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佐渡金山(さどきんざん)、または佐渡金銀山(さどきんぎんざん)は、新潟県佐渡島にある金鉱山・銀鉱山の総称である。なかでも相川金銀山(あいかわきんぎんざん)の規模が特に大きかったため、単に「佐渡金山」または「佐渡金銀山」という場合、相川のものを指す場合が多い。なお、近代以降を中心に「佐渡鉱山」または「相川鉱山」の名称も用いられる。
本項では佐渡島における金銀山の概説、ならびに相川金銀山について記す。
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1.西三川 2.鶴子 3.新穂 4.相川
いずれも大まかな位置
佐渡島には下表に示す4つの主要な金銀山を含む多くの鉱山が存在が確認されている。なかでも相川は規模が大きく、国の史跡や重要文化財に指定、または重要文化的景観に選定されている遺跡や景観が多く残っていることもあり(詳細は#文化財を参照)、現在では佐渡における観光の拠点ともなっている。
主な呼称 | おおよその採掘開始時期 | 閉山 |
---|---|---|
西三川砂金山(にしみかわ) | 平安時代以前 | 1872年 |
鶴子銀山(つるし) | 戦国時代 | 1946年 |
新穂銀山(にいぼ) | 戦国時代以前 | ? |
相川金銀山(あいかわ) | 江戸時代初期 | 1989年 |
佐渡島内鉱石は主に銀黒(ぎんぐろ)と呼ばれる石英中に輝銀鉱および自然金の微粒子が脈状に存在するものであった。
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。 出典検索?: "佐渡金山" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年10月) |
歌川広重の描いた佐渡金山よく誤解されるが、戦国時代には相川の金脈は未発見であり、戦国大名の上杉謙信がかかわった記録はない(鶴子銀山は既に採掘されていた)。小説『武田信玄』において新田次郎は佐渡金山が上杉謙信の財源であったと描写し、「記録が無いのは秘密にしたからである」としているが、戦国時代の佐渡は本間氏の領国であり上杉氏は領有しておらず、その意味からも上杉謙信が佐渡金山を保有していたということはありえない。ただ、『今昔物語集』の巻26・第15話に「能登の国の鉄を掘る者、佐渡の国に行きて金を掘る語」という段があり伝聞の収録という形ながら佐渡で金が採れるという点に言及されている。今昔物語集の成立年代と推定される11世紀後半には少なくとも砂金等の形で佐渡で金が産出することは知られていたようである。
天正17年(1589年)に上杉謙信の跡を継いだ上杉景勝により本間氏が滅ぼされ佐渡は上杉領となる。
慶長6年(1601年)徳川家康の所領となる。同年、北山(金北山)で金脈が発見されて以来、江戸時代を通して江戸幕府の重要な財源となった。
江戸時代初期、元和から寛永年間にかけての最盛期には金が1年間に400 kg以上算出されたと推定され、銀は1年間に1万貫(37.5 トン)幕府に納められたとの記録がある。当時としては世界最大級の金山であり、産銀についても日本有数のものであり江戸幕府による慶長金銀の材料を供給する重要な鉱山であった。なかでも相川鉱山は、江戸幕府が直轄地として経営し、大量の金銀を産出した佐渡鉱山の中心であった。産出し製錬された筋金(すじきん/すじがね)および灰吹銀は幕府に上納され、これを金座および銀座が預かり貨幣に鋳造した。また特に銀は生糸などの輸入代価として中国などに大量に輸出され、佐渡産出の灰吹銀はセダ銀とも呼ばれた。
鉱山の労働者の給与水準も高く、周辺の町は大変栄えたという。江戸時代後期には江戸から約1,800人の無宿人(浮浪者)・罪人が強制連行され過酷な労働を強いられたが、これは見せしめの意味合いが強かったと言われる。無宿人は主に水替人足の補充に充てられたが、これは海抜下に坑道を伸ばしたため、大量の湧き水で開発がままならなくなっていたという金山側の事情もある。 水替人足の労働は極めて過酷で、「佐渡の金山この世の地獄、登る梯子はみな剣」と謳われた。江戸の無宿者はこの佐渡御用を何より恐れたといわれる。水替人足の収容する小屋は銀山間の山奥の谷間にあり、外界との交通は遮断され、逃走を防いでいた。小屋場では差配人や小屋頭などが監督を行い、その残忍さは牢獄以上で、期限はなく死ぬまで重労働が課せられた。
「相川町#歴史」も参照
相川金銀山は16世紀末に開発が始まったと考えられ、1601年に山師により鉱脈が発見されると本格的な採掘が行われるようになり、17世紀前半に最盛期を迎えた。
初期の開発では鉱山にほど近い丘陵斜面に上相川に鉱山町が形成されたが、のちに台地上の上町に奉行所を中心とした計画的な町割りがつくられた(詳細は相川町#歴史を参照)。
明治初期からは官営、明治後期からは民営となり、採掘が続けられた。トロッコや索道、西洋式の垂直坑道(大立竪坑)、積み出し港(大間港)など近代的な施設が多く導入され、1937年(昭和12年)の日中戦争開始以降は北沢地区においてシックナーや浮遊選鉱場といった大規模施設が建設された。1940年には佐渡金銀山の歴史上最高となる年間約1,500 kgの金と約25 トンの銀を生産した。
しかしその後の戦争の影響もあって生産は縮小され、1952年に大規模縮小、1989年に休山となった。
国の史跡「佐渡金銀山遺跡」に指定されているのは、「道遊の割戸」(どうゆうのわりと)、「宗大夫間歩」(そうだゆうまぶ)、南沢疏水、大立竪坑櫓、間ノ山搗鉱場(あいのやまとうこうば)などの採鉱関係の遺構・遺跡、佐渡奉行所跡、旧時報鐘楼、旧御料局佐渡支庁庁舎などの経営関係遺跡、また、佐渡鉱山の開発に功のあった佐渡奉行大久保長安の建てた大安寺である。2011年(平成23年)には鶴子(つるし)銀山跡を追加して「佐渡金銀山遺跡」の名称に変更された。
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相川金銀山の主要な観光施設・スポット
1.史跡 佐渡金山 入口
2.北沢浮遊選鉱場
3.大間港跡
4.京町通り(1.から海沿いまで続く散策コースに接続する)
5.佐渡奉行所
6.きらりうむ佐渡
4つの主要鉱山のうち観光整備が進んでいるのは相川金銀山であり、他の3鉱山については西三川砂金山に体験施設「西三川ゴールドパーク」が設けられているほかは目立った集客施設は整備されていない。
以下、相川金銀山における観光について述べる。
坑道の総延長は実に約400 kmに及ぶが、そのうち約300 mが株式会社ゴールデン佐渡により観光ルートとして有料公開されている。近世に関する展示、近代以降に関する展示があり、コースが分かれている。入館時間や料金など詳細は#外部リンクの「史跡 佐渡金山」を参照。
スタッフとしてチャールズ・ジェンキンスが勤務していた時期もあった。
相川鉱山では近代の施設遺構が多く残っており、各種案内においては5つの地区に区分されている(詳細はのpp.20-21の図及び#外部リンクの佐渡市世界遺産推進課によるマップを参照)。
山の上から下に向かい作業工程が設定されており、採掘場所の大立・高任地区から、鉱石選別のための高任・間ノ山地区、選鉱や精錬のため間ノ山・北沢地区を経て、生産品を積み出す大間港まで、約3 kmにわたる生産ラインとなっていたため、遺構もこれに沿って分布する。
北沢地区[編集]詳細は「北沢浮遊選鉱場」を参照
大間港のトロッコ遺構群。トラス橋やローダー橋脚、クレーン台座など。
明治半ばに生産品の積出や物資の搬入用の港として築港され、人造石護岸や鉱車の橋梁、煉瓦倉庫など現在も遺構が多く残る。北沢地区と同様、2010年(平成22年)に広場が整備された。
画像提供依頼:京町通りの画像提供をお願いします。(2019年10月) |
#重要文化的景観にも選定された町並みが周辺一帯に続いている。なかでも「京町通り」と呼ばれるメインストリート沿いに古くからの建物が並んでおり、周辺一帯地域には散策コースが設定されている。
きらりうむ佐渡 | |
---|---|
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施設情報 | |
来館者数 | 約19,000人/年 |
事業主体 | 佐渡市 |
延床面積 | 約1,100 ㎡ |
開館 | 2019年4月 |
所在地 | 〒952-1562 新潟県佐渡市相川三町目浜町18番地1 |
アクセス | 新潟交通佐渡 本線ほか「きらりうむ佐渡」バス停すぐ |
外部リンク | 公式サイト |
プロジェクト:GLAM | |
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相川郷土博物館2019年4月に情報発信の拠点施設として県道45号佐渡一周線沿いに映像シアターや各種展示、観光案内所などを備えたガイダンス施設「きらりうむ佐渡」がオープンした。
また、国史跡「御料局佐渡支庁」の建物を活用して1956年に開館し、佐渡金銀山や相川地区の歴史民俗資料を収蔵する「相川郷土博物館」が北沢地区にある(ただし今後、廃止が予定されている。
このほか、「佐渡奉行所」の復元建物が公開されている。
佐渡市と新潟県は、相川金銀山・西三川砂金山・鶴子銀山・新穂銀山の4つの金銀山を「佐渡金銀山遺跡」とし、世界遺産への登録を目指すようになった。県と市は、2007年(平成19年)に文化庁へ「金と銀の島、佐渡-鉱山とその文化-」の仮称で世界遺産暫定リスト入りを提案。2008年(平成20年)9月26日の世界文化遺産特別委員会の審査結果では、すでに世界遺産登録されている石見銀山遺跡との「拡大・統合を図るべき」との意見とともに暫定リスト記載文化遺産と評価された。しかし、石見銀山との統合は断念され、2010年(平成22年)6月の同委員会では、「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群(The Sado Complex of Heritage Mines, Primarily Gold Mines)」として暫定リストへ単独記載していくことが了承された。ただし、世界遺産登録条件に
「現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。」との条項があり、既に石見銀山が世界遺産登録していることから、やはり佐渡金銀山の世界遺産登録実現に向けて影響が出てくる可能性もある。
暫定リスト掲載に伴い、構成資産候補を相川金銀山・西三川砂金山・鶴子銀山・新穂銀山と、吹上海岸石切場跡(国の史跡)、片辺・鹿野浦海岸石切場跡(国の史跡)、大間港(1892年(明治25年)完成)、戸地川第二発電所(国の史跡・1919年(大正8年)完成)の4か所を含む8件とした。大きな転機となった2015年のシンポジウム、於:東京(幕間に上演された佐渡おけさ)
また、世界遺産に求められる「顕著な普遍的価値」(OUV)の位置づけを、「400年以上にわたる各時代の鉱山遺跡や鉱山町が良く残されており、金生産の発展の歴史を限られた範囲の中で見られる世界で唯一の場所である」「佐渡産出の金が長期間にわたり世界でも有数の平和な時代を存続した国(江戸幕府)の財政を支えてきた」「金生産について記した鉱山絵巻をはじめとする100点以上の豊富な記録の存在は世界的にも希少」としたが、2015年(平成27年)に開催されたシンポジウムにおいて国際産業遺産保存委員会(TICCIH)が「財政に関することは必ずしも世界的な影響とはいえない」と指摘。そのため「江戸時代に鎖国という世界でも特異な状況下において、手工業による鉱山開発と貴金属生産を継続。そこで培われた技術や組織体制(管理体系・鉱山集落等)の継承が、明治の近代化産業革命による機械工業化を円滑かつ短期間で成し遂げた。佐渡は機械化以前と以降をまたいで長期間持続した鉱山で、金銀生産技術とそれに適応した組織の展開を示す物証が島という限られた範囲内で見ることができる世界的にも稀有(東アジアで唯一)な遺産である」と改めた。その後、佐渡鋳造小判がオランダ銀行に保管されていることなどから、「採掘場と同じ場所で貨幣鋳造まで行うことは世界的にない形態で、交易によって海外へ流出し国際金融へも影響を与えた」という一節をさらに加えた。
顕著な普遍的価値が目まぐるしく変遷する中で、2015年より毎年文化審議会に推薦書原案を提出し正式推薦を望んできたが選に漏れてきたこともあり、海外を含む他の鉱山遺産との差別化を図るべく、佐渡の独自性(手工業)を明確に紹介できる相川金銀山、西三川砂金山、鶴子銀山の3件に構成資産候補を絞り込むこととなった(相川金銀山においては引き続き明治以降の機械化の足跡も含んでいる)。
一方で、佐渡金銀山の開発に際しては、大久保長安が甲州(湯之奥金山など)や岡崎(石屋町)そして石見銀山から鉱夫や石工を寄せ集めたことで(姫津地区には末裔の石見姓住民がいる)技術史(産業考古学)的に独自性がないのではないかや、佐渡小判が国際金融に影響した根拠が乏しいという指摘もある。
2019年(令和元年)5月19日、世界遺産構成資産候補の西三川砂金山がある重要文化的景観選定地である笹川集落で火災があり、農村景観を形成する家屋・納屋7軒が焼失した。文化庁は「文化財としての価値に影響はない」とし、地元の笹川の景観を守る会も「(金山に関係する)特別な施設に被害はなく、世界遺産登録への影響はないと思う」とした。しかしながら、相川金銀山では佐渡金山の象徴とされる露頭掘り跡「道遊の割戸」の一部崩落が始まり、近代以降の採掘施設もコンクリートや鉄骨の損傷が著しく、西三川砂金山では砂金を採掘した遺跡が草木に埋没し、鉱山経営を担った金子勘三郎家の建物も腐朽が進み、鶴子銀山は遺構の多くが山間に埋没して見学しづらい状態になるなど、保存の在り方にも問題が浮上している。
2020年(令和2年)3月24日、相川地区が地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(歴史まちづくり法)の歴史的風致維持向上地区に認定され、世界遺産推薦時に求められる法的保護根拠が一つ増えることになった。
2020年3月30日、2022年の登録審査を目指し、推薦書原案を文化庁へ提出。そこでは、名称を「佐渡島(さど)の金山」と短くし、戦国時代末から明治時代前半としてきた対象時期を江戸時代までに変更。相川金銀山とその発見のきっかけとなった鶴子銀山を一つの遺産として扱い、構成資産は相川鶴子金銀山と西三川砂金山の二つに集約している。
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