文鮮明

ページ名:文鮮明

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文鮮明 / 문선명

ぶん・せんめい / ムン・ソンミョン

妻の韓鶴子と
生誕1920年1月6日

日本統治下朝鮮平安北道定州郡

死没2012年9月3日(満92歳没)

大韓民国、京畿道加平郡

職業宗教家、実業家
配偶者韓鶴子
文鮮明
各種表記
ハングル:문선명
漢字:文鮮明
発音:ムン・ソンミョン
日本語読み:ぶん せんめい
ローマ字:Mun Seong-myeong(2000年式)

Mun Sŏng-myŏng(MR式)

英語表記:Moon Sun-myung
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文 鮮明(ぶん せんめい、朝鮮語: 문선명、ムン・ソンミョン、1920年1月6日(陰暦)- 2012年9月3日)は、韓国の宗教家。世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会。通称は統一教会、統一協会。以下便宜的に、統一教会と表記)、国際勝共連合を含む統一運動の創立者。妻は韓鶴子。

目次

概略

文鮮明は、世界中にいる統一教会の信者にとっては、地上に再来したメシア、第三のアダム、再臨の主であり、彼と妻の韓鶴子は真の父母であると考えられている。しかし一方では第一級の宗教的詐欺師であり、陰謀によって会員や元会員、その家族たちの人生を台無しにしてきた悪徳商人であると捉えている人々もいる。一部のマスメディアは、「有名な韓国人伝道師」「問題の宗教的指導者」「何万もの求道者を洗脳したカルトの人形使い」など、彼を多様に描写している。その評価は極端に分かれるが、宗教学者のダグラス・E・コーワン(英語版)、宗教社会学者のデイヴィッド・G・ブロムリー(英語版) は、「どのように描写されているかは別として、20世紀後半の最も目立った新宗教の指導者の1人である」と評している。

1920年1月6日、現在の朝鮮民主主義人民共和国にあたる平安北道定州郡で出生した。曽祖父の代まで裕福な儒教家門だったが、15歳の時に兄弟が精神病を患い、それをきっかけに家族全員がプロテスタントの一派長老派キリスト教徒となる。16歳の時に、祈祷中にイエス・キリストと霊通し、再臨主の使命を継承するよう召命を受け、最初は拒んだが、最終的に受け入れたという。さらに聖書を学び、祈りを唱えるうちに、さらなる啓示を受けたとされている。彼は正式に神学を学んではいないが、書堂で中国の古典を学び、仏教やその他の宗教に親しんでいた。

18歳の時に京城に上京して学校に通い、電気工学を学んだ。イエス教会の所属教会である明水台教会に通った。イエス教会とは、李龍道がイエスの親臨を主張する柳明花を通して得た啓示に従って、1933年6月に設立したもので、李は同年10月に死去した。よって両者に面識はない。文は同教会の講師を務め、イエス教会のリーダー許孝彬とも面会し、文の初婚時には許孝彬が主礼を引き受けるなど親しい関係となった。文はここで、「神の摂理」と「究極の真理」を会得したと語っており、李龍道を思想的なルーツであるとしている。

19歳の時に日本に留学し、早稲田高等工学校に通って電気工学分野の勉強を続け卒業後、1943年に帰国したが翌年10月、日本での抗日独立運動に関わっていたとされ京畿道警察部に逮捕された(翌年2月釈放)。日本では様々な団体の宗教を遍歴しながら、柳明花の信奉者のひとり白南柱の弟子である金百文が建てたイスラエル修道会で補助引導師になる。1945年に強い宗教体験があり、これがのちの統一教会の源になったといわれている。

自らの思想「原理」を系統立ててまとめ、1945年8月に「原理」による聖書解釈の説教で布教活動をスタートしたが、その教えはキリスト教主流派に受け入れられるものではなく、迫害を受け、1946年6月(26歳)にソ連軍占領下の平壌に向かい、宗教団体を巡った。キム・ジョンファという女性信者の家で集会を行い、集会では祈祷を行い、神の悲しい心情を思い昼夜問わず泣いたため、当時は「泣く教会」と呼ばれていた。礼拝は白い服で行われ、霊的な雰囲気の中で賛美歌が繰り返し歌われ、信者の多くが夢で神の声を聴いたり、啓示を受けたりしたという。

異端の教えを広めている、南朝鮮傀儡政権のスパイであるといううわさが流れ、1948年8月に、共産党警察当局によって、逮捕・投獄・拷問を受け、1948年2月に「社会秩序紊乱罪」で再び逮捕され、興南強制労働収容所で5年間の労働を言い渡された。1950年6月に朝鮮戦争が勃発し、国連軍が19月に興南に達して囚人たちを開放。文は釜山に向かって弟子たちと再会し、ソウルへ、さらに釜山で避難生活を送り、1950年から1955年まで釜山で港湾労働者として働いた。教義書「原理原本」を執筆し、1952年5月に完成。釜山ボンネッコルで「原理」の説教を始めた。翌年ソウルに移り、1954年5月1日に「世界基督教統一神霊協会」(通称:統一教会、統一協会)を設立した。世界基督教統一神霊協会は原理運動とも呼ばれる。1954年に統一教会が礼拝と称して不道徳な性行為を行っているといううわさが敵対者によって広められ、官憲が文鮮明と4人の信者を逮捕。罪状には姦通罪も含まれていたが、ほどなく徴兵忌避以外のすべての罪状が取り除かれ、徴兵忌避も無罪となり3か月後に釈放された。

1955年に梨花女子大学の教員5名・学生14名が入信を理由に退職・退学させられ、文は不法監禁等を理由に検挙された。「血分け」と称して淫行が行われているのではないかという疑いも持たれたが、文の容疑は兵役法違反及び不法監禁であり、無罪となっている。1957年に全国に伝道師を派遣、1961年には朴正煕大統領の軍事独裁政権の下で、反共主義思想を展開し政府から庇護された。1958年に日本に布教、数年間でフランス、ドイツ、スペイン、イタリアにセンターを設立した。1959年10月2日日本でも世界基督教統一神霊協会を設立、1964年には宗教法人の認証を受けた。1959年にアメリカに伝道師を送り、1965年に世界40か国を回って布教を行い、日本も訪問している。アメリカでは当初ほとんど関心を持たれず、12年ほど停滞していた。1966年に教典『原理講論』が完成。1971年に啓示を受けたとして、1972年にアメリカのニューヨーク市に拠点を移し、アメリカのほとんどの州に小規模のセンターを設立、アメリカ移住まで宗教活動に投入する資金源になる大企業の設立に熱心に活動し、日本を経済基盤に世界中に宣教を行った。多様な商業活動が、教団の規模を大きく上回る影響力を支える経済的基盤となっている。

1960年3月16日に当時17歳の韓鶴子(ハン・ハクジャ)と結婚し、この時期以降「合同結婚式」を開始した。1968年に下部組織として、「国際勝共連合」を設立した。1972年にアメリカに移住し、統一教会の総本部もアメリカに移した。激しい反共主義によって、欧米で多くの友好関係を構築し、国連で2度演説し、ニクソン米大統領にホワイトハウスに招かれ、ソビエト連邦の最高指導者ゴルバチョフにクレムリンに招かれるなど、著名な政治家、宗教指導者とつながりを持ち、数多くの保守派の活動に資金援助をした。1991年12月6日には、当時の盧泰愚韓国大統領の北方外交に呼応して自動車事業で中華人民共和国の広東省に進出した際に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との接触を仲介していた中国政府の手配により同年11月30日から韓国政府に無断で電撃訪朝して平壌で北朝鮮の最高指導者である金日成と会談した。文鮮明はこの訪朝について経由地の北京で「私の勝共思想は共産主義を殺す思想ではなく、彼らを生かす思想、すなわち人類救済の思想」とする声明文を発表した。会談では離散家族再会に取り組むこと、核査察を受けること、自由陣営国家からの投資を受け入れること、軍需産業を除外した経済事業に統一グループが参与すること、南北頂上会談を行うこと、金剛山開発の実地などについて合意した。一方、合同結婚式、文一家による信者の生活への厳しいコントロール、組織を揺さぶる個人的または金銭的なスキャンダルといった問題を抱えており、1970年代から80年代には、反カルト運動の関係者、マスメディア、信者の家族によって、文鮮明は信者を「洗脳」 し、自律した思考や行動ができなくなるほど強い思想統制や行動修正の体制を信者に押し付けており、信者は1950年代のホラー映画のように組織や指導者の奴隷になってしまっているとして非難された。

1975年に文鮮明が出した送金命令により、日本の統一教会は過酷な集金・違法な商売を行いアメリカ・韓国等の統一教会の活動に多額の資金を送金した。1978年には世界言論人協会を発足させ、毎年世界各国の報道関係者を招いて「世界言論人会議」を開いた。日本で1980年代から霊感商法などで大きな社会問題となった。1982年に脱税で18か月の懲役の判決を受け服役したが、統一教会の普及の妨げにはなっておらず、出所後も統一教会のトップであり続けた。

メディアの影響力に早くから注目し、1975年1月には勝共連合機関紙「思想新聞」を改称発展させる形で、事実上統一教会と勝共連合の機関紙である世界日報を日本で、次いで1982年にアメリカ合衆国で、自らが主導して「ワシントン・タイムズ」(有名紙ワシントン・ポストとは別物)を発刊。その後も「ニューヨーク・シティ・トリビューン」、ウルグアイで「ウルティマス・ノティシアス」、中東で「ミドル・イースト・タイムズ」を発刊、1989年には韓国でも世界日報を発刊した。2000年には経営危機となったアメリカのUPI通信社を買収した。これらの発行に必要な莫大な経費は、日本の統一教会の信者による経済活動が支えている。

2012年9月3日午前1時54分、入院先の韓国・京畿道加平郡の清心(チョンシム)国際病院で肺炎などの症状によって92歳で死去。

来日

  • 1975年2月 - 通過査証で入国し、武道館で布教公演を行った。通過目的で入国したにも関わらず宗教活動をしたためこれは出入国管理及び難民認定法違反である。
  • 1979年 - 入国が許可されなかった。
  • 1978年 - 埼玉県神川村(現神川町)で国際合同結婚式のため1,600組の指名婚約を行なった。
  • 1981年 - 当時東海大学大学院に在学していた先妻の息子文聖進に面会するという理由をつけ「法務省は日本に入ってからの行動を関知しない」という方法で通過査証発給が検討された。しかし文鮮明は日本で国際合同結婚式ができるよう宗教活動目的の入国を最後まで求めた。当時の法務大臣奥野誠亮が事務次官や入国管理局長などに査証発給を促したが、実務側が過去の経歴を理由に合意せず、入国が許可されなかった。
  • 1982年 - 入国が許可されなかった。
  • 1984年 - アメリカ合衆国で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けたため出入国管理及び難民認定法第5条1項4号 の規定「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある外国人は、本邦に上陸することができない。」に該当し上陸拒否者となった。
  • 1992年3月26日 - 3月16日に日本統一教会神山威会長が自身を身元保証人とし「北東アジアの平和を考える国会議員の会」との意見交換という形式で文鮮明の日本入国を法務省に申請 し、「日程に記されている以外に政治、宗教活動を行わない」旨の文書を提出 し、当時の法務大臣田原隆 が「国際情勢の変化」「実刑判決から時間が経っている」などを理由とし、出入国管理及び難民認定法第12条の上陸特別許可(第3号:大臣決裁)を与えた。この許可については法務省に対し金丸信(当時自民党副総裁)から政治的圧力があったという。3月29日に中曽根康弘元首相と会談、3月30日夜には「北東アジアの平和を考える国会議員の会」主催の歓迎晩餐会で閣僚関係者など国会議員31人を前に1時間程講演を行った。この講演の内容は「頭翼思想」「神主義」など独特の宗教的内容と北朝鮮訪問の報告で、訪日の目的と説明されていた意見交換は行なわれなかった。3月31日金丸信 と2時間半に渡り会談、うち1時間は2人だけの密室会見 だった。4月1日午前大韓航空機で韓国に向かった。この他のスケジュールは東京、名古屋、大阪で信者に説教し、霊感商法で使われた壷や多宝塔を輸入する会社ハッピーワールドなど統一教会系企業の訪問と明らかに宗教活動が中心であった。

家族

文鮮明の嫁であった洪蘭淑(韓鶴子との長男:文孝進の妻)は、文鮮明は自らの家庭を「神の家庭」「真の家庭」「全人類の父母の家庭」とし、全人類が模範とすべき「モデル家庭」だと主張していると述べている。

崔先吉との子供

1944年結婚、1957年離婚。[要出典]

  • 文聖進(1946年生) - 男性。[要出典]

金明煕との子供

文鮮明と金明煕は婚姻していない。喜進は崔先吉との婚姻中に誕生。[要出典]

  • 文喜進(1954年生) - 男性。鉄道事故で死亡。[要出典]

韓鶴子との子供

1960年結婚。4度目の結婚である。なお詳細情報のない子女は、統一教会に表立って関わっていないか、脱会している。

  • 文誉進(ぶんえいじん、女性、1960年生)
  • 文孝進(ぶんひょうじん、男性、1962年生) - 19歳で文鮮明が選んだ洪蘭淑と結婚し21歳で原理研究会初代会長に就任するなど後継者として期待されていたが、ロック音楽や銃器などの趣味に没頭し、アルコール依存症、薬物依存症に陥った。不品行や暴力により結婚生活は破綻、1997年離婚した。その後、妻の洪蘭淑は『わが父文鮮明の正体』という文鮮明一族の内情を描いた暴露手記を出版している。再婚、2008年45歳で死亡した。[要出典]
  • 文恵進(ぶんへじん、女性、1963年生) - 生後1週間で死亡。[要出典]
  • 文仁進(ぶんいんじん、女性、1965年生)
  • 文興進(ぶんふんじん、男性、1966年生) - 男性。1984年1月 17歳の時、米国で改造自動車を無免許で暴走運転中に事故死した。日本共産党の機関紙であるしんぶん赤旗の社会部は、その死の1ヶ月後文鮮明は、統一教会が洗脳に利用する聖書やキリスト教では全く説明がつかない事柄ながら、文興進を統一教会幹部の娘だった22歳の女性と「霊魂結婚」させ、霊感商法を正当化する内容の「興進様の啓示」が霊感商法販売全店舗に出されるようになったと述べている
  • 文恩進(ぶんうんじん、女性、1967年生)
  • 文顕進(ぶんひょんじん、1969年生) - 男性。文孝進のスキャンダルを受けて文鮮明の後継者とされ世界原理研究会の会長になった が、2011年自分の活動が統一教会とは関連がないことを宣言した。[要出典]
  • 文國進(ぶんくっちん、男性、1970年生) - 統一教会系企業の総まとめ役で銃器製造工場責任者。拳銃のコレクター。
  • 文權進(ぶんごんじん、男性、1975年生)
  • 文善進(ぶんそんじん、女性、1977年生)
  • 文榮進(ぶんよんじん、男性、1978年生)
  • 文亨進(ぶんひょんじん、男性、1979年生) - 文顕進と統一教会の間の対立を受けて宗教面での後継者とされた。[要出典]
  • 文妍進(ぶんよんじん、女性、1981年生)
  • 文情進(ぶんじょんじん、女性、1982年生)

また洪蘭淑の証言では文鮮明・韓鶴子夫妻は子どもが生まれるとすぐに統一教会の『兄弟姉妹』に預けてしまって乳母や子守りをさせ、自身は養育にはあまり関わらず、具体的には洪蘭淑が文鮮明の家にいた14年間の間に、文鮮明夫婦が子どもの鼻を拭いてやったりゲームをして遊んでやったりしているのを一度も見たことがないという。洪蘭淑自身も親が統一教会草創期の信者だったため放置されたが、文鮮明はこれについて「大衆を改宗するのが第一で、個人的な幸福を追求するのはわがまま」と説明している。



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