沖縄社会大衆党

ページ名:沖縄社会大衆党

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日本の政治団体
沖縄社会大衆党
委員長高良鉄美
副委員長当山勝利
書記長平良識子
成立年月日1950年10月31日
本部所在地〒900-0021

沖縄県那覇市泉崎1-17-19 クリーン泉崎ビル3階

参議院議席数1 / 245   (0%)

(2019年7月29日現在)

沖縄県議会議席数2 / 48   (4%)

(2020年6月7日現在)

党員・党友数75人

(2015年12月31日現在)

政治的思想・立場社会民主主義

日米安保と対峙・地域主義革新中道左派 - 左派

機関紙『社会大衆』
公式サイト沖縄社会大衆党
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沖縄社会大衆党(おきなわしゃかいたいしゅうとう、英: Okinawa Social Mass Party)は、日本の政治団体。略称は社大党(しゃだいとう)。昭和時代戦前期の日本に存在した社会大衆党とは略称も同じだが別である。

目次

概要[編集]

1950年10月31日、沖縄群島知事の平良辰雄と兼次佐一らによって結成された。当初は比嘉秀平(後の行政主席)や西銘順治(後の沖縄県知事)などの保守系政治家も在籍しており、幅広い階層からの支持を受けていた。その後、比嘉秀平や西銘順治が相次いで離党(比嘉らは琉球民主党を結成した。のち同党は自由民主党に合流)したことで革新色を強めていき、沖縄人民党(後の日本共産党沖縄県委員会)とともに沖縄県祖国復帰協議会に加盟して沖縄本土復帰運動の中心に立っていった。しかし人民党との共闘については党内でも批判があり、度々路線対立が起きた。

1970年の国政参加選挙で、衆議院に安里積千代が当選し、国会に議席を得た。1972年の本土復帰を前に、日本社会党への合流が提案された(このとき、沖縄人民党は1973年に日本共産党に合流した)。また、当時の安里積千代委員長は党解散の上、各人それぞれが移籍先を選ぶべきだと主張した。安里は復帰後の1972年の総選挙に出馬し、当選すると民社党に移籍した。しかし結局、党自体はどちらにも合流せず沖縄地域政党として存続することになった。

県政においては、平良良松、親泊康晴(いずれも那覇市長を務めた)など、現役党員が首長となるケースが見られる。

綱領自体は「左右の全体主義を排する国民政党」など民社党に近いものだったが、政策・活動は革新色の強いものとなってゆく。選挙では、民社党は自民党と選挙協力したことが多く、両党は間接的ではあるがしばしば対決することになった。

現在は参議院議員の高良鉄美が委員長(第13代:2020年9月~)を務め、副委員長に当山勝利(沖縄県議会議員)、書記長に平良識子(那覇市議会議員)ら各市町村の議員が活動し、沖縄の革新勢力をまとめる存在として根強い影響力を持っている。

最近の動向[編集]

国政[編集]

  • 第41回衆議院議員総選挙(1996年) - 沖縄2区から仲本安一(党顧問、共産党・新社会党推薦)が立候補。前職の仲村正治(新進党)に善戦しながらも次点で落選した。
  • 第19回参議院議員通常選挙(2001年) - 東京都選挙区から新垣重雄(書記長、新社会党・第二院クラブ推薦)が無所属で立候補。党にとって初の県外進出となったが大差で落選した。
  • 第20回参議院議員通常選挙(2004年) - 島袋が勇退、後継として糸数慶子(共産党・社民党推薦)が立候補して当選した。当選後は喜納昌吉を通じて民主党会派入りの打診もあったが、共産党は特定政党の会派に入らないよう要求しており、第二院クラブ等、適当な会派がなかったため、純粋無所属として活動する。
  • 第44回衆議院議員総選挙(2005年) - 沖縄1区において無所属の下地幹郎(元自民党、後に政治団体「そうぞう」を経て国民新党に入党)と共産党公認の赤嶺政賢の両候補者を支援し、小選挙区で下地が公明党公認の前職を破ると共に赤嶺が比例で当選した。
  • 第21回参議院議員通常選挙(2007年) - 前年の知事選とほぼ同じ枠組み(民主・共産・社民・国民新推薦、そうぞうは自主投票)で無所属統一候補として糸数を擁立、再選。
  • 第22回参議院議員通常選挙(2010年) - 山城博治(沖縄平和運動センター事務局長)を社民党と共同推薦したものの、民主党・共産党との選挙協力が行われなかった(民主党は候補者を擁立せず、共産党は別の候補者を擁立)こともあり落選した。
  • 第46回衆議院議員総選挙(2012年) - 同選挙では民主党・国民新党候補の支援を行わず、1区では共産党の赤嶺政賢、2区では社民党の照屋寛徳、3区では日本未来の党の玉城デニー、4区では無所属の瑞慶覧長敏をそれぞれ推薦。照屋は小選挙区で当選、赤嶺と玉城は比例で当選し、瑞慶覧のみ落選した。
  • 第23回参議院議員通常選挙(2013年) - 沖縄県選挙区から現職の糸数(党公認、生活・共産・社民・みどりの風・新社推薦)が立候補。自民公認の新人候補を破り糸数が3選。また、比例は共産党を推薦した。
  • 第47回衆議院議員総選挙(2014年) - 民共共闘およびオール沖縄(翁長雄志知事の県政与党)として、1区では共産党の赤嶺、2区では社民党の照屋、3区では生活の党の玉城、4区では無所属の仲里利信をそれぞれ推薦、全員が小選挙区で当選した。
  • 第24回参議院議員通常選挙(2016年) - 引き続きオール沖縄として伊波洋一(元宜野湾市長)を擁立、現職の島尻安伊子(自民公認、公明・維新・そうぞう推薦)らを退け、初当選を果たす。選挙後、糸数と伊波は参議院における院内会派「沖縄の風」を結成した。
  • 第48回衆議院議員総選挙(2017年) - オール沖縄体制を継続し、1区赤嶺、2区照屋、3区玉城、4区仲里をそれぞれ推薦した。投開票の結果赤嶺、照屋、玉城は小選挙区で再選したものの仲里は落選し、無所属候補のため比例復活もならなかった。選挙後仲里は政界引退を表明した。
  • 第25回参議院議員通常選挙(2019年)- 社大党は糸数に勇退を勧告し、琉球大学法科大学院教授の高良鉄美の擁立を決定した。当初糸数はこの党決定に反発し離党届を提出した。さらにオール沖縄を支持する一部市民グループからも候補者選定の透明化を求める要望書が提出された。同年5月7日、オール沖縄は高良の支持を表明し、糸数も高良の支援に回ることを表明した。投開票の結果自民党公認、公明党・日本維新の会推薦の安里繁信を破り、社大党の議席を継承した。

県内[編集]

沖縄社会大衆党本部2006年11月19日の沖縄県知事選挙では糸数が参議院議員を辞職して、無所属で野党統一候補として立候補。社大・民主・社民・共産・国民新・日本・自連の推薦、そうぞうの支持を受け、自民・公明が推薦した仲井眞弘多と争ったものの落選、革新勢力は8年ぶりの県政奪還は成らなかった。

16年ぶりに与野党が逆転し革新勢力が多数派となった2008年6月8日の沖縄県議会議員選挙では同じ野党勢力の民主党・共産党が躍進した煽りを受ける形になり、中頭郡選挙区で喜納委員長(当時)が落選したのを始め議席数を改選前の4から2に半減させる結果に終わった。

2008年11月16日の那覇市長選挙では、ふたたび野党統一候補として、元県議の平良長政を、民主・共産・社民・国民新・社大推薦、そうぞう支持で擁立したが落選している。

2010年11月28日の沖縄県知事選挙では、統一候補として前宜野湾市長の伊波洋一を社民・共産・社大・国民新・新党日本推薦、そうぞう支持で擁立したが落選した。なお、この選挙で民主党は候補者を擁立できなかった。

このように革新勢力の退潮に加え、党員・党友の高齢化も顕著である。さらに社民党や民主党との競合、さらに地域政党ゆえ政党助成金も受けることができないなど財政面でも苦しく、党勢の衰えが指摘されている。2010年8月の党大会では「社大党は消えてなくなったものだと言われている。地域の問題にどう取り組んでいるのか、党の活動が発信されていない」と指摘されるなど、生き残りへの課題も多い。

なお、社大党が他党と共同で擁立・当選した沖縄県内の現職の首長としては、名護市長の稲嶺進などがいる。

2012年沖縄県議会議員選挙では3名を公認し、8名を推薦した。6月10日の投開票の結果、現職2名に加えて前委員長が返り咲き1議席増の3名となった。2014年9月7日に県下の24市町村で行われた統一地方選挙では名護市・石垣市で党公認候補が当選した。

2014年沖縄県知事選挙では当時那覇市長の翁長雄志を共産党・社民党・生活の党・県議会会派の「県民ネット」とともに支援。激しい選挙戦の末、オール沖縄が支援する翁長が自民党・次世代の党推薦の現職仲井真弘多や政党そうぞう・維新の党支援の下地幹郎らを破り当選した。翁長は現職の仲井眞に圧倒的な大差をつけての初当選だった。また翁長市長の知事選出馬に伴い同日に行われた那覇市長選挙には、当時副市長だった城間幹子を翁長同様、共産党・社民党・生活の党らとともに支援。自民・公明両党が推薦する前沖縄県副知事の与世田兼稔を大差で破り、初当選。

2016年宜野湾市長選挙では元自民党沖縄県連会長の志村恵の息子で県庁職員の志村恵一郎を、翁長知事や民主党沖縄県連・共産党・社民党・生活の党とともに名護市辺野古への移設計画に反対する統一候補として擁立。宜野湾市には米軍普天間基地が所在し、この選挙での勝ち負けが辺野古移設の行く末を決める一大選挙であった。一時は辺野古移設反対を公約とした志村がリードしていたが、自公推薦の現職・佐喜眞淳市長が巻き返し、投開票の結果志村は落選。

2016年沖縄県議会議員選挙では党公認候補3名が当選し、県政与党最大会派となる「社民・社大・結連合」を結成した。

2020年沖縄県議会議員選挙では委員長の大城一馬が落選し選挙前から1減の2議席にとどまり、大城は政界引退と委員長の辞任を表明した。6月16日、社民党などと会派「沖縄平和ネットワーク」の結成を届け出たが、同名の団体が存在したことから18日「沖縄・平和」に改称した。9月26日に臨時党大会を開き、参議院議員の高良鉄美を委員長に選出した。

他党との選挙協力[編集]

社大党は、民主党・社民党・共産党・新社会党と各種選挙で協力している。沖縄で限定的ながら、社共共闘が生き残っているのは社大党の力が大きい。しかし、1998年の知事選をきっかけに公明党が革新勢力から離れ、自民党に与してからは苦戦が目立つ。2006年には、自由連合も自民党に与するようになった。また、いずれも共産排除を望む保守系政治団体のそうぞう及び革新とは縁のない民主党と、復帰運動以来の革新の原則を守るべきという日本共産党との間で原則が定まらず漂流する場面も見られる。さらに、普天間基地移転問題で社民党が与党から離脱して以降、特にそれまでの方針を変更して県内移転を推進している民主党との関係が悪化している。

国政選挙では復帰後に安里積千代が当選したあと衆議院選挙では社会党・公明党・共産党の公認候補を推薦、参議院選挙では社会党・共産党・公明党と一緒に革新統一の公認候補を擁立(その場合マスメディアは「諸派」扱い、党派は「革新共闘会議」としていた)または革新統一の無所属候補として4党相乗りで推薦したが(公明党は支持にとどまるほうが多かった)、1992年の参院選で当時の島袋宗康委員長が党公認(革新統一候補・社会党などと一緒に3党の推薦・支持)で立候補し、現職の自民党系候補を破り当選(これにより沖縄県の自民党参議院議員は県選出が、1995年から比例代表の県出身者を含め2001年の選挙まで一人もいない状態であった)。党として安里積千代以来の国政での議席を獲得し、第二院クラブの会派に入った(その間、社大党は二院クラブの沖縄支部も兼ねていた)。2001年参院選では東京都選挙区から書記長(当時)の新垣重雄が二院クラブ・新社会党・社大党推薦の無所属で出馬したが、落選している。

那覇市議会では社民党と「社社連合」を統一会派として結成しているが、少数にとどまっている。

反米軍基地闘争の経緯から2014年の総選挙より野党陣営の選挙協力の体制が整っており、社大のほか、社会民主党・日本共産党・立憲民主党沖縄県連・那覇市議会『新風会』・沖縄県議会『おきなわ』(旧称「県民ネット」)などの政党・会派が参加している。また沖縄県知事・那覇市長・名護市長といった首長も参加し、2020年6月現在、沖縄県議会において過半数の勢力を確保している

詳細は「オール沖縄」を参照

政策[編集]

この節の加筆が望まれています。
  • 平和・軍備 - 日本国憲法の前文の理念と9条を尊重する立場。故に日米安保条約の破棄を訴える。
  • 基地問題 - 在沖米軍基地の返還と整理・縮小を求め最終的には米軍基地0を目指す。また「日米地位協定」の抜本的な改正を求める。
  • 地方自治 - 道州制の推進。沖縄特別自治州の設置を主張
  • 生物多様性の維持と保護 - 貴重な沖縄の自然を守るため、世界自然保護基金(WWF)や国際自然保護連合(IUCN)との連携し、世界自然遺産登録を推進する。サンゴの保護と再生やジュゴンの生育圏確保を目指す。
  • 交通 - 鉄軌道・LRT(新型路面電車)等、新たな公共交通機関の整備を図る。
  • 離島振興 - 自然環境の保護と保全に配慮した上で離島のインフラ整備及び交通運賃の軽減を主張。
  • 尖閣諸島問題 - 国政参加選挙で当選した安里委員長は地域政党を代表する国会議員として、尖閣諸島の領有権問題に関して中国側主張の問題部分を外務委員会で取り上げて、「私は、尖閣列島のこの領有権の主張に対しましては、沖繩返還という問題は非常に重要なる関係を持つ。」として、日本側の立場において疑義は無く、中国と台湾政府に対して毅然とした対応を取っているのか、誤りのないように万全を期してもらいたいと質問している。

党勢の推移[編集]

沖縄社会大衆党旧本部(2008年まで)

衆議院[編集]

選挙当選/候補者定数備考
(結党時)0/-467米国占領下のため出馬できず
国政参加選挙1/15
第33回総選挙1/1491民社党へ移籍-1
第40回総選挙0/1500

参議院[編集]

選挙当選/候補者非改選定数備考
(結党時)0/--250米国占領下のため出馬できず
国政参加選挙0/002喜屋武眞榮を支援
第16回通常選挙1/10252
第18回通常選挙-/00252無所属として出馬、当選1
第19回通常選挙-/00242無所属として出馬、当選0(東京都選挙区)
第20回通常選挙-/00242無所属として出馬、当選1
第21回通常選挙-/00242無所属として出馬、当選1
第23回通常選挙1/10242
第25回通常選挙-/00245無所属として出馬、当選1

立法院議員選挙[編集]

選挙年月日議席数
第1回選挙1952年3月2日15
第2回選挙1954年3月14日12
第3回選挙1956年3月11日8
第4回選挙1958年3月16日9
第5回選挙1960年11月13日5
第6回選挙1962年11月11日7
第7回選挙1965年11月14日7
第8回選挙1968年11月10日8
参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)。沖縄タイムス編『沖縄年鑑(1969年)』(復刻版)沖縄タイムス。立法院第1回選挙については沖縄人民党史編集刊行委員会編集/発効『沖縄人民党の歴史』、107頁。
  • 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
  • 『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1990年~1999年)・国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1993年~2000年)・2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、2000年~2006年)、(2) 参議院(1990年~1999年)(2) 参議院(1994年~2004年)・(2) 参議院(2000年~2006年)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はない。

所属議員[編集]

党の公認を受けて当選した現職議員は以下の通り(2019年7月29日時点)。

国会議員[編集]

2019年7月29日現在、所属国会議員数1名(参議院議員1名)

参議院議員
2025年改選高良鉄美

沖縄、参1

地方議員[編集]
  • 沖縄県議会議員
    • 比嘉京子(那覇市選挙区)
    • 当山勝利(浦添市選挙区)
  • 那覇市議会議員
    • 上原快佐
    • 平良識子
  • 浦添市議会議員
    • 當間左知子
  • 糸満市議会議員
    • 伊敷郁子
  • 石垣市議会議員
    • 新垣重雄
  • 西原町議会議員
    • 平良正行

その他[編集]

  • 災害支援
    • 3月11日に発生した東日本大震災の被災者支援のため、3月14日に那覇市内で党員及び有志のメンバーで街頭募金をおこなった。集まった募金は琉球新報を通じて沖縄赤十字会に渡した。4月9日にも那覇市内で募金活動を行った。集まった義捐金は4月12日に被災地を訪問した糸数慶子委員長が、被災地で活動する宮城全労協に直接手渡した。


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