ゲルマン人/ゲルマン民族

ページ名:ゲルマン人_ゲルマン民族

登録日:2019/10/5 (土曜日) 12:02:00
更新日:2024/05/09 Thu 13:53:59NEW!
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ゲルマン人/ゲルマン民族とはヨーロッパに居住する民族の一つである。
(なお、「ジャーマン」は、ゲルマンの米国読みで同義)



●目次


概要

言語的にはインド・ヨーロッパ語族に属するコーカソイドであり、ヨーロッパの北方を起源とする民族である。
当項目ではローマ帝国時代における異民族である古代ゲルマン人についても記載する。



歴史(古代ゲルマン人についても)

現在ゲルマン人というとドイツ人を意味するが
ローマ時代は特に特定の民族集団を意味しているわけではなかった。
ゲルマンという語が初めて文献に登場したのは前80年頃に歴史学者*1であるポセイドニオスによる記録が初である。
ゲルマン人の居住する「ゲルマニア」は現在で言うポーランド、チェコ、スロバキア、ドイツ等とほぼ重なる地域で、この地域に彼らは居住していた。


その後ゲルマン人は、ガイウス・ユリウス・カエサルがガリア*2一帯への遠征の記録として自ら執筆した『ガリア戦記』や、ローマの歴史家タキトゥスによって書かれた『ゲルマニア』にも異民族として登場している。


ローマ人としては紀元前55~53年にかけて、前述したようにカエサルが初めてこの地域に攻撃を仕掛けており、ゲルマン人と戦っている。
ローマはガリア地域を領土としていたがその影響力は不完全で、そこにゲルマン人同士の抗争で敗北した(ゲルマン人の中では)弱小部族が押し出される形でガリアに侵入してきていた。
それを押し返し、更にゲルマン民族内で突出していた部族の力を削ぐための攻撃であった。


そのカエサルの後継者であるオクタヴィアヌス、すなわちローマ帝国の初代皇帝として知られるアウグストゥスも、ライン川を突破してゲルマニア総督を置くなど支配体制を形成しつつあった。
しかしトイトブルクでの戦いでアルミニウス*3の騙し討ち・ゲリラ戦により敗北を喫し三個軍団を失ってしまう。
当時のローマは国境線を守るのに必要な常備軍しか持たず、この敗北はライン川方面を守る軍団が消滅したことを意味していた。
それゆえそのライン川方面の後背地に当たるガリアはゲルマン人襲来の恐怖にさいなまされたという。アウグストゥスは戒厳令まで敷いて対処し、翌年ティベリウスが派遣されたことで脅威は退けられた。
アウグストゥスの後継者であるティベリウスはこのこともありエルベ川までの進出を放棄。ローマの国境線(=防衛線)はライン川とドナウ川となり、ゲルマニアはローマの国外となった。


その後も西暦251年にはデキウス帝が戦死するなど、ゲルマン人は脅威となっていた。


西暦375年頃になるとローマ帝国は異民族の侵入に頭を悩ませていた。その際にローマ帝国の領域まで入ってきた異民族の一つがゲルマン人である。
元々ゲルマニアと呼ばれたヨーロッパの北方地域に住んでいたゲルマン人であったが、
東方の遊牧民族であるフン族がドナウ川を突破してきたことによって次第に追いやられるようになった。
彼らは各地へ散らばり、遂にはローマ帝国領域にまで侵入する。
これが世界史でよく知られるゲルマン民族の大移動である。


後述する大柄な身長や金髪については先述したガリア戦記やゲルマニアでも
記述された通りで当時の時点でローマ人を上回る体格の異民族として知られ、
存在そのものが脅威だったがその大柄な体格は戦争においても重宝されており、
帝国時代末期には帝国領に移り住んだ傭兵が戦場に駆り出される事もあった。


フン族の侵攻を食い止めたのがローマの支配を受け入れて傭兵となったゲルマン人であったり、末期の西ローマ帝国がゲルマン人将軍により支えられていたなど、その関係は深い。


彼らの特徴である金髪も黒髪や茶髪の多かったローマ人にはほとんどいなかった為、
これまたローマ帝国では重宝されたようであり、女性の長い金髪からかつらを作っていたという。
ちなみに西暦800年から1050年にかけてヨーロッパ各地で大暴れしたヴァイキングはゲルマン人の一派である北方系のノルマン人であり、
現在のイングランドの基礎を築いたアングロ・サクソン人は西方系のゲルマン系である。



部族

それぞれ西方、北方、東方に異なる部族がいたとされる。
そのうち東方ゲルマン部族は消滅してしまったが西方ゲルマン部族の一派であるアングロ・サクソン人は
現在でいうグレートブリテン島でイングランドの基礎を築き、
北方ゲルマン部族の一派であるノルマン人はスウェーデン、ノルウェー、デンマークに国を築き、
それぞれの祖となった。


東方ゲルマン

  • ゴート族

西方ゲルマン

  • アングロ・サクソン人 ※現在のイングランド人の祖

北方ゲルマン

  • ノルマン人 ※現在のノルウェー人、スウェーデン人、デンマーク人、アイスランド人の祖


食生活

古代ローマ時代における彼らの食事についてだが当時のゲルマン人は
ローマ人とは逆に穀物はほとんど摂らず、
牛から得られる乳や肉等、動物食・肉食を好んでいた。
ただし農耕を行っていなかったわけではなく、むしろ定着農耕を行っていた。



文字

ルーン文字というギリシャ文字やアルファベットを参考に作られた独自の文字を使っていた。
木に刃物で切りつけて筆記するので横線は木目とまぎらわしくなることから、縦線と斜め線を多用したのが特徴的。
ルーンという言葉の意味は元々はゴート族の言葉で秘密を意味するrunaからという説がある。
ただしその名前の由来の割に全盛期は日常的に使われ、呪術的な性格を強くしたのはラテン語が普及してある種の「古文」と化してからだとか。
現在ではほとんど使われなくなってしまったが消滅したわけではなく、現代のアイスランド語でも使われている。
近距離通信規格として広く利用されているBluetoothのロゴもこれ。



神話

キリスト教化される以前には彼ら独自の伝承や神話が存在しており、
その中でも有名なのがノルマン人による北欧神話である。


というかそもそも文献として残っているのが北欧神話位というのが現状ではあるが…



第三帝国とゲルマン民族

さて、上記で歴史を語ってきたが彼らと切っても切り離せないのが第三帝国だろう。
ナチ党を率い、当時のドイツの指導者であったアドルフ・ヒトラーは人種には三段階あるとし、
他の民族と一切混血していないゲルマン民族こそが高貴なる存在であり、アーリア人種であると考えた。
純血のドイツ人の特徴として金髪・碧眼・白い肌を掲げ、これらの特徴を備えた者こそがアーリア人としたが、
そもそもアーリア人とは中央アジアのステップ地帯を出自とした民族のことであり、下記のゲルマン人の形質とは明らかにかけ離れた形質である。
親衛隊も民族主義の観点からルーン文字を旗や制服で使う記号として活用していた。



形質

肌の色は白く、髪の色は金髪が多く目の色はグリーンからブルーなど明るい色。
頭部は比較的大きいものの顔そのものは小さく、彫りの深い顔つきをしている人が多い。
他の白色人種と比較して頬骨と顎が発達しており、
簡単に言えば角ばった顔つきなのが特徴と言えるだろうか。
勿論個人差はあるのだが身長は平均して高く、国によっては男性が180を超えることもそう珍しくはない。
世界一長身が多いことで有名なオランダの人々もゲルマン人を祖とする民族の一つで
北欧のスウェーデン人やデンマーク人、ノルウェー人はその一派であるノルマン人を祖とする民族として知られている。




追記・修正は英語、ドイツ語、オランダ語、スウェーデン語などのゲルマン語派の言語をすべて習得してからお願いします。



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*1 兼哲学者、兼政治家、兼天文学者、兼地理学者、兼教師。著書は断片しか残っていないが、そこに書かれている
*2 ガリア人(ケルト人の一部)が居住した地域。現在のフランス・ベルギー・スイスとオランダとドイツの一部
*3 ゲルマン民族ケルスキ族族長。ローマ軍指揮官クラスでないと与えられないローマ市民権を得、異例となる騎士階級(エクィテス)への昇格を果たすなど優秀な人物であった

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