オグリキャップ(競走馬)

ページ名:オグリキャップ_競走馬_

登録日:2010/05/31(月) 21:18:08
更新日:2023/08/18 Fri 11:50:16NEW!
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90年 有馬記念


オグリキャップ復活、ラストラン。


神はいる。そう思った。

──2011年有馬記念CM




オグリキャップOguri Capとは、日本の元競走馬
そのドラマチックな競走馬生活から非常に高い支持を得、武豊騎手と共に第二次競馬ブームを引き起こした立役者。


ウマ娘 プリティーダービー』におけるオグリキャップはこちら→オグリキャップ(ウマ娘 プリティーダービー)


【誕生】

1985年、3月27日の深夜…


稲葉牧場で、一頭の芦毛馬が誕生した。
そのは右前脚が大きく外向(馬体の外に脚が曲がっている事)し、自力で立つ事もままならなかった。
稲葉牧場長が、元気に育つようにと願いを込め、その幼駒の名を『ハツラツ』とした。


そう……


後のオグリキャップである。


父:ダンシングキャップ
母:ホワイトナルビー



【活躍】

削蹄(蹄を削る事)による矯正で、脚の外向が完治したハツラツは、馬主の名字由来の冠名と父の名からオグリキャップと新しく命名され、公営笠松で1987年にデビューする。
デビュー戦こそ僅差で芦毛仲間のマーチトウショウに敗れたものの、笠松時代は12戦10勝。唯一2敗を喫したマーチトウショウにも後から全勝している。
翌年、鳴り物入りで新しい馬主に預けられ中央競馬に移籍すると、中央初戦のペガサスS(GⅢ)から毎日王冠(GⅡ)まで重賞6連勝。クラシック登録が無かったせいで「三冠」への挑戦は出来なかったもののその不運を思わせない強さを見せた。



「ただの馬じゃない、怪物だ!

笠松から来た白い怪物だ!」


(毎日王冠実況)



そして初GⅠとなる天皇賞(秋)に出走。
しかし、これは『最強の芦毛』ことタマモクロスに敗れる。


続くジャパンC(GⅠ)でも馬群の抜け出しに遅れ後塵を拝した(1位はタマモクロスを差し切ったペイザバトラー)
が、タマモクロスの引退レースとなった有馬記念(GⅠ)にて、これまで乗っていた河内洋から一回だけ岡部幸雄に乗り替わり、やや出遅れたタマモクロス(とついでにゲート激突の影響でもっと遅れたサッカーボーイと結果的に斜行で失格したスーパークリーク)の大外からの追い上げをなおも上回って見事に雪辱を果たし、グランプリ制覇を成し遂げた。





翌1989年は故障が相次いだ為に秋からの始動となった。


休み明けではあったが、タマモクロスの騎手だった南井克巳に乗り替わってオールカマー(GⅢ)を難無く制覇。
毎日王冠(GⅡ)では同じく地方出身馬で平成三強の一人イナリワンとの終盤のデッドヒートをハナ差で制する。
そして調子を上げて天皇賞(秋)(GⅠ)に挑んだが、ここは抜け出しに遅れ追い上げるも平成三強にして同世代の菊花賞馬スーパークリークに惜敗。
そこからが圧巻で、ここまでも3週間刻みの割とタフなスケジュールなのに再び中2週でのマイルCS(GⅠ)から翌週のジャパンカップ(GⅠ)への連闘という常識外のローテーション。
マイルCSでは先に抜けたバンブーメモリーに大差つくも最後の直線で怒涛の追い上げを見せハナ差で勝利。
ジャパンカップでは英国馬イブンベイの暴走に端を発するハイペースを最後まで崩さず差し切り、当時の2400m世界レコード決着でニュージーランドの女王ホーリックスにクビ差の2着と健闘した。ついでに3着だったペイザバトラーにも雪辱を果たす。


しかしタフさに定評のあるオグリもさすがに三か月で5戦という滅茶苦茶な連闘はたたったのか、
次の有馬記念(GⅠ)では一時トップに立ちながらも失速し、1着イナリワンと2着スーパークリークの死闘に置いて行かれることに(それでも5着で掲示板は死守したが)。
この時の三か月で6戦(うち1着3回、2着2回、掲示板率100%)という異常過ぎる成績(通称:オグリローテ)は伝説の無茶ローテとして競馬史に刻まれる事となった。
ちなみに関係者曰くジャパンカップの時点ではまったく疲れを見せていなかったらしい。どういうことなの…。



そして6歳。


春にはかの武豊を鞍上に乗せ、ヤエノムテキとオサイチジョージのマークをものともせずレコードタイムで安田記念(GⅠ)を勝ちついでに歴代賞金獲得額日本一(当時)も達成。
ちなみに2022年現在、有馬記念と古馬マイルGⅠ両方を制した中央競走馬はオグリキャップだけである*1


だが、当時若手有力株の一人とされていた岡潤一郎が乗った宝塚記念(GⅠ)ではオサイチジョージの先行策に届かず2着。
70年代のアイドルホースハイセイコーで知られるベテラン増沢末夫が乗った天皇賞(秋)(GⅠ)では1着ヤエノムテキらからの内側の差しに対応できず6着。
増沢騎手が続けて乗ったジャパンC(GⅠ)では最終直線の叩き合いに乗り込めず11着(1着はベタールースンアップ)
と低迷。
「オグリは終わった」と言われ、馬主には『引退させないとお前の家や競馬場を爆破する』といった脅迫文まで届くようになってしまった。


陣営は、有馬記念(GⅠ)をオグリキャップのラストランにする事を決定。


第35回有馬記念
オグリキャップの最後の雄姿を見届けようと中山競馬場に史上最高の約18万人が詰めかける。
ある者はせめて掲示板にでも入ってくれればと祈り、ある者は無事に回ってくれればいいと見守り、またある者は斜め上の期待を胸に込めて──
ファン投票は14万6738票で1番人気だったがオッズは4番人気という数字は、そんなファンの淡い期待が募った結果だろう。


レース前、鞍上の武豊はオグリにこう言葉をかけたという。


「しっかりせえ。お前、自分を誰やと思っとんねん。
オグリキャップやで。」



レースは1000m63.0秒という超スローの中、中団やや前めのいい位置でレースを進め、第3コーナーから大外へ進出し、他馬を一気に抜き去る。



「さあ頑張るぞオグリキャップ!」


───白川次郎(ラジオたんぱ)



最後の直線を必死に粘り、1馬身差抑え込んでゴールを先頭で駆けぬけたのはオグリキャップだった。



「オグリ1着!オグリ1着!
右手を上げた武豊!*2
見事に引退レース、引退の花道を飾りました!
スーパーホースです!オグリキャップです!!」


───大川和彦(フジテレビ)



「ない」と思われていた奇跡とも思えるこの勝利に、ファンは惜しみない拍手とオグリコールを贈った。
後年のCMでも言われたように「神はいる」とすら思えるような、そんな劇的な勝利であった。
この有馬記念で、競馬は「ギャンブル」から「ドラマ」になったのだ。
日本中を湧かせたオグリキャップ物語は、最高の幕切れであった。


生涯戦績:32戦22勝(うちGⅠ4勝)


引退後、京都・笠松・東京の3競馬場で引退式が執り行われた。笠松での引退式当日は競馬場に入れた人だけで当時の笠松町の人口以上の2万5千人が詰めかけ、入場制限で入れなかった人も含めるとおよそ1.7倍の4万人が笠松を訪れたという。
笠松競馬場最寄りの鉄道路線である名鉄名古屋本線を運行する名古屋鉄道はオグリキャップのイラストを使用した系統板を作成して特急列車2本に掲出。この2列車は特急が停車しない笠松駅に臨時停車させ、主要な駅では笠松競馬場を走るオグリキャップの写真を使用した記念乗車券も発売した。



【種牡馬として】

競走馬としては素晴らしい成績を残したオグリキャップだが、種牡馬としては重賞ウィナーを一頭も出す事が出来ず*3、大成しなかった。
ただでさえ内国産種牡馬冷遇の時代に、一般的に種牡馬としては成功しないとされる突然変異的な血統と成績、1991年の初年度種付け後喉嚢炎で倒れ数か月間療養生活をしていた事、
さらに引退したすぐ後にトニービン(88年JCで対戦)やブライアンズタイムと言った強力な輸入種牡馬が猛威を振るい、とどめに種牡馬としての同期があのサンデーサイレンスだった事等、これは運がなかったとしか言いようがないだろうか。
主な子は長男オグリワンやアラマサキャップにオグリエンゼル、末娘ミンナノアイドル等。
また母系でオグリの血を繋ぐ繁殖牝馬も年々減少する等*4血の存続に関してはかなり厳しい状況だが、2020年に孫で後継種牡馬のクレイドルサイアー*5の仔が2頭誕生。2022年にその内の一頭フォルキャップがホッカイドウ競馬でデビューしている。
ちなみに後の2017年、オグリキャップの曾孫(アラマサキャップの娘の仔)ラインミーティアがアイビスサマーダッシュでオグリキャップ系初中央重賞勝利を飾ったが、不運にも2018年8月に急逝した。
ミンナノアイドルの子であるミンナノヒーローも盛岡競馬場にてデビュー戦こそ負けたものの、その後は3連勝とかつての祖父のような強さを見せたが5戦目のレースにて不運に見舞われ安楽死となってしまっている。通算成績5戦3勝。


そして…2010年7月3日。
静養先の優駿スタリオンステーションにて脚を骨折、安楽死処分。
享年25。大往生であった。



【騎手】

騎手の乗り替わりがかなり多く、地方時代3人・中央時代6人と総計9人が騎乗。
最多騎乗は笠松期後半の相方安藤勝己・中央移籍後1988年のメイン騎手河内洋・1989年のメイン騎手南井克巳が7回タイで並んでいる。
他に鞍上を務めたのは笠松時代は青木達彦・高橋一成、中央時代は武豊・増沢末夫は2回、1回だけだったのは岡部幸雄と岡潤一郎。
岡部幸雄はオグリに興味を示していたのだが当時の馬主が脱税問題が取り沙汰されておりクリーンなイメージを維持するために「一度だけ」という条件で有馬記念で騎乗。
岡潤一郎は武豊がスーパークリークに騎乗、南井がヨーロッパへ研修旅行で不在で任されたが数々の騎乗ミスにより2着に終わったことでこの1度きりとなった。*6


増沢末夫は初の掲示板外6着に大敗11着とそれまで最低でも掲示板以内を維持してきたオグリの戦績に泥を塗ってしまった。
他の騎手からも相性が良くなかったと批判されたが、調教師は「調子が悪い時に任せて申し訳なかった」とフォローしている。
武豊は同年の安田記念と有馬記念の2回のみでテレビ出演で「何を考えているか分からない」と当時あまり好感を持っていなかった。
しかし後年一番乗りやすかった競走馬を聞かれ「どんな距離でも同じ競馬が出来た」「あんなに賢い馬は他にはいない」と断トツでオグリキャップが乗りやすかったと発言している。


なお馬主としては「有馬も増くんでもいいけど豊くんで負ければ納得がいく」と武豊に任せる気であったようで、もし武豊が乗らなければ出走せず引退も考えていた。
当時ならたった一頭の出走回避に過ぎなかったかもしれないが、オグリが有馬に出走しなかったら今の競馬界は大きく違っていたことだろう…



【エピソード】

とにかく大食いなことでも有名で

  • 母馬があまり授乳したがらなかったが、幼いオグリは構わずその辺の草を食っていた。
  • 1日の食事量は普通の競走馬のおよそ倍。そして食べ終わるまで決して飼い葉桶から顔を上げない。
  • それでも物足りないのか、雑草や寝藁*7まで食べだし、しまいには飼い葉桶に齧りついた事すらあったとか。
  • 放牧地から厩舎に戻るまでの間にその辺の草を食う。
  • 消化器官も異常に強く、消化されにくい燕麦も殻ごときれいに消化してしまった。
  • 唯一食事を止めた時はジャパンCで戦う予定の牝馬ホーリックスの曳き運動を眺めていた。一目惚れしてたとかいう珍説も。

などのエピソードが残されている。


オグリキャップ自身は遂に参戦すること叶わなかったクラシック戦線だが、引退から4年後の1994年、オグリの半妹で同じように笠松から中央に移籍したオグリローマンが、武豊の騎乗で桜花賞馬となっている。


オグリキャップの墓は優駿SSが管理する記念公園「優駿メモリアルパーク」にあり、同地には他に2011年建造の銅像や同じスタリオンで暮らしたマヤノトップガン・オグリの死後スタリオン入りしたホッコータルマエとセットの馬像が飾られている。


身体のみならず精神的に非常にタフな馬であり、めったなことでは動揺しなかった。
もちろん現役時代の走りにも生かされていたが
2008年、東京競馬場で引退後のオグリキャップが一般公開された際、「フラッシュ撮影は禁止」との看板が立っていたにも関わらず、
携帯電話やカメラを向け、パシャパシャフラッシュを浴びせるマナーの悪いファンが大勢いた。
馬は生来非常に臆病な動物であり、このようなことをされると大抵はパニックに陥ってしまう。


現在、パドックでフラッシュを焚くことは厳禁となっているが、
それはかつてエアグルーヴが秋華賞のパドックでフラッシュを浴びた際、パニックを起こして大発汗し、まともなレースができなかったという事件があり、事態を重く見て禁止となったのである。
このwikiを見ている、馬を愛する競馬ファンの方々、絶対に許可なくフラッシュ撮影などしないでいただきたい。


しかし、オグリキャップは大量のフラッシュを浴びても、平然としていた。
スターホースだったオグリは(フラッシュに)慣れていたという点もあるだろうし、長く生きてきた年の功でもあるだろうが、
筆者はそれを現地で見て「流石はオグリだな…」と唸ったものである。
とはいえサラブレッドに詳しくないTV局のスタッフに24時間密着取材された際には、流石のオグリも食欲不振になるレベルで消耗したそうだが。


後、意外な弱点として泳ぎが苦手だった事が知られている。競走馬には水に首から下を漬からせて走らせるトレーニングがあるが、オグリキャップは溺れているんじゃないかと思うくらい泳ぐのが遅かったらしい。


長年ファン投票はオグリキャップが1990年宝塚記念の15万2016票・1990年有馬記念19万7682票とグランプリレースはどちらも最多投票数記録を保持していた。
2022年に宝塚の投票数はタイトルホルダーの19万1394票と32年ぶりに更新されている。




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  • 記録より記憶に残る馬であったな・・・ -- 名無しさん (2015-12-24 13:44:54)
  • ラストランはまるで映画かドラマのようだったよ。実況の「スーパーホースです!オグリキャップです!」が印象に残る。オグリキャップは本当にスーパーホースだったよ・・・(泣) -- 名無しさん (2017-02-20 02:30:43)
  • スーパースターだったけど、割とジョッキーとの間柄はビジネスライクな気がする。 -- 名無しさん (2021-05-13 10:08:36)
  • いや、ジョッキーなんて嫌われてなんぼの仕事だから… -- 名無しさん (2021-06-19 17:39:30)
  • いや、ジョッキーからもあまりオグリキャップは良い印象を持たれていなかったような。武や南井みたく同時期の他の馬が好き過ぎるのもあっただろうけど。 -- 名無しさん (2021-07-17 17:51:32)
  • 子孫のミンナノヒーロー死亡につき、追悼。南無阿弥陀仏。 -- 名無しさん (2021-07-21 11:23:22)
  • 「さぁ頑張るぞオグリキャップ!(ラジオたんぱ・白川アナ)」 「オグリ一着!オグリ一着!スーパーホースです!(フジテレビ・大川アナ)」 「オグリキャップの優勝ぉぉぉぉぉぉ!!(ラジオ日本・林アナ)」 最後の有馬記念実況はどれも面白い -- 名無しさん (2021-08-10 10:36:24)
  • 2台目以降の馬主がコロコロ騎乗変えるからこれといった絆はないね。でも騎手からの評価自体は高い -- 名無しさん (2021-09-03 05:49:30)
  • オグリキャップより強い馬はいてもオグリキャップより愛された馬はいない -- 名無しさん (2021-10-30 02:11:36)
  • 世代戦なしのGⅠ4勝、レコード勝ち連発、最多重賞勝利記録、これだけ走って驚異の連対率、「記録」にも「記憶」にも残る超名馬だよ -- 名無しさん (2022-09-02 23:43:21)
  • こち亀もオグリ前オグリ後で明らかに競馬の扱いが違う -- 名無しさん (2023-02-04 21:05:42)

#comment

*1 マイルGⅠ全体であれば、2歳戦の朝日杯3歳ステークス→フューチュリティステークス馬のナリタブライアン・グラスワンダー・ドリームジャーニー、3歳戦の桜花賞馬のダイワスカーレット・ジェンティルドンナがいる。
*2 上げたのは左手である。
*3 正規のG・Jpnグレード重賞以外まで数えるなら1999年の荒尾競馬開催重賞「サラブレッド系3歳優駿」(格付け「KJ2」)で優勝したフルミネートがいる。
*4 ミンナノアイドル産駒初の牝レディアイコ(2018年生まれ)も2022年怪我から引退するも、体格の小ささ等から繁殖入りは見送られている。
*5 オグリの仔で唯一頭種牡馬入りしたノーザンキャップの唯一の産駒。
*6 その後、岡は競走中の落馬事故でヘルメットがカバーできてない頭部に他馬の脚が直撃し24歳でこの世を去っている。
*7 厩舎の寝床に敷いてある藁

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