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戦艦 軍艦 イギリス ロイヤルネイビー 大英帝国 軍事 ヴァンガード 三代目
ヴァンガード(HMS Vanguard)とは、かつてイギリスが建造、保有していたヴァンガード級王室専用ヨット戦艦(Vanguard class Battleship)の一隻である。
同型艦はない。
名前は英語で「先鋒、前衛」を意味している。
ヴァンガードの名は戦艦としては3代目、歴代のロイヤルネイビー全体を見渡せば8代目にあたる。
起工:1941年10月2日
進水:1944年10月30日
就役:1946年8月9日
退役:1959年10月9日
除籍:1960年
基本性能諸元
設計排水量:44,500t
基準排水量:48,500t
満載排水量:51,420t
全長:248.3m
水線長:231.6m
全幅:32.8m
吃水:9.4~10.6m
機関:海軍式三胴型重油専焼水管缶 8基
パーソンズ式オール・ギヤードタービン 4基4軸推進
最大出力:130,000hp(常用)
132,950hp(公試)
最大速力:29.75kt(常用)
31.57kt(公試)
航続距離:12kt/6,660海里
20kt/9,000海里
燃料搭載量:4,513t
乗員:1,590名
兵装:Mark I/N RP12 38.1cm(42口径)連装砲 4基8門
Mark I 13.3cm(50口径)連装両用砲 8基16門
Mark VI 40mm(56口径)6連装機銃 10基60門
Mark II 40mm(56口径)連装機銃 2基4門
Mark VI 40mm(56口径)単装機銃 11基11門
Type 277 両用レーダー 1基
Type 293 両用レーダー 1基
Type 960 対空レーダー 1基
Type 274 主砲用射撃指揮レーダー 2基
Type 275 副砲用射撃指揮レーダー 4基
Type 262 対空用射撃指揮レーダー 11基
type 930 弾着観測レーダー 1基
Mark V ファイア・コントロール・テーブル
Mark X 海軍式ファイア・コントロール・テーブル
Mark 37 砲射撃指揮装置
装甲:
舷側:356mm(水線最厚部)
112mm(水線艦首尾部)
305mm(前後隔壁)
甲板:152mm(弾薬庫上面)
127mm(機関区上面)
62~124mm(艦首甲板)
112mm(舵機室上面)
水中防御:112mm
主砲塔:324mm(前盾)
174mm(側盾)
229mm(後盾)
152.4~174mm(天蓋)
330mm(主砲バーベット部)
両用砲:25~38mm
司令塔:75mm(前面)
63mm(側面)
25mm(天蓋)
前級:キング・ジョージ5世級戦艦
ライオン級戦艦
次級:なし
建造までの経緯
ワシントン海軍軍縮条約の失効が迫り、無条約時代を迎えようとしていた1935年。日本、アメリカなどの海軍強国は次なる大戦を見据えて新造艦の建艦に乗り出し、ヨーロッパでもドイッチュラント級装甲艦建造に端を発するフランスとイタリアの建艦競争が次第に熱を帯びていた。
ナチス・ドイツへと姿を変えたドイツも例外ではなく、ヴェルサイユ条約を破棄、「英独海軍協定」に基づく再軍備の一環としてシャルンホルスト級戦艦やビスマルク級戦艦の建造を開始、更には「Z計画」にてビスマルク級の発展型であるH級戦艦6隻の建造を見据えて行動を開始していた。
無論かつて7つの海を支配した海軍強国イギリスが指をこまねいて見ている筈もなく、翌36年に10年計画を立ち上げた。これこそが「新標準艦隊(The New Standard Fleet)」である。
1937年に考案された新標準艦隊の1940年度計画の中には、新戦艦就役と共に退役予定のR(リヴェンジ)級戦艦の主砲を再利用した安価な高速戦艦の建造プランが存在した。
これが後にヴァンガードとして結実することになる。
時は流れて1939年。
いよいよ第二次世界大戦が幕を開ける中、開戦の影響で最新鋭のライオン級戦艦の建造が中断されたことと開戦早々戦艦ロイヤル・オークが撃沈された事件がイギリスを騒がせていた。
日独の新戦艦への対抗馬として14インチ砲のキング・ジョージ5世級戦艦では心許なく、開戦早々いきなり戦艦を喪失したことは英海軍を動揺させるには十分だったのである。
だが、この事態を打破しようとする男がいた。
その男こそ、時の首相サー・ウィンストン・チャーチルである。
高速戦艦の不足を危惧したチャーチルが1941年の戦時建艦計画で提案したのは、ライオン級の設計を流用した船体に、第一次大戦期にフィッシャー提督のイカレた発想に基づいた命で建造された大型巡洋艦グローリアス、カレイジャスの2隻が残した15インチ砲を再利用した戦時急造艦のプランであった。
時に1941年10月。
首相チャーチルという後ろ盾を得て、後に「ヴァンガード」と名付けられることになる一隻の高速戦艦の建造が開始された。
設計と特徴
ヴァンガードの船体は前級同様に平甲板型であるが、ここにきてようやく艦首に強い傾斜のあるクリッパー・バウが採用された。
もとよりロイヤルネイビーの皆様は艦首方向への仰角零度射撃に並々ならぬこだわりがあり、垂直な艦首を採用して凌波性の悪さに頭を抱えてきたが、ヴァンガードは高速航行時の凌波性を重視した為に反り返ったクリッパー・バウが採用されている。
主砲は背負い式に配置で艦橋は塔状艦橋と前級までを踏襲した堅実な英国風の艦型となっている。
しかし、水上機用の設備が一切装備されていない代わりに艦橋に装備された物はイギリス最大級となる9.2m測距儀が1基とMk.37対空射撃指揮装置が背負い式に設置され、後部には軽量な三脚型の前部マストが立ち、そこに各種レーダーのアンテナが装備されている等、これまで以上にレーダーや管制装置に力が入れられている。
国内ドックのサイズ制限撤廃と戦訓に基づいた改良の為に排水量が増大、船体もKGVより大型になったが、艦尾にトランサム・スターンという垂直に切り詰めた形状を採用し、全長を抑えている。
また、船体は戦時急造故にやや古臭くなっていたリベット接合*1であり、船体強度には不安があったようだ。
攻撃力
先述したように、ヴァンガードの主砲はカレイジャス級大型巡洋艦が空母に改装される際に保管していた15インチ砲の流用である。
艦の前後に2基づつ背負い式配置されたが、ただそのまま使用するには些か古かったので、同型の主砲を採用していたクイーンエリザベス級戦艦やR級戦艦の改修データを基にヴァージョンアップされた「Mark I/N RP12砲塔」として改良されていた。
この改造で
- 最高射程 21,702m → 33,380m
- 装甲貫通力 射程13,600m/舷側装甲305mm → 射程19,840m/舷側装甲305mm
射程29,720m/甲板装甲152mm
- 俯仰能力 仰角20度/俯角3度 → 仰角30度/俯角4.5度
- 発射速度 毎分2発 → 毎分2発
- 砲弾重量 721kg → 879kg
まで引き上げられ、近距離での装甲貫通力は16インチ砲搭載のネルソン級戦艦にやや劣るものの、アホみたいに壊れる14インチ砲を積んだキング・ジョージ5世級戦艦をほぼ全ての面で上回る主砲となった。
しかし、それは「英国の中では」優れているというだけで、攻防共にヴァンガードよりも優れた主砲を持つ米日仏伊の新戦艦に比べれば攻撃力はどうしても見劣りする物であった。
アメリカの新戦艦に積まれているようなSHSをイギリスでも開発する計画もあったのに大戦勃発でお流れになったのも痛い。
16インチ砲採用のライオン級さえ完成していれば…
もっとも、イギリスはレーダーが発達していたので、優秀なレーダー射撃装置に支えられた遠距離砲戦では十分に勝機はあるかもしれない。
副砲は前級で欠陥が露呈したMark I 13.3cm(50口径)連装両用砲が新型砲塔で受け継がれたが、ぶっちゃけ「人力装填なのにイヤに重い砲弾」という点は全く改善されておらず*2、対空能力は全く進歩していない。それを補う安心と信頼のボフォース社製40mm機関砲がてんこ盛りだったので、「もうこれでいいや」的に載せられただけだった。
一方で対水上艦能力では優秀であった。
対空兵装はMark I 13.3cm連装両用砲以外では先述したスウェーデン・ボフォース社製40mm機関砲。
場所によっては今なお現役の対空機関砲の決定版をヴァンガードは6連装10基、連装2基、単装11基の合計75門も装備している。
なお、機銃群は練習戦艦に改装した際に全て外されている。
英国戦艦の対空防御と言えばポムポム砲だが、流石にその駄目っぷりに気付いたのか本艦は最初から積んでいない。
防御力
ヴァンガードの舷側装甲厚は最大で舷側水線部が356mmとなかなかの防御力を持っている。
ただし、相変わらず傾斜装甲は採用されておらず、装甲重量に釣り合った効果的な防御ではなく、他国のように断片防御用の装甲甲板が施されていなかったので、一度貫通されると破片で二次被害が起きる可能性があった。
また、水中防御も相変わらず軽視されたままである。
プリンス・オブ・ウェールズ撃沈の戦訓から強化された注・排水システムと複雑な二重底化したの艦底部によって対水雷防御は一応強化されていた*3が、他国で積極的に研究されていた「水中弾効果」への対策はほぼ皆無であった。
機関と機動力
本艦は所謂「高速戦艦」というヤツである。
ヴァンガードの機関は建造中止となったライオン級戦艦の為に製造された物を採用した。
技術の進歩による若干の改造を加えられたヴァンガードのそれは排水量がKGV級よりも約10,000tも上回りながらも公試で31.57kt、満載状態で29.75ktを記録、フランスのリシュリュー級戦艦やイタリアのヴィットリオ・ヴェネト級戦艦に対抗しうる速力を発揮した。
航洋性や安定性の面を考慮しても「米軍との演習中に遭遇した嵐の中でヴァンガードはアイオワ級戦艦の半分程度しか動揺しなかった」という逸話が残る程に優れていた。
何よりKGVの評価を落とす一因だった燃費が改善されたことは大きい改良点だろう。
ちなみに本艦の補助機関は計画ではターボ発電機6基とディーゼル発電機2基を予定していたが、ターボ発電機は主機関が停止すると発電が出来なくなる点から、単独運転可能なディーゼル機関を増やしたターボ発電機4基とディーゼル発電機4基のシフト配置で決着した。
ただ、その発電量は充分とは言い難く、多くの動力を蒸気機関に頼らざるを得なかったという。
余談ながら、前々級ネルソンと前級KGVで煙突からの煤煙が艦橋に逆流する問題は煙突にファンネルキャップを付けることで解決を見た。
その他
レーダー先進国エゲレスらしく、優れたレーダーや射撃装置を多数装備している。
また、アメリカ製の射撃指揮装置なども搭載していた。
総合
やはり戦時急造艦ということで、十分な時間を掛けて設計を練り建造された他国の新戦艦と比べれば、攻防の面ではどうしても劣るものであった。
しかし本命で理想的な新戦艦と言えたライオン級は建造中止に終わった以上、一応就役まで漕ぎ付けたヴァンガードは英国最強の戦艦とも言える。
ドレッドノートの流れを汲む英海軍の歴代戦艦の中では最もバランスに優れ本級は「英海軍史上最良の戦艦」という評価を受けた。
活躍
さて、遂に向かう所敵無しの戦艦として「英海軍史上最良の戦艦」ヴァンガードは就役した。
ここでヴァンガードが就役した日付を見てみよう。
1946年8月9日
1946年8月9日
1946年8月9日
ではここでクエスチョン。
第二次世界大戦が終結したのは何年だったでしょう?
ヴァンガードは向かう所敵無しの戦艦であった。
だがそれはヴァンガードが無敵の存在だったという意味ではなく、既に戦うべき敵がいなくなってしまったからに他ならなかった。
大戦の真っ只中ではたった1隻の戦艦に工業力を割ける筈もなく、既存の損傷艦の修理と熟練工の不足から建造が進まなかったのである。
戦後に完成した戦艦には他にフランスのリシュリュー級ジャン・バールがいたが、ジャン・バールは未完成ながら戦中にアメリカ軍との戦艦マサチューセッツとの砲戦や空母レンジャーの航空隊との航空戦を経験している。
其れでも建造が続行されたのは1944年までは日本の大和型戦艦が健在だったからである。
イギリスもマレー沖海戦で『戦艦も戦闘機の援護なしで航空機の集中攻撃を受ければ撃沈され得る』と言う戦訓を学んでいたが、英国の飛行機は洋上戦闘が苦手であり、逆に日本の戦闘機は全般的に巡航性能と低空や洋上での戦闘能力が優れている点もビルマやオーストラリア北部の航空戦で嫌と言う程思い知らされていた。
更に日本海軍の駆逐艦は凶悪無比な射程と破壊力を持つ61cm酸素魚雷と優秀な航洋性能を備えていたので戦艦と相互支援が十分に可能な性能を有していた。
精鋭戦闘機隊に援護された戦艦・駆逐艦の相互支援部隊に巡洋艦や駆逐艦だけで挑めと言うのは無理ゲーの極みであるし、巡航性能の低いイギリス製戦闘機と日米のものと比べ搭載数が少ないイギリス空母では自艦隊の上空援護が出来るかどうか、攻撃機部隊を護衛戦闘機隊込みで大編制して総攻撃という作戦は困難だった。
其れならば戦艦を加えた方がまだしもコストパフォーマンスで勝るが、アメリカのサウスダコタ級と互角以上の性能を有すると予想された大和型にはキングジョージ五世やネルソン型では力不足と想定され、ヴァンガードの建造が続行されたのだ。
実際の大和型の性能は1.4tの砲弾を撃ち出す46cm主砲とその主砲に過剰に耐えられる主要部装甲を持ち、ヴァンガードの性能では対抗困難と言うオチが付いたが。
しかしヴァンガードの場合は本当に戦争を経験したことがない、「戦争を知らない子供たち*4」ならぬ「戦争を知らない戦艦」となってしまった。
「先鋒」という名前の意味を考えるとこれほど皮肉なこともない。
しかも大戦中に航空機が異常なスピードで発達した為に既に戦艦の居場所はなく、
さらに大戦後はイギリスがかつての植民地のほとんどを失い、経済力も衰え、世界の警察としての役割をアメリカ合衆国に引き渡したため、例え戦争や紛争があってもロイヤルネイビーが活躍するようなことはほとんどなかった。
実際、アメリカ海軍では大戦後もアイオワ級戦艦が、朝鮮戦争やベトナム戦争やレバノン内戦、そして90年の湾岸戦争にまで参加。地上砲をはるかに凌駕する火力を、しかも移動して撃ち込めることから、対地上攻撃において絶大な成果を上げており、戦艦が活躍する余地が全くなかった、とまでは言えない。
それでもヴァンガードにはお呼びが掛からなかった。1950年勃発の朝鮮戦争は、まだヴァンガードが現役だったにも関わらず、である。
ヴァンガードの存在は、名目上は本国艦隊の旗艦であったが、実情は衰退の道をひた走る大英帝国の姿を覆い隠す為のシンボルでしかなかった。
その後は長らく名前だけの本国艦隊旗艦として、そして御召艦として英国王室を諸外国まで乗せつつ1954年まで現役であったが、56年に予備役入りして練習戦艦になり、1960年8月9日にスクラップとして解体、その生涯を終えた。
考え方にもよるが、戦いを知らないまま解体された彼女はある意味幸せだったのかもしれない。
同型艦
ヴァンガード級戦艦はヴァンガード一隻で同型艦は無いが、R級の主砲を流用した建造計画は存在した。
40年度に2隻、41年度に1隻、42年度に1隻の4隻の計画だったのだが、実現しなかった。
余談
1960年に公開された映画『ビスマルク号を撃沈せよ!(原題:Sink the Bismarck!)」』にて戦艦ビスマルクをはじめとする艦上、艦内のシーンは当時現役だったヴァンガードで撮影が行われた。
まさかかつての仮想敵、それも大戦後全く活躍しなかった自分が大戦中に大活躍した名戦艦を銀幕の中で演じることになろうとはヴァンガードも思わなかっただろう。歴史とは皮肉なものである。
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▷ コメント欄
- 後部主砲の揚弾装置が共用なせいで実質6門艦。戦後何故かコレと改ライオン級を量産する計画が立ち上がったと聞くが‥? -- 名無しさん (2015-08-14 18:12:41)
- 一応積もうと思えば16inchを詰めるらしいが肝心の主砲が無かったという -- 名無しさん (2015-11-13 08:02:24)
- 改良されたとはいえ旧式の15in Mark1砲だが、QE級二番艦ウォースパイトが誇る対水上艦のロングショットレコードなど、割ととんでもない傑作砲である。・・・ネルソン級やKGV級のが残念極まりないってのも事実だがな!? -- 名無しさん (2016-03-11 08:09:42)
- 急造とはいえ艦橋のデザインが酷すぎると思う -- 名無しさん (2016-05-04 11:32:23)
- なんか・・・急造艦とはいえ性能微妙じゃね?英海軍の戦艦では優れていても他国と比べると特出した部分がない気がするんだが -- 名無しさん (2016-09-22 15:01:21)
- そもそも戦艦は急造するようなもんじゃない。それができるのはアメリカだけだ -- 名無しさん (2016-09-25 21:47:24)
- 最後はスクラップか。戦争に引っ張り出され無かった分消耗も少なかったろうから、せめて博物館とか展示用にのこしておけなかったんだろうか。 -- 名無しさん (2017-06-08 15:03:07)
- ↑武勲を残した艦ならともかく、まったく活躍できなかった艦じゃ国民の思い入れもないし、博物館にするにしても人が集まらんだろう -- 名無しさん (2019-11-25 09:32:35)
- ↑2つ ものすごくな亀レスだが、英国史上屈指の武勲艦ウォースパイトですら「んなもん修復も保存もする金ねーよ」で解体されちまった訳だからなぁ。……せめてフォークランド紛争まで取っとけば活躍できたかと思ったが、流石に艦齢30年超えはキツいか -- 名無しさん (2022-11-07 04:03:32)
- ↑4 それ言うとWW2勃発後(1939.09〜)に起工して、戦中に竣工させたアイオワ級4隻がおかしなレベルと言えるな -- 名無しさん (2022-11-07 04:25:52)
- しかもアイオワ級は90年代初頭まで活動してた上に四隻全艦が記念艦として現存してるっつーね。……やっぱやべーわあの国 -- 名無しさん (2022-11-07 18:59:43)
- 架空戦記でもヴァンガードが出てくるような時代ではすでに超大和型戦艦やモンタナ級が暴れてるからほとんど出番が無い。てかイギリス海軍を活躍させるならライオン級を作ったほうが絵になるしねえ -- 名無しさん (2023-05-31 14:37:19)
#comment
*2 英軍の見解は「40.8kgまでならば人力で速射が可能」という間違ったものだった
*3 それでも不十分だったが
*4 1970年に発表された「ジローズ」のフォークソング。オリコンチャート最高11位、売上30万枚を記録し、ベトナム戦争の真っ最中に発表されたこともあって当時の日本を代表する反戦歌として人々に歌われた。
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