SK戦争

ページ名:SK戦争
概要

トモユキとの戦いと並び、雑カテ最大規模の争いのひとつ。

最後のymaxリーダー叉亞とskskkakask(以下sk)の争いに端を発した戦いで、知恵カテ、雑カテ、友人カテなどを戦いの場として、2013年7月~2017年8月まで4年間つづいた。

 

ymax側にはymaxドザエモンymax曹操、ymax古参の呂布まこと(ymax卑弥呼)などymaxが参戦。

一方のSK側の援軍には、ユーラーシア連邦に属した者たちの参加や、skに頼まれた交流者ユーザーなどがskの援軍として多数参戦。

双方の周辺を大きく巻き込み激化したこの争いは、魏軍誕生のきっかけとなった。

多くの犠牲と削除の量産の果て、援軍の全滅によって孤立したskが最後に知恵袋を去り、この争いは終結した。

 

 

交戦戦力

【ドザエモン側】

ドザエモン、郭嘉guojia、ymax曹操、カテノバンニン司馬懿司馬師司馬昭、呂布、まこと、ぐうたら虫横山やっさん李典楽進夏侯淵典韋など

 

【SK側】

skskkakask、トトンちょいたんまあいりすオレンジ特上5人前さくらスタロン刹那わんころべーわんわんヤスシ(後に魏軍と共にSKと戦う)、闘神将信長、その他

 

 

事前の経緯

2013年
sk(当時おばさん)の横暴な振る舞いを注意したymax最後のリーダー叉亞(当時高校生)に対し、skは暴言による恫喝をおこなった。

叉亞はそのことを半ば冗談まじりで、「誰か僕を助けてください」と知恵カテに投稿した。

叉亞の呼びかけに呼応したymaxドザエモン(honemax1919)がSKの恫喝投稿を秒殺。その時の様子がこちら

時を同じくして叉亞によって「スクちゃん祭り」が始まる。(スクちゃんとはskの愛称で、それをネタにした質問の連投を祭りと呼んだ)

 

ドザエモンは直接skのスレに出向き、未成年に対する脅迫まがいの言動を注意した。

skは逆ギレしドザエモンを罵り、「わんわんは最強だ、わんわんに言いつける」と意味不明な挑発をおこなった。

これをskからの宣戦布告とみなしたドザエモンは、わんわん(わんころべーわんわん)をライフゼロにすると予告し、実際に半日で利用停止に追い込んだ。(わんわんはとばっちりを受けた形)

これがSK戦争の始まりである。

 


 

経過

【1】skに反省を促す

skの発する言葉はことごとく削除され、その削除総数は合計100を超えた。

それでもskがライフゼロにならなかったのは、ライフが1になる度に3に戻させ(当時は知恵ノートの利用で簡単に出来た)、また削除を重ねては1にするという離れ業を、ドザエモンがつづけて3度もおこなったせいであった。

これはskが反省すれば、そこでやめるというドザエモンの配慮であった。

(この時、さっさとライフゼロにしていれば、この争いはあっとい間に終わっただろうと言われている。)

 


【2】ymax曹操と郭嘉guojia

skは、投稿が次々に削除されるために自分がこれまでどおりの投稿を出来ないと知ると、発言を嘘でかため、それを信じ込ませた交流者たちを動かしてドザエモンを攻撃した。

この時に出現したのが郭嘉guojiaである。郭嘉guojiaは論争の上手さと違反報告によってskを圧倒した。

この郭嘉の出現はymax曹操を出現させる。

当時をふりかえりymax曹操は言う。「当時は三国志ブームで、郭嘉が出てきたからここはやっぱり曹操だろってなって、曹操のIDを作った。」

このymax曹操の出現は、三国志つながりで呂布と卑弥呼(まこと)を参戦させることになる。

 


【3】反sk連合

ymax曹操&郭嘉guojiaが優勢のまま争いは進んだが、SKは交流者達に援軍を要請。その数は総勢10名を超えた。

そこにSKが操る別IDも参戦したために、郭嘉guojiaは自スレに回答して来た15個以上のIDを同時に相手にして各個撃破した。

さらにskから頼まれたトトンが援軍として登場、トトンの盟友としてちょいたんま、そのまた盟友としてあいりす等のユーラシア連邦が参戦した。

それらに対して呂布とまこと(卑弥呼)も反応。魏軍側について参戦。その輪は次第に大きくなり、それをきっかけに反skが集うことになる。

あいりすはドザエモンのYahoo!ブログに意見のコメントを投稿。それを見たぐうたら虫があいりすには気をつけるように鍵コメをドザエモンに送った。

これがドザエモンとぐうたら虫の初コンタクトとなる。この出会いがやがて戦況を大きく変えるものとなる。

 


【4】魏軍の誕生

反skの輪は次第に大きくなり、ymax曹操はYahoo!ブログを開設。その鍵コメには幾人もの反skが集うことになるが、ymax曹操は集った者たちに三国志の魏の文官と武官の名をつけ、参戦を呼び掛けた。

加えて当時は三国志ブームだったこと、Twitter、2ちゃんねるニコ動など、他のサイトでのymax曹操の呼びかけに応じた者もいたことから(現在では論争への誘導や勧誘は各サイトで削除対象)、その数は膨れ上がることになった。
(参考:魏について

 


【5】SK語録の公開

ぐうたら虫はskと裏でやりとりしていたため、skの表での発言と裏での発言が大きく違うことを知っていたばかりか、skに対して思っていた不信感や疑惑があった

ドザエモンはskが様々なユーザーと裏でやり取りしている事を噂で知ると、口の堅かったぐうたら虫を説得して、skの裏投稿のすべてを入手した。

ドザエモンはskに対して、「skの裏での行いや嘘はバレている」と言うと、skは「私が許可するから証拠があるなら表に書いてみろ」と反論。

そこからドザエモンの暴露、通称「SK語録」がYahoo!ブログにて遠慮なく公開され、skはその立場と面目、信用を失っていくことになる。

(sk語録の一部:魚拓はこちら

 


【6】猛攻

魏軍はドザエモンと連携し、skが言う嘘をことどとく吊し上げるか、削除に至らせた。
その結果、skの投稿数は以前の20分の1以下になり、他人をおとしめるような投稿はほぼゼロになる。

魏軍の追及と責めに、skは表では満足に発言できなくなり、他者に対する文句はsk自身のYahoo!ブログの中でしか書かれず、隔離と呼ばれる状態に陥った。

やがてはブログも虎豹騎青州兵によって炎上したため、更新が途絶えがちになり閲覧者もほとんどいなくなり衰退していった。

 

skの多くの仲間や擁護者は、いずれもが切り崩されるか説得され、応じない者は討たれて利用停止になるか、責められたあげく落ち武者になるか、スレの炎上を招き活動停止を余儀なくされた。

 


【7】終焉

2017年、魏軍の第二期リーダーだった【曹操】のスレにてskが投稿した文句(削除)をきっかけに、skに対する反発が高まる。

【曹操】は、skが【曹操】だと思い勘違いしている三代目ymax_sou_souとカテノバンニンこと項羽を連携させ、みずからは青州兵を使ってsk退治に乗り出した。

曹操は、何年経っても反省せずに同じことを繰り返すskskkakaskに対して、2013年に郭嘉guojiaが禁じていたskへの禁句を解禁した。

項羽は、言い分と反論を認めず受けつけないskがもっとも嫌う方法(心を削るような身体的中傷)を選択して、青州兵と共にルール無用の集中攻撃をおこなった。

またskと揉めたskのかつての仲間であるヤスシ(ショーゴ)も便乗しskを責めた。

それらによって心を折られたskは活動を完全に停止。知恵袋を去った。

ここに4年におよぶ長い争い、通称sk戦争は終わりを告げた。
 


 

 

 

 

 

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