いえやす軍
いえやす軍とは、戦国武将徳川家康とその家臣のパロディで作られたグループである。
家臣団に加え、非常に強力な「徳川〇〇隊」(〇〇はその都度異なる固有名詞が入る)を持ち、徳川ナンコ隊でナンコ氏の点呼スレを何度も埋め尽くした。
またイチゲンと信長軍がシニア・シルバーカテで争った、通称「シルバニア平原の戦い」では、信長軍の援軍として徳川イチゲン隊を率いて参戦。イチゲンのスレを隊で埋め尽くした。
謙信は、徳川〇〇隊と似たり寄ったりのやり方をおこなった成りすまし荒らしを排除するにあたり、徳川〇〇隊の解散を要求した。また荒らしよりもひどい晒しをおこなった顔バレファミリーを解散するように要請した。
これは成りすまし荒らしだけではなく、それ以上のことをやってきた いえやすを許しては不公平であるという判断と、いえやすに対して反省と自粛を求める要請でもあった(いえやすと榊原康政の会話を参照)。
それによって、徳川〇〇隊と顔バレファミリーは解散、いえやすは過去を反省して大人しくなった。
いえやす軍は兵隊を放棄。残りはすべて青州兵に組み込まれた。
その後、本多忠勝の娘である小松姫を加え、水戸の御老公ご一行を加えた、まともな新生いえやす軍が誕生した。