DD世界における魔術とは一様に、「ある理屈によって想像可能な程度の妥当性を生み出し、それに基づいた結果をもたらす」という夢界の取り出しである。
その点で言うと科学はある意味で最も利用しやすい魔術であり、物理法則によって導き出した試算をそのまま反映することができる。
またある意味で言えば、現実界のあらゆる事象は現実界の法則という妥当性によって生み出された事象群と捉えることもできる。(よって、夢界から見て下位の次元に相当する)
魔術は信じやすい形式に重きを置かれる、妥当性を得ることによって想像を実現できるからだ。
類感魔術:丑の刻参り、いわゆる類型同士は相互に屈み合わせのように影響する
感染魔術:対象の血や爪などを用いて、感染させるように呪術を行う。
これらは共感魔術とも言われ、当人に直接何か干渉しているわけではないのにもかかわらず、「こうすることで本人にも呪いが届きそうだ」という一種の信じ込み形式を踏むことによって実際の現象として干渉を発生させている。
儀式:過程を踏むということはそれだけで「それを起こすのに必要な条件を満たした」というイメージを込めやすい。それゆえに儀式は大がかりなほど、より引き出せるエネルギーの総量は向上する傾向にある。詠唱より儀式、儀式より祭事である。
無詠唱や短縮詠唱などのタイプは、手順を省略しても同じ結果を導き出せるという信頼と、精密なイメージをその工程中の中で浮かべることができる必要はある。よって、高等技術になりがちな傾向にある。
信仰は偉大なる神格を創り出すのに必要なイメージを賄う。また、信仰によってもたらされる奇跡という現象も、神格の一部を形成するエネルギーを転用して起こすものであり、それらは大抵が単なる儀式行程のものより強大である。
よって、夢の使者は大なり小なり何かへの信仰を持つことが多い。その方がより強大な魔術を行使できるからだ。
著名な魔術
「景色を曇らせる」
自身の認知に意図的に改竄魔術を仕掛けるもの。大体の場合、凄惨な現場や悍ましい悪夢に対して、精神的なダメージを抑えるためにメルヘン空間デフォルメキャラのフィルターを掛ける。
中には自身の憎悪をより高めることで出力を上げようと、自ら進んでむごい景色を生み出すこともある。
「魔法の声色」
聴覚系の改竄魔術。実際のところ、声が変わっているのではなく、声の利き手側に作用するタイプの魔術。
エルシーリアが使っているのもこれで、感じ方を捻じ曲げることで任意の声色を引き出している。
ちなみに、他の五感においても同様の手段は使うことができるが、支配域の広い視覚や触覚は看破されやすく、より多量のリソースと技術を要求されがちであり、一部の熟練者以外にはあまり使われることはない。
魔法の味覚は割と流行っている。塩パスタもペペロンチーノに大変身だ。
18~19世紀くらいまでの宗教と教会がとても強かった頃、人間性の対義語は「獣性」だった。
「私達は獣のように本能のみの浅ましい存在ではない」その理性こそが人間であった。
そして現代にかけては科学の時代がやってきた。今、(多少異議あれど)人間性の対義語は概ね「機械的」だろう。
「私達は機械のように無慈悲でない、愛を持っている」その感情こそが人間であるのだ。
この言葉の移り変わり自体は人類が競争相手にマウントを取りたがるという事の顕れだけに過ぎないが、ここで重要なのは僕たちが両方の要素を併せ持つ存在であるということだ。
それは優れているというわけではない。尊いわけではない。珍しいかもしれないが、貴重ではないだろう。むしろ中途半端だ、非効率的だ、欠陥ですらあるだろう。僕らは常々二つの天秤を釣り合わせようと苦悩させられているからだ。
理性だけの存在であるならば最適解を導き出して即断決行するだろう。
感情だけの存在であるならばただ欲のまま自由に振舞えることだろう。
だが、僕らはそのどちらのようにも振舞うことはできない。判断を誤るどころか、往々にして結論を出せないことだって存在する。
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