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すずらん | |
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ジャンル | テレビドラマ |
放送時間 | 連続テレビ小説 |
放送期間 | 1999年4月5日 – 10月2日 |
放送国 | 日本の旗 日本 |
制作局 | NHK |
脚本 | 清水有生 |
出演者 | #キャスト |
時代設定 | 大正12年1月~平成11年 |
表・話・編・歴 |
テンプレート:ドラマ
ファイル:Ashimoi-station.JPG物語の中心であった冬の明日萌駅 改札口
ロケ地の恵比島駅ホームに隣接して置かれている。(2008年撮影)
初夏の明日萌驛(正面側 2009年6月撮影)
『すずらん』は、1999年4月5日から10月2日まで放送された、NHK連続テレビ小説第60作目の作品である。全156回。脚本は、『あぐり』に続いて清水有生が担当。
主人公の一生を通して、鉄道員一筋に生きる養父の生き様、家族、太平洋戦争、炭坑と町の栄枯盛衰などをからめながら描いた。
本作は他の連続テレビ小説作品と同じく、NHK出版よりドラマノベライズ版が上・中・下の3巻で発売されているが、さらに「天うらら」「やんちゃくれ」に次いでコミカライズ版が本放送期間中にNHK出版コミックスとして2巻発売された(作画:いがらしゆみこ。物語前半部分のみ採譜)。翌2000年には平成期に放送された連続テレビ小説としては現在唯一の劇場版も制作・公開され、ドラマ本放送開始から映画版公開終了までのおよそ14か月近くに亘り、NHKによる本作のメディアミックスが展開されたこととなる。
NHKによるものではないが、ドラマ版の影響からJR北海道で「SLすずらん号」が1999年から2006年までの長期に及んで運行された(→#明日萌駅参照)。
放送された1999年度前半は映画『鉄道員(ぽっぽや)』が公開されるなど、北海道を舞台とした鉄道員の生き様を描く作品の当たり年であった。なお、本作の制作記者発表は鉄道にちなんだドラマとして、1998年10月14日(鉄道の日)に交通博物館で行われた。
全体的にはシリアスな作風だが、単発のゲスト(後述の美輪明宏、所ジョージ、パイレーツ他)を登場させるなど、コミカルな演出を出した回もあった。またエピローグにて明日萌駅の来訪者を演じた人物は物語の締めの意味合いもこめて主人公の第一および第二の人生でカギとなる人物を演じた俳優及び女優(後述の石倉三郎など)が多く演じている。
テンプレート:ネタバレ
1983年(昭和58年)冬、一人の年老いた女性がタクシーで北海道のある廃駅に降り立ち、自分の生涯を幼少期から回想することで物語が始まる。
出生~少女期1923年(大正12年)。北海道留萌地方にある財閥系の「三丸炭坑」で栄える町明日萌(アシモイ)。人々の往来で賑わう「明日萌駅」の待合室の片隅に、生まれて間もない赤ん坊と木彫りの人形・手紙が入った籠を、母親と思しき女性が周囲が気づかぬうちに置き去りにして逃げてしまう。置き手紙を見た駅長である常盤次郎はその子を亡妻の生まれ変わりと信じ、萌(もえ)と名付けて育てることを決意する。
次郎や兄姉の愛情を注がれて10歳に成長した萌は、自分と次郎や亡母は血縁関係が無く、義姉・明子の婚姻に支障が出るなど迷惑がかかると察し、自らの意志で孤児院「幸福学園」へ入園するが、満足な食事が与えられずに労働を強いる環境と、友人さわが医者に診て貰えずに病死するといった悲劇から死に物狂いで次郎の許へ詫びつつ帰って来た。その後、三丸財閥の社長である橘龍蔵の妾の子・二宮勇介と淡い初恋などを経て、萌は今まで以上に次郎や明日萌の人々の暖かい愛情を受けながら成長していく。
数年後、幼馴染みの竹次郎・しのと共に高等小学校を卒業してから平穏に暮らしていた萌は、母親の手がかりを探すために単身上京を決意する。明日萌を発つ汽車に乗り、次郎に見送られつつ、生まれて初めて故郷を離れる(漫画版はここで終了)。
上野駅に降り立った萌は、次郎に手渡されたメモに下宿先が書かれていたものの土地勘が無く、人に尋ねている合間に生活費をスリに遭い途方に暮れる。その晩、駅の近くにある「猫又食堂」で手持ち僅かな全財産で食事をするが、お茶のお替わり分の代金を払えなくなり、店主で女将のとしに無銭飲食だと言いがかりをつけられるが、萌はとしの計らいから住み込みで働くようになる。ここで永年の友人となる民子らと知り合い、駅舎などの設計建築に携わっている鉄道省技術職員の日高正憲と結婚するに至り、光太郎をもうけたが、正憲は用務先の満州で戦乱に巻き込まれ帰らぬ人となった。
1945年3月10日の東京大空襲で「猫又食堂」が焼けてしまったのを機に萌は光太郎を連れて明日萌へ疎開し、若い男子が出征したことで人手不足となっていた明日萌駅や中村旅館を手伝う仕事をする。しかし、明日萌の近くの留萌でも空襲が有り、出張中の次郎が巻き込まれたのではと案じる一幕もあった。
終戦後、東京に戻った萌と光太郎は、しのがいる台東区の芸者置屋「鶴廼屋」へ住み込んでお手伝いとして働き始め、その片手間に、北海道にいる竹次郎の助けを得ながら母親の手がかりを探す。初恋相手・勇介との運命的な再会ののち婚約するが、勇介が暴漢に襲われてしまい帰らぬ人となってしまう。結局勇介とは結ばれぬままであった。
勇介の遺骨を明日萌に届けるため、明日萌に帰った萌は、偶然、幸福学園の山岡と再会する。山岡は萌に過去を詫びるが、萌は許すことができなかった。しかし、そんな萌に次郎から電話が入る。それは、雄介が次郎に宛てた最後の手紙について伝える電話だった。その手紙には、父・橘を憎む心を捨てるという内容であった。その手紙を聞いた萌は、山岡に対する憎しみを解き、幸福学園に向かう。山岡の過去の謝罪を受け入れ和解する。これがきっかけとなり、萌は幸福学園で先生として働くことになった。
昭和27年、橘が萌の母親を知っていたことを突き止める。萌は橘の鎌倉の別荘で匿われていた母親・川本富貴と念願の再会を果たす。
萌は余命僅かとなった富貴と一緒に明日萌に向かい、長い汽車の旅の中でそれぞれの生い立ちを語り合う。萌の実の父親は、かつて橘が手掛けていた別の炭坑の坑夫で、富貴と駆け落ちした後に死亡。炭坑の処遇などの恨みから、富貴は橘を刺して逃げ去ってしまう。その頃、妊娠していることに富貴は気づいたという。ようやく蟠り解けるもつかの間、富貴は出身地でもある青森で力尽きてしまう。
幸福学園で萌は教師として時を過ごし、光太郎も幸福学園へ進学した。
その後、石炭の衰退に伴う鉱山の閉鎖により昭和38年12月に路線は存続するものの明日萌駅は廃止となることが決まり、駅最後の日に町ゆかりの人物が集い、最終列車を見送ったが、実は町の手違いで、歴代駅長には廃止のことや式典の招待を伝えずにおり、定年退職後は富山の路夫の家で暮らしていた次郎が事実を知ったのは当日であったことから萌や中村家は式典出席をボイコットする。
次郎は明日萌に出向くのを諦めかけたが、路夫の勧めで富山から航空機の国内線を乗り継いで、札幌からの最終列車で明日萌に降り立ち、駅の最期を見送ることができた。そして灯りが消えた駅舎に向かい皆で「ありがとう」と感謝の気持ちと思いをぶつける。集った人々は、萌と光太郎や横田を除いてやがて明日萌の町を離れたり、次郎らは天寿を全うし、幸福学園も光太郎が高校を卒業する時に山岡の高齢化から閉園となった。
1982年(昭和57年)。萌は年初に幸福学園を閉じ、光太郎が勤める建設会社の東京にある社宅に身を寄せ、光太郎夫婦と孫娘の遙との一家団欒の暮らしを始める。民子が萌の自叙伝作りのためインタビューをしつつ、引きこもりがちで退屈な日々を過ごしていた。偶然立ち寄った弁当屋「おふくろ亭」で、子供をおぶったまま働くシングルマザーを見かねたことから保育園を探すようにと諭して、萌はその代わりに働き出し、アパートに部屋を借りて一人暮らしをはじめる。旭川で駅弁屋の事業が成功し東京の老人ホームで隠居生活をしていた竹次郎と意気投合し、次々と開発した弁当のおかげで「おふくろ亭」は商売繁盛となったが、保育園はどこも入所待ちで簡単には入れてくれないという。
一方、幸福学園での教え子で医師となった大作が勤める大学病院で健康診断を受けた折、橘が同じ病院に入院していることを民子から聞き、大作に頼み、意識が無く余命僅かな橘に対面し、30年前に母親と再会できて感謝している旨を伝えた。
その後、橘の遺言に基づいて30億円相当の現金預金・三丸商事株式を萌に相続させる旨を弁護士が伝えに来た。受け取る理由は無いと一旦は固辞したが、民子に「夢の実現のために」と諭され、萌は働いている親が安心して子供が預けられる保育園を作りたいと決意し、相続した。
萌が働き出したことと巨額の相続を自分達へ寄越さないことに対する不満と、小学校のお受験を控えていた遙への影響、それに世間体を気にする光太郎の妻・由美子は光太郎との間で溝が深まり、由美子は遙を連れ出して友人宅へ別居してしまう。
一方、保育園開設に反対する住民グループが現れるも、萌は理解が得られるまで時間をかけることを信念とした。しかし光太郎は賄賂で収束を納めようとしたことから、反対住民との関係が悪化してしまう。どうして急ぐのかと萌の問いに、光太郎は「時間がないんだ」と泣きながら言う。先頃、大策から光太郎へ、萌は末期癌で余命1年程度しか無いと宣告を受けたのであったが、萌はそれでも癌のことは理由にせず、自分の生い立ちを話すことで住民の理解を得て、1983年(昭和58年)、「すずらん保育園」は竣工した。
その後、光太郎・遙・関係が修復した由美子と竹次郎が揃ったクリスマスパーティーの折、皆で明日萌に出かける事を提案する。やがて深川の旅館に着くが、体調を崩して寝込んでしまう。翌朝、遙だけを連れてタクシーで明日萌駅へと向かう。(第一話の回想した萌の場面に戻る)
自分が生まれ育った待合室の古ぼけた椅子の隅に遙かを連れて座り、飾られたままとなっている50年近く前の自分が写った写真を眺め、昔を振り返りながら、次郎の姿と入線する汽車の幻を見る。光太郎らが後追いで来た時には、萌は59年の生涯を閉じて永遠の眠りについていた。幼少の遙はそれを理解できずにいた(総集編はここで終了)。
1999年(平成11年)、明日萌駅舎の内装を改築した喫茶店「明日萌駅」がオープンしていた。店を切り盛りするのは20歳の遙で、店内には「Automatic」など現代のJ-POPのBGMが流れ、100歳になる横田が撮ってきた明日萌の人々の写真が飾られているが、客足はさっぱり。その矢先に同世代の青年が転がり込んで来た。彼は竹次郎の孫の中村健太で、親に反発して家出したのだが、遙と意気投合する。
やがて民子が店に訪れ、萌の一生を記した著書「萌」の売れ行きが好調であると報され、少しずつ来訪者が増えていく。その後、路線も廃止となっている線路側から汽笛の音がする。3人はホームに入ると、遠くから光を放ち走って来る汽車が―。
『すずらん ~少女萌の物語~』の題名で、2000年6月17日に公開。テレビ版では明かされなかった萌の少女期と青年期の間に起こった話を描くサイドストーリー。
連続テレビ小説の映画化は、1973年の『藍より青く』以来27年ぶり。テレビ版のチーフ演出だった黛りんたろうが監督を務めた。音楽が服部隆之から岩代太郎に交代したほか、鈴木砂羽・蟹江一平・蒲池宏・江良潤がテレビ版とは別の役で出演。テレビ版では倍賞美津子が演じた萌の実母・富貴役は、黒木瞳に変更されている。テレビドラマが終了した2000年1月から4月にかけて撮影が行われた。
制作プロダクションはNHKエンタープライズ21、配給は松竹。
キャッチコピーは「おとうさん、萌は、おかあさんに逢えますか」
1934年(昭和9年)。11歳になった萌は、汽車に轢かれそうになったところを中村旅館に泊まっている青年・勝俣秀次に助けられる。しかし勝俣は特高に付け狙われている共産主義者で、過酷な漁業に従事させる代わりにどんなお尋ね者でも受け入れる番屋に身を潜めることとなる。同行した萌は、1年前に会う約束をしながら遂に姿を見せなかった生き別れの母・富貴の情報を耳にするが―。
留萌本線の恵比島駅(北海道雨竜郡沼田町)前に、数々のオープンセットが建設され、実際に栃木県の真岡鐵道から蒸気機関車を借り、臨時列車を運転してロケーションが行なわれるなど大がかりな撮影が話題を呼んだ。
この蒸気機関車の運行によってJR北海道で蒸気機関車の動態保存が復活するきっかけとなり、「SLすずらん号」として実際のロケ地沿線の留萌本線で運行し、恵比島駅にも停車していたが、ブームが去り乗客が減ったため2006年を最後に休止している。
ドラマでの明日萌駅は、当初無機質な鉄道車両(車掌車)を利用した恵比島駅舎を覆う形のオープンセットで設営されたが、大半のシーン撮影終了後の1999年初夏に沼田町によって、既存の恵比島駅舎の隣接に「明日萌驛(昭和初期の設定)」が建設され、駅向かいの旧旅館を撮影時に用いた「中村旅館」へ改修した。積雪がある11月末 - 4月下旬以外のシーズン期間の昼間はそれぞれ中に立ち入り見学することが可能である。
1999年夏から当初3年間の予定で設置されるつもりだったが、観光スポット化したため明日萌驛と中村旅館は沼田町管理の施設として所在しており、クランクインから10年を経過した2010年も公開が行われている見通しである。
なお、この恵比島駅からは実際に炭鉱鉄道である「留萌鉄道」が分岐し、旅客営業も行っていたが1960年代に廃止されている(作品上はターミナル駅として描かれていない)。1986年までは現在の明日萌驛舎の所に旧駅舎が存在していた。旧駅舎のコンクリート土台をそのまま再利用して明日萌驛舎は建てられた。
「あしもい」は北海道のアイヌ語由来地名に似せて創作された架空の地名である。
NHK 連続テレビ小説 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
やんちゃくれ | すずらん | あすか |
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テンプレート:Tv-stub
th:ซูซูรัน ชีวิตต้องสู้zh:鈴蘭 (電視劇)
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