登録日:2021/03/28 Sun 17:43:00
更新日:2024/05/27 Mon 09:35:02NEW!
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森鴎外 高瀬舟 小説 短編小説 教科書 国語 安楽死 島流し 文学 考えさせられる話 鬱展開 足る事 護送 遠島 流刑 正解のない問いかけ
「高瀬舟」とは、森鴎外の短編小説の1つで1916年に「中央公論」にて発表。
元ネタは江戸時代の随筆集「翁草」の話の1つ、「流人の話」である。
中学校3年生の国語の教科書にも題材として用いられている為、知っている人も多いかもしれない。
話のテーマが前半と後半で変わり、前半は「財産と幸福度の認識」が、後半は「安楽死の是非」が取り上げられ、一般的に話題に上がるのは後半の「安楽死」についてだろう。
【あらすじ】
※以下ネタバレ注意。
高瀬舟。
それは遠島の刑に処せられた京都の罪人を、高瀬川を下って大阪まで送る*1為の小さな船である。
船には罪人本人と護送を担当する京都町奉行の配下の同心が乗るが、
罪人の方は遠島*2を言い渡される程の重罪を犯した人物ではあるものの、決して「悪人」のイメージそのままの罪人ばかりではなく、情死を試みて自分だけが生き延びてしまうようなある種哀れなものもおり、その種類は様々であった。
同心の方も罪人の身の上を知って必要以上の同情を見せる者、反対に意にも介さない者など、その反応は様々であり、過度な感情移入をさせられる事もある為に同心の中では不快な業務として嫌われていた。
そんな複雑な感傷が入り混じる高瀬舟の上だが、寛政のある晩春に不思議な罪人が乗せられてきた。
その罪人の名は喜助。青白い肌の痩せこけた身体で、住所不定かつ30歳前後の男だった。
護送を担当する同心、羽田庄兵衛は彼について、「弟殺しで遠島に処せられた」という事しか知らなかった。
高瀬舟には(黙許ではあるものの)罪人の親類の内、主だった1人を同船させることも出来たが、彼には親類がいなかった為、舟には2人しか乗っていない。
庄兵衛は牢屋敷から桟橋に連れてくるまでの間、彼の事を観察していたが喜助は神妙かつおとなしく、庄兵衛を役人として敬い、彼の言う事に従っている。
これだけならばそれほど珍しくもないのだが、これまで庄兵衛が見てきた罪人の多くが見せた、所謂「温順を装って権力に媚び諂う」様な態度が喜助からは全く見受けられず、それは船に乗ってからも変わらない。
それどころか流刑地に向かう事を楽しみにしている様にすら見えるのだ。
その日は暮れ方から船が出て現在は夜。天候は穏やかで聞こえてくるのは水流の音のみ。
舟で寝ることが許されているにもかかわらず、喜助は雲の濃淡で光の加減が変わる月をただ見つめていた。
庄兵衛は彼の事をそれとなく観察しながら、何度も何度も「不思議だ」と感じていた。
普通に考えれば、とんな事情があるにせよ家族殺しなどいい気分がするものではない。
喜助はそんな気持ちがわき上がる事さえない様な悪党なのか?
しかしここまでの落ち着き具合、そして自分への態度を見る限りそんな人物には感じられない。
では、単純に正気を失っているのか?
しかし彼の言動は全て辻褄が合っている。
彼の人物像を簡単ながら仮定してみるも、それら全てが眼前にいる男から見受けられる人物像と合致しないのだ。
意を決して庄兵衛は喜助に今の心中を問うてみた所、喜助は笑いながら以下の様に答えた。
- 京都は結構な場所であったが、そこで自分は想像を絶する苦しみを味わい、「居場所」と呼ぶに値する場所を持てずにいたが、罪に対する罰として遠島が言い渡された結果、「居場所」が出来た。流された先の島では辛い仕事をすることになるかもしれないが、身体の強さには自信があるので、前向きな気持ちでいられる。
- 京では仕事をいくらやっても手元に金が残らず、その金で食べ物を買えるという事は極めて稀だったが、牢では仕事もせずに食事にありつけた。それだけでなく、銅銭200文*3を貰え、手元に持つことが許されていることが大変うれしい。
要約すると「『京で味わった苦しみ』を上回る待遇を与えられたから」という事だった。
庄兵衛は予想していなかった答えに返事をしたきり反応を続けることが出来なかった。
だがその一方で、自分自身の境遇を顧みていた。
庄兵衛は初老に近づく年齢で、妻・子4人に老母を加えた7人暮らしで、かなり倹約な暮らしをしているが、喜助の持つ200文に相当する様な貯蓄はなく、生活にも余裕はない。
妻は裕福な商人の娘と言う育ち故か、(扶持米で家を成立させる意気込みはあるものの)庄兵衛程金に対して厳格になれず、収入が足りなかった場合は時折里から金を手に入れて足りない収支の埋め合わせを行う事があり、それが原因で家族内に波風が立つこともあった。
これらの状況は食糧的・金銭的には手一杯という点では(そろばんの桁の差こそあれ)喜助と大きくは違わないように感じた。
しかし、自分がそんな境遇に何ら満足を感じず、今の仕事がなくなる事への不安感を持つのに対して、喜助は金銭・食料両面に余裕がない状況で仕事に必死に取り組み、どうにか口を糊するという厳しい状態でも満足をし、刑を受けてからは衣食住の面で更なる満足を感じている。
この違いは「養うもの」の差からくるのか?しかし庄兵衛にはそうは思われない。
人は「見えない脅威」の為に蓄えを作ろうとするが、それらはいくらあっても人は更なる蓄えを作り、どこかで踏みとどまろうとすることが出来ない。
しかし今自分の目の前で喜助は無欲さと満足感をもって、「足る事」を知って踏みとどまっているのだ。
庄兵衛は喜助に対してある種の敬意を感じながら彼にもう一つ、「弟殺しの経緯」の問いを投げかけた。
それまで呼び捨てで呼んでいた彼に、自分でも知らず知らずの内に「喜助さん」と呼びかけながら。
喜助は恐れ入りながら、当時の状況を「どうしてあんな恐ろしいことが出来たのか」と振り返りつつ自分と弟の身の上、そして犯した「罪」について話し始めた。
両親は小さい頃に時疫で亡くなり、それからは弟と二人で暮らしてきた。
初めの頃は自分達の境遇を憐れむ人達の恵みを受けて、近所中を走り使いすることで生活していく事が出来た。成長後もなるべく2人で一緒にいられるように仕事を選んでこなし、助け合って生きてきた。
今から1年前の秋、2人は西陣の織場にて空引の仕事をし始めたが、弟の方は途中で病気になってしまい、働くことが出来なくなってしまった。
北山にある掘っ立て小屋の様な場所で生活をし、仕事終わりに食事を持って帰るのだが、その度に弟は申し訳なさそうにしていた。
そんな状態が続いていたある日、家に帰ると弟が夥しい量の血の上で突っ伏していた。
喜助は驚いて駆け寄り、彼に声をかけるが、弟は息はあるものの呼吸音以外の音を発さない。喉には剃刀が刺さっている。もう一度何があったのかを問うと、ようやく口が聞けるような状態になった弟が生き絶え絶えの状態で話し始めた。
それによると自分の病気は治る見込みがなく、このまま生きていても兄に迷惑をかけるばかりでしかないから自殺を試みて喉笛を剃刀で切ったが、それだけでは死ぬことが出来なかったらしい。
自殺未遂となった結果出来たこの状況だったが、弟は喜助に「剃刀を抜けば死ぬことができるはずだから抜いて欲しい」と要求。
いきなりそんなことを言われても飲めるはずがなく、喜助は医者を呼ぼうとするが、弟はそれを拒否して自分を殺すように頼む。
どうすればいいかが分からず途方に暮れていたが、弟は最後の頼みを聞いてくれない彼に対して恨めしそうな視線を向けてきた。
その目付きはだんだん険しくなり、遂には敵を睨むような目つきになっていく……。
自分は弟のその眼差しを見て「言う通りにしてやらねば」と意を決し、彼の「最期の頼み」を聞くことにした。
すると弟の目付きは晴れやかな、嬉しそうな表情に変わっていった。
やるならば一思いにやらねば。
そう思った喜助は剃刀の柄をしっかり握って、一気に引き抜いた。
その時、表口から弟の世話を頼んでいた老婆が入ってきた。
喜助が弟の事を死なせている場面に出くわした彼女は、驚いて外へと書け出していったが、その時喜助はその老婆の動作をただぼんやりと眺めていた。
暗くなっていたのもあり、それだけの時間が経っていたのか分からなかったが、ふと気が付いて弟を見た時には、彼は既に息を引き取っており、その周りには先ほどにもまして多くの血が流れており、
喜助は年寄衆によって役場に連行されるまでの間、剃刀を脇において弟の亡骸を見つめていた……。
そこまで話すなり、喜助は目線を下へやった。
庄兵衛は事件現場を目の当たりにするような心持で聞いていたが、彼の罪を犯すまでの経緯には条理が通っていると感じるのと同時に、話の途中から「これは果たして弟殺し、そして人殺しと呼べるのだろうか?」という考えがわき上がってきた。
行為だけを見れば「弟の首から剃刀を抜いて彼を死へ追いやった」ため、罪であるといるかもしれない。
しかし、たとえ剃刀を抜いていなかったとしても弟は助からない身であり、弟は苦痛から解放されることを望んで兄である喜助に頼みごとをし、喜助もその苦痛を見るに忍びなく、彼を苦痛から救ってやりたいと思ったがゆえにその頼みを聞き入れた。
そう考えると、罪か否かの考えに疑問が生じて解くことが出来なくなってしまう……。
庄兵衛は考えるが、やはり答えは出ない為、自分より上の者に判断に任せ、オオトリテエ(authority)しかないと結論。しかしそれでもこの符に落ちない感覚はぬぐう事が出来ない気がしてならない為、お奉行様に話を聞いてみたいと感じていた。
朧夜が明け始める中、沈黙する2人を乗せたまま、黒い川面の上を滑るように通り抜けていった。
【喜助の「弟殺し」】
この物語では最も重要なトピックはやはり「弟殺し」だろう。
「弟からの嘆願で彼を死なせる」という喜助が行った行為は現代の刑法で言うならば、承諾殺人罪に該当する可能性が高いため*4、「罪」と考えるのが妥当である。
しかし、彼がそうしたのはひとえに「弟を苦痛から解放する為」であり、弟の方もそれを切に願っていたためで、この行為は積極的安楽死*5と言うことでもある。
彼が剃刀を抜かずとも弟が助かった可能性は低く、その場合弟は抜いた場合以上に苦しんで死んでいくのは想像に難くない。(しかもあれこれ考える時間的な余裕もない。)
「安楽死」という概念自体が、法的にも倫理的にも扱いの難しい概念であるだけに「罪」に対する考え方は非常に複雑になるだろう。
また「罪」という観点だけでなく、彼等の「精神面」という観点からの話も重要である。弟を死なせた結果罪人となり、遠島を言い渡された喜助だが、もし違う選択をした場合はどうなるのか?
例えば剃刀を抜く事が出来ずに混乱し続けている(もしくは意図的に何もしない)内に弟が死んでいけば、(見ようによっては「弟の事を見殺しにした」とも考えられるが)自分の手を汚すことはなかったかもしれないが、弟はより苦しみ、自分に向けた恨めしい眼差しを緩めなかったかもしれない。
また、弟の制止を無視して医者を呼んでいたとしても、死んでしまえば助けられなかった後悔を抱え、仮に助かったとしても金銭面で大きな負担を背負い、それが原因で弟は更に責任を感じるようになって、精神面でより大きい苦痛を抱えることになっていた可能性も否定できない。
また、実際に喜助が行った「剃刀を抜く」と言う行為は弟の方は精神的に救われたかもしれないが、喜助の方は承諾時こそ弟の望みをかなえてやらねばと思っていたが、庄兵衛に話す際には自分の行為を「恐ろしいことをした」と回顧している為、(高瀬舟での彼の言動からはそれが見受けられないものの)、精神的に救われているとは必ずしも言い切れない。
幼少期から彼らを取り巻く貧窮した経済状態や人間関係などの面も考慮すると、「剃刀を抜く」ことが本当に正しいと言える行為だったのかを結論付けるのは容易ではないし、「罪を背負う・背負わない」の考えを抜きにしても、喜助や弟が精神的に最も救われる選択は何だったのかと言うのは、答えるのは非常に難しい。
あの場において何をするのが正解だったのかは、誰にも分からないだろう。
追記・修正は舟の上で、「欲のないこと」「足ること」を知りながらお願いします。
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- 福地源一郎『幕末政治家に「病の癒ゆべからざるを知りて薬せざるは孝子の所為にあらず。国亡び、身倒るるまでは公事に鞅掌するこそ、真の武士なれ(どうせ治らない病だからといって薬を渡さないのは孝行息子のやることではない。ならば、幕府が滅びるまで自らの公務に専念して立ち働く者こそ、真の武士である)」という小栗忠順の言葉があるが、ダメだと理解していても看病する小栗とダメならさっさと安楽死に切り替えた勝海舟。政治体制でも人間でも最後まで足掻くべきなのか、見切りをつけたほうが良いのかは難しい。アニメだと安西監督の「最後まで・・・希望をすてちゃいかん あきらめたらそこで試合終了だよ」というスタンスが大勢だと思うが、親孝行を儒学で刷り込まれている東アジアの人々には安楽死は受け入れ難いのでは? -- 名無しさん (2021-04-12 09:18:42)
- 小学校か中学校の教科書に載ってて印象に残っているが、いまでもどっちが正解かわからん。 -- 名無しさん (2021-04-12 09:26:05)
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*2 当時は死罪に次ぐ重い刑とされ、女犯や過失致死罪などを行ったものに言い渡された。
*3 現在の価値で4000~5000円程度。
*4 刑法と作中時系列に適用されていた公事方御定書の罪刑には差異があるが。
*5 対象の人物に死なせるための処置を「する」事で安楽死させること。逆に対象の人物に生かす為の処置を「しない」事で安楽死させることを「消極的安楽死」と言う。
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