三ばか大将

ページ名:三ばか大将

三ばか大将(The Three Stooges )はアメリカ合衆国のコメディーグループ。及び彼らが主演していた短編映画シリーズ、さらにそれをテレビ用に編集して日本でも放送していた番組のタイトルである。

目次

概要[]

『三ばか大将(The Three Stooges)』は、アメリカでは1930年代より短編映画の人気者で、テレビ時代が始まった1949年にはかつての短編映画をテレビ用に編集し放送、あまりの人気に加えソフト不足もあり、おびただしい回数再放送されてアメリカ人が誰でも知っているコメディーの大スターとして認識される様になった。

日本でも1963年から日本テレビで放送され、スポンサーの森永製菓のイメージキャラクターとして使われるほどの人気を博していた。尚、「ウヒハー、ヘンチクリン」と言う日本語の主題歌は日本語版だけのもので、オリジナルは初期は作品毎に曲を変え、1935年から「Listen to the Mockingbird」、1939年からは「Three Blind Mice」というスタンダードナンバーを使用している。

メンバーは何回か交代しているが、最も有名なユニットが丸坊主のデブで石頭(Knuckle head)のカーリー(Curly Howard 1903.10.22-1952.1.18日本語吹き替えは和久井節緒)、彼の実兄であるオカッパ頭で常に不機嫌な空威張りのリーダー、モー(Moe Howard 1897.6.19-1975.5.4日本語吹き替えは藤岡琢也)、そして御茶ノ水博士の様な髪型で日本語版ではポンコツと呼ばれていた(原語ではporcupine ヤマアラシ)ラリー(Larry Fine 1902.10.5-1975.1.24日本語吹き替えは江幡高志)である。

「三ばか大将」とは言え実態はカーリーの‘一ばか大将’で、その突拍子も無いアドリブだらけのボケをモーがビンタや目突きと言った暴力を乱発して突っ込み、ラリーが二人の間でオロオロしたりとばっちりを受けたりする構図であった。

サイレントからトーキーへの移行期に活躍していた彼らはサイレントのドタバタとトーキーの台詞ギャグ、音のギャグを巧みに使い、アメリカは勿論、多くの日本のコメディアンが多大な影響を受けている。

日本の子供たちに圧倒的な人気を誇っていたカーリーだが彼の芸で日本の子供たちが熱狂していた頃、既にカーリーは亡くなっていた。

経歴[]

テッド・ヒーリー一座[]

「三ばか大将」(The Three Stooges)は1920年代初頭、アメリカのボードビリアン、テッド・ヒーリー(Ted Healy 1896.10.1-1937.12.21) の一座にモー・ハワードが参加した事から始まる。後にシェンプ・ハワード(Shemp Howard 1895.3.4-1955.11.22)…モー、カーリーの実兄…が参加、テッド、モー、シェンプの三人が「三ばか大将」(The Three Stooges)の元祖だと言う説がある。その後バイオリンの曲弾き芸人であったラリー・ファインが加わり、モー、シェンプ、ラリーでトリオを組み、テッド・ヒーリーと間抜けな子分(Ted Healy&his stooges)と言ったステージネームでの活動が始まる。映画でもテッド主演の「Soup to Nuts 」(1930)でモー、シェンプ、ラリーが共演した。テッドは酒乱で暴力を座員にふるっていたので、彼より年長のシェンプはことごとく対立、単独の喜劇俳優としてのオファーがあった事をキッカケに脱退してしまう。穴埋めで起用されたのがオーケストラの指揮者コントなどで活動していたハワード兄弟の末っ子カーリーである。1933年ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルが主演した映画「ダンシング・レディ」ではテッドとともにモー、ラリー、カーリーのメンバーがTed Healy&his stoogesの名目で参加している。

モー、ラリー、カーリー[]

1934年にコロンビア映画は「三ばか大将」(The Three Stooges)として短編のシリーズ主演に起用、ほとんどがカーリーを中心としたストーリーで1946年までに97本の映画を生み出す事になる。1934年の作品「Men in Black」ではアカデミー短編映画賞を喜劇部門で受賞している。ちなみに映画の共演者の中にはテレビの大ヒットコメディー、「アイ・ラブ・ルーシー」や「ルーシー・ショー」に主演したアメリカの代表的コメディエンヌ、ルシル・ボール やアカデミー助演男優賞を三回も受賞した名優ウォルター・ブレナン も名を連ねている。

カーリーはそれまでの古いコメディアンの枠にとらわれず、独特の笑い"N'yuk, n'yuk, n'yuk" 、興奮すると発する奇声"Woo, woo, woo" 、驚いた時の大袈裟なリアクション"N'gyahh-ahhh-ahhh!" 、その他にも裏声でのしゃべり、連発する駄洒落、犬の鳴きまね、混乱した時両手で交互に顔をひっぱたく、何かと言うとパントマイムを披露したがる等不可思議なアクションで一躍トップスターに躍り出る。ラリーが弾くバイオリンの曲"Pop Goes the Weasel"を聞くと俄然強くなるボクサー(「Punch Drunks 」)、シチューの中の牡蠣と格闘する男(「Dutiful but Dumb 」)、氷を相手にひげ剃りを試みるコック(「An Ache in Every Stake」 )はカーリーの非凡さを伺わせる名作である。脚に障害がありそれをカバーする為に編み出したカーリーの動きそして印象に残る口跡は、彼自身台詞覚えが悪くとっさにアドリブで繰り出していた状況のおかしさと相まって大いに受けたのである。

画面の上では陽気なカーリーだが私生活では非常にシャイで、厳格な性格の真面目人間である兄モーを恐れてその目を逃れ酒色にふけり生活が乱れた結果、脳卒中にかかってしまう。台詞も動きも衰えたカーリーを見かねたモーはコロンビア映画に休養を求めるが許可されずカーリーの病状は悪化の一途をたどる。(日本語版では分かりにくいが原語版では明らかに動きは勿論、台詞の面で重大な変化が分かる。)そして1946年重度の脳卒中でカーリーは入院、「三ばか大将」(The Three Stooges)は解散の憂き目に遭う。それを救ったのが兄のシェンプである。

モー、ラリー、シェンプ[]

喜劇俳優として一本立ちをしていたシェンプは「三ばか大将」(The Three Stooges)に復帰、カーリーの病気が癒えるまでという条件で、モー、ラリー、シェンプ(日本語吹き替えは久野四郎)のトリオが再スタートを切る。童顔で子供の様なキャラクターのカーリーに比べ、50才を超えていたシェンプに年少ファンはとまどっていたようではあるが彼の体当たりの熱演でまだまだ人気は保持していく。

1947年の「Hold That Lion!」では病状が一段落したカーリーがゲスト出演、(ただし髪型は坊主頭ではなかった。)"Woo, woo, woo"のギャグや犬の鳴きまねを披露し希望を抱かせたが病気の進行は容赦なく進み1952年には死去してしまう。そのわずか3年後、「三ばか大将」(The Three Stooges)にまた突然の悲劇が訪れる。テレビにも進出していた1955年、シェンプが心臓発作で急死してしまうのである。

コロンビア映画との契約で残り4本は撮らなければならない。そこで過去のフィルムを編集し、足りない部分をシェンプと背格好の似ているジョー・パルマ(Joe Palma)(1905.3.17-1994.8.14) に後ろ姿で演技をさせたり変装させて顔が分からない様にしたりして急場をしのぐ。(ハリウッドでは有名俳優の代役を無名の俳優が自分の存在を消して演じる事を今もFake Shempと呼んでいる。)

二人のジョー[]

「三ばか大将」(The Three Stooges)の人気はTVの再放送で衰えを知らず、特にカーリーの復活を求める声が大きかった。そこでモーは丸坊主のデブを捜す事になるのだが、度重なるオーディションを経て1956年にはハゲ頭の中堅コメディアン、ジョー・ベッサー(Joe Besser 1907.8.12-1988.3.1) を加入させる事を決める。ところが喜劇俳優としてのプライドが高いジョーはパイ投げに代表されるドタバタギャグを嫌い、1958年には脱退してしまう。

続いて誘われたのが肥満体の喜劇俳優ジョー・デリータ(Joe DeRita 1909.7.12-1993.7.3)である。彼はカーリーの様に丸坊主頭にして奮闘し、カーリー・ジョーの役名を得る。これはまさに日本に於ける二代目襲名であり、カーリーの存在の大きさを知る事が出来る。これ以降長編の主演映画にも進出、さらに1965年には実写とアニメの合わせ技のテレビ番組「新三ばか大将」(The New Three Stooges)がスタートする。(日本でも放送され吹き替え陣は、モー → 玉川良一、ラリー → 滝口順平、カーリー・ジョー → 柳家小のぶ)

1971年、ラリーが脳卒中で倒れ、三人での活動が難しくなってしまった。モーは数々の作品で脇を固めていたエミール・シーカ(Emil Sitka1914.12.22-1981.1.16) をラリーが復帰するまで彼の髪型にさせて存続をはかるが実現には至らず、1975年1月にラリーが死去、モーもラリーの死から4ヶ月後に死去、ここに「三ばか大将」(The Three Stooges)は永遠に幕を閉じる事になる。

その後[]

アメリカでは今に至るまで非常に人気が高く、今もファンクラブが存在する。日本で言えば同年代であるエノケンを現在進行形で若者のファンが支持しているという事になる。

1983年にリリースされたカーリーのものまねで綴るJump 'N the Saddle Band のコミックソング"The Curly Shuffle"がチャート誌の上位を飾り、2000年にはメル・ギブソンがプロデュースを手がけた伝記ドラマがカーリー役のマイケル・チクルス(Michael Chiklis)の熱演が話題になり高視聴率を得る。

マイケル・ジャクソンが大ファンだった事は有名で、幼少時に特に好きだったカーリーのものまねをしていたと明言しているのに加え、コンサートの移動車の一つにも三ばか大将(The Three Stooges)のイラストを施していた。代表的ヒット曲スリラーのプロモーションビデオは三ばか大将(The Three Stooges)の短編映画をヒントに製作されたと言う。ちなみにマイケルは1958年生まれで、彼とてもカーリーの没後に再放送でファンになったという事である。

2012年にはボビーとピーターのファレリー兄弟がプロデュースする映画も公開される予定になっている。

メンバー[]

モー・ハワード(Moe Howard)別名ハリー・ハワード(Harry Howard)

  • 本名: Moses Harry Horwitz
  • (1897-06-19〜1975-05-04)
  • メンバー歴:1922–1975

テッド・ヒーリー(Ted Healy)

  • 本名: Clarence Ernst Lee Nash
  • (1896-10-01〜1937-12-21)
  • メンバー歴: 1922–1934

ラリー・ファイン(Larry Fine)

  • 本名:Louis Feinberg
  • (1902-10-05〜1975-01-24)
  • メンバー歴:1925–1975

カーリー・ハワード(Curly Howard 初期はCurley Howard)別名ジェリー・ハワード(Jerry Howard)又はジェローム・カーリー・ハワード(Jerome‘Curly’Howard)

  • 本名:Jerome Lester Horwitz
  • (1903-10-22〜1952-01-18)
  • メンバー歴:1932–1946

シェンプ・ハワード(Shemp Howard)

  • 本名:Samuel Horwitz
  • (1895-03-04〜1955-11-22)
  • メンバー歴:1922–1932, 1946–1955

ジョー・ベッサー(Joe Besser)

  • (1907-08-12〜1988-03-01)
  • メンバー歴:1956–1958

ジョー・デリータ(Joe DeRita)別名カーリー・ジョー・デリータ(Curly-Joe DeRita)

  • 本名:Joseph Wardell
  • (1909-07-12〜1993-07-03)
  • メンバー歴:1958–1975

出典[]

  • [1]

外部リンク[]

  • Three Stooges Online
  • The Three Stooges Official Website


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