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戸田 忠太夫(とだ ちゅうだゆう、文化元年(1804年) - 安政2年10月2日(1855年11月11日))は水戸藩の政治家。水戸藩家老。尊王志士として活躍した。
本姓は源氏(藤原氏とも)。家系は松本藩の藩主の戸田氏の支流。戸田氏の23世孫、水戸藩士戸田家7代当主。
幼名亀之介、通称は銀次郎。家老職拝命により主君・徳川斉昭より忠太夫の名を賜る。号は蓬軒、清洲。諱は忠敞。戸田蓬軒、戸田忠敞と載せる場合も多い。
清和源氏の一門にて河内源氏の棟梁鎮守府将軍八幡太郎源義家の七男陸奥七郎義隆を祖とする。
戸田氏は義隆の孫・森頼定の(森氏の初代)の十男 戸田信義(戸田氏の初代)より発祥する。戸田氏は三河譜代の名門の家系であり、忠太夫は戸田氏(仁連木戸田家)の支流[1]で水戸藩に仕えた戸田有信[2]の後裔にて水戸藩の世臣であった戸田三衛門忠之の嫡男として生まれる。母は安島七郎左門衛門信可の女。歴代の知行は代々1300石。家紋は六曜。
姉は旧山形藩の最上家親旧臣の里見氏に嫁いだ里見四郎左衛門室。弟は母方の佐竹氏旧臣 安島氏に養子入りした安島帯刀。
妻は岡野行従の女。嫡男には戸田銀次郎、甥に里見四郎左衛門親賢、安島七郎太郎信義、安島七郎三郎がいる。
戸田弾正少弼康光 - 丹波守宜光 - 甚三郎重政 - 十蔵有利 - 三衛門有信 - 三衛門有重 - 善十郎有次 - 陸之衛門忠長 - 銀次郎忠真 - 三衛門忠之 - 忠太夫忠敞(蓬軒) - 戸田銀次郎
文化10年(1813年)、家督を継いで200石小普請組となる。文政3年(1820年)には大番組頭、文成11年(1828年)には目付となる。その頃、水戸藩に継嗣争いが起こり、将軍家より養子を擁立しようとする一派に対抗し、中下士層を率いて聡明と聞こえる第9代水戸藩主・徳川治紀の3男、敬三郎を擁立する。これにより敬三郎が跡目となり徳川斉昭となる。
斉昭が水戸藩主となると藤田東湖とともに斉昭を支え世に水戸の両田といわれ、尊王の志と学識を備えた優れた指導者として知られる様になった。また、この両人と武田耕雲斎を合わせ水戸の三田ともいう。
天保元年(1830年)には藩内争議のため、無願出府して免職され、留守居同心頭列となるものの、斉昭の意向により同年3月に江戸通事として復帰。
天保6年(1835年)4月には格式旗奉行上座用人見習、8月、格式用人列御側用人見習。天保7年(1836年)8月には御側用人まで昇任、9月にはさらに和歌年寄代となる。天保9年(1837年)、馬廻組頭上座。天保10年(1839年)11月、水戸藩若年寄となり与力同心をつけられることとなり、12月には郷村懸鷹方馬方支配兼務となる。
天保11年(1840年)2月には学校造営懸となって弘道館を造営に参与する。8月には大寄合上座用達となり、10月には学校造営懸総司と要職を歴任。水戸藩における天保の改革として領内総検地、海防準備、学校創設、寺社改革において重きをなし、弘化元年(1844年)に斉昭が幕疑を受け致仕すると藤田東湖同様に同年5月に免職、蟄居謹慎を命ぜられる。
斉昭への譴責が緩むにつれて忠太夫・東湖も復帰が適い、弘化3年(1846年)に蟄居を免じられて、中寄合となって水戸表での遠慮が命じられた。弘化4年(1847年)致仕となるとしばらく政界から一時退いた。同年9月21日、老中阿部正弘が水戸藩付家老中山信守を召し出し、水戸藩保守派頭目の結城寅寿の罪状を詰問すると同時に、忠太夫・東湖の遠慮の宥免と入獄させている領民を釈放をすべきであると諭したが、この時は宥免されなかった。
嘉永5年(1852年)に入り、慎みが解けると蓬軒の号を用いる様になった。嘉永6年(1853年)に斉昭が幕府により海防参与を引き受けると、忠太夫・東湖両名も幕府海岸防禦御用掛、江戸詰となり執政に準ずる身分となった。海防掛として老中以下幕臣の岩瀬忠震らと異人来襲の危機につき協議に参画するなど活躍し、同11月には忠太夫の名を賜った。
安政元年(1854年)正月、大寄合頭上座用達となり、再び安政の改革を執行するなど藩政の枢機に携わる。弘道館の造営や、領内検地、黒船来航などによる海防警備など政務の大小問わず広く活躍する。しかし、安政2年(1855年)に起きた安政の大地震によって、小石川の水戸藩邸で卒去する。
墓所は茨城県水戸市酒門共有墓地。
明治24年(1891年)4月、贈正四位。
後の子爵となる薩摩藩士・海江田信義が有村俊斎と名乗っていた頃、尊王思想を通じて知己となった藤田東湖の紹介で、江戸の水戸藩邸にいた戸田忠太夫を紹介された。以来、信義はしばしば忠太夫を訪ねていたがその時、蓬軒の語ったこととして次の様な逸話が残っている。
忠太夫は信義を招くと一日中、六畳あまりの小楼にて談義した。忠太夫はその楼が、この間でき上がたばかりだと紹介し、楼から見える風景を前にこんもりしているのは、後楽園の松林でここにいると山中にいる気分になるようだと述べた。忠太夫は続けて、自分は若い時から笙を吹くのが好きだが、以前に藤田東湖ともども禁錮を受けていた故に笙どころではなかったという。楼ができたので吹いてみたいと藤田に述べると、藤田は笙は雅楽だから鄙しいものではなく、吹くのは良いが、遊びは遊びであるという。ペルリ(ペリー)来航で天下が乱れている時に笙を吹いているのでは、逸楽に耽っているなどという者もあるかもしれず、時機がまだ早いだろう。もう少し待ってはどうかと諭されたという。これを聞いた忠太夫は内心慙愧に絶えず、助言通り吹くことはしないが、心中そんな気を動かしたというだけで自分は藤田には及ばないと述べていたという(海江田信義談『実歴史伝』巻一)。
京都大学附属図書館には、維新資料として、忠太夫が藤田東湖や会沢安、弟・安島帯刀らとともに詩歌を詠んで記したものが『東湖.忠敞.信立.会沢安遺墨』として現存している。
天保年間以来の水戸藩政での実績には忠太夫の力が大きく働いたとされる。聡明遠識あり、斉昭の輔翼として天下の重きに任じたが、志半ばで倒れた。忠太夫の死に際して世を挙げてこれを悲観し、その訃報は朝廷にも聞こえた。孝明天皇は蓬軒の死を知ると、深く震悼して良臣を失ったと嘆いたといわれる。笙の名手ともいい、揮毫なども残すなど文化人でもあった。
その遺志は実弟で後に水戸藩家老となる安島帯刀、嫡男で水戸藩家老となる戸田銀次郎に引き継がれる。
明治23年(1890年)10月に、明治天皇・皇后(昭憲皇太后)が近衛諸兵演習御親閲の為、水戸に行幸啓した折、行在所となった茨城県師範学校で明治天皇と皇后は、義公・烈公その他の忠臣の遺墨・遺品を見学、御沙汰書を賜り[3]、尊王を唱えて国事に尽くした志士として、戸田忠太夫・藤田幽谷・東湖・会沢正志斎・安島帯刀などの遺族に、それぞれ祭粢料200円を下賜された。
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