「嗣子」を含むwiki一覧 - 10ページ

石橋氏_(美濃国) - 日本通信百科事典

石橋冠者)もそのひとりであるが、その子の盛宗・盛俊父子が美濃国に逃れて、石橋氏と称した。以降の石橋氏に関しての動向が不詳であるが、鎌倉時代に嗣子がなく断絶したようである。歴代当主[]源義綱源義仲(石橋冠者)石橋盛宗石橋盛俊石橋盛重 : 盛俊の子、家盛[3]の弟。石橋義盛 : 盛重

相模源氏 - 日本通信百科事典

義継(時元の子)・義泰(義継の子)・頼為(義泰の子)・頼基(頼為の子)・頼房(頼基の子)・頼直(頼房の子)と、南北朝時代まで続いたが、頼直に嗣子がなく、断絶した。大和氏 : 盛義流信濃平賀氏(信濃源氏)の系統である小早川景平を祖とする源姓小早川氏(安芸源氏)一門の備後杉原氏の庶家

相馬行胤 - 日本通信百科事典

)・胤重・有胤・師胤(重胤の父)・胤朝・胤実・胤門の弟。↑藤原北家山蔭流浮島氏の当主である龍玄入道こと浮島師清(藤原国豊・清名父子の後裔)が嗣子の盛清に先立たれたことでその婿養子なり、奥州木幡氏の祖となった(『衆臣家譜』)。関連項目[]千葉行胤奥州奥山氏この記事は 『相馬行胤』

白石氏 - 日本通信百科事典

子の刈田経元[1]を祖とする。陸奥国刈田郡白石郷[2]を拠点とした。玄孫の秀長[3]の代に、白石氏(白石刈田家)と改称した。秀長の孫の長俊に嗣子がなく、伊達氏から宗弘(伊達政依の子)を婿養子に迎えて、男系は断絶した。同族に奥州藤原氏があった。登米伊達家 : 上記の伊達宗弘を祖とす

田中氏_(上野国) - 日本通信百科事典

[3]に仕えたり、上野田中氏は四散し、戦国時代初期になると三河国に移住して、三河酒井氏の仲介で遠縁筋の松平氏(徳川氏)に仕えたが、家房の代で嗣子がなく、ついに上野田中氏は断絶した。歴代当主[]田中義清 : 里見義成の弟、中里見義雅(政氏)[4]の兄。田中重政田中重経田中経村 :

由良氏 - 日本通信百科事典

国繁(宗悦入道)は今まで敵対した足利氏(下野源氏)一門の新田岩松家(上野源氏)に仕えた。戦国時代初期に新田岩松家と対決した義興の玄孫の義明が嗣子がなく、逝去して新田氏惣領家が断絶すると、国繁の曾孫の泰繁[4]は次第に勢力を蓄えて主君の岩松昌純[5]を弑して、その基盤である金山城(

甲斐源氏 - 日本通信百科事典

徳川家(徳川将軍家)流甲府徳川家一門。甲府藩主・徳川綱重の子で、松平綱豊(徳川家宣)の弟の松平清武[6]を祖とする。しかし、清武の子の清方に嗣子がなく、同族である名古屋徳川家一門の松平義行の子の松平武雅(行高)を養子に迎えた。以降からは水戸徳川家(常陸源氏)など同族から養子を迎え

サイドシナリオ 第二地区 - 大N市wiki

ラックアウト』(GM:アスハル)セッションログ第12話『なみかぜ荘、北へ』(GM:里村)セッションログ第13話『なみかぜワイバーン』(GM:嗣子 ほか)本編雑談第14話『ハーフタイム・ショウ #4 おもいでの底』(GM:里村)セッションログ第15話『ハーフタイム・ショウ #5 お