太平天国

ページ名:太平天国


目次

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中国,道光 30 (1851) 年末から同治3 (64) 年までの 14年間,清朝打倒を唱えて揚子江流域を中心に広く各地で革命運動を展開した,洪秀全を指導者とする革命政権。南京条約による開港の影響は広東,広西両省の社会的,経済的矛盾を深化させていたが,原始キリスト教の影響を受けたハッカ (客家)出身の洪秀全は拝上帝会を組織して,人間の平等,男女の平等,土地,財産の共有と均分,アヘンの厳禁,偶像の否定を唱えた。拝上帝会は貧農や失業兵士,開港の影響で失業した手工業者や運送労働者を吸収して発展し,道光 30年 12月 10日 (太陽暦1月 11日) 広西省桂平県金田村で蜂起,次いで太平天国の国号を定め,湖南,湖北,江西の諸省を経て,揚子江下流に進出し,咸豊3 (53) 年南京を占領して国都 (天京) とした。しかし,土地の均分を目指した天朝田畝制度も非現実的で地主制を打倒することができず,かえって旧体制を存続させることになった。農民の支持を結集できないまま,指導者の腐敗,内紛と,イギリス,フランスの援助 (常勝軍など) を受けた曾国藩ら清朝軍のため,同治3年,南京を占領されて滅亡した。

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デジタル大辞泉の解説

中国清朝末期、洪秀全を指導者とする上帝会を中心に建てられた国。1851年、広西省桂平県金田村に挙兵し、新国家樹立を宣言。1853年には南京(ナンキン)を占領し、天京と改め首都とした。キリスト教思想のもとに、清朝打倒・土地私有反対・経済的平等をうたったが、1864年、曽国藩(そうこくはん)・李鴻章・ゴードンらの連合軍によって鎮圧された。弁髪を禁じたため長髪賊の乱ともいう。

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百科事典マイペディアの解説

中国,清末1851年1月反清をうたって武装蜂起(ほうき)した洪(こう)秀全を指導者とする集団およびそれが同年樹立した国号。1864年まで存続。清側ではこの反乱を太平天国の乱とし,辮髪(べんぱつ)を拒否し長髪にしたことから長髪賊の乱,その地域名から粤匪(えつぴ)の乱とした。また太平天国を偽国家としている。拝上帝会の首領洪秀全が馮雲山・楊秀清・蕭朝貴・石達開らと広西省桂平県金田村に蜂起し,永安攻略後,ここを都として建国。自らを天王とし,諸王を定め,体制を整えた。のち湖南から江蘇に進撃し1853年南京を占領,天京と改め都とする。以後北征・西征の軍を進め,制度文物の整備に努めたが,内紛が激化し,清軍とゴードンの率いる常勝軍の反攻を受けて各地で敗北。1864年天京陥落により滅亡。洪秀全は陥落を前に自殺。蜂起は排満興漢・平等世界建設という理想をもち,清末の革命に大きい影響を及ぼした。

→関連項目アジア|虚谷|義和団|黒旗軍|常勝軍|清|曾国藩|中体西用論|捻軍|客家|洋務運動|李秀成|林則徐

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世界大百科事典 第2版の解説

1851年(咸豊1)広西に樹立され,のち南京を首都天京として,清朝,また末期にはイギリス,フランス干渉軍と戦って64年(同治3)に滅んだ中国の民衆的政権。

[太平天国の理想と挙兵経過]

母体は1843年(道光23)広東省花県の客家(ハツカ)の農民出の読書人洪秀全が創始した拝上帝教という宗教団体である。彼は科挙失敗後の病中に見た幻覚を,偶然手にしたプロテスタントの布教文書によって解釈し,みずからを堕落した中国を救う使命を真の神,天父上帝から与えられた者と確信した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

1851年春ごろ中国の広西省に興り、64年に南京(ナンキン)で滅亡した漢族の反清(しん)「革命」国家。清朝側は太平天国軍を長髪賊、粤匪(えっぴ)などとよんだ。

[小島晋治]

起源目次を見る

1843年、広東(カントン)省花(か)県の客家(ハッカ)の農民出身の在野読書人洪秀全(こうしゅうぜん)が拝上帝教(上帝教)を創立したことに始まる。彼は、中国古代の至上神で天の主宰者たる上帝を、キリスト教のヤーウェ(エホバ)と等置し、これを唯一神に変えた。初めは、中国人プロテスタント宣教師梁発(りょうはつ)が書いた解説書『勧世良言』そのままに、いっさいの偶像を拝まず、上帝だけを信じ、禁欲的戒律を守れば、すべての人が「魂の父」である上帝の子女、兄弟姉妹として助け合い、睦(むつ)み合う「大同」の世が実現すると説いただけで、かならずしも地上の革命を意図したものではなかった。上帝教は主として、広西南東部の新来の移住民として、一族の神々や土地神の祀(まつ)りを中心に結集していた先住民の共同体から排除されていた客家の農民に受容され、その過程で、キリスト教とは異質の土俗的一神教に変質した。すなわち、衣食の保証、病気や災害から免れるという現世利益の実現と結合し、またとくにこの地で盛んであった「降僮(こうどう)」という神の人間へののりうつりの信仰を受け入れた。1848年、偶像破壊運動がもたらした信徒の動揺を、それぞれ上帝およびキリストののりうつり(「下凡」)によって鎮めようとした当地の野心的な貧農楊秀清と蕭朝貴(しょうちょうき)は、上帝とキリストのことばとして、洪秀全がキリストに次ぐ上帝の次男であり、天下万国の真の君主、救世主として地上に遣わされたものであることを告げた。秀全はこれを信じ、かつて上帝教創立の契機となった己の幻夢をもとに、地上天国の創立と、秀全が「真の君主」となることを正当化する神話を創造した。偶像破壊を通じて、客家の貧農を中心とする上帝会と、郷紳が支配する団練(武装自警団)との抗争が激化するなかで、前者は1850年春以降、挙兵準備を進めた。同年夏から秋にかけて、婦人、老人、子供を含む約1万の各地の信徒は、土地・財産を処分して武装集団を結成し、清軍と抗戦しつつ、広西南東部の桂平(けいへい)県金田(きんでん)村一帯の村々に集結し、秋から冬にかけて、清軍との全面的な戦闘が始まった。翌年春ごろ、秀全は天王と称し、「太平天国」という新国家を樹立した。

[小島晋治]

経過目次を見る

彼らは初め、広西と広東に新国家を建設しようとしたらしいが、清軍との広西での苦闘を経て、1852年5月、数千に減少した兵力で湖南南部に入った。この地で天地会員や貧農、坑夫、失業遊民層などを吸収して数万の兵力に拡大し、揚子江(ようすこう)流域を目ざして進撃した。太平軍は民衆に対する厳正な軍規と、強烈な滅清興漢のアピール、また「3年間土地税を免除する」「税を少なくして貧富を均(ひと)しくする」などのスローガンの下に、官僚、大地主、富商を攻撃し、農民や貧民に戦利品を分配したことなどによって、民衆の強い支持と協力を得、1853年3月、20万~25万の大軍となって南京を占領、ここを首都天京として新政権の建設を開始した。新政府は土地国有と耕地の均等割当て、自家消費分以外の全余剰生産物の国有などをおもな内容とする「天朝田畝(でんぽ)制度」を、未来の理想社会として発布したが、実現への努力もなされないままに終わった。結局、膨れ上がった軍隊と官僚を養う必要に迫られて、旧来の土地制度(地主制)を承認し、これを基礎に土地税を徴収する政策を採用した。地主勢力は、占領当初に行われた太平軍の激しい攻撃と収奪、また旧支配機構の崩壊を契機に爆発した地代支払い拒否などの農民の反地主闘争によって弱められた。しかし、新政府の地主制容認政策によって生き延び、新政府の地方官=郷官(きょうかん)の多くは地主や旧胥吏(しょり)によって占められた。新政府は史上初めて婦人の科挙(女科)を行い(1回のみ)、売春と纏足(てんそく)を禁止するなどの革新的な措置をとり、また厳格な男女隔離を行った反面、天王はじめ諸王は早くから多数の妻妾(さいしょう)を擁し、婦人に「三従の教え」を説いたりした。また官と民は身分的上下関係とされて、功臣の官職世襲や繁雑な身分儀礼が規定され、諸王は壮麗な宮殿を造営するなど、王朝体制が再生産された。この過程で、諸王間の対立が深まり、1856年北王韋昌輝(いしょうき)が天王の支持の下に東王楊秀清を殺害し、ついで天王が北王を処刑し、翼王石達開が天王の圧迫に耐えかねて大軍を率いて分裂し、この間、数万人が殺害されるという悲劇が起こった。北京(ペキン)攻略を目ざした北伐軍が1854年に全滅したことに続く、この内部抗争による弱体化に乗じて、曽国藩(そうこくはん)らの湘(しょう)軍が反撃に転じ、58年までに湖南、湖北、江西などの太平天国の領域が奪回された。60年以降、忠王李秀成(りしゅうせい)の大軍が清朝のドル箱だった江浙に進出して反撃したが、1860年の北京条約締結以後、中立・不干渉政策から清朝援助政策に転換し始めたイギリスなど列強の武力干渉、とくに常勝軍と、湘軍および李鴻章(りこうしょう)の淮(わい)軍の連合攻撃によってしだいに追い詰められ、1864年、湘軍が天京を占領して、太平天国は滅亡した。

[小島晋治]

歴史的意義目次を見る

太平天国運動は古い型の農民戦争ないし民衆反乱ではあったが、かつてない高度な組織、規律をつくりあげて、清朝と、これを支持する官僚、大地主、富商、高利貸に大打撃を与え、また末期には初期の中華思想的世界観から脱却して、相互の領土主権の尊重を強調するなど、民族主義の萌芽(ほうが)を示し、その全歴史を通じて、近代の中国革命の課題=反帝国主義・反封建主義の課題を提示した。直接には最初の工業化の試みである洋務運動を生み出す大きな要因となり、またイギリスの対日政策に一定の教訓、影響を与え、間接的とはいえ日本の明治維新を援助する役割を果たした。

[小島晋治]

『西順蔵編『原典中国近代思想史Iアヘン戦争から太平天国まで』(1976・岩波書店)』▽『小島晋治著『太平天国革命の歴史と思想』(1978・研文出版)』

[参照項目] | 洪秀全 | 天朝田畝制度

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精選版 日本国語大辞典の解説

中国、清末、秘密結社上帝会の指導者洪秀全が華南を中心に建てた反清「革命」国家。一八五一年広西省にて挙兵、湖南・湖北・江西・安徽を経て五三年南京を陥れ、天京と改め首都とした。国号は、「周礼」大同思想の太平、「聖書」の天国に拠る。キリスト教思想を中国の伝統的社会観に結びつけ、男女平等・土地均分・清朝打倒などを掲げ勢力を拡大したが、内紛と、湘軍・常勝軍などに敗れ、六四年に滅びた。参加者が辮髪をやめて長髪にしたところから長髪賊と呼ばれた。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

1851年1月,反清革命軍が建てた政権

1851年洪秀全を指導者とした貧農・手工業者が広西の金田村で蜂起し,同年太平天国を宣言,湖南をへて長江流域に進出した。1853年に南京を占領して首都(天京)とし,洪は天王と自称した。上帝会のキリスト教思想にもとづき,土地均分を建て前とした天朝田畝 (てんちようでんぽ) 制度を発布し,纏足 (てんそく) ・賭博・アヘンを禁じ,清朝の強制した辮髪を拒否して長髪とした(清朝側からは長髪族とも呼ばれた)。その改革は社会・経済・宗教・思想にまで及んだが,最盛期は1856年までで,以後,幹部の対立から衰え,各地の幹部は洪の統制を離れて自立の傾向を示した。李秀成 (りしゆうせい) の軍団がもっぱら首都防衛に当たったが,曾国藩や李鴻章の郷勇 (きようゆう) やゴードンらの常勝軍などの攻撃を受けて江浙 (こうせつ) などの地盤を失い,1864年洪秀全は自殺(病死説もある),南京も陥落して滅亡した。

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世界大百科事典内の太平天国の言及

【孔子批判】より

…孔子あるいは儒教に対する批判的な動きは,1840年のアヘン戦争以降,中国の封建的王朝体制が崩壊してゆくなかで,ようやく歴史の表面にあらわれてくる。1850‐64年,南中国を支配した農民反乱,太平天国では,村の私塾におかれた〈大成至聖先師孔子〉という位牌がうち壊され,孔子が祖述したとされる儒教経典を〈妖書邪説〉とみなして読むことを禁じる布告が出されるなどした。だが,太平天国が命脈を終えるとそうした動きは中断,本格的批判運動は中華民国成立以後にもちこされた。…

【洪秀全】より

…中国,太平天国の創始者。広東省花県の客家(ハツカ)の中農の家に生まれた。…

【城攻め】より

…城攻めは古来,準備と攻撃に3ヵ月ずつ要するといわれるが,1268年(至元5)秋に始まるフビライ麾下の元軍が南宋の呂文煥(りよぶんかん)が守る襄陽(じようよう)を攻撃した城攻めは,73年1月まで4年半を要し,回回砲(かいかいほう)と呼ぶ新型の大投石機まで登場した最後の決戦でさえ14昼夜かかった。また南京城の攻防は548年(太清2)の侯景の乱が有名であるが,清の同治1年(1862)夏から始まった曾国筌(そうこくせん)が指揮する湘(しよう)軍の太平天国天京攻撃も悽惨(せいさん)を極めた。このときはすでに爆破火薬が使用されたにもかかわらず城壁はゆるがず,城内を砲撃できる周囲の高地を占領しつつ,丸2年の包囲の末ようやく城がおちた。…

【容閎】より

…生地に近い澳門(マカオ)のモリソン学校に学び,1847年(道光27)中国初の留学生として校長S.R.ブラウンにしたがって渡米,50年イェール大学に入学,洗礼を受け帰化した。卒業後帰国して茶・生糸の仲買いに従事,60年太平天国の洪仁玕に新政の提案をしたが運動には参加せず,逆に清側の曾国藩の洋務政策に協力し,72年(同治11)アメリカ留学生派遣を実現したが4年で挫折した。日清戦争時に再び帰国し変法運動に参加,1900年(光緒26)自立会会長に推され,蜂起失敗後アメリカで余生を送った。…

※「太平天国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。



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