「足利家」を含むwiki一覧 - 3ページ

足利頼氏 - 日本通信百科事典

)・貞遠の父。↑ 頼助(頼宝法印)・尊宝(僧侶)・仲義・覚宝(僧侶)・氏義の父。↑ 兼氏の父、重氏の祖父、俊氏の曾祖父。↑ 又従兄である古河足利家(古河公方)の当主の足利義氏の娘で、亡兄の国朝の正室であった。↑ 泰経の父、仲泰の祖父。↑ 頼勝の弟、上山満長・東根頼高・鷹巣頼種の兄

里見家氏 - 日本通信百科事典

源氏)流源姓里見氏一門の武将。約2名ほど存在する。里見家氏 (惣領家) : 通称は堀内太郎。里見家基の子。『結城の戦い』で、足利公方家(鎌倉足利家)の足利持氏に従いたために、将軍の足利義教の命を受けた関東管領の上杉憲実に敗北して、自邸で父とともに火を放って自刃を遂げた。こうして、

足利貞氏 - 日本通信百科事典

足利 貞氏(あしかが さだうじ)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。足利貞氏 (讃岐守) : 足利家時(義忠/義忍禅師)と常盤時茂(北条得宗家一門極楽寺氏流)の娘との間の子、岩松政経室の兄、高義[1]・尊氏(高氏)[2]・直義(高国/忠義

足利義親 - 日本通信百科事典

平島義佐(義任)の兄、義啓(よしひら)の父。山名明豊 : 後に義親と改名する。山名氏(上野源氏/因幡源氏)一門。脚注[]↑ 族祖父である古河足利家(古河公方)の当主の足利義氏の娘で、伯父の国朝の正室であった。↑ 2.02.1 両人とも嗣子がなく、同族である上総宮原氏こと源姓宮原氏

足利義高 - 日本通信百科事典

下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。足利義澄 : 初名は義高、法名は義遐/義尊[1]。足利将軍家一門で、室町幕府の第11代目将軍。堀越足利家(堀越公方)の当主の足利義知(政知)の子、義綱(政綱/茶々丸)[2]・潤童王丸(政氏)の兄、義賢(義維/義冬)・義晴(義綱)の父。斯波