私の犬は

ページ名:私の犬は

 

私が尊敬する某先生曰く、作家業の神髄とは。インプットがあってこそのアウトプットであると語っていた。

2000年も二桁台へと突入して久しい近世であり、もっと安くて洒落てて機能的な眼鏡が幾らでも出回っているというのに、彼が生前着けていたものをわざわざ探し出して買う程度には、典型的な『形から入る』タイプだった私は、それを耳にして「人を書きたいのならば、当然多くの人を知るべきだ」という考えに至った。若さというか、無知というか。熱にいたく浮かされていたのだろう。元々フィールドワークを主とした科を専攻し幾らか慣れていたことも相まって、少しばかりの貯えを片手に北へ南へ、東へ西へと後先も考えずに駆け回ることを好んだ。

旅の最初の頃、財布ならまだいいが、パスポートをスられたときはこのままこの地に骨を埋めることになるのか、と本気で怖くなって借宿の枕を濡らしたことがあった。不用意に路地に入って金品目当てに殺されそうになったときもあった。彼にとって私の命は金品よりも安かったように、私にとって彼の命はさすがに私の命よりは幾らか安かったので、結果として手に掛けたのは私の方になったのだが、あれは随分長い間引き摺った。実感を伴った分、他人に殺されることがうんと恐ろしくなったし、誰かと些細な諍いができたとき、思考の隅に殺しという単語が居座っている事実にも恐怖した。

 

 

「オオギリってなんかさぁ本当にヘンだよね。話し方もそうだし、あと肌の色も」

「やかましい。生まれつきはどうしょもないし、公用語ここ幾つあると思ってんねん。」

「マケドニア語喋れるだけで日本人としては超がつくほど珍しいねんからな」

「」

 

 

 

 

 

どこかでそんな冗談を

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