登録日:2023/03/30 (木曜日) 22:15:00
更新日:2024/07/05 Fri 12:31:54NEW!
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将棋 棋士 名人 谷川浩司 兵庫県 神戸市 若々しさ解き放つ
谷川浩司は将棋棋士(十七世名人)
若松政和八段門下
兵庫県神戸市須磨区出身
生年月日 1962年4月6日
経歴
幼少期
神戸市内にあるお寺の住職の家に生まれる。
上に兄がいたが兄弟喧嘩が絶えなかった為、見かねた父親が谷川が5歳の時に将棋盤を買ってきたのが将棋との出会いである。
ちなみに喧嘩はこれ以降、より過熱したので父親の期待通りにはならなかった。
小3の時に1971年東急将棋まつり・小学生高学年の部で優勝。その後、同郷の若松政和に弟子入りする。
プロ入り
1976年12月20日に四段に昇段。
加藤一二三に次ぐ史上二人目の中学生棋士としてプロ入りした。
1978年度には若獅子戦で棋戦初優勝を飾る。同年の順位戦ではC級1組に昇級が決まったが、そこからA級まで連続で昇級する快挙を成し遂げた。
そのままの勢いでA級でも勝ち星を重ね、当時最強と称された中原誠(十六世名人有資格者)と共に首位となる。
そして中原とのプレーオフも制し加藤名人に挑戦。奪取に成功し、プロ入りから史上最短で当時の史上最年少21歳で名人を獲得する。
C級2組からの連続昇級、そしてそのまま名人を獲得したのも谷川が唯一である。
翌年も名人を防衛に成功するが、その翌年度の1985年度は中原に奪われて失冠。
だが同年度の第11期棋王戦で桐山清澄から棋王を奪い再びタイトル保持者となる。
同年度にはNHK杯で初優勝し同年度の最多勝利(56勝)を達成した事から最優秀棋士賞を受賞した。
谷川がタイトルを獲得した頃から55年組(同世代ながら谷川より遅れて1980年にプロ入りした強豪世代)に代表される若手の活躍が目立つようになり将棋界の世代交代が進んでいった。
その一人、高橋道雄とはタイトル戦で3回も番勝負をする事になる。一度、棋聖を奪われるが翌年度に奪還。さらに王位も高橋から奪い二冠王となる。
一般棋戦でも優勝を重ねる等、同世代でも抜きん出た実力から、ゆくゆくは谷川が将棋界の頂点として君臨すると思われた…
死闘
しかし1980年代後半から55年組よりもさらに若い「チャイルドブランド」と呼ばれる棋士が新たに台頭する。特に中学生でプロ入りした筆頭格・羽生善治は破竹の勢いで活躍し将棋界を暴れ回る。
谷川は羽生が小学生時代に参加した1982年度小学生名人大会決勝に登場した際に解説者として出演していた。
その際、一緒に出演した大山康晴十五世名人は「(羽生は将来的に)谷川八段(相手に)十分やれるような棋力じゃないのか」と言い残している。
これが本気か冗談かさておき、その可能性は現実味を帯び始めていた*1。
同世代より上が蹂躙されていく中、谷川は負けじと対抗。
1990年度は、第31期王位戦でチャイルドブランドの佐藤康光から挑戦を受けるがこれを退け、第3期竜王戦では羽生から竜王*2を奪取し自身初の三冠を達成。
翌年1991年度の第41期王将戦では55年組の南芳一を破り王将を奪取。四冠王となったのと同時に七つ(当時)ある全タイトル保持経験者となり、再び最優秀棋士賞を受賞(4回目)。
1992年度以降はチャイルドブランド(羽生世代)ばかりのタイトル戦となる。
その一人、郷田真隆とは三度争い、王位は奪われたものの棋聖は防衛に成功する。
打倒谷川を目指していた村山聖(羽生世代)からも王将戦で挑戦を受けるがこれを退ける。
が、羽生相手には分が悪くタイトル戦で7連敗し防衛も奪還もできずにいた。
次々とタイトルをかっさらっていった羽生は前人未到の七冠独占も視野に入れ始める。
そして六冠を達成した羽生は唯一残った王将を奪取すべく谷川王将に勝負を挑む。
第44期王将戦では途中で阪神淡路大震災に巻き込まれ、神戸在住の谷川は大阪に避難する事を余儀なくされた。
両者粘り続けた結果、7局目に突入。千日手の末、激戦を制したのは谷川だった。
もうこんな事は起きないだろうと誰もが思ったが、羽生は保持していた全てのタイトルを防衛し翌年度再び谷川に挑む。結果は0-4で羽生のストレート勝ちとなり、七冠独占を許す屈辱を味わう。
特に最終局となる第4局はNHKで生中継されていたが早期に勝敗は決しており「せっかく注目してもらったのに、ファンの方にも羽生さんにも申し訳ない」と語っている。
復活
翌1996年度、谷川は佐藤を破り第9期竜王戦に登場し、羽生から竜王を奪取し雪辱を果たす。
更に翌1997年度の名人戦にも登場。羽生から名人を奪い永世名人(十七世名人)有資格者となる。
この時、NHKからインタビューを受けるが「内容が良くなかった」「谷川時代を作っていない」と厳しく答えている。
竜王も防衛し、この年度は谷川竜王名人が賞金王となった(1993年度からはずっと羽生だった)。
翌年度は名人を佐藤、竜王を藤井猛(羽生世代)に奪取され無冠に戻るが、1999年度に郷田から棋聖を奪いタイトル保持者に復帰(翌年、羽生に奪われてしまうが)。
その後も羽生世代の棋士達からタイトルを奪い返すべく挑戦を続け、2002年度の第43期王位戦で羽生から王位を奪還する。
同年度では久方ぶりにNHK杯でベスト4入り、銀河戦でも初優勝する等、一般棋戦でも勢いに乗った一年だった。
翌年度も羽生から王位を防衛。さらに丸山忠久(羽生世代)から棋王を奪取し久しぶりに二冠に復帰した。
そして現在へ
翌2004年度、保持していたタイトル全てを羽生に奪われる。
2005年度の順位戦では羽生とのプレーオフを制し森内俊之名人(羽生世代)に挑んだが失敗。
2009年度は将棋日本シリーズに出場し久しぶりの公式棋戦優勝を飾る。
実は本来、谷川の出場権は無かったが、出場権がある渡辺明がインフルエンザに感染した可能性がある事から安全を取って欠場した為、繰り上げで出場することになった経緯がある*3。
1982年度から長く名人もしくはA級に所属していた谷川だったが、2014年度の順位戦でB級1組に降級。この時51歳であった。
2022年には60歳還暦となる。先人に倣い「十七世名人」を現役中から使用する事が認められ、現役で唯一永世称号を名乗る棋士となった。
2024年現在はB級2組に所属。同級以上では唯一となる還暦越え棋士として活躍中。
棋風
「光速の寄せ」「光速流」の異名で知られ、敵の玉を寄せるのに定評がある。
中村修曰く「攻めるタイミングが、昔から人より3手ぐらい早い」。現在のコンピュータ解析を用いてもその判断の正しさは証明されており攻め時を見極める能力に長けている。
これが影響して知名度の高さから光速に寄せてくると考えた羽生が判断を誤り逆転負けした事もある。
只、年を重ねた今では光速の寄せにこだわっている訳ではないとの事。指し手に迷った際、駒が前に行く手を優先して指すことから「谷川前進流」とも呼ばれる。
基本的に居飛車党だが四段時代は振り飛車を主軸にしていた経験から、どちらも指しこなせるオールラウンダーである*4。
2003年度NHK杯の対森内戦では、受けに定評がある森内の厚い壁を鮮やかな手さばきで突破して勝利を収めており名局として今でも伝わっている。
この時の解説者は羽生が担当しており、番組の収録である事を忘れそうなくらい夢中になって対局を眺めていた。
また当時のタイトル保持者・後の永世名人が勢ぞろいする何気に豪華な対局でもある。
成績
タイトル戦
- 竜王 1990-1991, 1996-1997(4期)、登場6回
- 名人 1983-1984, 1988-1989, 1997(5期)、登場11回
- 王位 1987, 1989-1991, 2002-2003(6期)、登場11回
- 王座 1990(1期)、登場6回
- 棋王 1985, 1987, 2003(3期)、登場7回
- 王将 1991-1994(4期)、登場7回
- 棋聖 1991後期-1992後期, 1999(4期)、登場9回
合計27期、登場57回
一般棋戦
- 銀河戦(1999年度まで非公式戦)
- 優勝 2002年度
- 準優勝 1999, 2004年度
- ベスト4 2003, 2006年度
- NHK杯
- 優勝 1985年度
- ベスト4 1982, 1988, 1990, 1992, 2002-2003年度
- 日本シリーズ
- 優勝 1989-1990, 1992, 1996-1997, 2009年度
- 準優勝 1984-1986, 1993, 2000年度
- ベスト4 1998, 2004年度
- 全日本プロ将棋トーナメント・朝日杯
- 優勝 1983-1985, 1987, 1994, 1996, 1999年度
- 準優勝 1988-1989, 2000年度
- ベスト4 2009年度
- 達人戦(非公式戦)
- 優勝 2004-2007, 2013年度
- 準優勝 2010年度
- ABEMAトーナメント(非公式戦) ベスト4 2020年度(佐藤康光・森内を含めた3名)
記録
- プロ入りから史上最短で名人を獲得 - 6年177日
- 最年長棋王獲得 - 42歳
- 日本シリーズ最多優勝 - 6回
- 同一対局者によるタイトル戦 - 22期(谷川 - 羽生、もう一つは羽生 - 佐藤)
その他
- 経歴の通り、羽生とはタイトル戦で幾度も対局しており自身最大のライバルとなった。
現役棋士の対戦カードでも「谷川 - 羽生」が長らく最多記録となっていた*5。
- 羽生からタイトルを奪取できた年長棋士は谷川と佐藤のみである。
只、佐藤は羽生より1歳年上であるもののほぼ同期であるがゆえに同世代扱いされることが一般的となっており、明確に年上の棋士となると谷川が唯一となる。
- 羽生世代から複数回タイトルを奪取できた年長棋士も谷川が唯一。
- 1998年度に竜王・名人を失冠し無冠になった際は前例に従って「前竜王・名人」を名乗ると予想されていた*6。
しかし谷川はそれをせず「九段」を名乗ることを選んでいる。
後輩達*7もこれに倣い、これ以降「前竜王」「前名人」を名乗る棋士はいなくなった。形骸化したことを受け、最終的に2020年をもって正式に廃止となった。
- 2013年度の達人戦では決勝で羽生に勝利して優勝。
当時、谷川は将棋連盟の会長を務めており、自分で書いた表彰状を自分が手にする嬉しい珍事が起きた*8。
- 羽生世代に年長組で最も対抗し最も苦しめられた谷川だが、連盟の運営を引き継いでくれた佐藤や森内との関係は深く、
森内のYouTubeチャンネルに登場したり、三人でチームを組みAbemaトーナメントに出場もしている。
羽生も谷川の将棋から強く影響を受けたと語っている。
- 詰将棋作家としても有名で今まで多くの作品を世に送り出している。
デビュー前の藤井聡太は詰将棋の名手として知られていたが、作る方だと型にはまり頭が固くなる恐れがある事から、
藤井の師匠である杉本昌隆を介して藤井聡太に「プロ入りまでは解くのに専念した方が良い」と助言を送っていた。
- 同門の弟弟子には井上慶太と藤原直哉がいる。
井上は飲み仲間。谷川は地元の阪神タイガースを応援しているが熱量に関しては井上の方が上とのこと。
藤原に関しては藤原本人と後に藤原と結婚する奥さんとデートしている事を谷川は目撃している。この時、ごまかそうとした藤原の嘘を見破ったそう。
- 唯一の弟子として三段で新人王となった都成竜馬がいる。
都成自身も谷川門下を希望していたが、その将棋に縁が深そうな名前と阪神淡路大震災が起きた1月17日に生まれた事に運命を感じ、弟子にした。
谷川は忙しい中でも棋譜の添削を行い、都成のプロ入りの際は自身が筆を入れた将棋駒をプレゼントした。
現在は成長した都成と月一で研究会を行っているらしく自身の練習相手となっている。
- 実家のお寺は兄弟どちらも跡を継がなかった為、親戚に引き継いでいる。
- 谷川の兄、俊昭はプロ入りしなかったものの、アマチュア棋戦で活躍した。
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- つみです。でなおしてまいれ -- 名無しさん (2023-03-30 22:59:56)
- 三浦弘行九段の将棋ソフト不正使用疑惑の際、まず第三者による検証をせず、有力棋士だけで処分を決めようとしたのは連盟会長として本当に悪手だったな -- 名無しさん (2023-03-30 23:35:11)
- 対戦や行事に参加してくれる人に対してとにかく無事を祈る言葉を言うのが恒例行事ってイメージ。 -- 名無しさん (2023-03-30 23:45:21)
- ↑2 そもそも、米長が亡くなったときにこの人を担がないといけなかったのがね…上の世代の人材が枯渇気味だったのが… -- 名無しさん (2023-04-01 06:03:45)
- ↑4 やっぱりそのイメージだよなー。 -- 名無しさん (2023-04-01 13:03:41)
- 小さい頃にこの方の将棋ゲームブックを何度も読み返していたので、自分にとっては特に親しみを感じる棋士 -- 名無しさん (2023-05-19 16:36:10)
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*2 竜王は羽生の自身初のタイトルであった。羽生はこの谷川から奪われた時期を除き、2018年まで一度も無冠になることは無かった。
*3 その為、優勝賞金は谷川の意向で公益目的で活用されることになった。
*4 それ故に単調な戦法や一芸特化で戦う相手には「引き出しが少ない(=対策されたら行き詰まりやすい)」と厳しい面を向ける事が多い。
*5 現在は「羽生 - 佐藤」。
*6 竜王か名人を奪われた棋士は奪取から一年間「前竜王」「前名人」を肩書にすることができた。
*7 佐藤が名人を失冠した際に「前名人というすっきりしない肩書ではなく、九段として心機一転、将棋に打ち込んだ方が自分にとってもいいと思う」と発言し谷川路線を継承した。
*8 表彰状は理事の青野照市が代わりに授与した。
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