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移冠(いかん)とは、発話が話者の存在を前提するものであるという日常的かつ無意識的な直観を揶揄した表現である。
任意の言表には、言表行為の主体としての話者の存在が前提されている。このことはほぼいかなる状況にあっても自明であるが、それゆえに主体にとってはある種の暴力として働く。すなわち、発話したことによって、その発話の内容の正当性や信頼性、文体の一貫性を維持・担保する責任を話者は無条件に負うことになる。
移冠は、言い換えると話者への話者認定である。しかし単なる話者認定ではなく、そこには責任追及がある。しかも単に責任を負わせるだけでなく、倫理的に「発言者が発言の責任を負うべき」とする大義名分の庇護のもとで、あたかも自然に、暗黙的に話者に対して負荷をかける。
「移冠」という語は、「移管」を捩ったものである。本性上、言表内容の解釈や言表行為の目的の解釈、あらゆる解釈という解釈は、解釈者に一任されているはずである(このことは、すべての最終決定権をもつ王権に喩えることができる)。発言の意味や意図は、常に象徴的他者によって解釈され、主体の意図にかかわらず誤解されうるという危険を孕んでいる(シニフィエに対するシニフィアンの優位とはこのことである)。したがってこの構造からすると、本来であれば、解釈内容の整合性や一貫性は解釈者側がその責任を負い、管理するべきである。しかし一般にはそうはなっておらず、その管理責任はなぜか話者の方に投射され、無理矢理に委ねられている。このことを比喩的に「冠を移す」と表現したのがこの語である。
このように不条理性を際立たせるネガティブな含みをもった用語であるが、一方で発言者に発言の責任を課すことは、その発言者を一つの人格をもった主体として尊重することに繋がる。言い換えると、発話を話者という主体に帰属させることは、そのまま話者の主体化を促し、結果として話者みずからが意志を持った主体としての自認(個体意識ないし個人主義)を確立することになる。現代において、人間を人間扱いしないことは非倫理的であるとされ、この観点を以て考えれば、移冠とは人間が健全な文化を構成するための条件の一つであるとも言える。
移冠があくまでわれわれの自然的態度による先入見であることが意識されると、移冠が行われない文化というものも考えることができるようになる。
例えばクレリカでは、文という統語論的単位もなければ、発話という単位も意味をなさないとされているが、このことはそのまま、移冠が行われない、つまり個体としての話者という概念がない、ということと同義であると言える(ただし自意識や人格といった概念がいかなる意味においても存在しないわけではない)。
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