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曖昧さ回避 | この項目では、天文現象について記述しています。「日食」「日蝕」のその他の用法については「日食 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
テンプレート:予定
ファイル:EclipseMarch06.jpg2006年3月のトルコでの皆既日食
日食(にっしょく、元の用字は日蝕)は、太陽の一部分、もしくは全体が月によって覆い隠される現象。
月の地球周回軌道および地球の公転軌道は楕円であるため、地上から見た太陽と月の視直径は常に変化する。月の視直径が太陽より大きく、太陽の全体が隠される場合を皆既日食という。逆の場合は月の外側に太陽がはみ出して細い光輪状に見え、これを金環日食と言う。
皆既日食と金環日食、および後述の金環皆既日食を中心食と称する。
中心食では本影と金環食影が地球上に落ちて西から東に移動し、その範囲内で中心食が見られ、そこから外れた地域では半影に入り太陽が部分的に隠される部分日食が見られる。半影だけが地球にかかって、地上のどこからも部分食しか見られないこともある。
場合によっては、月と太陽の視直径が食の経路の途中でまったく同じになるため、正午に中心食となる付近で皆既日食、経路の両端では金環日食になることがあり、これを金環皆既日食と呼ぶが、頻度は少ない。
また、日の出の際に太陽が欠けた状態で上る場合を特に日出帯食、逆に欠けた状態で日の入りを迎える場合を日没帯食と呼ぶ。この場合、いずれも、食の最大を迎える前と食の最大を過ぎた後に分類される。
ダイヤモンドリング
皆既日食の際、普段は光球の輝きに妨げられて見ることができないコロナや紅炎の観測が可能になり、太陽の構造・物理的性質を調べる絶好の機会となり、太陽のみならず恒星一般の研究にも大きな役割を果たす。
月の表面にある起伏の谷間から太陽の光が点々と見える状態になることがある。これを発見者の名を取ってベイリーの数珠といい、古くから月に起伏がある証拠とされてきた。
また、太陽がすべて隠れる直前と直後(より正確には直後のみ:直前はリングにあたるコロナが見えないので)には、太陽の光が一ヵ所だけ漏れ出て輝く瞬間があり、これをダイヤモンドリングと言う。
皆既日食が起こると空がかなり暗くなり星の観測も可能な状態になる。そのわずかな時間を利用して1919年、相対性理論の検証がアーサー・エディントンにより行なわれた。
皆既日食中に太陽周辺の星を観測すると、星からの光は太陽の重力場を通ってきて屈曲することになる。
相対性理論で予想される方向と実際に観測された方向とを比較することで、相対性理論の確かさが確認された。
太陽は黄道を1年で1周し、月は白道を約1か月で1周する。もし黄道と白道とが一致していれば、朔には必ず日食が、望には必ず月食が起こることになる。しかし、実際には黄道と白道とは約5度の傾きでずれているため、日食や月食が起こるのは太陽・月が黄道・白道の交わる点(月の昇交点・降交点)付近にいる時に限られる。
太陽が交点付近にいる期間を食の季節と言い、食はこの期間以外には起こらない。
食の季節は通常は年2回だが、3回ある年もある。これは、交点が太陽の動く方向と逆向きに動いているためであり、その周期は約19年である。食の季節には日食が少なくとも1回、多い時には2回起こる。よって日食は年に2~4回は起きることになり、まれには5回起こる(1935年)。逆に、食の季節であっても月食は起きないこともある。
しかし、日食は月の影に入った地域でしか観測できないため、地球全体で見れば日食は頻繁に起きていても、ある地域に限定すると日食が観測されるのは少ないことになる。月食は、月食が発生している時に月が見えていれば必ず観測できるので、一般には月食の方が頻繁に起きていると認識されていることが多い。
ある日食から18年と10日(閏年の配置によっては11日)と8時間たつと、経度にして120度西の地点でよく似たタイプの日食が起こることが知られている。この周期は「サロス周期」と呼ばれ、紀元前から日食の予想に使われていたといわれる。
1999年8月11日の皆既日食の経過
近代天文学が確立する以前、多くの文明で日食や月食を説明する神話が長い間語り継がれてきた。これらの神話の多くでは、日月食は複数の神秘的な力の間の対立や争いによって起こるとされた。例えばヒンドゥー教の神話では、食が起こる月の昇交点がラーフ (Rahu) 、降交点がケートゥ (Ketu) という二人の魔神として擬人化され、この二神の働きによって食が起こると考えられた。ラーフは仏教の釈迦の息子の名ラーフラ raahula(漢訳、羅睺羅 らごら)にも用いられたことで知られる。この二神が象徴する二交点は後に古代中国で羅睺星・計斗星の名で七曜に付け加えられ、九曜の一員を成している。
また、北京天文台には日食神話を描いた石の彫刻があり、以下のような説明が添えられている。
「この彫刻の絵は日食の原因を説明している。金烏(太陽の象徴)の中心がヒキガエル(月の象徴)によって隠されている。漢時代の人々はこの現象を太陽と月の良い組み合わせと呼んでいた。」
ここで金烏とは金色(太陽)の中にいるという三本足の烏(八咫烏を参照のこと)であり、ヒキガエルは月のクレーターの形に由来するものである。この解説文からは、当時の文化において天文現象としての事実の認識と現象に対する愉快な見立てとが両立していたことが窺える。
他の文化圏では日月食は驚くべき、かつ恐ろしい現象とされる場合も多かった。
古代の日本神話に登場するアマテラスの天の岩戸神話も皆既日食を描写したものであるとする解釈がある。ただし現在のところ過去の特定の日食現象には同定されていない。計算上は、邪馬台国の時期に日食が2回起きた可能性がある。国立天文台の谷川清隆・相馬充らは、「特定された日食は『日本書紀』推古天皇36年3月2日(628年4月10日)が最古であり、それより以前は途中の文献がないため地球の自転速度低下速度により特定できない」としている[1]。
「寿永二年閏十月一日(1183年11月17日)、水島にて源氏と平家と合戦を企つ。城の中より 勝ち鼓をうってののしりかかるほどに、天俄(にわか)に曇て、日の光もみえず、闇の夜のごとくなりたれば、源氏の軍兵ども日蝕とは知らず、いとど東西を失いて、舟を退いていずちともなく風にしたがいてのがれゆく。平氏の兵(つわもの)どもはかねて知りにかれば、いよいよ時(の声)をつくりて、重ねて攻め戦う。」
古代において、日食は重大な関心を持たれていた。『晋書』天文志では、太陽を君主の象徴として、日食時に国家行事が行われれば君主の尊厳が傷つけられて、やがては臣下によって国が滅ぼされる前兆となると解説しており、予め日食を予測してこれに備える必要性が説かれている。
このため、日本の朝廷でも、持統天皇の時代以後に暦博士が日食の予定日を計算し、天文博士がこれを観測して密奏を行う規則が成立した。養老律令の儀制令・延喜式陰陽寮式には、暦博士が毎年1月1日に陰陽寮に今年の日食の予想日を報告し、陰陽寮は予想日の8日前までに中務省に報告して、当日は国家行事や一般政務を中止したとされている。六国史には、多くの日食記事が掲載されているが、実際には起こらなかった日食も多い。ただし、これは日食が国政に重大な影響を与えるとする当時の為政者の考えから予め多めに予想したものがそのまま記事化されたためと考えられ、実際に日本の畿内(現在の近畿地方)で観測可能な日食(食分0.1以上)については、比較的正確な暦が使われていた奈良時代・平安時代前期の日食予報とほぼ正確に合致している。
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