唱法華題目抄

ページ名:唱法華題目抄

序論

第一章 本章の位置付け

第一節 写本と対告衆

 唱法華題目抄は、末尾に「文応元年五月二十八日 日蓮花押 鎌倉名越に於て書き畢んぬ」と記されている通り、立正安国論上呈の約2ヵ月前にあたる文応元年(1260)5月28日、鎌倉名越松葉ヶ谷の草庵で著された書である。

 本抄の御真筆は現存しないが、古来、真撰として扱われ、真偽について論議されたことはない。

 写本については「御書全集」の目次の「年代写所在」の項に「日興 東京 由井一乗」とある通り、日興上人の写本が東京の由井家に伝わっている。由井家は、日興上人の母方の家系に当たり、日興上人の化導で大聖人の信徒となったとされている。南条時光の館に近いところにあった関係から、南条兵衛七郎殿の御真筆も一部所有している。

 「唱法華題目抄」との題号は日蓮大聖人自身が付けられたもので、この点についても古来異論はない。「唱題抄」「唱法華抄」などとも略称されている。

 また、対告衆については、行学院日朝著「唱法華題目抄事」および健立日諦著「本化高祖年譜」には南条兵衛七郎の賜書、六牙院日潮著「本化別頭仏祖統記」には大学三郎の賜書としているが、いずれも根拠は明確でなく、それらの説には従い難い。

 本抄には、特定の対告衆を想定されている内容は全くみとめられず、15に及ぶ問答を通して示されておるテーマが複雑多岐あることから考えるならば、むしろ本抄は、大聖人が御自身の法門を明確にするための第一歩として執筆された著述であって、特定の対告衆に与えられた書ではないかと考えるべきであろう。

 日興上人は、富士一跡門徒存知の事に「具に之を註して後代の亀鏡と為すなり」(1604-06)として十大部として挙げられるなかで、

一、唱題目抄一巻。

此の書・最初の御書・文応年中・常途天台宗の義分を以て且く爾前法華の相違を註し給う、仍つて文言義理共に

爾なり。(1605)

 と記されてる。

 「常途天台宗の義分を以て且く」と述べられているように、まだ大聖人の本義には踏み込まれておらず、「爾前法華の相違」すなわち権実相対をもって、爾前経を依経とする諸宗の破折に力点を置かれている。

 特に、十大分のうち佐渡御流罪以前の書は、本抄と立正安国論の二編のみであり、しかも、本抄が立正安国論御執筆のほぼ2ヵ月前に著されたという事実に留意したい。この事実は、本抄が立正安国論上呈による国主諌暁と極めて密接な関連があることを推定せしめる。そこで本抄と立正安国論との関連について考察し、本抄の位置付けを明確にしておきたい。

第二節 立正安国論の関連

 日蓮大聖人が立正安国論御執筆を決意される契機になったのは、立正安国論奥書に

文応元年太歳庚申之を勘う正嘉より之を始め文応元年に勘え畢る。

去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の尅の大地震を見て之を勘う,其の後文応元年太歳庚申七月十六日を以

て宿屋禅門に付して 故最明寺入道殿に奉れり、(0033)

 と述べられているように、大聖人36歳の正嘉元年(1257)8月に起こった大地震であった。

 このような転変地夭が起こる根本原因と、その解決方途を経文に照らして明らかにするため、翌正嘉2年(1258)、駿河国岩本実相寺の経蔵に入って大蔵経を閲覧される。そこから大聖人は、国主諌暁を目指して着々と準備を重ねられていくのであるが、39歳での立正安国論成立まで、その過程において著作された御抄の中で、国主諌暁に関わると思われるものは、

  • 一代聖教大意(正嘉2年 1258)
  • 一念三千理事(正嘉2年 1258)
  • 十如是事(正嘉2年 1258)
  • 一念三千法門(正嘉2年 1258)
  • 守護国家論(正元元年 1259)
  • 念仏者追放宣旨事(正元元年 1259)
  • 十法界事(正元元年 1259)
  • 爾前二乗菩薩不作仏事(正元元年 1259)
  • 災難対冶抄(正元2年 1260)
  • 十法界明因果抄(文応年 1260)
  • 唱法華題目抄(文応年 1260)

 の11編が数えられる。

 したがって、唱法華題目抄のもつ意義は、国主諌暁に至る過程のなかに位置付けることによって、初めて明らかになるといえよう。そこで、立正安国論に至るまでの各御抄の内容を、教判・宗・旨・行法・得益の視点から概観しつつ、唱法華題目抄の特徴を考察することにしたい。

一代聖教大意(正嘉2年 1258)

 釈尊50年の説法を天台大師の教判である「化法の四教」と「五時」によって立て分け、法華経が諸経に勝れていることを明かさすとともに、法華経こそ末法の衆生に最も適した経であり、しかも、その法華経流布の国土は日本国であることを「法華翻経の後記」「慧心の一乗要決」等を引いて明らかにされている。

 更には広く法華の法体を明らかにするために、第一に妙法蓮華経の五字の深義を釈され、第二に十界互具、一念三千の法門を示して皆成仏道の妙理を明かし、第三に相待・絶待の二妙を示して法華開顕の妙用を明らかにされている。

 最後に、浄土宗の徒が法華経の正意を理解しようとせず、「経はいみじけれども末代の機に叶わず」として法華経を誹謗している誤りを破折されている。

 このように本抄は、釈尊一代聖教の大意を述べつつ法華経が釈尊出世の本懐でることを明かした書で、その意味から前半では教判、後半では宗旨を示されているといえるが、その結論が法然の浄土宗の破折になっていることがうかがえるように、本抄の元意は、立正安国論の中心テーマでもある法然の浄土教に対する破折を、釈尊一代聖教の検討を通して本格的に用意されたところにあると拝することができよう。

一念三千理事(正嘉2年 1258)

 大きく三つの部分からなっている。すなわち「十二因縁図」「一念三千理事」「三身釈の事」である。

 「十二因縁図」の部分では、三界六道の迷いの因果を釈尊が明かした無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死の十二因縁の名称と意義について次第に従って記し、次いで三世両重の十二因縁を説き、更に十二因縁の流転と還滅の次第を明かされている。

 次に「一念三千理事」の部分は、三千の法数を構成する十如是・三世間・十界の関係を明かし、それが百界千如・三千世間を成就していくことを示されている。更に、天台大師の摩訶止観・妙楽大師の止観輔行弘決・法華玄義釈籤・法華文句記等の文を引いて一念三千の法理を明らかにされている。

 最後の「三身釈の事」の部分では、天台大師の釈文を用いて法身・報身の二身の意義について説かれているが応身についての釈は欠けている。

 以上のように、本抄は一念三千の法理について原理的に確認されたもので、今後の御述作のための資料として記されたものと推定される。その内容は、全体にわたって「宗旨」に関わるものとなっている。

十如是事(正嘉2年 1258)

 法華経方便品の十如是の法門に基づいて、我々衆生がもともと三身即一身の本覚の如来であるという法理を明かされ、行ずる者に、上・中・下の機根があっても、必ず一生の間に成仏することができると述べられている。

 そして、妙法蓮華経の法体が「我が心性の八葉の白蓮華」であることを挙げられ、題目を一遍唱えることは法華経一部を読誦したことになると説かれ、これを固く信じる人が如説修行の人であると締めくくられている。

 この書は、妙法蓮華経の法体の意義を確認されるために、先の一念三千理事と同様に、資料的な意味で著されたものと拝せられる。

一念三千法門(正嘉2年 1258)

 法華経が余経に勝れている所以は、一念三千の法門が説かれていることであるとされている。そして、一念三千の法門は法華経方便品の十如是を三転読誦するのは、我が身が法身・般若・解脱の三徳究竟の体、三身即一身の如来とあらわれるとの意義を込めてであると説かれている。

 更に十界互具は仮諦、千如は空諦、三千は中諦であることを明かされ、十如に約して仏と凡夫に差別はなく、本末究竟等の関係にあることを明かされている。そして仏は我ら衆生の所生の子であると述べられて「妙法蓮華経と唱うる時・心性の如来顕る」(0415-08)として唱題行が成仏への要の「行法」であることを示され、「此の娑婆世界は耳根得道の国なり」(0415-13)、「法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し」(0416-01)と妙法の「得益」を述べられている。

 このように、一念三千の法門は主に十如是・十界互具の視点から一念三千の法理の意義を述べられた書であり、「宗旨」が中心となっている。「行法」「得益」は若干見られるが「教判」についてはほとんど示されていない。

 なお、同年に説かれた一代聖教大意に「一念三千は別に委く書す可し」(0403-17)と記されているところから、大聖人は一念三千の法門については本格的に明らかにするお考えをもっておられ、これまでの一念三千理事(正嘉2年 1258)・十如是事(正嘉2年 1258)・一念三千法門(正嘉2年 1258)更に後で述べる十法界事(正元元年 1259)・爾前二乗菩薩不作仏事(正元元年 1259)・十法界明因果抄(文応年 1260)は、そのための準備資料として記されたものと推察される。

守護国家論(正元元年 1259)

 本抄は「予此の事を歎く間・一巻の書を造つて選択集謗法の縁起を顕わし名づけて守護国家論と号す」(0037-04)と仰せのように、日本浄土宗の開祖・法然の著した選択本願念仏集を徹底的に破折された書である。

 構成は次のようになっている。

    第一に、如来の経教に於いて権実二経を定むることを明かす

    第二に、正像末の興廃を明かす。

    第三に、選択集の謗法の縁起を明かす

    第四に、謗法の者を対治すべき証文を出す

    第五に、善知識並びに真実の法に値い難きことを明かす

    第六に、法華涅槃による行者の用心を明かす

    第七に、問いに随って答える

 このように、守護国家論は、選択集が謗法の書である所以を全編を通して詳細に明らかにするとともに、法華経が最勝である根拠を述べられており、その意味で「教判」の書であると考えられる。

念仏者追放宣旨事(正元元年 1259)

 正式には「念仏者・追放せしむる宣旨・御教書・五篇に集列する勘文状」という。この題号通り、念仏追放に関する南都と叡山からの勘文と、それを受けて朝廷等から出された宣旨等の要文を集めた資料集である。ただし冒頭に大聖人は前文を書かれている。

 ここに収められた奏状、宣旨、御教書等の文書は、法然の専修念仏破折のための準備として用意されたものと拝せられる。

 大聖人は、これらの資料の裏付けとして、立正安国論の第六問答におおて「去る元仁年中に延暦興福の両寺より度度奏聞を経・勅宣・御教書を申し下して、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ、法然の墓所に於ては感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ其の門弟・隆観・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流せらる、其の後未だ御勘気を許されず豈未だ勘状を進らせずと云わんや」(0026-09)と記されているのである。

十法界事(正元元年 1259)

 大聖人独自の仏法の立場と理念を、特に中国・日本の天台宗の教義との対比と関連の上から明らかにされたもので、一代聖教大意、一念三千法門などの系列に入る御抄である。

 内容は4つの質問と3つの答えからなる。ここでは、大聖人が法華経の本門、なかんずく文底観心を根底にしてこそ真実の出離・得道があるとする立場に立たれるのに対し、天台宗は法華経を最勝の経典と認めつつも、爾前経でも分々の得益はあるとするところに相違点があることを明確にされており、教判・宗旨を述べられた御書であるといえる。

 この時期における大聖人は、天台附順の立場に立たされており、いまだ独自の法門を示されているには至っていないと理解が広く行われているが、十法界事においては、天台宗を超越した大聖人の文底肝心の法門が明確に示されており、そうした見方が正しくないことが明らかである。

 なお、本抄も特定の弟子檀那に与えられたものではなく、後の御述作のために準備された資料という趣が強い。

爾前二乗菩薩不作仏事(正元元年 1259)

 大きく2つの問答から成り、初めの問答では、二乗不作仏の経教で菩薩の成仏は許されているかとの問いに対し、爾前権教では二乗の成仏がなければ菩薩の成仏もないことを示され、第二の問答では、二乗作仏がなければ菩薩の成仏もないことを示す正しい証文はあるかとの問いに対して、涅槃経・一乗要決・慈恩の心経玄賛・慈覚の速証仏位集から引用文をもって答えられている。

 本抄も法門に関する覚書として認められた趣が強く、特定の人に与えられたものでないことが明らかである。

災難対冶抄(正元2年 1260)

 冒頭に示されている通り「国土に大地震.非時の大風・大飢饉.大疫病・大兵乱等の種種の災難の起る根源を知りて対治を加う可きの勘文」(0078-01)である。ここでいう「勘文」とは、時の為政者に対する大聖人の諌暁書という意味である。

 本抄はこの主題に則った十七の問答からなっている。まず、当時の種々の災難に対し種々の祈請が行われているのに何の効果も現れないのは、仏語が虚妄になったのではないか、との疑いから始まる。

 これに答えて、当時の災難は人々が法華経を捨て去っている故に起きていることを示し、仁王経・法華経の文を引用して、人々が悪比丘の言葉を信じていることが、災難の原因になっていることを指摘されている。

 そして、その「悪比丘」とは法然であり、その選択集の流布が原因であることを示し、その他、問者の様々な角度からの疑問のひとつひとつ明確に解答されている。

 そして第14問答・第15問答には災難を止めるためには、まず謗法を治することが不可欠であることを涅槃経の文を引用して示されている。

 最後に御自身の立場に言及され、法然をこのようにまで強く責める理由として、謗法のものを見て置いて責めないのは、仏法の中の怨であるとの涅槃経の文を引きつつ「予此の文を見るが故に仏法中怨の責を免れんが為に見聞を憚からずして法然上人並に所化の衆等の阿鼻大城に堕つ可き由を称す」(0085-14)と述べられている。

 このように本抄は、災難の原因は、人々が法然の悪法を信じていることにあることを示しており、その意味で災難興起由来と併せて、立正安国論の趣旨の原型が本抄に基づいて示されているといえる。なお、本文では「勘文」とされているが、実際には対外的に提出されたものではない。本抄も立正安国論の準備的著述と考えられる。

十法界明因果抄(文応年 1260)

 法華経の法師功徳品第十九で耳根の功徳を説いた部分のうち、声聞、阿修羅声・地獄声・畜生声・餓鬼声・比丘声・比丘尼声・声聞声・辟支仏声・菩薩声・仏声の十種の声を十法界の名目を示す文証とされ、十法界各界の因果を詳細に明かされている。とくに仏界については爾前経と法華経の戒の違いを立て分けられ、法華経こそ二乗七逆の者を含めた一切衆生を、一生のうちに成仏せしめる教えであることを論じられている。

 このように本抄では一念三千の基礎となる十界論の考察が展開されており、一念三千の「宗旨」と法華経の「得益」を述べられた書となっている。


 以上、大聖人が岩本実相寺で一切経の閲覧に入られてからの著述について概観してきたが、続いて唱法華題目抄について見ることにする。

 本抄は全体で15の問答から成っている。ここで各段の内容を答者の立場から要約すると次のようになる。

 第一段 法華経の文義を弁えずとも、法華経を信じて謗法を犯さない者は悪道には堕ちない。

 第二段 念仏者が「法華経は末代の機根に適わない」と主張しているのは謗法にあたる。

 第三段 念仏の者は謗法の故に無間地獄に堕す。

 第四段 法華経を誹謗しながら世間から智者として尊ばれている者こそ悪知識である。

 第五段 その文証として法華経勧持品に「三類の強敵」が説かれている。そしてこの悪知識のために謗法の衆生が国中に充満している故に諸天善神は国を去り災難が起きているのである。

 第六段 あなたは世間で智者とされている人間に惑わされやすいから、私のいうことを疑って信じようとしないのである。

 第七段 仏法は依法不依人と説かれているように、人師の言葉ではなく経典に従うべきである。また了義経によるべきで不了義経に依ってはならない。法華経こそが了義経であり、諸経は不了義経である。

 第八段 念仏でも往生できるという「諸行往生」の主張は権実雑乱の大謗法である。

 第九段 天台は法華経と爾前経の関係について約部・約教の二判を立てたが、約部判における爾前を斥けるべきことは当然・約教判における「爾前の円」も斥けるべきである。

 第十段 法華経を信ずる人は法華経八巻一巻一品あるいは題目を書いて本尊とすべきであり、行儀は本尊の前では坐立行であり、常の所行は南無妙法蓮華経と唱えるべきである。

 第11段 法華経は諸経すべてを一経に収め、諸仏悉く妙法に収めており、妙法蓮華経を唱える功徳は莫大である

  第12段 諸宗の「智者」は「相手の機も弁えず折伏すると相手が地獄に堕ちる」というが、それは不軽菩薩が杖木瓦石の難を受けた例を挙げて反問すべきである。

 第13段 末法においては相手が謗じようとも逆縁をもって法を弘めるべきである。

 第14段 仏滅後、竜樹・天親は阿含・権大乗・実大乗の義を述べ、天台は一代聖教を大小・権実に分けたが、その他の人師は権実の区別を知らず、また権大乗の趣を出ていない。

 第15段 法の正邪は法門の内容をもって判断すべきであり、利根や通力によるべきではない。

 このように各段の概要を見ると、全体は大きく三つから成っていることが分かる。すなわち第一段から第五段までは、念仏が謗法であることを指摘し、念仏の邪義の横行が災難の元凶であるとして、浄土教への破折を加えている部分である。この部分の趣旨のほとんど立正安国論の論師に重なりあっている。

 次に第六段から第11段は、本抄の中心的な部分で、依法不依人、依了義経不依了義経、ないしは約教・約部の二判に照らして法華経を根本とすべきことを明かされ、次いで立てるべき本尊と修行、更にその功徳を述べられている。

 更に第第11段から第15段までは、末法の弘通の在り方と滅後の人師の正邪を判定する基準について示されている。

 このように本抄の中心部分には、教判・宗旨・行法・得益の四つがすべて備わっていることが分かる。しかも、その四つが各別に説かれるのではなく、有機的な関連をもって示されており、その論旨の展開から、まさに本抄は、大聖人の法門を体系的に示された書であることがうかがえるのである。

 正嘉2年(1258)一代聖教大意から文応元年(1260)の立正安国論に至る諸御抄に見るかぎり、釈尊一代聖教の整理や一念三千の法理の確認、あるいは法然への浄土教への詳細な分析など、教判・宗旨・行法・得益のそれぞれについて部分的に示されることはあっても、教判・宗旨・行法・得益のすべてを示された体系的な著述は、本抄を除いては見られない。ここに唱法華題目抄の顕著な特徴があると拝することができる。

 大聖人は、一代聖教大意から唱法華題目抄に至る過程を踏まえて立正安国論を完成されたのであるが、そこで安国論の概要を概略するならば、安国論では法然の浄土教の謗法が災難の元凶であることを指摘されるとともに、その解決の方途を示されるところにその元意があると拝される。それ以上のこと、つまり、立てるべき正法が何であるかということについては、安国論では「実乗の一善」と示されるにとどまり、その内容まで立ち入って示すことは敢えて控えられている。

 そこで、唱法華題目抄が教判・宗旨・行法・得益を含んだ総合的・体系的著述であるかを考えるならば唱法華題目抄こそ立正安国論では示すことを控えられた正法の実体を示された書であるということができよう。いわば安国論が「破邪」の書であるのに対し唱法華題目抄は「顕正」の書である。その意味で本抄は、立正安国論と表裏一体の関係にあるといえる。

 北条時頼に対する国主諌暁は、立正安国論の上呈によって行われた。それに対し、実際には時頼側からの応答は示されなかったのである。しかし、安国論を上呈した場合、その諌暁に応えて、それでは大聖人のいう「正法」とは何かという「質疑」や「応答」が時頼側から返ってくる可能性も考えられたわけである。

 大聖人がおかれては、安国論上呈に対して、幕府側からの質疑や応答があった場合に備えて、何の用意もされなかったとすることはむしろ不自然であろう。このように考えるならば唱法華題目抄をもって、大聖人が国主諌暁の重要部分として、時頼の応答に備えて用意された著述であると推定することもあながち不可能ではなかろう。

 ともあれ、日興上人が佐前の御書の中で安国論と本抄を十大部として指定された事実は、本抄が第一回国主諌暁当時の大聖人の法門を代表する重書であるとともに、安国論と表裏一体の意義を持つことをうかがわせるのである。

第三節 「本門の題目」説示の書

 本抄の成立時期と内容が立正安国論と極めて密接な関係にあることはこれまでに述べてきた通りであるが、その上で唱法華題目抄の意義を考えるならば、何よりもその題号が示すように、三大秘法の中の「本門の題目」を示された書であるところに、最大の意義があるといわなければならない。

 三大秘法の展開かいという観点から大聖人の御化導を拝するとき、本門の題目・本門の本尊・本門の戒壇という次第によってなされていることはいうまでもない。そのうち本抄は、末法適時の修行が自行化他にわたる南無妙法蓮華経の唱題であること、すなわち「本門の題目」について、その法理を説示されている御書ということが重要である。

 三大秘法抄に、

 「題目とは二の意有り所謂正像と末法となり、正法には天親菩薩・竜樹菩薩・題目を唱えさせ給いしかども自行ばかりにしてさて止ぬ、像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて自行の為にして広く他の為に説かず是れ理行の題目なり、末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(1022-12)

 と仰せのように、大聖人が弘通された「題目」は、正像のような自行のためののみの「理行」の題目ではなく、自行化他にわたる「事行」の題目である。

 教行証御書に、

 「当世の逆謗の二人に初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す」(1276-06)

 と明示されているように、南無妙法蓮華経の題目は単なる経典の題名ではなく、下種の法体そのものである。

 その題目を唱えるということは、一切の諸仏を仏にならしめた根源の法体を、直ちに自身の生命に刻んでいく実践に他ならない。もちろん「本門の題目」といっても、その体は「本門の本尊」であり、本門の本尊を信受して唱える題目であって初めて本門の題目となりうるのであるが、それを前提とした上で、諸仏成道の本因である下種の法体を万人に対して開き、その法体をすべての人が直ちに行ずるという修行形態を、大聖人は初めて明確に示されたのである。

 南無妙法蓮華経の唱題行を広く説き示すことは古今未曾有であり、それ故に当時の人々にとっても容易には信受できない実践であった。

 そのことは曾谷入道殿御返事に、

 「南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり、かかるいみじき法門なれども仏滅後・二千二百二十余年の間・月氏に付法蔵の二十四人弘通し給はず、漢土の天台妙楽も流布し給はず、日本国には聖徳太子・ 伝教大師も宣説し給はず、されば和法師が申すは僻事にてこそ有るらめと諸人疑いて信ぜず」(1058-08)

 と示されている通りである。

 この未曾有の唱題行は、諌暁八幡抄に「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり」(0585-01)

 と仰せのように、立宗以来、生涯を通じて弘通されたのである。

 「本門の本尊」を否定して「本門の題目」は成り立たないことはいうまでもないが、唱題思想が立宗の当初から御入滅の時まで、大聖人の御化導を貫く根幹の法門であることは誰人も否定できない事実である。

 本抄は、この「本門の題目」の法門を初めて本格的に論じられた書であり、その意味で文底下種仏法の骨格を示された重書と位置づけられる。

第一問

第一答

第二問①

第二問②

第二問③

第二答①

第二答②

第二答③

第三問

第三答①

第三答②

第三答③

第三答④

第三答⑤

第三答⑥

第四問答

第五問

第五答①

第五答②

第五答③

第五答④

第五答⑤

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