左メニュー
左メニューサンプル左メニューはヘッダーメニューの【編集】>【左メニューを編集する】をクリックすると編集できます。ご自由に編集してください。掲示板雑談・質問・相談掲示板更新履歴最近のコメントカウン...
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。 出典検索?: "橿原神宮前駅" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年11月) |
橿原神宮前駅* | |
---|---|
中央口 | |
かしはらじんぐうまえ Kashiharajingu-mae | |
Wikimedia | © OpenStreetMap | |
所在地 | 奈良県橿原市久米町618 北緯34度29分3.77秒 東経135度47分40.12秒座標: 北緯34度29分3.77秒 東経135度47分40.12秒 |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(近鉄) |
電報略号 | カシ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 計4面8線 |
乗車人員 -統計年度- | 9,705人/日(降車客含まず) -2017年- |
開業年月日 | 1923年(大正12年)3月21日 |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | F 南大阪線** |
駅番号 | F42 |
キロ程 | 39.7 km(大阪阿部野橋起点) |
◄F27 橿原神宮西口 (1.2 km) | |
所属路線 | F 吉野線** |
駅番号 | F42 |
キロ程 | 0.0 km(橿原神宮前起点) |
(1.1 km) 岡寺 F43► | |
所属路線 | B 橿原線 |
駅番号 | B42 |
キロ程 | 23.8km(大和西大寺起点) 京都から58.4 km |
◄B41 畝傍御陵前 (1.0 km) | |
備考 | ** 南大阪線と吉野線は直通運転実施 |
* 改称経歴 - 1939年・1940年 久米寺駅→橿原神宮駅駅(橿原線が1939年、南大阪線・吉野線は1940年に改称) - 1970年 橿原神宮駅駅→橿原神宮前駅 | |
テンプレートを表示 |
橿原神宮前駅 駅舎 | |
---|---|
情報 | |
用途 | 駅舎 |
設計者 | 村野藤吾建築事務所 |
施工 | 大林組 |
テンプレートを表示 |
橿原神宮前駅(かしはらじんぐうまええき)は、奈良県橿原市久米町にある、近畿日本鉄道(近鉄)の駅。駅長配置駅である。奈良県中南部、飛鳥地方における主要駅である。駅番号は南大阪線と吉野線がF42、橿原線がB42。
中央口駅舎は初代新歌舞伎座の設計で有名な建築家・村野藤吾の設計。第1回近畿の駅百選選定駅。
吉野線の駅番号は橿原線からの通し番号であるため、南大阪線・吉野線にF28~F41は存在しない。
いずれも始終着駅であるが、運転系統上では事実上橿原線のみが始終着駅である。
現駅北西の橿原神宮の前に大阪電気軌道畝傍線(広軌、現在の橿原線)の(旧)橿原神宮前駅(終点)があった。1923年(大正12年)12月、狭軌の吉野鉄道は吉野口から北進して(旧)橿原神宮前駅に乗り入れた。1924年(大正13年)、吉野鉄道は省線畝傍駅までさらに北東進し、吉野口・畝傍の双駅で省線と連絡するようになった。
一方、久米寺(寺院)の前の大阪鉄道(現在の南大阪線)線上には橿原神宮駅があり、そこから南東進して、吉野鉄道久米寺駅に乗り入れていた(現4 - 7番のりば)。その後、大阪電気軌道が吉野鉄道を吸収し、(旧)橿原神宮前 - 久米寺間を広狭軌併用の三線軌条に改造して、久米寺駅に乗り入れるようになった。
1940年(昭和15年)の皇紀2600年祭を控え、橿原神宮周辺整備の都市計画事業により、前年に畝傍線を移設して新たに駅(現在の駅本屋と0 - 3番のりば、なお、現台車振替作業所の位置にも狭軌用ホームがあった)を新設した上で久米寺駅から改称し、(旧)橿原神宮前駅、橿原神宮駅は廃止された。この際に、橿原神宮駅駅と改称し、駅名に「駅」が含まれる珍しいケースになった。1970年(昭和45年)には(新)橿原神宮前駅に改称され、列車内・駅構内でも「橿原神宮前」と呼ぶようになった。いまでも奈良交通バスのバス停は「橿原神宮駅」を使用している。なおこれとは別に、駅名と同じの「橿原神宮前」バス停が存在するが、駅からは離れた場所にある。
地上駅で2面4線のホームが2つある。西側の4 - 7番のりばは狭軌の南大阪線・吉野線(有効長8両)、東側の1 - 3番のりばは標準軌の橿原線(有効長6両)である。1番のりばと同一ホームの向かい側にあるかつての0番のりばは狭軌となっており、天皇皇后や皇太子の行幸啓や、団体輸送や臨時列車での乗換を便利にするために、南大阪線・吉野線の臨時・貸切列車が入線することがある。0番のりばの東側の51番線にはトラバーサなどの設備庫があり、南大阪・吉野線の車両が検査のため五位堂検修車庫へ回送する際に狭軌と標準軌の台車履替を行っている。0番のりばは以前8番のりばと称されていたが、2017年4月の特急「青の交響曲」の当駅を始発・終着とする列車の設定に伴い、「0番のりば」と書かれた看板が設置された。この時以前に、8番のりばであることを示す看板は存在しなかった。
改札口は3ヶ所で、橿原線ホーム東側に東改札(自動改札機4台)、橿原線ホームと南大阪・吉野線ホームの間に中央改札(自動改札機3台)、南大阪・吉野線ホーム西側地下に西改札(自動改札機4台)がある。橿原線ホームと東改札および中央改札は構内踏切、南大阪・吉野線ホームと中央改札および西改札は地下道で連絡している。橿原線のりばと南大阪線のりばとは中央通路(コンコース)で結ばれており、通路北側に中央改札が位置し、駅長室が隣接している。中央通路両側には、各種駅構内施設が入居している。中央通路西側(南大阪線線路手前)から地下通路への階段となり(エレベータあり)、南大阪線ホームへは、それぞれ階段とエレベータで結ばれている。地下通路の先に西改札が位置する。西改札が地下化される前は、中央通路から直接構内踏切で結ばれており、当時の改札には当駅唯一の自動改札機が設置されていた。
東改札と橿原線ホーム、中央通路を結ぶ構内踏切は車止め側にあり、橿原線の急行や普通は一部を除き到着後そのまま折り返し運転するため踏切を通過しない。また、他の一部の駅で見られるような、過走時の保安のためホーム入線時に、列車が通過しないにもかかわらず踏切が閉まるようなこともない。そのためにこの踏切はあまり頻繁に遮断機が降りないが、橿原線特急や急行・普通の一部列車は到着後この踏切を越えて南側の引き上げ線に入ることもあるため、その場合は入出庫のタイミングで踏切が作動する。
のりば | 路線 | 行先 | |
---|---|---|---|
橿原線ホーム | |||
0 | (貸切列車などのみが使用し、通常は南大阪・吉野線系統の留置、および大和八木方面からの電車と吉野方面の臨時列車との乗換えホームとして機能) | ||
1 - 3 | B 橿原線 | B 大和八木・大和西大寺・京都方面 H 天理方面 A 奈良・大阪難波・尼崎・神戸三宮方面E 名古屋方面M 伊勢志摩方面 | |
南大阪線・吉野線ホーム | |||
4・5 | F 吉野線 | F 飛鳥・壺阪山・吉野方面 | |
6・7 | F 南大阪線 | F 古市・大阪阿部野橋方面 P 御所方面O 河内長野方面 |
橿原神宮前駅の利用状況の変遷は下表の通り。
[隠す]年度別利用状況(橿原神宮前駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 | 特記事項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1982年(昭和57年) | ←←←← | 11月16日 | 24,528 | ||||
1983年(昭和58年) | ←←←← | 11月8日 | 26,537 | ||||
1984年(昭和59年) | ←←←← | 11月6日 | 28,137 | ||||
1985年(昭和60年) | ←←←← | 11月12日 | 26,363 | ||||
1986年(昭和61年) | ←←←← | 11月11日 | 27,961 | ||||
1987年(昭和62年) | ←←←← | 11月10日 | 27,000 | ||||
1988年(昭和63年) | ←←←← | 11月8日 | 29,023 | ||||
1989年(平成元年) | ←←←← | 11月14日 | 27,569 | ||||
1990年(平成2年) | ←←←← | 11月6日 | 28,206 | ||||
1991年(平成3年) | ←←←← | ||||||
1992年(平成4年) | ←←←← | 11月10日 | 27,662 | ||||
1993年(平成5年) | ←←←← | ||||||
1994年(平成6年) | ←←←← | ||||||
1995年(平成7年) | ←←←← | 12月5日 | 26,245 | ||||
1996年(平成8年) | ←←←← | ||||||
1997年(平成9年) | ←←←← | ||||||
1998年(平成10年) | ←←←← | ||||||
1999年(平成11年) | ←←←← | ||||||
2000年(平成12年) | ←←←← | ||||||
2001年(平成13年) | 2,961,480 | ←←←← | 1,831,188 | 4,792,668 | |||
2002年(平成14年) | 2,835,270 | ←←←← | 1,787,011 | 4,622,281 | |||
2003年(平成15年) | 2,726,640 | ←←←← | 1,752,647 | 4,479,287 | |||
2004年(平成16年) | 2,639,640 | ←←←← | 1,648,107 | 4,287,747 | |||
2005年(平成17年) | 2,546,520 | ←←←← | 1,620,179 | 4,166,699 | 11月8日 | 21,780 | |
2006年(平成18年) | 2,508,300 | ←←←← | 1,602,946 | 4,111,246 | |||
2007年(平成19年) | 2,484,630 | ←←←← | 1,611,599 | 4,096,229 | |||
2008年(平成20年) | 2,461,590 | ←←←← | 1,567,907 | 4,029,497 | 11月18日 | 20,615 | |
2009年(平成21年) | 2,361,540 | ←←←← | 1,503,241 | 3,864,781 | |||
2010年(平成22年) | 2,314,560 | ←←←← | 1,519,936 | 3,834,496 | 11月9日 | 19,960 | |
2011年(平成23年) | 2,252,010 | ←←←← | 1,475,962 | 3,727,972 | |||
2012年(平成24年) | 2,198,280 | ←←←← | 1,468,256 | 3,666,536 | 11月13日 | 18,551 | |
2013年(平成25年) | 2,221,140 | ←←←← | 1,516,016 | 3,737,156 | あべのハルカス開業 | ||
2014年(平成26年) | 2,121,360 | ←←←← | 1,484,433 | 3,605,793 | 消費税5%→8% | ||
2015年(平成27年) | 2,118,990 | ←←←← | 1,514,767 | 3,633,757 | 11月10日 | 18,862 | |
2016年(平成28年) | 2,060,130 | ←←←← | 1,508,413 | 3,568,543 | 9月10日より観光特急「青の交響曲」運行開始 | ||
2017年(平成29年) | 2,046,780 | ←←←← | 1,495,581 | 3,542,361 | |||
2018年(平成30年) | ←←←← | 11月13日 | 17,815 |
※以前は若草書店が存在した。
西口
中央口
東口
のりばは西口、中央口、東口の3か所に分かれる。すべて奈良交通により運行されている。詳細は奈良交通葛城営業所などを参照。
西口のりば
中央口のりば
東口1番のりば
東口2番のりば
冬期の土休日には霧氷バス和佐又山行の運行がある。
かつて南大阪・吉野線ホームは、乗車専用ホームと降車専用ホームに分かれていた時代があった。
当時は地下通路ではなく構内踏切で、多数の橿原神宮参拝旅客に備え構内踏切を挟んで阿部野橋方と吉野方それぞれにホームが設けられていた。吉野方面(現4・5番のりば)の場合、一度阿部野橋方ホームで停止し降車客を取り扱い、その後吉野方ホームへ移動し、そこで乗車客を取り扱っていた。阿部野橋方面(現6・7番のりば)の場合は逆に、吉野方が降車・阿部野橋方が乗車の取り扱いとなる。
その後、乗客増により列車編成増大が行われホーム別の乗降分離ができなくなり、上記のホーム別による乗降分離の取り扱いは廃止された。構内踏切吉野方に設けられていたホームのうち、吉野方面行ホームは取り壊されたが、阿部野橋方面行ホームはその後も長く残されていた。しかしながらホーム入り口に柵だけでなく特急券券売機が設置され、ホームの半分以上の面積に花壇が作られるなど旅客の利用が困難な状態であった。
橿原神宮前駅改良工事の際、その残っていた阿部野橋方面行旧降車ホームも取り壊された。
シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。
左メニューサンプル左メニューはヘッダーメニューの【編集】>【左メニューを編集する】をクリックすると編集できます。ご自由に編集してください。掲示板雑談・質問・相談掲示板更新履歴最近のコメントカウン...
鼻葉(びよう)とは、小型のコウモリで発達している鼻のまわりの複雑なひだのこと。キクガシラコウモリ類やカグラコウモリ類でよく発達している。エコーロケーションを行うとき、超音波をコントロールするのに役に立...
黒住教(くろずみきょう)は、岡山県岡山市にある今村宮の神官、黒住宗忠が江戸時代(文化11年11月11日・西暦1814年)に開いた教派神道で、神道十三派の一つである。同じ江戸時代末期に開かれた天理教、金...
黄疸(おうだん、英: jaundice)とは、病気や疾患に伴う症状の1つ。身体にビリルビンが過剰にあることで眼球や皮膚といった組織や体液が黄染した(黄色く染まる)状態。目次1 黄疸の発生機序[編集]2...
黄泉(よみ)とは、日本神話における死者の世界のこと。古事記では黄泉國(よみのくに、よもつくに)と表記される。目次1 語源[編集]2 記紀の伝承[編集]2.1 『古事記』[編集]2.2 『日本書紀』[編...
「紅巾の乱」とは異なります。黄巾の乱赤が黄巾の乱が発生した地域(184年)戦争:黄巾の乱年月日:184年場所:中国全土結果:後漢の勝利交戦勢力後漢黄巾賊指導者・指揮官何進皇甫嵩朱儁盧植董卓 他張角張宝...
麻痺性筋色素尿症(まひせいきんしきそにょうしょう、paralytic myoglobinuria)とは数日の休養の後に激しい運動をさせた時に発生する牛や馬の疾病。蓄積されたグリコーゲンが著しい代謝によ...
鹿児島県立財部高等学校(かごしまけんりつ たからべこうとうがっこう, Kagoshima Prefectural Takarabe High School)は、鹿児島県曽於市財部町南俣に所在した公立の...
鳩胸(はとむね)は、胸部が鳩の胸のように高く突き出ていること。特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...
魚沼丘陵(うおぬまきゅうりょう)は、新潟県中越地方南部にある丘陵。地理[編集]魚野川流域の魚沼盆地(六日町盆地とも)と信濃川流域の十日町盆地を隔てている。行政区分では湯沢町、十日町市、南魚沼市、魚沼市...
概要『天装戦隊ゴセイジャー』と言う番組における全敵組織共通の戦闘員で、ブレドランが使役するビービ虫が木偶人形に取り憑く事で生み出される。緑を基調として顔には山羊、胴体には蝙蝠と言う具合に悪魔を思わせる...
『魏略』(ぎりゃく)は、中国三国時代の魏を中心に書かれた歴史書。後に散逸したため、清代に王仁俊が逸文を集めて輯本を編したが、はなはだ疎漏であったため張鵬一が民国11年(1922年)に再び編した。著者は...
高齢者虐待(こうれいしゃぎゃくたい、Elder abuse)とは、家庭内や施設内での高齢者に対する虐待行為である。老人虐待(ろうじんぎゃくたい)とも称される。人間関係種類ボーイフレンドブロマンス同棲側...
旧制教育機関 > 旧制高等教育機関 > 旧制専門学校 > 旧制実業専門学校 > 高等工業学校高等工業学校(こうとうこうぎょうがっこう)は、第二次世界大戦後の学制改革が行われるまで存在した日本の旧制高等...
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ナビゲーションに移動検索に移動高知大学教育学部附属中学校過去の名称高知県師範学校附属小学校高等科高知師範学校男子部附属国民学校高等科高知師...
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ナビゲーションに移動検索に移動高槻市立第8中学校国公私立公立学校設置者高槻市併合学校高槻市立第五中学校設立年月日1972年4月1日創立記念...
高杉晋作 > 高杉晋作が登場する大衆文化作品一覧高杉晋作が登場する大衆文化作品一覧(たかすぎしんさくがとうじょうするたいしゅうぶんかさくひんいちらん)目次1 小説[編集]2 映画[編集]3 テレビドラ...
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年10月)高杉晋作高杉晋作通称東行生年天保10年8月20日(...
高月北は、大阪府泉北郡忠岡町の地名。高月北1丁目及び2丁目がある。脚注[編集][脚注の使い方]参考文献[編集]この節の加筆が望まれています。外部リンク[編集]この節の加筆が望まれています。この項目は、...
高所恐怖症分類および外部参照情報診療科・学術分野精神医学ICD-10F40.2ICD-9-CM300.29テンプレートを表示高所恐怖症(こうしょきょうふしょう)は、特定の恐怖症のひとつ。高い所(人によ...