「どうして自分の肌に傷を付けるの、綺麗なのに勿体ない」と夢は尋ねた。
「八つ当たりだよ」と主は答え、それから自分の怒りとか、悲しみに正直になれる気がするのだと続けた。
それを聞いて、ここまでしないとなれないのか、嘘つきになるということはとても辛いことなのだなと夢は思った。
そうして、その夢は嘘つきをひどく憐れむようになった。
「お薬は飲み切る前に吐いちゃうし、飛び降りは高所恐怖症で失敗するし……また失敗すると思ってましたケド……」
「今日はがんばったんデスね……お疲れさまデス。」
天井から垂れ下がったロープに首を括って、ぶらり、ぶらりと足が浮いて揺れる宿主を見上げるように、彼女は瞼を開きその目で初めて世界とそれを見た。ヨミという個体が最初に外へ出たのは宿主が死んだときだった。
至る穴から汁は垂れ、首は滲んだ血に汚れ、爪にはもがいて引っ掻いた皮膚が詰まる。正直に言えば、葬儀屋でもなければ誰もが顔を顰めるに違いないであろう程度には少女の遺体は見苦しい。けれど、それにはようやく何もかもから解放された安堵の表情をも帯びている。だから彼女はその頬に一度だけ口づけをして後にした。
憐みや同情は抱かずに、純粋にただ労いと祝福だけを込めて。
この世界に生を受けると同時に生まれ持った役割を失ったために、彼女にはまず決めねばならぬことがある。それは何をして生きたいのか?ということだ。老いず、飢えず、乾かない生ける夢にとって、目的を失うということは即ち石のような無機物になるのと大差がない。実際、そうして消滅するまで身じろぎ一つしない夢だっていくらでも存在するのだ。
その点において彼女は幸いだった。ヨミには目を開いたその瞬間から、「これのために生きていこう」と思えるような、そういう鮮烈な出会いがあったのだ。
ロープに吊られた宿主の表情。
あの安らかさは、彼女にとっては宝石にも代えがたいほどとても美しく感じられたのだ。あれをもう一度見たい。
数日の彷徨のうちに、彼女は自分が最も欲しているものを首尾よく見つけ出すことができたのだ。
けれど、ならば、それは次は誰に?主から受け継いだ記憶の中には、とても印象強く焼き付いた顔が幾つかあった。その記憶には少女が自らに向けていたものと同じような、強烈で深い何かのうねりが紐づけられている。
最初は彼らにしよう。そう心に決めた。
1人目は同級生の女子。最初だから宿主の真似をして吊るしてみることにしよう。
居残り校舎で一人のところへ立ち寄って、さっと後ろからロープを掛けてフックはカーテンへ。
どんなに安らかな表情をみせてくれるだろう?ヨミは期待に胸を高鳴らせる。けれど、これは正直なところ失敗だった。
「ぐげっ」と、蛙が潰れたような声を喉から洩らしただけで、一瞬で終わってしまったしちっとも穏やかでもなかった。
それに、彼女は宿主にとって何等かの強い縁があったはずだ、少しくらい話を聞いてみたりしたかったとも思う。
だから、次はもっと時間を掛けてみることにした。
二人目は担任の男性教師。登った天井からロープを垂らして首に掛けると、ゆっくりと引き上げる。
「あやめちゃんの先生デスよね。お話しませんか?」
今度は語り掛けながら。けれど、彼は「知らない」とただ繰り返すばかりで会話が成立しやしない。どうして明らかな嘘を吐くのだろう?ああそうか、そういうことか、彼もきっと彼女と同じ、苦しまないと正直になれない人なのだ。
「嘘吐きは辛いデスよね。大丈夫デスよ、今正直になれるようにしてあげマスから」
ならばしてあげるべきことはひとつだ、ロープを強く締める。ギリリと軋む音とともに足が完全に地を離れていく。
「あぁい、うそつ……ごめ……ゆる……ごぼっ、あやめぇ……わるかった……」
虚ろな目に、それとだらしなく涎を口から垂らしながら、彼は途切れ途切れに謝罪を述べていく。彼の頬を伝う涙はずっと言えなかった胸の内を吐露できたことへの感動に違いない。ヨミは自らの目頭に熱いものが流れるのを感じた。
それで体力を使い切ってしまったのだろう。彼はそのままぐりんと白目を剥くと、だらんと脱力して事切れてしまった。
「えへへ……最後は正直になれて、本当によかったデス。」
床へ降りた彼女は自らの胸元へと彼を抱き寄せると、少女の遺体にそうしたのと同じように頬へ祝福のキスを交わした。
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