スウェーデン

ページ名:スウェーデン
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スウェーデン王国(スウェーデンおうこく、スウェーデン語:  Konungariket Sverige[ヘルプ/ファイル])、通称スウェーデンは、北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島に位置する立憲君主制国家。首都はストックホルム。西にノルウェー、北東にフィンランドと国境を接し、南西にカテガット海峡を挟んでデンマークと近接する。東から南にはバルト海があり、対岸のロシアやドイツとの関わりが深い。法定最低賃金は存在せず、経済はスウェーデン国外の大企業や機関投資家に左右される傾向にある。

目次

概要[編集]

現王家はベルナドッテ家。19世紀初頭に興家し、半世紀ほど後の大不況でアメリカ合衆国へ人口が流出した。それから手形交換制度が確立し、ノーベル賞が創設され、第一次世界大戦の情報戦に参加するなどして、国家戦略を現代化させていった。歴代国王は王位につく際に、自分の統治について所信表明する習慣になっている。

スウェーデンの経済は近代から、ノーベル財団の理事を輩出するヴァレンベリ家が支えてきたといわれている。トールステン・ノルデンフェルトやボリス・ハーゲリンは多国籍軍事産業を開拓した。戦間期にはイーヴァル・クルーガーの金融帝国が台頭して積極的に外資を導入した。そして、スウェーデン系のエドワード・レフラーがボストンで最初のミューチュアル・ファンドを開発した。戦後、フォルケ・ベルナドッテが射殺され、ペール・ヤコブソンがヨーロッパ支払同盟の構想へ意見した。アルバ・ライマル・ミュルダールがノルディックモデルを推進した結果、スウェーデンは政治家にまで厚い高負担高福祉国家となった。しかし1970年代のオイルショックにより財政難に陥り、政治と経済がバブル崩壊の手前から機関化した。スウェーデンは中立を放棄して1995年欧州連合に加盟した。

2003年、スウェーデンはユーロ導入を否決した。世界幸福地図では世界178か国で第7位(2006年)、世界価値観調査での幸福度(Happiness)はアイスランド、デンマークに次いで第3位(2005年)であった。外国機関投資家の演出した幸福は世界金融危機で崩れ去り、スウェーデンはデンマーク・アイスランドのように高い失業率を記録した。1998年、BAEシステムズがインベストールから35%を譲り受けてSAABの筆頭株主となったが、2005年1月に売却して支配率を22%に下げた。2011年末、サーブ・オートモービルが破産した。同社はスウェーデン政府からの公的支援を拒否されていた。

現在のスウェーデン経済では電力会社バッテンフォールの躍進が目立つ。家計の総額に近い外資がスウェーデンを支えており、その労働人口に対する公務員の比率がフランスを超えて28.3%に達する。

2019年、米コンサルティング会社が実施した調査で、スウェーデンは世界で最も評判の良い国に選出された。

関連する記事についてはスウェーデン関係記事の一覧を参照。

国名[編集]

正式名称はKonungariket Sverige(コーヌンガリーケト・スヴェリエ)。通称Sverige。形容詞はsvensk(スヴェンスク)。 スウェーデン語ではSverige(スヴェーリエ)といい、スヴェーア族の国を意味する。英語表記はKingdom of Sweden、通称はSweden(スウィードゥン)、国民はSwede(スウィード)、形容詞はSwedish(スウェディッシュ)。

日本語の表記はスウェーデン王国。通称スウェーデン。ほかにスエーデン、スェーデンという表記もされる。漢字による当て字は「瑞典」。なおスイスの当て字は「瑞西」で、いずれも「瑞」と略されるが、これらの漢字名は一般にあまり用いられないため混乱を生むことは少ない。なお、特にスイスと区別する場合はスウェーデンを「典」、スイスを「瑞」と略する。

歴史[編集]

詳細は「スウェーデンの歴史」を参照

古代はスウェーデン・ヴァイキング(ヴァリャーグ)としておもに東方で活動した。ヨーロッパ文化やキリスト教も受容し、13世紀ごろにはフォルクンガ朝が現在のフィンランドを含む地域を統一。1397年にデンマーク・ノルウェーとカルマル同盟を結び同君連合となる。

バルト帝国[編集]

1523年、カルマル同盟から離脱し王政となる(ヴァーサ朝)。16世紀の宗教改革ではプロテスタントを受容し、バルト海地域へ進出する。17世紀、グスタフ2世アドルフ(獅子王)の時代にバルト帝国を建国する。新大陸にも植民地を築き、王国は最盛期を迎える。三十年戦争に参加したり、1634年にフーゴー・グローティウスを駐仏大使として活躍させたりして、オランダへ急接近し国際的地位を築いた。1654年にプファルツ朝に王朝替えするもバルト帝国を維持。しかし18世紀初頭にカール12世はバルト海の覇権を争い、ピョートル1世の時代のロシア帝国との大北方戦争で敗れ、沿岸の領土を失い一時没落する。18世紀後半にホルシュタイン=ゴットルプ朝のグスタフ3世が中興させるも、ナポレオン戦争にともなう第二次ロシア・スウェーデン戦争の敗北により、フィンランドを失った。

ベルナドッテ[編集]

1809年の革命で立憲君主制が成立、1814年にキール条約でノルウェーを併合、1818年よりフランス人ベルナドット元帥(カール14世ヨハン)が国王に即位しベルナドッテ朝が始まる。身分制的・封建制的秩序の解体が進み出した。ウィーン体制ではノルウェーと同君連合(1814年 - 1905年)を結ぶが、スウェーデン=ノルウェーは1905年に分離した。19世紀半ばにスウェーデン王の推奨した汎スカンディナヴィア主義が頓挫し、北欧は小国分立に向かった。スウェーデンでは1866年に身分制議会が廃止され、政治がシティのように経済力で支配されるようになった。世紀後半の大不況にアメリカへ人口が流出した。国内では、自由教会運動、禁酒運動、社会民主主義労働運動などが起こった。1914年からの第一次世界大戦では中立であったが、ドイツ帝国がアメリカ合衆国へ送る外交電文をストックホルム経由で再暗号化したり、それをイギリスから非難されてからもブエノスアイレスのスウェーデン大使館を経由させたりして、結果的には逆に英国がドイツの外交電文を解読する機会をつくった。戦後の首相2人(Gerhard Louis De Geer と Oscar von Sydow)が金解禁をしようとして戦後不況にデフレ政策で臨んだ。

マッチ帝国[編集]

無謀な緊縮政策に踏み切らせたのはストックホルム証券取引所の活況であった。新株発行に必要な銀行からの借り入れ資本は、1918年末にスウェーデン全商業銀行による貸付の43%(18億クローナ)に達した。上場株式の総額は1917年で40億クローナにものぼり、このころの出来高は1980年まで史上最高であったといわれる。イーヴァル・クルーガーはスベンスカ・ハンデルスバンケンのコンソーシアムから6,000万クローネを借り入れ、1920年夏に集中して国外投資を遂行した。競争相手を買収し、相手が分からないときは借款を提供して政府保証のマッチ専売権を獲得した。戦後不況の財務悪化を粉飾決算でごまかしながら、1922年、ボストン旧家のリー・ヒギンソン商会(Lee, Higginson & Co.)の援助で新株を発行した。1923年に国際マッチ会社(IMCO)を設立、はりぼてのマッチ帝国ができあがった。毎年、無理をして配当を支払った。1925 - 1928年に株価は上昇を続け、世界恐慌で下落した。マッチ帝国は、もっと拡大すれば公的資金の注入を期待できると考えたかもしれない。1929年にボリデン(Boliden AB)を、翌1930年にはエリクソンを買収した。しかしアセアのような基幹産業やヴァレンベリ家の国際金融網とは関わりが持てなかった。1932年2月23日、リクスバンクとハンデルスから借款を受けようと交渉した。銀行は財務情報なくして融資はできないと断った。3月にクルーガーは死んだ。ヴァレンベリ家も参加する調査委員会がプライスウォーターハウスを招き、背信的な粉飾をあぶりだした。2月の借款交渉でクルーガーから寄付を受け取っていた首相(Carl Gustaf Ekman)は、そのほかの問題でも追及され8月に辞任した。

社民党政権[編集]

1932年にスウェーデン社会民主労働党(社民党)政権となった。武装中立政策をとり、第一次世界大戦、第二次世界大戦の両大戦にも参加していないが、両大戦とも義勇軍を組織していた。特に第二次大戦では、ナチスドイツなど枢軸国と連合国の両方にさまざまな便宜を図ったことが中立違反として、戦中も戦後も国内外から批判を浴びている。ただし、当時は連合国も枢軸国も国際法を守っていなかったうえ、両陣営がそれぞれ優勢な時期でも宣戦布告や領土内への侵攻を許さなかったことは事実である。ことにデンマーク、ノルウェー、フィンランド人の反ナチス・レジスタンスやユダヤ人を保護したことは、人道に重きを置いた決定と言える。また、大日本帝国政府の終戦の事前交渉も行っている。

1940年代後半から1950年代にかけてスウェーデンは、イタリア、ユーゴスラビア、ギリシャ、トルコなどから、労働力不足を補うために労働者を受け入れた。

東西冷戦中はノルディックバランスを構築し、アメリカ寄りの政策と中立主義政策を行き来した。内政では社民党がブレトンウッズ協定の1944年から所得比例の公的付加年金の創設を主張していたが、1959年5月14日、たった1票差で社民党政府の法案が通った。日本では国民年金法が制定され、アメリカでは企業年金が大成長したような時代だった。一方では1947年に投資準備金関連法(1938年制定)を改正、恒久化した。この投資準備金制度は、好況期に税控除前の利益の一部を積み立てさせ、不況期に労働市場庁の承認や命令で有効利用させるものである。1955年に設定対象を林業へ拡大した。1960 - 1961年にはデフレ政策として企業の投資準備金を全額リクスバンクに凍結預金させた。スウェーデンは対外投資を増大させた。

戦後17年間、エステン・ウンデン(Östen Undén)がスウェーデン外相を務め上げた結果、1953年に北欧共通労働市場協定を締結したが、1950年代後半から移民が大量に入り、1960年代後半にピークを迎えた。約3分の2がフィンランド系であり、定住を前提に共生を目指し、定住外国人に地方参政権を与えるなどの政策がとられた。これは1974年の地方自治法制定につながっていく。一方、ウンデン計画の通り軍縮が進んだ。スウェーデン軍事産業の収益は減少した。こうしてアメリカの軍産複合体と国際市場縮小の痛みを分かち合いながら、ノーベル経済学賞を創設して財テクも共有するようになった。政治資金のあり方も変わった。1965年に公庫補助制度が導入されたのである。これは1957年プエルトリコが先鞭をつけた国庫補助制度である。スウェーデンの場合は使途を指定されず、議席数に比例して与えられ、1969年にはコミューンレベルでも導入された。

石油ショック[編集]

非産油国のスウェーデンはオイルショックの直撃を受けた。スウェーデン人はイーヴァル・クルーガーを研究するようになった。これに学んでオーバーローンは抑えられたかもしれない。エドワード・レフラーに対する研究蓄積の程度は定かでないが、隆盛している投信業界にメスを入れるのは難しかったはずであり、その強く出られないあたりがユーロ危機で金融派生商品項目の赤字を計上する原因なのであろう。スウェーデンは1973年に外国人労働者の受け入れをやめた。同年にデンマークが欧州連合に加盟し、北欧諸国の税制論議をリードするようになった。政党に対する国庫補助が増額されていき、政権交代が常態化する環境が生まれた。1977年、造船業が国有化された(Svenska Varv)。1978年、鉄鋼業が統合された(SSAB)。スウェーデンがオイルショックで負った後遺症は、1980年に100万人規模の労働争議に現れた。同年6月の国会決議で、2010年までに原発を全廃することが決定した。1982年からオロフ・パルメ首相がスウェーデン経済を改革していき、SSABの採算性を確保するとともに、社会サービス法を制定した。1984年、勤労者基金制度が導入された(1990年廃止)。1985年、金利が自由化し、貸出量規制が廃止された。税制改革としてアメリカの改革法案(1986年に成立)が徹底的に調査された。スウェーデンは混乱を極めた。

同1985年1月、50人超の連盟による嘆願書が司法長官マグヌス・ショーベリ(Magnus Sjöberg)に送られた。医師と警察が市民の頭部に送信機をインプラントすることが合法かどうかについて回答を求めるものであった。司法長官は3か月後、書簡をストックホルム地方検事へ送った。検事が司法長官に代わり、合法であると主張した。

金融植民地[編集]

オロフ・パルメ首相の暗殺された1986年、スウェーデン政府が株式取引税を1%から2%に増額した。するとビッグバンとマイケル・ミルケンの乱舞する中、イギリスとアメリカの証券市場でスウェーデン株の取引量が急増した。こうしてスウェーデン経済は機関化しだした。個人向けのファイナンス・カンパニーからシャドー・バンキング・システムが成長した。国内株を引き止めようと公開市場操作を導入し買いオペ。1987年、株価の上昇が止まった。そこで1988年に公開買付制度を導入したが、それはセカンダリー・バンキング時代のシティ・コード(City Code on Takeovers and Mergers)を模したものであった。株価は再上昇、スウェーデンの脱原発路線は機関化により後退していった。1989 - 1990年をピークにスウェーデンの株価と地価は急落した。1990年1月29日から3週間にわたり、全国の銀行がロックアウトし、現金自動預け払い機も停止した。このときはストックホルム・アーランダ空港の外貨両替所も閉鎖となった。10 - 11月、不動産担保証券(MBS)が発行された。1991年1月、新しい税法が実施された。法定法人税率は30%に引き下げられたが、しかし課税ベースが大幅拡大し、結果として長年続いた投資準備金制度が廃止された。1992年末で住宅ローンを中心に国内銀行の抱える不良債権は1,332億クローナにのぼった。セキュラムが設立され、証券化の時代が到来した。セキュラムは政府当局に対するマッキンゼー・アンド・カンパニーの提案に従った(Justin Jenk)。1992年のエーデル改革(Ädelreformen)が社会サービス法を修正、高齢者に対する保健医療サービスについてはコミューンへ権限委譲を進め、高齢者介護サービスの実施をコミューンへ一元化した。累積する地方債を国内外の機関投資家が消化することになった。1995年スウェーデンは、同じく中立国であるオーストリア、フィンランドとともに欧州連合(EU)に加盟し、中立主義を放棄した。そして法人税率は25%になった。

2000年には、地方財政の予算原則として新たに均衡予算原則が地方自治法に盛り込まれ、赤字決算となった場合に3年以内に解消することが求められるようになった。2001年に社会サービス法を全面改正し、利用者負担に上限額を設定するとともに、利用者負担額を支払ったあと利用者の手元に残る額の下限額を設定した。2002年7月から全国一律に適用された。教育の充実もあいまって、コミュンインベスト(Kommuninvest)などにスウェーデンの地方財政は機関化されていった。地方債の発行残高は2003年に1,775億9,000万クローネとなった。2001年10月、イタリアでリナーテ空港事故が起こった。2003年6月、スウェーデンはユーロ導入を否決した。国ひとつ分しかないマネーサプライが内外から需要され、スウェーデンは高金利不況でキャッシュレス化していった。同2003年、大手保険会社スカンディア(Skandia)が北米事業をプルデンシャル・ファイナンシャルに売却した。2004年、フィンランドにサンポコンツェルンが設立された。

政治[編集]

「北欧の政治#スウェーデンの政治」および「政府 (スウェーデン)」も参照

政体は立憲君主制。国家元首である国王は、国家の象徴であり、儀礼的職務のみを行う(象徴君主制)。1974年改正後のスウェーデン憲法では、通常の立憲君主国の君主が有する首相任命権をはじめとするすべての官吏任命権を形式的にも失っている。国王の権能は情報閣議による大臣からの情報収集(いわゆる内奏)や外国使節の接受など、もっぱら儀礼的な機能に限られている。

「スウェーデン君主一覧」も参照

スウェーデンの立法機関たる議会はリクスダーゲン (Riksdagen)と呼ばれる。1971年に両院制から一院制に変わった。2006年総選挙時の定数は349議席で、議員の任期は4年。議員の選出方法は比例代表制による。

「リクスダーゲン」も参照

行政府の長は首相である。議会の総選挙後に、国会議長が副議長および各党の代表者を招集して新首相を推挙し、議会の過半数の反対でないことで承認される(反対票を投じないまでも、賛成できない議員は投票を棄権する)。その後、国王の臨席する任命式において国会議長が新首相を任命し、新首相は同時に各大臣を任命し組閣を行う(前述のとおり、象徴君主たる国王は自ら首相を任命しない)。

「スウェーデンの首相」も参照

政党[編集]

詳細は「スウェーデンの政党」を参照

2014年9月の選挙で議会に議席を獲得した政党は以下の8党。

  • スウェーデン社会民主労働党 (S) (中道左派)113議席
  • 穏健党 (M) (右派)84議席
  • スウェーデン民主党 (SD) (民族主義、欧州懐疑主義) 49議席
  • 環境党緑 (MP) (中道派)25議席
  • 中央党 (C) (中道右派)22議席 - かつての農民党
  • 左翼党 (V) (左派)21議席 - かつての共産党
  • 国民党自由 (FP) (中道右派)19議席
  • キリスト教民主党 (KD) (中道右派)16議席

その他特筆すべき政党 - 地方議会でのみ議席を保有

  • Demoex (Democracy Experiment)(直接民主主義) - 世界で唯一インターネットを通した市民による直接的な政治運営を実践

ジョーク政党

  • ドナルドダック党 実在しないが、白紙の代わりに投票されるケースがある。

軍事[編集]

詳細は「スウェーデン軍」を参照

スウェーデン軍は陸軍、海軍、空軍の三軍からなり、国防省の管轄下にある。スウェーデンはフィンランドの奪還を断念した1812年以降、伝統的に中立政策をとってきた。東西冷戦期にはノルディックバランスに則った「NATO(北大西洋条約機構)寄りの中立」政策を保ったが、軽武装のために脅威にさらされた第二次世界大戦の教訓から、いずれの党派も強い防衛力を追求した。兵器体系も専守防衛のための独特のものとなり、戦闘機などの自主開発を重視した。バルト海を挟んでソ連の軍事的圧力に晒され続け、1952年にはソ連によるスウェーデン機撃墜(カタリナ事件)、1981年にはソ連潜水艦の領海侵犯と座礁事故(ウィスキー・オン・ザ・ロック)が発生した。

1950年代から1960年代中期頃には核武装が検討されたこともあったが、政治的な反対運動と核拡散を抑止したいアメリカの働きかけもあって断念された。北欧最大の工業力を生かした独自開発兵器も多い。

1992年に中立政策を放棄し、軍事的非同盟を選択した。2002年には軍事的非同盟は有用であったが、今後は他国と協力して安全保障を追求することとなった。現在もNATOには加盟していないが、1995年にはNATOの指揮下でボスニアに部隊を派遣するなどの協力体制をとっている。また北欧およびEU諸国が攻撃された場合には「受動的な態度をとらない」と宣言しており、欧州連合戦闘群に参加している。2000年代後半からは大規模な構造改革が行われ、徴兵制が廃止された。

かつて徴兵制度(19歳 - 47歳の男子が対象。女子は対象外)が実施されていた時代があり、兵役拒否を希望する男子に対して介護や医療などの公共の利益に直接寄与する代替役務を課す「良心的兵役拒否」が認められていた。2010年7月1日に徴兵制度は正式に廃止されたが、2015年には国防費に見合う要員が確保できないという事態に陥った。ロシアによるクリミア半島侵攻後、バルト海でもロシア軍の脅威が高まったこともあり、2018年1月から男女とも対象となる徴兵制が復活した。

NATOとはパートナーシップ協定、アメリカとは防衛協力協定を結んでいるほか、いったん非武装化したバルト海のゴットランド島に軍を再配備している。

2017年にはフィンランドとともに、イギリス主導でNATOや国際連合に協力する合同派遣軍への参加を決めた。

地方行政区分[編集]

地方自治制度の原型は、カール15世の治世であった1862年に作られた。これは当時行われていた政治の集大成である。1842年に導入した義務教育制度、1846年のギルド制度廃止と商取引自由化、1860年に確認された信教の自由、これらがすべて反映されたのである。すぐ後で関係するが、1865年は二院議会制が採用されている。1862年の地方自治法は政教分離を定めた。さらに後述のランスティングを設けた。このときから一院制となるまで、ランスティングは上院の選出機関を兼ねた。そして後述のコミューンは自己責任で必要な事務を執り行うことが許された。しかし、1862年における地方選挙権は直接国税が要件であったため、全人口の6%に付与されるのみであり、地方の普通選挙は、1918年と1921年の改革により段階的に実現した。

日本の県に相当するスウェーデンの地方自治体には2種類あり、そのひとつは国会と政府の出先機関であるレーン(スウェーデン語: län)で、もう一方は県民の代表たるランスティング(スウェーデン語: landsting)である。

レーンの総数は21で、ランスティングのそれは20であり、両者の境界線はほぼ一致する。ゴットランドは島という性格上、レーンの境、市の境、ランスティングの境が偶然一致した特異な例である。レーンは国会の決定に従い、政府の指示のもとで地域的に必要とされる行政を行うのがそのおもな役割である。その最高議決機関である執行委員会は中央政府によって指名される執行委員長(日本の都道府県知事に相当)と、ランスティングを通じて住民により選挙で選ばれた委員で構成される。これに対してランスティングのおもな役割は、県民の精神的・身体的健康の増進と公衆衛生の維持、県内にある学校等教育関連機関の指導・監督および支援、県内で行われる文化的活動の支援にある。ランスティングの最高議決機関は県民から選挙で選ばれた議員によって構成される県(ランスティング)議会(スウェーデン語: landstingsfullmäktige)である。ランスティングの役割は地域によって細かい部分には差があり、レーンとの役割分担の度合いもそれぞれの地方によって細部は異なる。県庁所在地はレジデンススタード(スウェーデン語: residensstad)と呼ばれ、県の行政機関が集中している。

各県は、日本の市に相当する基礎自治体である複数のコミューン(スウェーデン語: kommun) に分割される。名称からフランスの影響がうかがえる。2007年現在、コミューンの総数は全国で290である。最高議決機関は市(コミューン)議会(スウェーデン語: kommunfullmäktige)であり、その議員は当該コミューンの市民によって、4年毎に9月下旬に行われるリクスダーゲンや県議会(ランスティング)の総選挙と同時に選挙で選ばれる。スウェーデン国籍非取得者であっても、同一コミューン内に3年以上滞在していれば、滞在先のコミューンとそのコミューンが所属している県のランスティングについては選挙権がある。

市内の人口密集地はテートオート (tätort) と一般に呼ばれるが、市役所やコミューン議会が置かれている市の中心地は特にセントラルオート(スウェーデン語: centralort)と呼称される。嘗てスウェーデンにも「町」や「村」といった行政区分もあったが、現在は存在しない。日本の政令指定都市に置かれている「区」と同様の組織は一部のコミューンに設けられることもあるが、さほど一般的でなく、規模もごく小さい。「区」に近い概念としてスタッツデール(スウェーデン語: stadsdel)という表現があり、市内にあるそれぞれ人口密集地内の各地域を指す「地区」といった意味合いで使われる。

スウェーデンには以前、「教会市(スウェーデン語: kyrkokommun)」や「教区(スウェーデン語: församling)」という教会が課税権を持つ行政区分があったが、町や村と同様に行政区分としては教会市も教区も現在は存在しない。ただし、教区という区分は人口統計や歴史学の研究等、ごく限られた範囲では利用されることもある。

地方行政区分とは別に歴史的、言語的につながりのあるランドスカープ(スウェーデン語: landskap)と呼ばれる25の地方がある。詳細はスウェーデンの地方を参照

主要都市[編集]

詳細は「スウェーデンの都市の一覧」を参照ストックホルムは国内最大の都市であり、北欧有数の世界都市である

順位都市名人口面積

(km2)

人口密度
1ストックホルム952 0581884,164.12
2ヨーテボリ572 7794511,088.61
3マルメ341 4571561,784.10
4ウプサラ185,4942,18584.89
5リンシェーピング138,8051,43696.66
6ヴェステロース133,274962138.54
7オレブロ129,4821,38093.83
8ノーショーピング125,4631,503.6182.95
9ヘルシングボリ124,301347358.22
10ヨンショーピング122,5241,48982.29
11ウメオ110,5872,33147.44
12ルンド103,693430241.15
13ボロース100,570915109.91
14スンツバル94,5493,20929.46
15イェヴレ92,4561,61557.25

地理[編集]

スウェーデンの面積は日本よりやや広く、日本全土に北海道をもうひとつ足した程度である。面積のわりに人口が少なく、スウェーデンの総人口は約950万人と日本の12分の1程度であり、東京23区と同じくらいである。人口密度は日本の約19分の1程度で、世界の人口密度ランクでは235か国中187位という低密度な国である。スウェーデンの国土はスカンディナヴィア半島の中央、東側に位置する。この半島の西部はスカンディナヴィア山脈が南北に連なっているが、標高は2,000メートル程度しかなく、なだらかである。この山脈の最北部にあるケブネカイセ山の北峰で海抜2,104メートルがスウェーデンの最高点である。ボスニア湾やバルト海に沿って平野部はあるが、それほど広大ではない。半島南端のスコーネ県を除いて冬の寒さは厳しく、夏も全般的に冷涼である。湖沼が多く、中南部に最大のヴェーネルン湖と2番目に大きなヴェッテルン湖が位置する。土地の肥沃な地域はスコーネ県くらいしかなく、また中部から北部は気候的に農業には適さないため、酪農がおもな農産業である。

バルト海にある島のうち、本土と橋で結ばれたエーランド島のほか、ゴットランド島などがスウェーデン領である。オーランド諸島の住民はスウェーデン系だが、フィンランドの自治領になっている。

経済[編集]

17世紀にヨーロッパで最初の紙幣が発行され、世界最古の中央銀行であるリクスバンク(スウェーデン国立銀行)が設置されたことで知られている。同行は1969年からノーベル経済学賞を授与している。

電子マネーと電子決済(キャッシュレス)の普及率・使用率が非常に高い。2016年時点のGDP比での現金流通量は、スウェーデンでは1.4%。アメリカ合衆国の7.8%、日本の19.9%と比べると圧倒的に低い値である。店舗や公共機関などでも、現金では支払えない場合が非常に多く、旅行者はクレジットカードを必ず持参するように勧められている。

こういった電子決済への流れは、2010年から2017年にかけてスウェーデン・クローナの紙幣と硬貨が、新デザインのものに切り替えられたことが影響していると見られている。スウェーデン王立工科大学のニクラス・アービットソン准教授は、新デザインの紙幣、硬貨に対応したレジへの投資を見送る店が増えたことが、キャッシュレス化の流れを推し進めたと考えている。またスウェーデンでは、店舗が現金の受け取りを拒否できる法律があるといった事情もある。

また、キャッシュレス化によって、個人情報漏洩や不正送金の防止の技術は、他国より高いレベルのセキュリティーが必要となってくるため、こういったセキュリティー方面のベンチャー企業が台頭してきている。人体にチップを埋め込んで個人識別することによって、スマートフォンすら不要にし、ドアの鍵にもなるようなサービスも登場している。

詳細は「Swish」を参照

GDPと国際収支[編集]

国際通貨基金によると、2015年のスウェーデンの国内総生産(GDP)は4,926億ドル。同年の1人あたり国民総所得(GNI)は5万7,810ドルで、世界第7位の高所得国となっている。

国際収支について。経常収支は、世界金融危機のときに赤字に転じたが、それを除けば恒常的な黒字が続いている。2014 - 2015年にサービス貿易収支の純黒字が倍化している。サービス貿易収支の黒字が貿易収支全体に占める割合は、2001 - 2002年に無視できる程度であったものが、2014年29%、2015年47%、2016年45.5%となっている。

2013 - 2016年において、第一次所得(所得収支)は黒字基調だが、第二次所得(経常移転収支)は対照的に赤字基調である。金融収支は2013年から縮小しており、同年のポートフォリオは3兆クローナを超える赤字を記録、金融派生商品も赤字が続いている(2013 - 2016年)。

その他の投資は2016年1兆5,680億クローナの赤字。誤差誤謬は2014年に4,550億クローナであったものが、2016年に2兆7,410億クローナとなった。

農林水産業[編集]

国土の8割が冷帯に属し、コムギの栽培が可能な地域は北緯60度以南にすぎない。農地は国土の6.5%であるが、農業従事者は国民の1.5%にすぎない。しかしながら、高い生産性によって、穀類の自給率は121%(2002年)に達している。果実類と野菜類、油脂類を除く各項目の自給率はいずれも80%を上回る。穀類の生産量ではコムギ(241万トン、以下、2004年)、オオムギ(169万トン)のほか、燕麦(93万トン、世界シェア10位)が際立つ。

国土の65.9%は森林(針葉樹林)に覆われている。このため、針葉樹に限定すれば世界第5位の生産量(610万㎥、世界シェア5%)を占める。木材を輸出するため、ステナラインやワレニウス・ウィルヘルムセンといった海運業も発達している。

1972年、酸性雨の被害を世界に知らしめるため国連人間環境会議を招致し、ストックホルムで開催した。1980年代では、国内の8万5,000の湖沼のうち、1万8,000で魚がほとんど死滅、激減した。

製造業[編集]

スウェーデンは、国策として掲げる専守防衛・中立政策を、軍事同盟でなく自国の軍事力のみで達成するために、国防への注力は怠ってはいない。スウェーデンが国策として掲げる中立政策ゆえ、重化学工業を担う大企業はスウェーデンの軍需産業とも密接な関係を有している。

スウェーデンは、伝統的に製造業が盛んである。とりわけ、1930年代から国策により合理化と振興が推進された結果、世界的な競争力を有するようになった企業も複数存在する。SAAB(サーブ)は一般には自動車メーカーとして知られるが、元来は航空機メーカーで、ビゲン、ドラケン、グリペンといった戦闘機やサーブ 340などのターボプロップ旅客機を開発した実績を持つ。2006年現在、民間機部門からは撤退し、自動車部門はオペルと統合予定のGM100%子会社であるため、防衛産業に専念するようになった。

もうひとつの著名なスウェーデン自動車メーカーであったボルボ (VOLVO) グループは、現在は乗用車部門として中華人民共和国の浙江吉利控股集団の傘下に入っている。

また、ボフォースは第二次世界大戦以前から存在し世界的なシェアを持つ重火器の老舗メーカーである。日本では、一時ソニーと資本提携し合弁会社のソニー・エリクソン(ソニー・モバイルコミュニケーションズ)を設立していたことなどで知名度を上げた、通信機器メーカーのエリクソンが有名である。ほかにノーベル財団のノーベル賞で知られるアルフレッド・ノーベルが設立した火薬メーカーのノーベル社、ヨーロッパ第2位の家電メーカーエレクトロラックス社、プロ用カメラ・レンズ製造のハッセルブラッド社などがスウェーデンのメーカーの代表格として挙げられる。

北部の都市キルナは鉄鉱石の産地として有名であり、これを背景とした鉄鋼業が盛んである。生産される鋼材はスウェーデン鋼と呼ばれる。また南部の都市ルンドはソニーモバイルコミュニケーションズ、エリクソンなどのハイテク企業が多く集中している。熱交換器と遠心分離器の分野で世界的なシェアをもつアルファ・ラバル、紙パックのメーカーとして世界的に有名なテトラパックなども、ルンドが本社所在地である。

スウェーデン車を製造する国内の大手自動車メーカーが経営危機になったとき、税金で支えようとしたが失敗した。それ以降スウェーデンは、賃金が高くて価格競争力がない自国で製造業を維持することは困難と決断し、国内の製造業が外国資本に買収されても、政府は関与しないスタンスをとるようになった。

その他[編集]

  • スカニア - 世界3位のトラック・バス・産業用ディーゼルエンジンのメーカー。世界中に販売・製造拠点を設ける。日本では当初は日野自動車と提携していたが、のちに解消し、現在はスカニアジャパンが日本において販売・保守を行っている。
  • V&S - もともとは国営にしてスウェーデン最大のウォッカのブランドであるアブソルートを1979年から全世界に向けて発売。スピリッツでの売り上げは世界第3位。
  • アブ・ガルシア - 釣り具メーカー。スウェーデン王室御用達。歴史のある両軸受けリール「アンバサダー」が有名で、世界中に愛好家が存在する。
  • イケア - 世界最大の家具チェーン。
  • ヴィゲーンズ - 帽子のブランドとして世界各国でその名を知られている。
  • ファッションブランドのWESCは世界の多くの国に展開している。
  • H&M - 世界22カ国で展開する衣料品チェーン。
  • ハスクバーナ - チェーンソーメーカーとして日本でも知られているが、オフロードバイクの生産も行っており、モトクロス選手権やスーパーモタード選手権でもトップメーカーとして活躍している。
  • アストラゼネカ - 1999年に英国のゼネカ社と合併する前のアストラ社は北欧最大の製薬会社であった。合併後はロンドンが本社だが、ヨーテボリの研究所は存続している。
  • Spotify - 2億人以上のユーザーを抱える、音楽配信サービス最大手。

社会[編集]

詳細は「スウェーデンの福祉」を参照

長年にわたるスウェーデン社会民主労働党政権のもとで構築された社会保障制度が整い、税金制度や高齢者福祉など、社会政策が各国の注目を浴びている。

スウェーデンは、「社会科学の実験国家」ともいわれている。時代状況の変化に対応し、実に簡単に制度(法律)が変更される。そのため、スウェーデンの研究は絶えずこの変化を追いかけ、変更された意図を正確に捉え、その目的と意義を探る必要がある。低所得者層、高齢者、障害者、失業者等、社会的弱者もあるレベル以上の生活をすることが保障される。

高福祉高負担国家であり、GDPに占める租税率は35.5%(2003年、OECDで3位)、さらに社会保障拠出を含めると50.6%(OECDで1位)である。個人所得税はGDP比で15.8%(OECDで2位)、地方税率は平均32%ほどである(2005年)。

保健[編集]

詳細は「スウェーデンの医療」を参照

医療制度は社会保険制度ではなく、一般税収を原資とするユニバーサルヘルスケアが実現されている。GDPに占める医療費は9%であった(2013年)。地方分権が徹底されており、ランスティング歳出の9割は保健医療関連の支出である。

移民制度[編集]

寛容な移民受け入れ政策をとるスウェーデンを、ほかの北欧の福祉国家では「失敗例」とする声もある。スウェーデン民主党は少数無力ではあるが、ノルウェー、デンマーク、フィンランドと同様、昨今では安易な移民受け入れに反対する政党が政権へ影響力を持っている。

治安[編集]

2004年のスペイン列車爆破事件や2005年のロンドン同時爆破事件以降、さまざまな治安対策が積極的に講じられているが、犯罪数は増加傾向にあり、2011年の統計では犯罪数約148万件と発表された。犯罪発生率でみれば日本の約13倍に及ぶこととなる。2010年には2010年ストックホルム爆破事件が起こった。

スウェーデンにおける犯罪の過半数が置き引きやスリなどの窃盗であり、おもに旅行者を狙ったものが多い。ストックホルム警察によると各国からの旅行者の中でも日本人の被害が多いとのことである。さらに、以前は少ないとされた暴力犯罪や性犯罪も2011年ごろには増加傾向にある。

警察機構は、2015年に警察庁 (Polismyndigheten) に再編され、国家警察化が進められている。

教育[編集]

詳細は「スウェーデンの教育」を参照

スウェーデンの教育制度は日本と同じく6・3・3・4制である。

国際交流基金の2012年度日本語教育機関調査では、スウェーデンの日本語学習者数は2,226人である。

「日本とスウェーデンの関係」も参照

交通[編集]

詳細は「スウェーデンの交通」を参照

道路[編集]

スウェーデンの道路は所有区分によって一般道 (allmän väg) とその他の道路 (övriga vägar) に分けられる。一般道は国が所有し、スウェーデン産業省の外局である道路庁 (Vägverket) が管理している。一般道はヨーロッパ道路 (Europavägar) 、国道 (Riksvägar) 、県道 (Länsvägar) 、その他の一般道 (Övriga allmänna vägar) に分類される。ヨーロッパ道路は例外的に国連欧州経済委員会(UNECE)が事務的な管理を担当している(スウェーデン国内の部分についてはスウェーデン政府が所有し、整備を担当)。その他の道路は各市の所有であったり、道路の設置されている土地の所有者に帰属している場合もある。その他の道路には市道 (kommunal väg) か私道 (enskild väg) に分類される。一般道はスウェーデンの道路法 (Väglag, SFS 1971:948) によって定義、建設・整備の責任などが定められている。その他の道路は土地および建物法 (Plan- och bygglag, SFS 1987:10) にその規則が定められている。

2007年8月1日からストックホルム中心部では、出入りする国内登録車両に対して時間帯に応じた進入税 (trängselskatt) が課税されるようになった。この税金の目的は中心部の交通量を減らし、そのことによって公共交通機関たるバスの定時性を保持すると同時に、排ガスによる住民の健康を保護するなど中心部の環境保全にある。

鉄道[編集]

詳細は「スウェーデンの鉄道」を参照

スウェーデンの鉄道は、政府が株式を100%所有するエスイー (SJ, Statens Järnvägar) が全国の旅客輸送を担当しているほか、トーグコンパニーエット (Tågkompaniet) 、コネックス・スヴェリエ(Connex Sverige, Veolia Transport Sverigeに社名変更中)などの政府とは資本関係のない会社が一部地域の旅客鉄道輸送を担っている。線路はスウェーデン産業省の外局である鉄道線路庁 (Banverket, バーンベルケット) が所有・管理している。空港連絡鉄道としてはアーランダ空港とストックホルム中央駅をアーランダエクスプレス (Arlanda Express) が20分で結んでいる。貨物輸送はやはり政府が株式を100%所有するグリーン・カーゴ (GreenCargo) を中心に、ノルウェーの運送会社が筆頭株主のヘクター・レール (Hector Rail) などによって運営されている。

地下鉄はストックホルムにのみあり、ストックホルムス・ロカールトラフィーク (SL, Storstockholms Lokaltrafik) が運営している。ストックホルムス・ロカールトラフィークは郊外へのコミュータートレインも運行している。どちらもエスイーなど、ほかの鉄道事業者とは乗り入れていない。

路面電車はストックホルム、ヨーテボリ、マルメ、ノーショーピングの各都市で運行されており、特にヨーテボリとノーショーピングの2都市では複数路線が市内の広い地域をカバーしている。

バス[編集]

スウェーデンの各都市で運行されている公共交通機関としてのバスは、地方自治体であるランスティングやレーン (län) がその出資母体となる株式会社として運営されている場合が多い。地方自治体とは資本関係のないバス会社も多数あるが、そのほとんどは観光目的の観光バスや都市間を結ぶ高速バスを運営している。

各都市で運行されているバスは市内の2拠点間を市中心部にあるバスターミナルを経由して(起・終点としてでなく)走っている。各都市には主要路線のバスが必ず経由するようなメインのバスターミナルが最低ひとつはあるが、そのようなターミナルが必ずしも日本のように駅前にあるわけではない(もちろんバスターミナルが駅に隣接している場合もあり、離れていてもせいぜい500 - 600メートルほど)。ストックホルムやヨーテボリのような大都市ではそのようなバスターミナルが複数設けられている。

空運[編集]

スカンジナビア三国(スウェーデン・ノルウェー・デンマーク)のフラッグ・キャリアたるスカンジナビア航空を筆頭に複数の航空会社が国内・国外への旅客便を運航している。スカンジナビア航空はほかの航空会社に先駆け、アンカレッジ経由で西欧・極東間の便を就航させたことでも知られている(いわゆる「北回りヨーロッパ線」)。貨物便としてはスカンジナビア航空のほかに、アメリカ系のUPS、ドイツ系のDHLが航空貨物便として乗り入れている(UPSとDHLはスウェーデン国内の陸上輸送へも進出している)。

スカンジナビア航空以外でスウェーデン国内を拠点としている航空会社としては、マルメ・アヴィテーション (Malmö Aviation) 、スカイウェイズ (Skyways) 、ゴットランズフリーグ (Gotlandsflyg) などの航空会社がある。多くは国内・国外への両方ともに運行しているものの、ほとんどはヨーロッパの各都市への便に限られている。

国民[編集]

詳細は「スウェーデン人」、「w:Swedes」、および「スウェーデンの人口統計」を参照

民族構成(スウェーデン)
スウェーデン人85%
フィンランド人5%
その他10%

スウェーデンの人口推移(1961年-2008年)スウェーデンの人口ピラミッド

スウェーデンは一人の高齢者(65歳以上)を3.1人の生産世代(20 - 64歳)が支える少子高齢化社会であるが、総人口は増え続けている。合計特殊出生率は1.85人であるが、一方で純移動率は6.75人と流入超過であり、出産ではなく移民によって人口が増加している。

移民[編集]

詳細は「スウェーデンの人口統計#移民」を参照

移民はスウェーデンの歴史における人口増加と文化変容の大きな源である。移民は、経済・社会そして政治的側面において、人種・経済的扶助・非移民の職・集落体系・社会的流動性への影響・犯罪・投票行動など、さまざまな議論を巻き起こしている。

スウェーデンには移民の人種的背景に関するはっきりとした統計はない。これは、スウェーデン政府は人種に基づいた統計を一切行わないためである。しかしながら、移民の国籍については記録されている。1998年の調査では、外国にルーツを持つ者(外国生まれの者、また移民の子ども)は174万6,921人であった。これはスウェーデンの人口のおよそ20%にあたる。そのうち1,2万6,659人(約70%)が北欧またはその他ヨーロッパの国出身であり、53万262人(約30%)がそれ以外の国出身である。

2011年の統計によると、スウェーデンの総人口の約20.1%にあたる192万1,000人が、全面的、または部分的に外国にルーツを持つ。そのうち外国生まれの者は142万7,296人である。43万253人が父母ともに外国生まれの両親を持ち、66万6,723人は、片方が外国生まれ、もう片方がスウェーデン生まれの親を持つ。

2010年のEurostatの調査によると、スウェーデンには133万人の外国生まれの住民がいるとされ、これは全人口の14.3%にあたる。そのうち85万9,000人(全人口の9.2%)は非EU加盟国生まれで、47万7,000人(全人口の5.1%)がEU加盟国生まれである。

2009年には年間の移民の数は過去最高に達し、10万2,280人を記録した。移民のほとんどは、スヴェアランドやイェータランドの都市圏に集中している。

2012年には、4万4,000人の難民を受け入れた。また、シリア争乱の状況悪化にともない、2013年9月には、シリアからスウェーデンへの亡命希望者全員を受け入れ、永住権を付与すると発表した。

移民問題[編集]

スウェーデンでは次世代先進国のモデルとして「高福祉高負担」の社会モデルが注目されていたが、その影には移民政策による歪みが拡大している。

移民排斥を唱える右翼政党のスウェーデン民主党が、反移民の空気の広がりを追い風にして2010年9月のスウェーデン総選挙で初めて国政に進出し20議席を獲得した。党首のジミー・オーケソンは「わが国の移民政策は失敗だった」と述べ、スウェーデン社会に溶け込まない移民に対する不満が右派政党躍進の背後にあったとみられている。

2013年5月中旬、警察による男性射殺事件に端を発した抗議暴動は瞬く間に拡大し、ストックホルム市内とその周辺では車や学校への放火が相次いだ。警察署や学校が襲撃され、22日には一晩で90件の火事が発生した。これに関連しラインフェルト首相は、移民の社会統合の失敗がストックホルムにある諸問題の一因であることを認めており、拡大し続ける移民問題のひずみにどう対処するのか、スウェーデンの今後の社会動向が注目されている。

2018年には過去5年間の強姦犯の58%が外国生まれの移民であり、その多くが非欧州からの移民であった。スウェーデンの強姦した者への刑罰は1年から5年であると報道された。

言語[編集]

2009年7月からスウェーデン語 (svenska) が正式な公用語に制定された。そのほか、フィンランド語、メアンキエリ、ロマ語、サーミ語、イディッシュ語を話す者も少数いる。スウェーデン語は隣国のノルウェー語、デンマーク語と類縁関係(ゲルマン諸語)にあり、スウェーデン語話者とノルウェー語話者は相互に意思疎通ができる会話程度は可能であるといわれる。

テレビ番組にアメリカ製番組の字幕版が多いといった文化面の影響もあり、イギリスの方が近いにもかかわらず、イギリス英語でなくてアメリカ英語で話す人たちもいる。

宗教[編集]

福音ルーテル教会がスウェーデン国教会である。実際に、その人口の8割が福音ルーテル教会に所属している。

文化[編集]

文化的嗜好(国民性)[編集]

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2007年5月)

文学[編集]

詳細は「スウェーデン文学」を参照

音楽[編集]

民族音楽[編集]

スウェーデンの民族音楽は、フォルクムジーク (folkmusik) と称され、フォルクダンス(folkdans、民族舞踊、正確には民間伝承舞踊と訳されるのが好ましい)と深いつながりがある。フォルクダンスの形態で有名なのはポルスカ (polska) で、また、スウェーデン独自の楽器にニッケルハルパ (nyckelharpa) がある。(スヴェンスカ・)フォルクダンスリンゲン は、スウェーデン最大の民間伝承(伝統)音楽および舞踊に関する組織であり、関連する情報の提供源として挙げておく。

クラシック音楽[編集]

バロック音楽の時代では、イギリスのヘンデルやペープシュに学んだユーハン・ヘルミク・ルーマン(1694年 - 1758年)は、ヘンデルばりの合奏協奏曲や、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータに近い響きの 「ヴァイオリンのためのエッセイ」 を書き、「スウェーデン音楽の父」 または 「スウェーデンのヘンデル」 と呼ばれた。古典派の時代にはドイツ生まれのヨーゼフ・マルティン・クラウス(1756年 - 1792年)が活躍し、短調の情熱的な曲を多く書いて 「スウェーデンのモーツァルト」 と呼ばれている。

ロマン派音楽の時代に入ると、フランス・アドルフ・ベルワルド(1796年 - 1868年)、ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル(1867年 - 1942年)、ヴィルヘルム・ステーンハンマル(1871年 - 1927年)、ヒューゴ・アルヴェーン(1872年 - 1960年)などの作曲家が挙げられる。

デンマークのカール・ニールセン、ノルウェーのエドヴァルド・グリーグ、フィンランドのジャン・シベリウスなどと比べてクラシック音楽全体の知名度は劣るが、近年では北欧全体におけるそれぞれの自国の文化を保護・支援する制度が充実しているため、これらの作曲家のレパートリーも多く取り上げられるようになって来ている。

ペーテル・ヤブロンスキ(英語版)は、世界最高峰のピアニストのひとりとして有名である。

エリック・エリクソンが長く指揮者を務めたスウェーデン国立放送合唱団やエリック・エリクソン室内合唱団などがある。

ポピュラー音楽[編集]

スウェーデンを代表するポピュラー音楽としては、1974年にデビューして以来全世界でヒット曲を出し続けたアバがある。アバは1982年に活動停止するまで精力的に数多くの良質なポピュラーソングを発表し、近年は楽曲を使ったミュージカルをヒットさせている。

ヨーロッパ、イングヴェイ・マルムスティーンなどを中心に1980年代ごろから開拓されたヘヴィメタル系のロックは、北欧メタルと称される。1990年代以降は特にエクストリーム・メタルにおいて、アット・ザ・ゲイツ、イン・フレイムス、アーチ・エネミー、オーペスなどの数々のメロディックデスメタルバンドを生み、世界的な影響を与えている。このようなヘヴィメタル・ミュージックが発展した理由に、ABFなどからのさまざまな補助、地域の音楽学校やコミュニティの充実などを挙げるミュージシャンもいる。

また、1990年代はカーディガンズなど有名バンドを発信し、スウェーデンのポピュラー音楽は日本でも親しまれていた。日本国内のポピュラー音楽にスウェーデンのスタッフが関わることも多く、BONNIE PINK、原田知世、パフィー、ジャニーズ事務所所属のアイドルグループ・NEWSなどの楽曲に関わっている。

このように一時はヨーロッパ外の国々にもその名を知らしめもした。しかしながら1990年代も半ばを過ぎてアメリカのポピュラー音楽がアフリカン・アメリカンやラテンアメリカ系ないしその血を引く者たちを主力とするR&BやHip-Hopの独擅場となっていくにつれて、一時は衰退の一途を辿る傾向にあった。一方でロックでは、iPodの宣伝にも起用されたシーザーズや、日本の音楽フェスティバル「サマーソニック」に何度も出演しているマンドゥ・ディアオが人気である。ほかにも近年ではEDMの隆盛にともない、スウェディッシュ・ハウス・マフィアやアヴィーチーなどのDJや、その流れを継いだアイコナ・ポップやトーヴ・ローなどの女性アーティストも全世界レベルで活躍中である。

映画[編集]

詳細は「スウェーデンの映画」を参照

聖ルシア祭[編集]

スウェーデンでは毎年12月13日に聖ルチア祭が行われ、「一番大切な冬の行事」といわれている。イタリア・シチリア生まれの女性聖者である聖ルチアは、貧しい人々に財産のすべてを提供した純粋な人といわれている。貧民の生活に光を与えた彼女は、光の聖人として、また農耕の守護神として親しまれている。

16世紀にグレゴリオ暦が改訂されるまで、聖ルチア祭は北半球の冬至の日だった。冬至は一番日が短い日であるため、日が長くなり始める日である。日が長くなることを祝う古来からの民間信仰に、キリスト教の光の聖人がいつの間にか一体となって現在にいたる。

長く暗く寒い三重苦の北欧の冬に一筋の光を投げ込むのが聖ルシアである。この日の朝、女の子がいる家庭では白いドレスに蝋燭の冠を被った娘が父親にサフランパンとジンジャークッキーを持っていき、枕元でサンタ・ルチアの曲を歌う。父親はルシアのような光に包まれた娘に起こされる。

近年では職場や学校、教会などで聖ルシア祭が行われ、蝋燭の冠を被ったルシア姫を先頭に同じく白いドレスを着た女の子と星の使いに扮した男の子が行列を作ってサンタ・ルチアなどの歌を歌う。頭に載せたり手に持った蝋燭の淡い光が日の光を切望する北欧の人たちの気持ちを代弁しているようでもある。行列のあとはサフランパンやジンジャークッキー、コーヒーやグレッグと呼ばれるホットワインが振る舞われる。

なお、イタリア語読みでルチアだったものが、スウェーデン語読みでルシアに変化している。

世界遺産[編集]

詳細は「スウェーデンの世界遺産」を参照

スウェーデン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が11件、自然遺産が1件、複合遺産が1件存在する。

祝祭日[編集]

日曜日と重なっても振り替え休日にはならないが、祝日の前日が休みになっていたり、労働法により半日休暇を許可されていたりすることが多い。キリスト昇天祭もメーデーと重なる5月1日になる場合があるが(2008年など)、この場合でも振り替え休日は発生しない。

日付日本語表記現地語表記備考
1月1日元日Nyårsdagen
1月6日公現祭(東方の三博士の来訪記念日)Trettondedag jul
復活祭2日前聖金曜日Långfredagen金曜日
復活祭翌日イースターマンデーAnnandag påsk月曜日
5月1日メーデーFörsta maj
復活祭39日後主の昇天(キリスト昇天祭)Kristi himmelsfärds dag木曜日
6月6日建国記念日Svenska flaggans dag2005年より法定休日
夏至祭前日夏至祭前日Midsommarafton金曜日
6月20日から6月26日の間の土曜日夏至祭Midsommardagen元々は6月24日
復活祭50日後聖霊降臨後の月曜日Annandag pingst2004年まで法定休日
11月1日万聖節Allhelgonadagen
12月24日クリスマスイヴJulafton
12月25日クリスマスJuldagen
12月26日ボクシング・デーAnnandag jul
12月31日大晦日Nyårsafton

スポーツ[編集]

手厚い国庫負担によって国民の半分が何らかのスポーツに関与している。

サッカー[編集]

特にサッカーが盛んで、FIFAワールドカップでは地元開催の1958年大会で準優勝、1950年ブラジル大会、1994年アメリカ大会では3位に入っている。ブロリン、ラーション、リュングベリ、イブラヒモビッチなどヨーロッパのビッグクラブで活躍する選手も輩出している。

ウィンタースポーツ[編集]

ウィンタースポーツも盛んに行われており、特にアイスホッケーはサッカーを凌ぐ人気スポーツである。NHLのデトロイト・レッドウィングスに所属するヘンリク・ゼッターバーグは国民的スターであり、ゼッターバーグが原動力となった2006年はトリノオリンピックとアイスホッケー世界選手権の両方で金メダルを獲得した。また、クロスカントリースキー、スノーボード、カーリングの強豪国でもある。

その他[編集]

陸上競技では2004年アテネオリンピックで男子走高跳、男子三段跳、女子七種競技で金メダルを獲得するなど跳躍競技を中心に強い。また当初は陸上競技として捉えられていたものの、スウェーデン軍の斥候訓練が由来とされるオリエンテーリングも非常に盛んであり、ほかの北欧諸国と同じく強豪国として君臨している。ほかにボート競技、卓球、繋駕速歩競走なども盛んである。ビョルン・ボルグなどを輩出したテニスは国技とされ、日本で言う国技館のようなテニス会場がある。

結婚[編集]

かつては婚姻の際、父姓に統一することを原則とし、例外的に別姓とする慣習法があった。しかし1982年に、夫婦同姓・複合姓・夫婦別姓が選択できることが明文化された婚姻法が施行されている。また2009年からは、同性同士の結婚(同性婚)も認められた。そのほか、未婚の同棲者カップルを保護するサムボ法がある。

著名な出身者[編集]

詳細は「スウェーデン人の一覧」を参照

  • 聖ビルギッタ(1303年 - 1373年) - キリスト教カトリックの聖女
  • エマヌエル・スヴェーデンボリ(1688年 - 1772年) - 神秘思想家
  • アンデルス・セルシウス(1701年 - 1744年) - 科学者(セ氏寒暖計発明)
  • カール・フォン・リンネ(1707年 - 1778年) - 植物学者
  • カール・ツンベルク(1748年 - 1828年) - 植物学者、医学者
  • フェルセン(1755年 - 1810年) - 貴族・政治家(マリー・アントワネットの愛人といわれる)
  • アンデルス・エーケベリ(1767年 - 1813年) - 化学者(タンタル発見者)
  • フランス・アドルフ・ベルワルド(1796年 - 1868年) - 作曲家
  • フレデリカ・ブレーメル(1801年 - 1865年) - 急進的女性活動家
  • ノルデンショルド(1832年 - 1901年) - 探検家(北東航路の発見、日本に寄港1879年)
  • アルフレッド・ノーベル(1833年 - 1896年) - 科学者、ノーベル賞設立者
  • エレン・ケイ(1849年 - 1926年) - 穏健女性活動家
  • ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(1849年 - 1912年) - 作家
  • セルマ・ラーゲルレーヴ(1858年 - 1940年) - 作家
  • スヴァンテ・アレニウス(1859年 - 1927年) - 科学者
  • アンデシュ・ソーン(1860年 - 1920年) - 画家
  • スヴェン・ヘディン(1865年 - 1952年) - 探検家(中央アジア探検)
  • ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル(1867年 - 1942年) - 作曲家、音楽評論家
  • ヴィルヘルム・ステーンハンマル(1871年 - 1927年) - 作曲家・ピアニスト・指揮者
  • ヒューゴ・アルヴェーン(1872年 - 1960年) - 作曲家、指揮者、ヴァイオリニスト、画家
  • アンデルス・オングストローム(1814年 - 1874年) - 天文学者・物理学者
  • カール・ミレス(1875年 - 1955年) - 彫刻家
  • グンナール・アスプルンド(1885年 - 1940年) - 建築家
  • クット・アッテルベリ(1887年 - 1974年) - 作曲家、音楽評論家
  • パール・ファビアン・ラーゲルクヴィスト(1891年 - 1974年) - 作家(1951年ノーベル文学賞受賞)
  • オスカル・クライン(1894年 - 1977年) - 理論物理学者
  • ベルナドッテ伯(1895年 - 1948年) - 赤十字社総裁、国連パレスティナ調停官
  • グンナー・ミュルダール(1898年 - 1987年)経済学者 - (1974年ノーベル経済学賞受賞)
  • ダグ・ハンマルショルド - (1905年 - 1961年)国連事務総長
  • グレタ・ガルボ(1905年 - 1990年) - 米ハリウッド女優
  • アストリッド・リンドグレーン(1907年 - 2002年) - 作家
  • ハンス・アルヴェーン(1908年 - 1995年) - 物理学者
  • ユッシ・ビョルリング(1911年 - 1960年) - テノール歌手
  • ラウル・ワレンバーグ (1912年 - ?) - 外交官・ユダヤ人の救出で活躍。
  • イングリッド・バーグマン/ベルイマン(1915年 - 1982年) - 米ハリウッド女優
  • イングマール・ベルイマン(1918年 - 2007年) - 映画監督、脚本家、舞台監督
  • ウーロフ・パルメ(1927年 - 1986年) - 政治家
  • フジ子・ヘミング(1932年 - ) - ピアニスト
  • ジェンス・バーテルソン - 政治学者
  • スヴェン・ゴラン・エリクソン(1948年 - ) - サッカー監督
  • ステラン・スカルスガルド(1951年 - ) - 俳優
  • ビョルン・ボルグ(1956年 - ) - 元プロテニス選手(国際テニス殿堂入)
  • インゲマル・ステンマルク(1956年 - ) - 元ワールドカップ スキー回転・大回転チャンピオン。1980年レークプラシッド五輪金メダリスト。70 - 80年代を代表するスキー選手。
  • アンナ・リンド(1957年 - 2003年) - 政治家
  • イングヴェイ・マルムスティーン(1963年 - ) - ギタリスト
  • マッツ・ビランデル(1964年 - ) - プロテニス選手
  • ヤン=オベ・ワルドナー(1965年 - ) - 卓球選手
  • ステファン・エドベリ(1966年 - ) - 元プロテニス選手(国際テニス殿堂入)
  • アニカ・ソレンスタム(1970年 - ) - プロゴルファー(世界ゴルフ殿堂入)
  • ヘンリク・ラーション(1971年 - ) - 元サッカー選手 、FCバルセロナなどに所属。
  • ズラタン・イブラヒモビッチ(1980年 - ) - サッカー選手 、LAギャラクシー所属。
  • フレドリック・ユングベリ(1977年 - ) - 元サッカー選手、 清水エスパルスなどに所属。
  • マティアス・エクルンド(1969年 - ) - ギター&ヴォーカリスト。フリーク・キッチン
  • アネッテ・ノルベリ(1966年 - ) - カーリング選手。トリノオリンピック金メダリスト。
  • マルクス・ペルソン(1979年 - ) - プログラマー、ゲームクリエイター。
  • ステファン・イシザキ(1982年 - ) - サッカー選手。
  • 三遊亭じゅうべえ(1985 - ) - 落語家。本名ヨハン・エリック・ニルソン・ビョルク。
  • アヴィーチー(本名:ティム・バークリング) (1989 - 2018)
  • ピューディパイ(1989 - ) - ユーチューバー


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