0406 地獄へようこそ

ページ名:0406 地獄へようこそ

0406

 共和国の厚労省は中々攻めの立場だ。
 偽の医療情報には徹底論戦して、合理的な証拠を出せないもの、エビデンスに不正があれば即時発禁処分。
 SNSやWebサイトに情報を載せた場合、即時に「偽の医療情報である」と言う情報で上書き。
 発信者にはデジタルタトゥが施されて、偽の医療情報を広めたという履歴が、いつでも誰でも参照可能になる。
 定説を逸脱する方法で、且つ、明らかに患者に毒になる治療法を実施した医師は、医師法違反で逮捕され、傷害罪で収監。
 毒にも薬にもならない方法に関しては、点数の非常に低い方法として保険適用にする。
 これらの通報や検証を行う医師には手厚い報酬を支払う。
 外国に出てまで"特別な"治療法を試そうと試みる金持ちにはわざわざカウンセリングを行うと言う念の入れようである。

 各種のワクチン接種率を上げるために、宝くじ方式を適用する。
 低い副作用の危険性を信じるのであれば、宝くじの低い可能性も信じるというナッジである。
 ワクチン懐疑論に対しても当然論戦を展開し、反論できない人には転向を促す。
 転向しない人は当然、SNSでの発信や個人の信頼性に対する情報の開示が行われる。

 人権の侵害だと言われる。
 まぁそれはそうだろう。
 だが、偽の医療情報で人が死んだり窮地に追い込まれたり、はたまた人生に必要なお金を吸い取られるという悪に対しては人権は部分的に停止されるべきという見方がある。
 "誰か"を収監したり行動監視するのは、人権の侵害だが、犯罪者やこれからも犯罪を行う蓋然性のある人間の行動の制限は、一般的に認められるべきだと言うのが政府の見解である。

 しかし、そう言う方法が何処まで適用されるかは不透明だ。
 さる政党は、党員や代議士の発言や交流を集計され、かつてのテロルを肯定していると判断れた。結果、破壊活動防止法に於いて結党を禁止されるに至った。
 かつての構成員が結集する組織が作られる度に特別強襲部隊が突入するという事態に陥る。

 政府としては――
 ある表現が明確に犯罪に結びつく。例えばある種の性的表現が犯罪率を上昇させる根拠があるのならば、それは確実に制限しなければならない。
 そこで重要なのはその根拠と科学的検証だ。
 ある種の思想を標榜したテロ組織がかつて何度もテロルを行った事実は、再現性があると言える。
 逆にある性犯罪者の家から、"漫画"が出てきたとして、それは犯罪者の殆どがパンを食べた事があるという程度の意味を成すだろうか? 勿論、特定の漫画が特異的に見つかり、その思想に沿った犯行であると合理的に言えるのであれば別の話だが。

 我々政府は世界の何処よりも表現の自由を認めていると自負している。
 児童性愛もそれが漫画やアニメの中で満足するならば結構だし、宗教的作品でもその教義が平和と平等に根ざしているのであれば好きに発表していいだろう。
 政治的立場もそれぞれであるので、現在の政府を批判する発言も嘘偽りがなければ真摯に対応する用意がある。
 しかし、虚言と暴力によって誰かの生命健康財産自由を脅かすような方策に関しては断固として対処するし、そのような方法を反省しない人の行動は制限されるべきだと考えている。

 善良な国民の殆どの方々は、そのような恥ずべき行為とは縁遠い存在であるし、このような方々が彼等の被害者になるのは避けなければならない。
 それ故に我々は犯罪者を最後まで赦さないのである。
 反省して戴けるのであれば結構。ただし、反省の態度さえも偽る人間には容赦しない。それだけのことだ。
 現時点でもなお赦されない人は、それに値するだけの嘘と偽りで人生を固めてきた人々である。
 ――政府はこのように述べて、思想弾圧などではないと言っているのだ。

 この国が表現の自由を謳歌しているのは、自らの意志で目に入る情報を取捨選択できるからだ。
 基礎的な状態では、子供向けのコンテンツしか見られないようにフィルタリングされている。
 何を見たいかは、個別に選択する必要がある。
 逆を言えば、見たいと選択した以上、「見たくなかった」とか「ゾーニングしろ」と発言することが出来なくなる。
 エロもグロもロリも政治的意見も、見たくない人は見なくていい。ただ、見ないと言う選択をした人は発言権がない。

 街での情報はずっと大人しい。
 逆を言えば、公の掲載を認められるようなものは――政府の制限が掛かっていると言える。
 広告に関しては、定期的に政府に指導が入るようになっている。
 何か問題のある広告は、それが広告主のビジネスの適法性からその表現に至るまで指導が入る。
 そして、その指導が重なるような代理店は、何らかのペナルティを課せられる。
 突然税務調査が入ったり、役員の軽微な犯罪が摘発されたりする。
 それを恐れて、自己検閲するようになる。

 自己検閲をさせる事こそが共和国政府が行おうとしている事である。
 しかし、これがここまで表立って批判されないのは何故だろうか?
 それは一定の政府批判を認めているからだ――否、誰かにそう言う手柄を立てさせて、政府はそれに対して素直に従うと言う事をする。

 例えば行儀の悪い役人がいたとしよう。政府はそれをすぐに"察知"する。しかし、それに対する告発は特定の野党や報道機関に任せるのだ。
 こういうリーク情報を彼等は愚直に"管理された"政府批判として行う。

 "管理されている"党の党首は声高に宣言する――
 公僕である貴方たちが守るのは、己の自尊心でも自分の立場でも声の大きな人の利権でもありません。国民の命と生活です。
 建前でもその事が理解できない人は即刻役人を辞めてください。
 公僕という言葉に誇りを感じられない人はこの国の運営には不要です。
 ――まるで不死者が言わせているようだ。

 政府に不満がある人は、そう言う細かな事件を勝利点として数えるし、政府は政府を批判する自由がある国という立場を表明できる。

 批判的な海外の団体には対抗組織を設立させたりする。
 金銭的な支援は誤魔化されているが、ほぼ確実に支援されていると考えられるのは、「報道自由を求める記者連合」とか「非軍事的闘争に憂慮する連盟」、「自由と平等を求める科学者の声」などである。
 このような組織は、登場と共に有力な記者や研究者が参加すると言う事態で、言ってみれば不死者の息の掛かった人間というだけである。
 報道の自由度ランキングだの、世界の幸福度ランキングだのに対する反論と、合理性の説明要求などを行うのである。

 そもそも今の時代の共和国に、新聞社だのテレビ局だのに所属する記者は少ない。
 フリーランスの記者が投稿し、その記事が有償で売買されるなり、個々の記者にスポンサーやパトロンが付く場合が多いのだ。
 スポンサーやパトロンと言われると大袈裟なものを想像されるだろうが、市民がこの記者には社会的な価値があると判断すれば、月百円から出資が出来るのだ。
 誰を支援しているかと言うのは、社会的ステータスのバロメーターにもなる。
 社会に資する記者を応援しているとなれば、それだけで社会貢献していることになる。
 社会貢献とは、自分の手を動かすか、金を出して口を出さないかの二つである。
 市民が社会や政治に参加する手段として、そのような道が用意されているのは共和国の"美点"である。

 手を動かす方も、キッチリと管理された団体が行っている。
 見た目にはそれが管理されているのか、管理されていないのか分からない。
 しかしそう言うNPOだのNGOだのは、"誰か"からの資金の流れや政治的な指示があると目されると、徹底的にマークされる。
 証拠が掴まれると、しれっと「どうするか」を訊ねられる。
 それで突っぱねれば、もう社会的死しか残されていない。
 サイレントインベーション防止法の対象になるし、そう言う人の発言は陰ながら誰にも見えないように細工される。
 誰も出版どころか印刷を受け付けてくれないので、公に自分の意見を発表できなくなる。
 これが政治家や公務員だったりしたら、三十年の公職追放が訪れる。これに機密漏洩なんてあった日には一生刑務所暮らしだ。

 サイレントインベーションの協力者の末路は悲惨だ。
 役に立たないと分かった人間に対する諸外国工作機関の処遇は厳しい。
 証拠隠滅に消されることもあれば、良いところ国内で飼い殺しだ。支援国に戻れば発言することは出来るだろうが、そんな人間の意見に耳を貸す人間などいない。
 家族も厳しい監視下に置かれて、怪しい動きがあれば別件逮捕されてしまう。

 やっていることは独裁国家のそれである。
 しかし、彼女らはそれを上手くカモフラージュしている。
 国民の為、世界の為と。
 摘発にはきっちり大義名分が乗っかってくる。
 有事の際の行動とか、第五列としての活動だのが出てきたら、それはもうテロルのような騒ぎ方になる。

 一罰百戒なのか、それとも政府の上で――或いは長命種の個人的人脈なのか――兎に角、一度何かやらかした国が、同じ挑戦を繰り返すことはない。
 否、あっても秘密裏に消されている可能性もある。

 経済的にも社会福祉的にも国民は政府を受け入れている。
 こんなにも豊かにしてくれたのに、苦しい時に助けてくれたのに、誰が国を悪く言えるのだろうか?

 ある人は言う「今住んでいる国が仮に自分に合わないとしても、自分を守り育んできた者に対する敬意と尊敬は必要だろう。
 国を愛せない人間に政治が語れるとは思えない。
 その上で、人を愛せない人間に社会を語れるとも思えない。
 問題は愛と言うのがかなり身勝手な定義で使われているということだ」
 この発言のイロについて、発言者は何も語らない。
 だが、この国の複雑さを教えてくれる。

 長命種は「内部的には反目し合っている」と言うテイで行動している演出をしている。
 演出と言えるのは、それが不利な状況に働くことはないからだ。上手い具合に合意に達して、発展的な結論が出ている。
 よく、不死者の誰それと誰それは仲が悪いという噂話があるが、話半分にしておくべきだろう。
 そう言う無意味な噂話を共和国は歓迎しないからだ。
 仮にそういう噂が世の中に流れたとしたら、ソレに乗っかるアホを見つけたいのか、然もなくばそう言う演出で今の政局に市民の目を向けたいかである。
 尤も、そう言うのは割と人口に膾炙していて、"季節感"を知らせているだけである。
 誰が次期大統領になるのか、誰を次期首相にするのか?

 共和国は不死者が大統領、首相は"普通の"人間がなると言う不文律がある。
 勿論、大統領選に誰が出馬してもいいが、泡沫候補と思われるのが関の山である。
 「政府がこんなに上手くいっているのに、文句を言う必要ある?」と言われるのだ。
 首相は名誉職というか、儀礼用の職業だ。
 イベントごとに駆り出されて、政治的活動にあまり価値があると見られてはいない。
 事実、法的にも政府の政策を追認する立場である。
 首相は当然議会が選ぶから、ある意味"逆のパターン"より民主的と言えるかも知れない――まぁそれ故に大統領に楯突くことなど出来ないのだが。

 「不死者って言ったって、見た目はただの子供じゃないか!」外国人は――特に日本国の人はそう言う。
 だが国内での人気は絶大だ。
 彼女達の醜聞は聞かないし、遊びと言えば、着飾ったりショッピングをしたりスポーツで汗を流す、或いはゲームをしたりライブに行ったり……ブランドで身を固めたり宝飾品を求めない。男を侍らせるなんて全くあり得ない。実に可愛いものだ。
 兎に角、金持ちの道楽と見られることがないのだ。
 そんなことは大した事ではないと言う人がいるが、そんなことほど見られがちだ。
 勿論、ソレがアリかどうかは色々とケチも付くだろう――だが、外交面で何か付き合うときはキッチリその作法には則っている。
 "上流"の作法は知っているけど、それを押し付けない態度は民衆には好感度が高い。

 しかも、初代大統領である鏡島姫は六年(大統領は一期三年、二期までと憲法で決まっている)の大統領任期が切れると、街のお花屋さんで働き始めたりする。
 警護に不死者が一人、一緒に働くという形で付いているが、市民の近くで市民の生活をする不死者――庶民感覚がどうこうと言われて、「貴様の方があるのか?」と言えるぐらいの経験をするのだ。
 それが上手いと見たのか、続く大統領もその作法に倣い、事務員だの料理人だのになったりする。

 大統領に限らず、何か"長"と名の付くものは、法的に任期が決まってなくても、彼女らはその責任を降りる。
 曰く、長く続けていれば腐敗すると言う。
 こんなのは寿命がないから言える余裕だと笑う人もいるが、そんな人が、何か責任ある立場を長く続けていていい顔をされる事はない。
 結果として、長命種を除くと議会の年齢は若いままだ。

 あと、これも普通の人から嫌がられるだろう行動なのだが――"解決すべきと判断した"紛争があれば真っ先に最前線に行くのだ。
 これは「不死者がツバ付けてるぞ」と言う意味でもかなり絶大な効果を生むのだが、国内に向けては「苦難から逃げず、恐怖にも打ち勝つ」と言うアピールになる。
 「どーせ死なないから出来るんだろう」と言う事は出来るけど、「貴方が危険を冒さないで済む為の言い訳でしょ?」と言われるのがオチである。

 こういう理由から、実績がある以外にも彼女達が好かれ支持される理由がある。
 いくら外野が「独裁だ」と叫んでも届かないわけである。
 「お洒落独裁国家」と言う皮肉は、割と国内では好かれていて、"独裁"と言うモノに対する一定の理解がある。その上で「上手くやっていて俺たちは幸せなのだから、それを否定する理由が何処にある?」と言う理解が殆どだ。
 これは海外の共和国に否定的なメディアが行った調査だから目も当てられない――勿論、そのメディアは国民が洗脳されているという文脈で批判していたわけだが。

 かつて共和国と日本国が一緒だった頃に言われていたぼやきを思い出す。

 例えば世の中がとても良くなって、マトモな候補が増えたとしても「完璧」な候補なんて絶対に出てこない。だから「ダメを外す」選択は普遍的通用する選挙民の心構えだと思うんだ。
 仮に「この人だから絶対いい」なんて選挙あったら、もうそれはそれで地獄でしょ。

 そう、地獄へようこそ。
 

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