初代 東京都庁舎ってどんな建物?丹下健三の名建築を解説

ページ名:初代 東京都庁舎ってどんな建物?丹下健三の名建築を解説

東京のランドマークのひとつとして有名な「東京都庁舎」。現在の新宿にある超高層ビルを思い浮かべる方が多いと思いますが、実はその前に使われていた“初代”の東京都庁舎があるのをご存じですか?

今回は、建築好きの間で「名作」と呼ばれるこの初代都庁舎について、建築に詳しくない方でもわかるように、やさしく解説していきます!

初代・東京都庁舎ってどこにあったの?

初代・東京都庁舎は、現在の千代田区丸の内、日比谷公園のすぐ近くにありました。最寄り駅は霞が関や日比谷。現在その場所には、「東京国際フォーラム」が建っています。

この建物が完成したのは1957年(昭和32年)。日本が戦後の復興を進める中で、「未来の東京」を象徴するような役割を担う建物として誕生しました。

設計者はあの有名な建築家、丹下健三!

初代都庁舎の設計を担当したのは、日本を代表する建築家・丹下健三(たんげ けんぞう)

丹下健三といえば、「広島平和記念公園」や「国立代々木競技場」で知られる、日本モダニズム建築のパイオニアです。

彼の建築は、ただ美しいだけでなく、「その時代の日本をどう表現するか」という哲学が根底にあるのが特徴。この初代都庁舎も、まさにそんな“時代の精神”を体現した建築物でした。

建物の特徴①:シンプルだけど力強い外観

初代都庁舎の外観は、一言でいうと「重厚感とモダンさの融合」。

グレーのコンクリートをベースにした直線的なデザインは、一見すると地味に見えるかもしれませんが、近づいて見ると繊細なディテールとバランス感覚に驚かされます。

建物は6階建てで、左右対称の構成。中央に玄関とピロティがあり、その上に庁議室が乗るような構造になっていました。まるで日本の城のような、「重心の低い安定感」が特徴です。

建物の特徴②:日本的要素とモダニズムの融合

丹下健三が得意としたのが、西洋のモダン建築と日本の伝統美の融合

初代都庁舎にもそれが随所に見られます。たとえば、建物の「水平ラインの強調」や「軒の出」などは、伝統的な日本建築に通じるものがあります。

また、建物の正面には、石でできた重厚な庇(ひさし)があり、これが建物全体に落ち着いた雰囲気を与えていました。

建物の特徴③:市民に開かれた空間設計

今でこそ当たり前になっている「誰でも入れる公共施設」ですが、1950年代当時はまだ珍しい考え方でした。

丹下はこの建物を、単なる「お役所」ではなく、市民が集い、交流できる場としてデザインしています。ロビー空間や会議室は広く、市民イベントにも使われていました。

建築の力で「開かれた都政」を表現しようとした、その先見性は今でも評価されています。

なぜ今はもう見られないの?

そんな名建築だった初代都庁舎ですが、1991年に現在の新宿副都心の都庁舎に移転したことで、その役割を終えました。

その後、跡地の再開発にともない、1995年に解体されてしまいました。つまり、現在はもう実物を見ることはできません。

ただし、模型や写真、図面は今でも多く残されており、建築ファンの間では伝説的な存在として語り継がれています。

どこで見られる?残された資料・展示情報

「もう建物がないなら見に行けないの?」と思った方、ご安心を!

丹下健三の資料は、日本各地の建築ミュージアムや建築系の大学などで展示・保管されています。特におすすめは以下のスポットです。

  • 国立近現代建築資料館(東京・湯島)
    →丹下健三に関する図面や模型が常設・企画展で紹介されることがあります。

  • 東京国際フォーラム(跡地)
    →直接建物は残っていませんが、場所の雰囲気や歴史的背景を感じるには最適です。

なぜ初代都庁舎は今でも語り継がれるのか?

それは、この建物がただの行政施設ではなく、**「未来の都市像」や「市民と行政の関係」**までを考えた、時代を先取りする建築だったからです。

シンプルでありながら哲学がある。モダンでありながら日本的。そんな矛盾を、美しくまとめ上げた丹下健三の力量が、今なお評価され続けています。

まとめ

建築は、「現物を見てなんぼ」な世界ですが、失われた名建築にも、現地に行くことで感じられる空気があります。

初代・東京都庁舎があった場所、東京国際フォーラムの周辺を歩いてみれば、きっと当時の都市像や丹下健三の思想に、少しだけ触れられるはずです。

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