじ)は、愛媛県南宇和郡愛南町にある真言宗大覚寺派の寺院。平城山(へいじ
置したとされている。この時に空海が納めたとされる錫杖は、空海が唐から持ち帰った三国伝来のものと伝え、本尊とともに祀られている。伽藍[]山門(仁王門)本堂 - 礼堂、中殿、奥殿(多宝塔)から成る。大師堂二天門宝杖堂山門は平成2年(1990年)に完成した西側から入る重層の仁王門と、南
頭観音菩薩創建年(伝)大同2年(807年)開基(伝)空海(弘法大師)正式名七宝山 持宝院 本山寺札所等四国八十八箇所70番文化財本堂(国宝)仁王門(国の重要文化財)鎮守堂・木造善女龍王像・木造金剛力士立像ほか(県文化財)五輪塔・五重塔(市文化財)本山寺(もとやまじ)は香川県三豊市
都幹久(里村)石塔天音(猫口@)氷室錬(嗣子)小笠原深巳(カムリ)セッションログ535.『吸血鬼の館』PL:廻人高良(雷鳥)呉住里沙(エド)仁王門小梅(鈴元) セッションログ536.『Dear my Works』(GM:赤いポスト)PL:三和宇良子(エド)春哉彼方(ウィンD)登良
t)君臣ユウ(缶詰)春日雪(しんごろ)セッションログ417.『子どもたちを責めないで』(GM:里村)PL:東雲銀(メガ大仏)水雲秀吏(御影)仁王門小梅(鈴元)銅鐘さくら(ジェネリック半チャーハン)セッションログ418.『いけにえ、子供っぽさ、たからもの』(GM:里村)PL:アラー
「くわずいも」 DSCF6957.JPG空海の七不思議「くわずいも」の伝説にちなみ作られているクワズイモ畑テンプレート:Commons山門(仁王門)重層本堂大師堂多宝塔宝物館鐘楼堂霊宝殿聖天堂護摩堂室戸岬に近い登山口から岬の高台に登っていき灯台への分岐点を過ぎると仁王門に至る。門
年後に再建された。文化財[]重要文化財木造十一面観音立像(平安時代初期)徳島県指定有形文化財七仏薬師如来坐像日光・月光菩薩立像境内[]山門(仁王門) 朱塗りで大型の武家造り。徳島藩主蜂須賀氏の大谷別邸より移築された。本堂:鉄筋コンクリート造り。大師堂護摩堂鐘楼六角堂訶梨帝母天堂:
寺の奥の院とされていた。明治31年(1898年)に堂宇のほとんどを焼失し、現在の堂宇のほとんどはその後の再建によるものである。境内[]山門(仁王門)本堂大師堂:国の重要文化財。文化財の項参照。鐘楼水子地蔵尊かなえる不動四国八十八箇所の札所のうち、バス、自家用車等を利用しても、境内
年)松平定直らによって一部再建、その後宝永4年(1707年)には本堂と鐘楼堂が、文化10年(1813年)に大師堂、天保14年(1843年)に仁王門が再建された。境内[]山門(仁王門)楼門形式本堂大師堂鐘楼阿弥陀堂閻魔堂茶堂福授地蔵尊山門を入ると左に鐘楼、その奥に庫裏・納経所が右に
からは奈良時代の瓦が出土しており、創建は寺伝のとおり奈良時代にさかのぼると推定される。境内[]ファイル:Konsenji 01.JPG金泉寺仁王門ファイル:四国八十八番霊場御印譜P4022366.jpg金泉寺御印山門(仁王門)本堂大師堂:2008年11月改築。観音堂護摩堂:格天井
idera-kannondo5313.oggビデオ映画ファイル:Shinra Zenjin Hall.jpg新羅善神堂(国宝)大門(重文)-仁王門とも呼ばれる。入母屋造の楼門(2階建ての門で、下層と上層の境には屋根の出を造らないもの)。もと近江の常楽寺(滋賀県湖南市)にあった門を
945年)頃まで採掘を行っていた。昭和16年(1941年)大火に見舞われ伽藍が焼失した。昭和31年(1956年)に復興した。境内[]熊野権現仁王門護摩堂本坊大師堂本堂駐車場より寺院に向かうと、寺院と向き合って熊野権現と弘法大師像がある。階段を上がると仁王門があり同じ段に護摩堂と本
7年)に茨城県の竹林山地蔵院の寺格を移して再興され、昭和に入って神峯寺と称するようになった。境内[]テンプレート:Commons山門(楼門・仁王門)本堂大師堂鐘楼庭園:庫裏から本堂までの参道に続く山肌の斜面一面に造園される。つつじ、さつき、モモ、モクレン、紅葉が美しい。聖観世音菩
によって再興し現在の名称に改められる。明治初期には廃仏毀釈により廃寺となるが、明治22年(1889年)に復興され、現在に至る。境内[]山門(仁王門)本堂 - 1978年に新築された本堂の天井には画家や一般市民が書いた575枚の天井絵が飾られている。花鳥風月に混じってマリリン・モン
本尊薬師如来坐像は、難病平癒祈願のため四国遍路を続けていた女性が、病気平癒の報恩のため1956年に奉納したものである。境内[]山門(鐘楼門・仁王門) - 白壁の竜宮門形式で上層が鐘楼になっている。門の左右の切妻造建物内に金剛力士(仁王)像が安置されている。本堂大師堂多宝塔観音堂逆
年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火で焼失した。享保年間(1716年 - 1736年)になって照後僧正によって再興される。境内[]山門(仁王門・楼門)本堂:格天井には多くの草花を描いた天井画がある。大師堂鐘楼地蔵堂観音堂護摩堂十王堂鏡の井戸(弘法の霊水・白水の井戸):この水は
(1573年~1592年)に長宗我部元親の兵火によって本堂以外を焼失。慶長年間(1596年~1615年)に現在地で再興される。境内[]山門(仁王門)本堂:寛保元年(1741年)に再建されたもの。大師堂天台大師堂鐘楼石造五輪塔本坊宿坊:なし電話番号:0875-63-2341駐車場:
島藩主蜂須賀氏の支援を受けて復興、文政年間(1804年 - 1830年)に現在の諸堂が建立された。境内[]テンプレート:Commons山門(仁王門):参道の上り口の道から外れた所に建っている。本堂大師堂:本尊は空海自刻と伝える。鐘楼地蔵堂毘欄樹(県の天然記念物):「弘法大師お手植
徳川家の援助で栄え、その関係で寛永年間頃に真言宗から天台宗に改宗、江戸の寛永寺の末寺となった。江戸時代末期の弘化2年(1845年)の山火事で仁王門を除く伽藍を焼失。現在の本堂等はその後に再建されたものである。御詠歌[]深山路や檜原松原わけゆけば槇の尾寺に駒ぞいさめる境内[]麓には
み復興された。伽藍[]ファイル:Iyadaniji 08.JPG岩窟の護摩堂ファイル:Iyadaniji 06.JPG阿弥陀三尊磨崖仏山門(仁王門)本堂大師堂・獅子の岩窟(奥の院)鐘楼堂多宝塔観音堂十王堂岩窟の護摩堂阿弥陀三尊磨崖仏水場宿坊:なし文化財[]重要文化財金銅四天王五鈷
)赤い亀が境内にある池からいなくなったが、やがて銅の梵鐘を背負って竜宮城から戻ってきた。そこで現在の山号、寺号に改めたという。境内[]山門(仁王門)単層本堂大師堂鐘楼護摩堂眼洗いの井戸赤亀と梵鐘の像庭園:池泉式と枯山水式がある。山門の左側に手水場があり、その先に鐘楼がある。参道の
・那賀町)側から太龍寺ロープウェイが運行するようになったため、楽に参拝できるようになった。[2]。境内[]テンプレート:Commons山門(仁王門):金剛力士像は鎌倉時代の作品で、徳島県では最大にして最古のものである。鐘楼門:本堂へ通じる石段の途中にある。本堂大師堂持仏堂:竹村松
0年(1633年)、須賀専斎重久がその私財をもって再興したものという[1]。寛永13年(1636年)に現在の寺号に改称される。境内[]山門(仁王門)本堂大師堂鐘楼閻魔堂観音堂文殊堂弁財天マリア観音像山門を入ると右に弁財天、観音堂、鐘楼があり、左に大師堂がある。参道の中門の先正面に
ったという。しかし、天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火によりすべて焼失。江戸時代、徳島藩主蜂須賀氏により再建された。伽藍[]山門(仁王門)本堂大師堂不動堂恵比寿堂淡島堂八角堂たらちね大銀杏:樹齢800年を越えるといわれる大木。水子地蔵尊(水琴窟)山門を入って行くと右に大
[2]。こうした天変地異の多発によって同年10月27日に文禄から慶長へと改元がなされた。被害[]伊予郡保免村(現松山市保免)の薬師寺の本堂や仁王門が崩壊。周布郡北条村(現西条市北条)の鶴岡八幡宮が転倒。周布郡広江村(現西条市広江)で人家に被害[3]。関連項目[]地震の年表脚注[]
訂正して下さる協力者を求めています。その他[]周辺施設[]JRあやべ駅からバスで50分車で25分府道1号小浜方面へ※ 光明寺「君尾山」 国宝仁王門※ 上林山荘※仁王公園パターゴルフ場※薬草公園※あやべ山の家テニスコート※仁王の村※上林山荘限界集落栃もち関連項目[]ウィキポータル
い女性は裏の入口でしゃもじをもらい、自宅に持ち帰り使用して子授けを祈願する。本尊は60年に一度開帳の秘仏となっている。境内[]山門(鐘楼門・仁王門)本堂大師堂三角の池(池の中に三角形の島があり、七福神の女神である弁財天が祀られる)薬師堂延命地蔵尊庫裏小林一茶ゆかりの山桜73段の石
ある田村神社と同一視・混同されていたが、延宝7年(1679年)に時の高松藩主である松平頼常によって分割され、現在に至っている。伽藍[]山門(仁王門)単層本堂大師堂宿坊:なし交通アクセス[]鉄道琴電(ことでん) 琴平線 - 一宮駅 (0.9km)バスことでんバス 鹿角線「一宮」下車
寺に逗留して修法を行った折には、伽藍を復興し井戸を掘ったとされる。江戸時代に荒廃してしまったが、明治初期に宥蓮上人が再興した。境内[]山門(仁王門)本堂(1947年に山火事に遭い消失、1953年に昔のまま再建した。)大師堂鐘楼千体仏宥蓮上人供養塔(五輪塔)子安観音像仏足跡弘法大師
明暦元年(1655年)に土佐藩2代藩主山内忠義が山門を寄進した。大正11年(1922年)に境内全域が国の史跡に指定されている。境内[]山門(仁王門):明暦元年(1655年)建立。金堂: 国の重要文化財。杮茸、寄棟造。永禄元年(1558年)建立大師堂:寛永11年(1634年)建立開
じ」と呼ぶ。ご詠歌「〜軽くあげ石」からついたと伝えられ、現在でも地元では「あげいしさん」「あげしさん」と呼んでいる古老がいる。境内[]山門(仁王門) 単層本堂:外陣の天井は信徒によって奉納された絵馬が天井絵として飾られている。大師堂鐘楼地蔵堂弘法井戸参道から石段を上ると右手に本坊
千手観音を南向きに、娘が即身成仏した千手観音を北向きに安置し本尊として開基したという。山号や寺号は機織娘の故事にちなんでいる。境内[]山門(仁王門)本堂大師堂不動堂鐘楼大塔:徳川家康の勧めにより豊臣秀頼が父・秀吉の菩提を弔うため慶長12年(1607年)大坂住吉大社の神宮寺に建立し
入り、銘入りの大師像として日本最古のものといわれている。本堂は享保13年(1728年)に、吉田藩主伊達村賢が建てたものである。境内[]山門(仁王門) 重層:以前は1919年に建立され、老朽したため2010年5月から改築中である。本堂大師堂鐘楼堂:元禄年間に建てられた茅葺のもの。七
すね…せめて私たちが… 貴方のご無事を、お祈りしましょうこの声の主は後に判明する。参道庫裏から崖を降りた先の山道をひたすら登っていく。途中に仁王門あり。庫裏の下の方には巨大な凧と凧上げの絡繰があるが、狼には上手く扱えないのでそっとしとこう。大山門道を通せんぼしている巨大な門。開く
)には兵火で焼失。河野通宣によって文明14年(1482年)に再建された。慶安2年(1649年)には大規模な修繕が行われている。境内[]山門(仁王門):目玉が無い仁王像が安置されている。本堂:空也上人像を安置。大師堂鐘楼弁財天阿弥陀堂愛染堂観音堂茶堂仏足石七福神石段を上って山門を入
年)建立大師堂 - 江戸時代初期(1659年)建立、安産大師(修行大師)像安置観音堂 - 江戸時代中期建立薬師堂 - 江戸時代末期建立山門(仁王門)長命杉 - 空海手植えと伝えられる樹齢約1200年余りの杉。鳴門市天然記念物。一願水掛不動尊仏足石重層の朱塗りの山門を入って右へ進む
る和気道隆が乳母を誤って射殺してしまったため、これを悲しんで桑の大木を切り、薬師如来を刻んで堂に安置したのが起源であるという。伽藍[]山門(仁王門)本堂大師堂多宝塔目治し薬師宿坊:なし交通アクセス[]鉄道四国旅客鉄道(JR四国) 予讃線 - 多度津駅 (1.2km)道路一般道:県
藍[]ファイル:Daigoji Sanboin Kyoto03s3s4592.jpg三宝院唐門ファイル:Daigoji01 1024.jpg仁王門(西大門)ファイル:Daigoji Kyoto02bs4200.jpg五重塔上醍醐と下醍醐は険しい山道で隔てられ、徒歩で1時間は要する
るという。寺伝によれば、行基が養老6年(722年)に訪れた後、空海(弘法大師)が聖観世音菩薩像を刻み本尊として安置したという。伽藍[]山門(仁王門) 単層 六十八番札所神恵院と共通の山門である。本堂大師堂宿坊:なし文化財[]重要文化財本堂(附:厨子、棟札) - 寄棟造、本瓦葺き。
親が寺領を寄進しているほか、土佐藩主の祈願所とされた。阿南室戸歴史文化道の指定を受けている。境内[]テンプレート:Commons山門(単層の仁王門)本堂大師堂鐘楼堂霊宝殿護摩堂魚籃観音弁財天稚児大師一粒万倍の釜ファイル:Kongochoji,龍頭山金剛頂寺 (室戸市)、高知県室戸
、一条家の庇護を受けた。戦国期に一時荒廃したが江戸時代に入っても土佐藩2代藩主山内忠義が再興した。境内[]テンプレート:Commons山門(仁王門)本堂大師堂多宝塔鐘楼護摩堂愛染堂不動堂権現堂行者堂和泉式部逆修塔弁財天庭園山門を入ると左手に弁財天、不増不減の手水鉢、鐘楼がある。右