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自転車(じてんしゃ、英: bicycle)は車両の一種。
自転車の定義のしかたはいくつかあるが、たとえば次のようなものがある。
あるいは
などといった定義である。
乗り手の人力により車輪を駆動し推進力を得て、乗り手の操舵で進路を決めて、地上を走行する乗り物である。 なお英語の 「bicycle」や「bike」 は「二輪」を意味し、日本においても自転車を「バイク」と呼ぶことがある。日本語の「自転車」は結果として、二輪のものを指していることは多いが、日本語の「自転車」には車輪の数に関する言葉が含まれておらず、2輪に限らず含めることが可能で、三輪、時に一輪や四輪をも含む。また「自転車」は、人力による操作がほとんど必要ない電動自転車や原動機付自転車にも使われ、その意味でも定義は曖昧となっている。
地上を移動する目的でヒトの筋力が最も効率良く発揮されその目的が達成できるのが自転車である、という解説がニッポニカではされている。つまり自転車という道具を用いると、人間自らの脚によって体重を支えつつ歩いたり走ることに比べて、筋力を効率的に進む目的に充てることができ、速く移動でき、また、徒歩や走行よりも少ないエネルギーで進めるので、同じ体力を使ってより遠くに行くこともできる、というわけである。
自転車は、自動車に比べて安価に購入でき、燃料が不要なことから、道路整備が遅れ国民の所得水準が低い発展途上国では重要な移動手段である。また自動車などと比較して、移動距離当たりのエネルギーが少ない上、路上の専有面積が少なく、有害な排出ガスが発生しないので、ヨーロッパ諸国など都市化が十分に進んだ先進国でもここ数十年、再評価されるようになってきている。自動車に依存した生活が運動不足をもたらし健康をむしばむことが、近年理解されるようになり、健康を重視する欧州諸国や日本などでは健康増進効果への期待の面からも、また環境(地球環境・局所的な環境の両方)への負荷を小さくする面でも高く評価され、積極的に利用されるようになっている。
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日本の道路交通法では「軽車両」に分類され 、 運転免許の必要は無いが、自転車でも交通事故は起き、運転者自身や、衝突した人が怪我をしたり死亡することもあり、自転車の運転者には(自動車や自動二輪を運転することと同様に)安全運転を心掛けることが広く求められ、道路交通法を遵守しつつ走行しなければならない。
日本では自転車の運転者のルール遵守の意識や、法的責任の自覚が遅れた分、そうした悲惨な傷害事故・死亡事故や裁判が数多く起きてきた。[独自研究?]そのためたびたび道路交通法が改正されている。主な自転車に関する道路交通法の規定を以下に記す。
これらの違反について警察官による取り締まりも強化されるようになった。同時に、自転車利用の促進のため、道路での走行ルールの明確化、走行場所の法的な明確化・確保もされた。なおそれと連動して自転車専用レーン整備のための行政的な推進も図られる。
平成後期より、自転車に乗る人に「自転車保険」(事故時の損害賠償などに対応するもの)への加入を義務化する地方自治体も現れた。2015年10月に兵庫県で義務化が開始され、以降全国に広まる。
自転車の歴史、特に黎明期の記録については現在もヨーロッパ各国を中心に資料の発掘と検証が続けられており、長らく定説とされてきたものを覆す研究も提示されている。また二輪の自転車よりも三輪以上の自転車がより早く製作されていたと考えられている。日本においては陸船車も参照のこと。
自転車の起源に当たる乗り物、またその着想についてはこれまでも様々な説が浮上しては否定されてきた。現在ではドライジーネ (Draisine) が、実際に製作されたことが確認できる二輪自転車の祖先とされる。これは、1813年にドイツのカール・フォン・ドライスによって発明された木製の乗り物で、前輪の向きを変えることができるハンドルと、前後同じ直径の二つの車輪を備えていた。クランクやペダル、チェーンといった駆動装置はなく、足で直接地面を蹴って走るものであった。この乗り物は間もなくデニス・ジョンソン(英語: Denis Johnson (inventor)) によってイギリスで改良され、ホビーホースなどと呼ばれた。1839年に、イギリスのマックミランによってペダル式の自転車が最初に考案された。
1861年にフランスでミショー型が発売された。これは現在の小児用の三輪車と同じようにペダルを前輪に直接取り付けたものであった。ピエール・ミショーがオリビエ兄弟(en)より出資を受けて製造販売を始めたもので、これは初めて工業製品として量産された自転車でもある。なお、ミショー型については、ミショーの元で雇用されていたピエール・ラルマンが「自分こそがペダル付き二輪車の発明者であり、ミショーにそのアイデアを盗用された」と主張し、1866年にアメリカにて特許を取得している。
詳細は「ベロシペード」を参照
1870年頃、英国のジェームズ・スターレーが、スピードを追求するために前輪を巨大化させたペニー・ファージング型自転車を発売し好評を博したため、多くのメーカーが追随。前輪は拡大を続け、直径が1.5メートルを超えるものも出現した。当時盛んに行われたレースなどスポーツ用に特化したもので、長距離のクロスカントリーライドまで行われた。しかし極端に重心位置が高いため安定性が悪く、乗車中は乗員の足がまったく地面に届かないことなどにより日常用としては運用が困難であり、転倒すれば高所より頭から落ちるような危険な乗り物であった。日本ではだるま車などと呼ばれた。
詳細は「ペニー・ファージング」を参照
1879年に英国人ヘンリー・ジョン・ローソン(英語: Harry John Lawson) により後輪をチェーンで駆動し、座席(サドル)の高さが低いため重心が低く、乗員の足が容易に地面に届く物が製作され、ビシクレット(Bicyclette…二つの小輪)と名付けられた。これが英語の Bicycle の元となった。マキャモンによる初期の安全型1884年スターレー・アンド・サットン (Starley & Sutton)、ハンバー、マキャモン (McCammon)(en)、BSAなどがビシクレットに改良を加えた自転車を発売する。
1885年にジェームズ・スターレーの甥ジョン・ケンプ・スターレーが「ローバー安全型自転車 (Rover Safety Bicycle)」の販売を開始する。側面から見て菱形のシルエットを持つダイヤモンド型のフレームを持ち、前後輪が同じ大きさで、後輪チェーン駆動の現在の自転車に近い姿になった。この安全型自転車の登場により、それまでのスピードは出るが危険なペニー・ファージング自転車は徐々に衰退していき、またそれまでスポーツ用が主な用途だった自転車は日常の手軽な交通手段としての側面を強くしていった。
しかし、この時までの自転車は車輪が木製か空気なしのゴム製であり、乗り心地は非常に悪く「ボーン・シェーカー」(骨ゆすり)とも呼ばれるようなものであった。これが大幅に改善されるのは、1888年にジョン・ボイド・ダンロップが空気入りタイヤを実用化してからのことである。この発明はすぐに自転車に使用され、乗り心地と速度の大幅な向上をもたらした。その後フリーホイール機構が普及し、自転車の基本がほぼ完成された。
詳細は「安全型自転車」を参照
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年11月) |
詳細は「変速機 (自転車)」を参照
ブレーキサイドプル・キャリパーブレーキ(デュアルピボットタイプ)詳細は「ブレーキ (自転車)」を参照多くの場合はハンドルバーの端部に備えられたレバーで操作し、コントロールケーブルやリンク機構で操作が伝達される。クランクを逆転させることで作動するコースターブレーキと呼ばれるものも一部で採用されている。エラストマー製の摩擦材がリムを挟んで制動する構造や、ハブにと同軸に備えられた円筒を帯状の摩擦材を巻き付けて制動する構造のものが多く採用されている。日本では公道を走行する自転車にはブレーキ装置を前後両輪に備えることが義務づけられている。前照灯前照灯(リムダイナモ式)詳細は「前照灯#自転車」を参照前方に光を照射するための部品であるが、自転車の場合は操縦者の視認性の向上というよりは外部からの被視認性の向上が主な意図となる。前輪のリムに接触させたダイナモの回転子が前輪の動きに合わせて回転し発電して発光するリムダイナモ式が古くから用いられている。前輪のハブにダイナモを取り付け、夜間走行中に自動的に点灯するハブダイナモ式も増えている。他に、乾電池や太陽電池で発光する前照灯も販売されている。日本では自転車車両への前照灯装備義務はないが、道路交通法第52条により夜間の点灯義務があるため、前照灯がない自転車を夜間に運転する場合は別に前照灯を用意して点灯する必要がある。反射材・尾灯・その他灯火類詳細は「尾灯#自転車」を参照後部に設置し自車の存在を知らせ、後部からの被視認性を向上させる。車両の前照灯からの光を反射して赤く光る反射材と、赤い光を後方に照射する尾灯がある。日本では道路交通法第52条および第63条の9により夜間に運転する場合は反射材か尾灯の少なくとも一方を装備する必要がある。車体全体の発光自転車の車輪や車体を電源や反射塗料、無機ELなどで発光させ、側面からの被視認性を向上させるもの。反射塗料を塗装した自転車としては、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコのMission Bicycle Companyによる「Lumen」がある。これは、車体に再帰反射粒子を含有する物質を粉体塗装したもので、フレーム全体が光を反射する。Kickstarterで15,000ドルを目標に出資を募ったところ、60,000ドル以上を集めている。自動車メーカーのボルボは、自転車向けの光反射スプレー「LifePaint」を、2015年にイギリスで試験発売している。また、マルキン自転車(ホダカ)も「レアルタシティ ハイブリッド」を発売している。無機EL発光体を使用した自転車としては、カインズが2015年11月に発売した「光る自転車KiLaCle(キラクル)」がある。これは、前輪で発生させた電気を利用し、自ら発光することにより視認性を向上させたモデルである。警音器自車の接近を音で伝えるための部品。指でレバーを操作しベルを鳴らすものが多い。道路交通法第54条により、自転車の運転者は警音器を鳴らす義務がある。また、法令で規定されている場面以外では鳴らしてはならないとされている。道路交通法に記述されているのは鳴らす義務であり、自転車に警音器を整備する義務は無い。ただし、多くの都道府県の道路交通法施行細則や条例で整備を義務化している。例えば、東京都では条例(東京都道路交通規則第8条第9項)により警音器が整備されていない自転車に乗車することを禁じている。その他の付属物ヨーロッパ諸国では自転車の利用が非常に盛んな国が多い。 欧州諸国では、1990年代以降自転車が環境や健康にもたらす効果を重視し、自転車を都市交通の重要な担い手と位置づけている。コペンハーゲンで自転車に乗る人々。赤信号で信号待ちをしているところ。オランダ、デンマーク、スウェーデン、ドイツなど多くの国で自転車交通教育の推進によって自転車交通が促進されている。通行規則は自動車やバスなど同じ道路を走る他の車両と一体として整備され、全ての車両の運転者に等しく、車道での安全走行が規則として徹底される。自転車または二輪車のための専用レーン整備が進められる一方で、専用レーンがない場合でも、自転車は車道を走行する車両とみなされ交通規則が適用されている。
オランダやデンマークでは通勤利用者に対する購入時の金銭的補助がある。スイスでは山岳地帯であるにもかかわらず、自転車観光ルートを充実させ、ルートガイドを徹底することにより、自転車による観光が推進されている。ドイツ、オランダ、サンフランシスコなど、鉄道車両などの公共交通機関に折りたたむことなく、そのままの状態で自転車を持ち込むことができる場所も多い。これにより自転車で最終目的地に到達できる可能性が増す。
近年、共有自転車(コミュニティサイクル、バイシクルシェアリング)を都市内で大規模に導入する動きもみられ、パリのヴェリブはその中でも代表例で、利用者・台数が多い[要出典]。
南アメリカのコロンビアの首都ボゴタは、市長提唱による自転車交通推進によって短期間に欧州的な自転車都市となった。長年毎週日曜日には中心の7番街でシクロ・ビア(自転車天国)と呼ばれる自転車中心に歩行者やローラースケーターたちへの道路の開放が行われてきたが、1990年代後半以降は地域を拡大し、さらに大規模に行われるようになった。
インドでも自転車は多く利用されている。インドは自転車生産でも世界有数の国となっている。
北米(アメリカ合衆国・カナダ)は典型的な車社会で、4輪の自動車ばかりが前面に出がちだが、ニューヨーク市、サンフランシスコなどの都市では、渋滞の影響をさほど受けずにスムースに移動できる手段として重宝されてはいる。都市内部のビルの上層階の住宅に住み都市内部の別のビルの職場へと通勤する人々や、自転車便でお客の荷物を運ぶ人々などによってさかんに利用されている。人権が重視されているので、「歩行者が一番優先で、次に自転車、そして自動車は最後で、特に大きな自動車ほど優先順位は低い。大きな車は、常に、より小さい車を護らなければならない。」という法の原理・原則が人々によってきちんと理解されており、歩行者や自転車運転者を護るために、自転車レーンが設けられている道路が多い。また米国全土で、スポーツやレジャーなどのための自転車利用が行われている。
詳細は「日本の自転車」を参照
日本の自転車普及率は世界的に見ても高い。保有台数は8655万台で、人口1.5人当たり1台にのぼる(2005年)。これは西欧で特に自転車利用が多いオランダ(人口0.9人当たり1台)、ドイツ(同1.2人)、に次いでベルギー(同1.9人)と同等の水準であり、アメリカ、中国、イギリス、フランス、イタリアといった国々を上回る。
2015年6月に道路交通法が改正され、日本の道路での自転車の位置づけや走行場所や走行ルールなどが、より明確化された。自転車は(特別に走行を認められたような歩道を除き)道路の左側を走ると定められており、右側を走行すると「逆走」ということになり道路交通法違反である。2016年12月には自転車活用推進法が制定され、これに伴い様々な施策が立案されている。
都市部では公共交通機関が発達している一方、自動車優先の交通政策が敷かれ、自転車が交通手段として明確に位置づけられていなかった。
若者の間では俗に「チャリンコ」とも呼ばれるが、この語は戦前には無銭飲食あるいはスリを意味する言葉であったため、高齢者との会話での使用には注意を要する。また自転車を指す俗語の方言としては「ケッタ」「ケッタマシーン」がある。
自転車でパトロールするイギリスの警察官自転車を使う職業の代表は郵便配達だが、英国では1880年に自転車による郵便配達が始められ、現在でも約3万7000人の配達員が自転車を利用している。自転車便など、都市部における輸送手段として利用されることもある。新聞配達や出前などといった職業上の利用もある。
英国の警察は1896年から自転車によるパトロール(Police bicycle)を始めた。日本の警察はパトロールカーと白バイが主流であるが、交通渋滞の激しい都心部では自転車の機動性を考慮し、あえて自転車によるパトロールを行っている場合もある。国によっては交通渋滞の多い都市で自転車パトロールを復活させるところもある(アメリカではニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコの各市警に「バイシクルユニット」という専従のチームがあり、「POLICE」のマーキングを入れた警察専用のMTBも製造されている。このフレームは当然、公用であり国内では市販されない)。
詳細は「自転車部隊」を参照折り畳み自転車を背負った第一次大戦時のイタリア・ベルサリエーリ兵自転車に乗った兵は、純粋な歩兵に比べて移動速度に優れる。騎兵や自動車に比べれば遅いが、自転車自体のコストは車や馬よりも安く付き、さらに水や飼料、燃料を必要としない、静粛性に優れるという利点がある。さらに、兵への訓練も遥かに簡単である。このため、自転車は多くの軍で利用されることとなった。
自転車が戦争に利用されたのはボーア戦争が始まりで、英軍・ボーア軍ともに斥候に自転車を使った。第一次世界大戦ではドイツ軍、フランス軍が兵の移動に自転車を利用した。第二次世界大戦ではイギリス陸軍空挺部隊が輸送機内でかさばらない折り畳み自転車を使用していた。大日本帝国陸軍は日中戦争で5万人の自転車歩兵を動員。続く太平洋戦争緒戦のマレー半島攻略作戦など南方作戦での活躍から「銀輪部隊」と呼ばれるようになった。スイス陸軍では1891年から2001年にわたって自転車部隊を存続させた。
しかし、自転車は徒歩に比べれば楽ではあるが、移動に兵士の体力を消耗することに代わりはない。また、自転車に乗った状態はバランスが不安定で、側面が完全に露出しているため、攻撃に非常に脆いという欠点があった。そのため、自動車の普及が進み、大量の燃料も供給できるようになった現在では、自転車を戦闘部隊に配備する軍は限られるようになっている。
現在では北朝鮮当局が自転車部隊の存在を明らかにしており韓国陸軍も38度線の休戦ラインの監視部隊が徒歩より機動性があり、エンジン音がしないため接近に気づかれにくいMTBをパトロールに使用している。日本では航空自衛隊航空救難団が救難活動現場で使用するために民生用折り畳み自転車を保有している。
スポーツサイクル
競技詳細は「自転車競技」を参照自転車を用いた競技は世界中で広く行われており、公道上で速力を競うロードレース、自転車競技場や競輪場で速力を競うトラックレース(競輪もここに含まれる)、オフロードで行われるシクロクロスなど、さまざまな競技が存在する。ロードレースのなかにはツール・ド・フランスなどのように非常に大規模に行われ、一大イベントとなっているものも存在する。また、こうした各種競技は1896年の第一回アテネオリンピックからオリンピック競技として採用されており、第一回から全く中断なく行われている数少ないオリンピック競技のひとつである。競技でないもの「サイクリング」も参照一般人が公道を時間を競わず制限時間内に完走することを目指すブルベ、センチュリーライドなどのサイクリングイベントも、数多く開催されている。詳細は「自転車旅行」を参照
自転車を用いて短いコースをゆっくり探索するポタリングは観光地において人気がある。数十キロメートル、数百キロメートルといった都市間、さらに国から国へと移動する長距離の自転車旅行も行われている。自力での移動だけではなく、サイクルトレインや輪行など、公共交通機関に自転車を持ち込んで長距離移動することも行われる。また、観光地や都市においては駅前やバスターミナルなどの交通拠点近く、または街中にレンタサイクルショップが存在するところも多い。
2010年代からは、自転車を持ち主が使わない間に貸し出す「自転車シェアリング」がアメリカや中国、日本国内で普及しつつある。
これらのレンタルやシェアリングは、収益を目的に営む事業者ばかりではない。観光客誘致や地元商業振興のために、自家用車や公共交通機関でやってきた観光客に無料で自転車を貸す自治体や観光協会も日本には多い。
世界各国に自転車メーカーが存在し、多くの自転車が製造されている。2011年には、世界の自転車市場の規模は610億ドルにのぼった。2009年には全世界で一年に1億3000万台の自転車が販売され、そのうちの66%が中国で製造された。
自転車の製造は、自転車のフレーム自体やボールベアリング、ワッシャー、スプロケットなどの特別な部品の両方に高度な技術を必要とするため、金属加工技術の進歩を促し、他の高度な産業にも影響を与えた。これらの製造を通じて熟練した金属加工技術を身に付けた労働者は、初期の自動車や飛行機の開発に大きな役割を果たした。また、自転車製造業は機械化や大量生産(のちにフォード・モーターやゼネラルモーターズも採用した)、垂直統合(のちにフォードも採用した)、積極的な広告(1898年の米国の雑誌のすべての広告のうち10%は自転車メーカーが占めていた)、道路改善のためのロビイング(などいくつもの産業モデルを開発し、他の産業に伝授する役割を果たした。また、自転車産業は年間のモデルチェンジを初めて採用、この方式はゼネラル・モーターズにも受け継がれ、大成功をおさめた。
初期の自転車は、ファッショナブルなエリートによって財力を誇示するために消費されるもののひとつであった。そのため、バービー人形のように自転車それ自体よりもそれにつけるためのアクセサリー的なものの消費が多くなることがあった。
自転車の普及によって自転車メッセンジャー、自転車教室などの新たな職業が生まれ、また自転車レースも開催されるようになった。自転車レースの形態はのちにオートバイレースや自動車レースへとつながっていった。
初期の自動車や飛行機の開発者には自転車によって機械製造の基礎を身に付けたものが多く、飛行機を発明したライト兄弟もオハイオ州デイトンの自転車屋であった。いくつかの自動車メーカーは自転車メーカーから成長してきたものである。イギリスのローバーは1878年にStarley & Sutton Co. of Coventryとして創業したときは自転車メーカーであり、1901年に自動車の製造を開始した。同じくイギリスのモーリスも1910年の創業時は自転車メーカーであり、1913年に自動車メーカーとなった。チェコのシュコダもオーストリア=ハンガリー帝国時代の1895年にラウリン&クレメント社として創業したときは自転車メーカーで、自動車業進出は1901年のことであった。また、日本の本田技研工業は自転車メーカーではなかったが、自転車に搭載するモペッド用の補助エンジン制作からスタートして世界有数の自動車メーカーとなった企業である。
自転車による移動は生物と機械の両方の中で、その移動に要するエネルギーの量に関して突出して効率的であり、人間がある距離をある速度で移動するのに必要なエネルギーの量で比べると自転車は徒歩の5分の1に過ぎないという定説がある。1950年代の中期に、現在の「財団法人自転車産業振興協会自転車技術研究所」の前身にあたる「自転車生産技術開放研究室」がまとめた研究により、この数値はおおむね正しいことが確認された。この際には、被験者の呼気に含まれる二酸化炭素の量から消費カロリーを推算する手法が用いられた。ただし、これは平坦な舗装道路を前提とするという自転車にとって有利な条件での比較である。
こうした数値を基に、一般的な自転車で1kgの物体(車体を含む)を1km移動させるのに必要なカロリーは、おおよそ自動車の6分の1、ジャンボジェット機の4分の1程度しか必要ないとの試算もある。
フランソワ・ペルヴィ平地単独走行で全風圧を受けての最高速度記録は、2013年12月6日、メキシコのアグアスカリエンテス・二百周年自転車競技場(Velódromo Bicentenario)でフランス人フランソワ・ペルヴィがUCIトラック自転車競技ワールドカップ・メキシコ大会のスプリント予選(200 mフライングタイムトライアル)で出した世界記録9秒347は速度換算77.03 km/hとなる。速度を求める記録挑戦ではないが、これがユネスコ所管の唯一公式にしてサイクリストが全風圧を受ける通常形態の安全型自転車による最速記録といえる。
機材の形態にとらわれない記録挑戦では2015年9月19日、米国ネヴァダ州バトルマウンテン(Battle Mountain)郊外の一時的に閉鎖した公道でカナダ人トッド・ライカート(Todd Reichert)がタイヤ接地面のみわずかに開口したストリームラインボディのリカンベントEtaで達成した139.45 km/hがヒト一人のみの出力による最高速度記録であった。Etaは極めて低い位置に仰向いて座り前輪を両脚で挟むように前端のクランクを回すため、後輪駆動は構造上ほぼ不可能で前輪駆動を採用している。また前を見通す視界はなくカメラ映像に依存する。2016年9月19日、同地、同プロジェクトによって記録は144.17 km/hに更新された。
標高差による位置エネルギーを利用した斜面降坂では2015年3月28日、フランス・ヴァール(Vars)のスピードスキー用滑降路シャブリエール(piste de Chabrières)でフランス人エリック・バローヌ(Éric Barone)が223.30 km/hを記録している。これには肩と胸元まで覆うエアロシェルを備えた2重構造ヘルメットと、上腕および脛の後方をボートテール形状にしたコーティングスーツ、スン(Sunn)の専用特殊自転車F2.0が用いられた。2017年3月18日、エリック・バローヌは同地で再度挑戦し、227.72 km/hに更新した。
風圧の多くを他に負担させて走行した最高速度記録は1995年10月3日、米国ユタ州のボンネビル・スピードウェイでオランダ人フレート・ロンペルベルフ(Fred Rompelberg)が二段増速の極めてギア比が高い特殊な自転車によって記録した268.831 km/hである。これは前走するドラッグスターの後端に取り付けた後続自転車用カウル(整流覆い)に肉薄追走して達成された。
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高所恐怖症分類および外部参照情報診療科・学術分野精神医学ICD-10F40.2ICD-9-CM300.29テンプレートを表示高所恐怖症(こうしょきょうふしょう)は、特定の恐怖症のひとつ。高い所(人によ...