画図百鬼夜行

ページ名:画図百鬼夜行

登録日:2018/07/23 Mon 21:23:18
更新日:2024/03/21 Thu 11:33:06NEW!
所要時間:約 40 分で読めます



タグ一覧
画図百鬼夜行 百鬼夜行シリーズ 妖怪シリーズ アニヲタ妖怪シリーズ 妖怪絵巻 妖怪画 妖怪図鑑 鳥山石燕 水木しげる 京極夏彦 江戸時代 百鬼夜行 夢心におもひぬ 百怪図鑑



■画図百鬼夜行*1


『画図百鬼夜行』は、江戸時代中期に生まれた画家、狂歌師である鳥山石燕による妖怪画集である。


鳥山石燕(一七一二~一七八八)
本名は「佐野豊房」。


狩野派の画家であったが、画家となったのは四十台に入ってからで、裕福な家に生まれた男の隠居仕事として絵を始めたらしいと考えられている。


家は代々将軍家に仕える茶坊主であったらしく、石燕も自らと思われる人物を禿頭で描いている。
茶坊主の役職*2からも解るように、非常な知識人にして洒落者であったようで、その知識とユーモアは妖怪画にもふんだんに活かされている。
寧ろ妖怪絵を描きたくて隠居の後に画家となり、わざわざ妖怪絵の“元祖”である狩野派に学んだ、とまで言われている。
高名な弟子には美人画で知られる喜多川歌麿や戯作者として物語も絵も描いた恋川春町の他、栄松斎長喜、歌川豊春、といった面々が居るとされる。
石燕自身も御用絵師*3でもあったとも言われるが詳しいことは判っていない。
とにかく、妖怪画を描いたことで有名な人物である。


自らの墓をわざと江戸城本丸の正確な鬼門の位置にする等、知識人だけに迷信を嘲るような逸話もある。


シリーズ本として『今昔画図続百鬼』『今昔百鬼拾遺』『百器徒然袋』があり、四シリーズ各三巻十二冊が刊行されている。
版を重ねるばかりか続編までもが描かれたことからも解るように、化物好きの江戸市井の人々に受け入れられて、中々のヒット作となったシリーズだったらしい。
本項目ではシリーズ全十二冊に紹介されている妖怪の名を挙げる。


現代人が水木しげるで妖怪を知ったように、江戸の人々も鳥山石燕で妖怪を知ったのかもしれない。
事実、石燕が庶民向けに描くまでは、化物絵も様々な故事や説話の類も知識人でも無ければ知る由も無いものも多かったようである。


単色刷りながら、スクリーントーンの如く薄墨を使ったグラデーションも美しいが、この技術は石燕自らが考案して伝わった物だという。(これが「拭きぼかし」の技法か。)
優れた画力に支えられた斬新な構図もさることながら、表現に対する並々ならぬ欲求があったことが伺える。



最初に出された『画図百鬼夜行』で取り上げた妖怪は、狩野派に伝わる伝統的な化物絵を倣って描いた物もあるらしい。
そもそも妖怪画というジャンルを始めたのは、狩野派の第二代“古法眼”元信が最初と言われている。
『百鬼夜行絵巻』を描いた土佐光信も元信に学び、姻戚関係になったともされ、妖怪画のルーツは正に狩野派にあると云えるのである。
知識人の石燕がそれを知らぬ訳がなく、妖怪画を描くために狩野派の門徒となったのも自然の流れだったといえる。


また、石燕と同年代を生きた絵師に佐脇嵩之がおり、彼は石燕が画家となるより遥か以前の一七三七年に『百怪図巻』というフルカラーの妖怪絵巻物を発表している。
この図巻の絵は、現在でも石燕の妖怪画と共に、水木しげるのアレンジ以前の妖怪のルーツの姿として紹介されることの多い絵である。


この図巻には「本書、古法眼元信筆 阿部周防守正長写 元文第二丁巳冬日 佐嵩指写」と書かれており、古法眼元信=狩野元信の描いた絵巻の模写であると云う断りがされている。
この、元信の描いた絵巻というのが石燕が狩野派に入門してまで参考にした妖怪画であると思われ、これは狩野派の絵師の手習いの為の手本の一つだったらしい。
この絵巻を元にしたと思われる作例は他にもあり、それらは『化物づくし(絵巻)』や『妖怪絵巻』のタイトルが付けられている。
これらに描かれた約三十体程の化物に、更に百以上もの妖怪を付け加えたのが石燕だったというわけである。


この他、能の謡曲の題材となっていた有名な化物譚や中国由来の故事等から初めて石燕が絵に起こした物もある。


特に、石燕が初めて描いた妖怪というのはシリーズが進む毎に多くなり、それどころか十二冊で二百数体に及ぶ化物絵の内、少なくとも三分の一程は由来その物から石燕が創作した妖怪だという。


例えば百々目鬼の様に現代では創作の世界でも有名となった妖怪も、元は石燕が女スリをキーワードに挙げられる言葉を連想ゲームの様に組み合わせて作った、謂わば駄洒落であった。

女スリ=盗み癖のある女は手長=腕が長いという俗説があった。銭を盗んで鳥目が生じる=鳥目は銭の隠語であり、同じく銭の隠語である御足から、盗みがバレて、腕に目の付く手罹りが人目に晒され、足が付くの意味。更に目が多い=弱り目に祟り目で、直ぐに足を洗った方がいいという教訓をも込められていると読み取れるのだという。なお「どどめきは東都の地名ともいふ」の一節は俵藤太の鬼退治にちなむ宇都宮の地名、百目鬼(どうめき)が元ではないか、とされるので、だとしたら「どどめき」という名前自体も地名をもじった駄洒落となる。


その、石燕の駄洒落の凝りようとデザインワークスの見事さは、後年に於いて妖怪の由来を調べる好事家達にこれも駄洒落かい、とばかりに苦笑されてしまうことこそあるものの、現代に於いては水木しげるの手により、かの『ゲゲゲの鬼太郎』の中でキャラクターとして甦り、数百年の時を経ても尚も愛され続けている。
中でも『百器徒然袋』にまで来ると、伝統的な妖怪の姿は殆どが消え、石燕が『徒然草』のパロディとして描いた付喪神ばかりとなる程である。


石燕の描いた妖怪画は現代の漫画の如く、細かな背景にまで気を配っているのが特徴で、これは『桃山人夜話』の構図にも影響を与えている。
しかし、背景にまで細かなネタを仕込んでいるのは石燕の独壇場で、そこまで読み取れた人間は決して多くはなかったようである。


この他としては“生霊”に“死霊”に“幽霊”を明確に別の物としていたり、中国の四凶の一つである“窮奇”を“かまいたち”の当て字に使う等、それまでの通例には無かった独特の分類や、石燕が初めて提示するか、違うにしても定着させるきっかけとなったであろう区別や読み方をさせた物もある。
これらも、豊富な知識を持つ石燕だからこそ分けられたり付けられたものであるらしく、この方面でも活発な論議が交わされている。*4


後年の絵付きの妖怪説話集『桃山人夜話』も石燕の『百鬼夜行』シリーズを倣って描かれたと言われる物であり、この『百鬼夜行』シリーズと、その元となった『化物絵巻』に『桃山人夜話』と、水木しげる自身が描き起こした、或いは誕生させたモノ達こそが、現在で我々が妖怪と呼ぶモノの大凡の姿なのである。



【画図百鬼夜行】



木魅こだま

百年の樹には神ありてかたちをあらはすといふ。


天狗てんぐ


幽谷響やまびこ


やまわらわ


山姥やまうば


いぬがみ
しらちご


ねこまた


河童かっぱ

川太郎ともいふ。


かわうそ


あかなめ


たぬき


かまいたち


あみきり*5


きつね



じょろうぐも


てん


そうげん

洛外西院の南、壬生寺のほとりにあり。俗これを朱雀の宗源火といふ。


釣瓶つるべ


■ふらり


うば

河内国にありといふ。


火車かしゃ


鳴屋やなり


姑獲鳥うぶめ


うみ座頭ざとう


野寺のでらぼう


たかじょ



鉄鼠てっそ

頼豪の霊鼠と化と、世にしる所也。


くろづか

奥州安達原にありし鬼。古歌にもきこゆ。


飛頭ろくろくび


さかばしら


まくらがえし


ゆきおんな


いきりょう


りょう


ゆうれい



見越みこし


■しょうけら


■ひょうすべ


■わいら


■おとろし*6


ぬりぼとけ


ぬれおんな


■ぬらりひょん


元興寺がごぜ


うに*7


あお坊主ぼうず*8


赤舌あかした


■ぬっぺっぽう


うしおに


■うわん


【今昔画図続百鬼】



おうまがとき

黄昏をいふ。百魅の生ずる時なり。世俗小児を外に出すことを禁む。一説に王莽時とかけり。これは王莽前漢の時を奪ひしかど、程なく後漢の代となりし故、昼夜のさかひを両漢の間に比してかくいふならん。


おに

世に丑寅の方を鬼門といふ。今鬼の形を画くには、頭に牛角をいたゞき腰に虎皮をまとふ。是丑と寅との二つを合せて、この形をなせりといへり。


さんせい

もろこし安国県に山鬼あり。人の如くにして一足なり。伐木人の持てる塩をぬすみ、石蟹を炙りくらふと、永嘉記に見えたり。


ひでりがみ

一名を旱母といふ。もろこし剛山にすめり。その状、人面にして獣身なり。手一つ足一つにして走る事、風の如し。凡此神出る時は旱して雨ふる事なし。


すい*9

水虎はかたち小児のごとし。甲は鯪鯉のごとく、膝頭虎の爪に似たり。もろこし涑水の辺にすみて、つねに沙の上に甲を曝すといへり。


さとり

飛騨美濃の深山に玃あり。山人呼で覚と名づく。色黒く毛長くして、よく人の言をなし、よく人の意を察す。あへて人の害をなさず。人これを殺さんとすれば、先その意をさとりてにげ去と云。


しゅてん童子どうじ

大江山いく野の道に行かふ人の財宝を掠とりて、積たくはふる事山のごとし。輟耕録にいはゆる鬼賊の類なり。むくつけき鬼の肘を枕とし、みめよき女にしやくをとらせ、自ら大盃をかたぶけて楽めり。されどわら髪に緋の袴はきたるこそやさしき鬼の心なれ。末世に及んで白衣の化物出と聖教にも侍るをや。


はしひめ

橋姫の社は山城の国宇治橋にあり。橋姫かほかたにいたりて醜し。故に配偶なし。ひとりやもめなる事をうらみ、人の縁辺を妬給ふと云。


はんにゃ

般若は経の名にして苦海をわたる慈航とす。しかるにねためる女の鬼となりしを般若面といふ事は、葵の上の謡に、六条のみやす所の怨霊行者の経を読誦するをきゝて、あらおそろしのはんにや声やといへるより転じて、かくは称せしにや。


てらつつき

物部大連守屋は仏法をこのまず、厩戸皇子のためにほろぼさる。その霊一つの鳥となりて、堂塔伽藍を毀たんとす。これを名づけて、てらつゝきといふとかや。


にゅうないすずめ

藤原実方奥州に左遷せらる。その一念雀と化して大内に入り、台盤所の飯を啄しとかや。是を入内雀と云。


たまものまえ

瑯邪代酔に古今事物考を引て云。商の妲巳(己)は狐の精なり云々。その精本朝にわたりて玉藻前となり、帝王のおそばをけがせしとなん。すべて淫声美色の人を惑す事、狐狸よりもはなはだし。


おさかべ

長壁は古城にすむ妖怪なり。姫路におさかべ赤手拭とは童もよくしる所なり。


うしのときまいり

丑時まいりは胸に一つの鏡をかくし、頭に二つの燭を点じ、丑みつの比神社にまうでゝ杉の梢に釘うつとかや。はかなき女の嫉妬より起りて人を失ひ身をうしなふ。人を呪咀ば穴二つほれとはよき近き譬ならん。




不知火しらぬい

筑紫の海にもゆる火ありて、景光天皇の麻船を迎しとかや。されぱ歌にもしらぬひのつくしとつゞけたり。


戦場せんじょうのひ

一将功なりて万骨かれし枯野には、燐火とて火のもゆる事あり。是は血のこぼれたる跡よりもえ出る火なりといへり。


あおさぎのひ

青鷺の年を経しは、夜飛ときはかならず其羽ひかるもの也。目の光に映じ觜とがりてすさまじきと也。


ちょうちん

田舎などに提灯火とて畔道に火のもゆる事あり。名にしおふ夜の殿の下部のもてる提灯にや。


はか

去るものは日々にうとく、生ずるものは日々にしたし。古きつかは犁れて田となり、しるしの松は薪となりても、五輪のかたちありありと陰火のもゆる事あるはいかなる執着の心ならんかし。


火消ひけしばば

それ火は陽気なり。妖は陰気なり。うば玉の夜のくらきには、陰気の陽気にかつ時なれば、火消しばゞもあるべきにや。


あぶら赤子あかご

近江国大津の八町に玉のごとくの火飛行する事あり。土人云。むかし志賀の里に油をうるものあり、夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて今に迷ひの火となれるとぞ。しからば油をなむる赤子は此ものゝ再生せしにや。


片輪かたわぐるま

むかし近江国甲賀郡によなよな大路を車のきしる音しけり。ある人戸のすき間よりさしのぞき見るうちに、ねやにありし小児いづかたへゆきしか見えず。せんかたなくてかくなん、--つみとがわれにこそあれ小車のやるかたわかぬ子をばかくしそ。その夜女のこゑにて、やさしの人かな、さらば子を火へすなりとてなげ入レける。そのゝちは人おそれてあへてみざりとしかや。


輪入道わにゅうどう

車の轂に大なる入道の首つきたるが、かた輪にてわをのれとめぐりありくあり。これをみる者魂を失ふ。此所勝母の里と紙にかきて家の出入の戸におせば、あへてちかづく事なしとぞ。


陰摩羅鬼おんもらき

蔵経の中に、初て新なる屍の気変じて陰摩羅鬼となる、と云へり。そのかたち鶴の如くして、色くろく目の光ともしびのごとく羽をふるひて鳴声たかし、と清尊録にあり。


さらかぞえ

ある家の下女十の皿を一つ井におとしたる科によりて害せられ、その亡魂よなよな井のはたにあらはれ、皿を一より九までかぞへ十をいはずして泣叫ぶいふ。此古井は播州にありとぞ。


人魂ひとだま

骨肉は土に帰し、魂気の如きはゆかざることなし。みる人速に下がへのつまをむすびて招魂の法を行ふべし。


舟幽霊ふなゆうれい

西国または北国にても、海上の風はげしく浪たかきときは、波の上に人のかたちほものおほくあらはれ、底なき柄杓にて水を汲事あり。これを舟幽霊といふ。これはわたる舟の楫をたえて、ゆくえもしらぬ魂魄の残りしなるべし。


川赤子かわあかご

山川のもくずのうちに、赤子のかたちしたるものあり。此を川赤子といふなるよし。ガワだけ太郎、川童の類ならんか。


ふる山茶つばきれい

ふる山茶の精怪しき形と化して、人をたぶらかす事ありとぞ。すべて古木は妖をなす事多し。


加牟波理入道がんばりにゅうどう

大晦日の夜、厠にゆきて、がんばり入道郭公、と唱えれば、妖怪を見ざるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠神の名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日の談なるべし。


雨降あめふり小僧こぞう

雨のかみを雨師といふ。雨ふり小僧といへるものは、めしつかはるゝ侍童にや。


日和ひよりぼう

常州の深山にあるよし。雨天の節は影みえず。日和なれば形あらはるゝと云。今婦人女子てるてる法師といふものを紙にてつくりて晴をいのるは、この霊を祭れるにや。


あお女房にょうぼう

荒たる古御所には青女房とて女官のかたちせし妖怪、ぼうぼうまゆに鉄漿くろぐろとつけて、立まふ人をうかゞふとかや。


毛倡妓けじょうろう

ある風流士うかれ女のもとにかよひけるが、高楼のれんじの前にて女の髪うちみだしたるうしろ影をみてその人かと前をみれば、額も面も一チめんに髪おひて、目はなもさらにみえざりけり。おどろきてたえいりけるとなん。


ほねおんな

これは御伽ばうこに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の燈籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪燈新話のうちに牡丹燈記とてあり。



ぬえ

鵼は深山にすめる化鳥なり。源三位頼政、頭は猿、足手は虎、尾はくちなはのごとき異物を射おとせしに、なく声の鵼に似たればとて、ぬえと名づけしならん。


以津真天いつまで

広有、いつまでいつまでと鳴し怪鳥を射し事、太平記に委し。


邪魅じゃみ

邪魅は魑魅の類なり。妖邪の悪気なるべし。


魍魎もうりょう

形三歳の小児の如し。色は赤黒し。目赤く、耳長く、髪うるはし。このんで亡者の肝を食ふと云。


むじな

貉の化る事をさをさ狐狸におとらず。ある辻堂に、年ふるむじな僧とばけて六時の勤おこたらざりしが、食後の一睡にわれを忘れて尾を出せり。


野衾のぶすま

野衾は鼯の事なり。形蝙蝠に似て、毛生ひて翅も即肉なり。四の足あれども短く爪長くして、木の実をも喰ひ、又は火焔をもくへり。


野槌のづち

野槌は草木の霊をいふ。又沙石集に見えたる野づちといへるものは、目も鼻もなき物也といへり。


土蜘蛛つちぐも

源頼光土蜘蛛を退治し給ひし事、児女のしる所也。


比々ひひ

ひゝは山中にすむ獣にして、猛獣をとりくらふ事、鷹の小鳥をとるがごとしといへり。


百々目鬼どどめき

函関外史云、ある女生れて手長くして、つねに人の銭をぬすむ。忽腕に百鳥の目を生ず。是鳥目の精也。名づけて百々目鬼と云。外史は函関以外の事をしらせる奇書也。一説にどゞめきは東都の地名といふ。


震々ぶるぶる

ぶるぶる又はぞゞ神とも臆病神ともいふ。人おそるゝ事あれば、身戦慄してぞつとする事あり。これ此神のゑりもとにつきし也。


骸骨がいこつ

慶雲法師骸骨の絵賛に、かへし見よおのが心はなに物ぞ色を見声をきくにつけても。


天井てんじょうくだり

むかし茨木童子は綱が伯母と化して破風をやぶり出、今この妖怪は美人にあらずして天井より落。世俗の諺に天井見せるといふは、かゝるおそろしきめを見する事にや。


大禿おおかぶろ

伝へ聞、彭祖は七百余歳にして猶慈童と称す。是大禿にあらずや。日本にても那智高野には頭禿に歯豁なる大禿ありと云。しからば男禿ならんか。


大首おおくび

大凡物の大なるもの皆おそるべし。いはんや雨夜の星明りに鉄漿くろぐろとつけたる女の首おそろし。なんともおろか也。


百々爺ももんじい

百々爺見未レ詳。愚按ずるに、山東に摸捫窠と称するもの、一名野襖ともいふとぞ。京師の人小児を怖しめて啼を止むるに元興寺といふ。もゝんぐはとがごしとふたつのものを合せて、もゝんぢいといふ欤。原野夜ふけてゆきゝたえ、きりとぢ風すごきとし、老夫と化して出て遊ぶ。行旅の人これに遭へば、かならず病むといへり。


金霊かねだま

金だまは金気也。唐詩に不レ貪夜識二金銀気一といへり。又論語にも富貴在レ天と見えたり。人善事をなせば天より福をあたふる事、必然の理也。


天逆毎あまのざこ

或書ニ云フ。素戔嗚尊ハ猛気胸ニ満チ、吐テ一ノ神ヲ為ス。人身獣首、鼻高ク耳長シ。大力ノ神ト雖モ、鼻ニ懸テ千里ヲ走ル。強堅ノ刀ト雖モ、噛ミ砕テ段々ト作ス。天逆毎姫ト名ヅク。天ノ逆気ヲ服シ、独身ニシテ児ヲ生ム。天ノ魔雄神ト名ヅクト云云。摸捫窩主人賛。


夫妖は徳に勝ずといへり。百鬼の闇夜に横行するは、佞人の闇主に媚びて時めくが如し。太陽のぼりて万物を照せば、君子の時を得、明君の代にあへるがごとし。


【今昔百鬼拾遺】



蜃気楼しんきろう

史記の天官書にいはく、海旁蜃気は楼台に象ると云々。蜃とは大蛤なり。海上に気をふきて、楼閣城市のかたちをなす。これを蜃気楼と名づく。又海市とも云。


燭陰しょくいん

山海経に曰、鍾山の神を燭陰といふ。身のたけ千里、そのかたち人面龍身にして赤色なりと。鍾山は北海の地なり。


人面樹にんめんじゅ

山谷にあり。その花人の首のごとし。ものいはずしてたゞ笑ふ事しきりなり。しきりにわらへば、そのまゝ落花するといふ。


人魚にんぎょ

建木の西にあり。人面にして魚身、足なし。胸より上は人にして下は魚に似たり。是氐人国の人なりともいふ。


返魂香はんごんこう

漢武帝李夫人を寵愛し給ひしに、夫人みまがり給ひしかば、思念してやまず、方士に命じて反魂香をたかしむ。夫人のすがた髣髴として烟の中にあらはる。武帝ますますかなしみ詩をつくり給ふ。是耶非耶立而望之偏娜々何再々共来遅


彭候ほうこう

千歳の木には精あり。状黒狗のごとし。尾なし。面人に似たり。又山彦とは別なり。


天狗礫てんぐつぶて

凡深山幽谷の中にて一陣の魔風おこり、山鳴谷こたへて、大石をとばす事あり。是を天狗礫と云。左伝に見えたる宋におつる七つの石もうたがふらくは是ならんかし。


道成寺鐘どうじょうじのかね

眞那古の庄司が娘、道成寺にいたり、安珍がつり鐘の中にかくれ居たるをしり蛇となり、その鐘をまとふ。この鐘とけて湯となるといふ。或曰道成寺のかねは今京都妙満寺にあり。その銘左のごとし/紀州日高郡矢田庄天武天皇勅願所道成寺治鐘勧進比丘別当法眼定秀壇那源万寿丸幷吉田源頼秀合山諸檀越男女大工山願道願小工大夫守長延暦十四年乙寅三月十一日


燈台鬼とうだいき

軽大臣遣唐使たりし時、唐人大臣に唖になる薬をのませ身を彩り頭に燈台をいたゞかしめてお燈台鬼を名づく。その子弼宰相入唐して父をたづぬ。燈台鬼涙をながし指をかみ切り血を以て詩を書して曰、我元日本華京客、汝是一家同姓人為子為爺前世契、隔山隔海変生辛経年流涙蓬蒿宿、遂日馳思蘭菊親形破他郷作灯鬼、争帰旧里寄斯身


泥田坊どろたぼう

むかし北国に翁あり。子孫のためにいさゝかの田地をかひ置て、寒暑風雨をさけず時々の耕作おこたらざりしに、この翁死してよりその子酒にふけりて農業を事とせず。はてにはこの田地を他人にうりあたへければ、夜な夜な目の一つあるくろきものいでゝ、田かへせかへせとのゝしりけり。これを泥田坊といふとぞ。


古庫裏婆こくりばば

僧の妻を梵嫂といへるよし、輟耕録に見えたり。ある山寺に七代以前の住持の愛せし梵嫂その寺の庫裏にすみゐて、檀越の米銭をかすめ、新死の屍の皮をはぎて餌食とせしとぞ。三途川の奪衣婆よりもおそろしおそろし。


白粉婆おしろいばば

紅おしろいの神を脂粉仙娘と云。おしろいばゝは此神の侍女なるべし。おそろしきもの、しはすの月夜女のけはひとむかしよりいへり。


蛇骨婆じゃこつばば

もろこし巫咸国は女丑の北にあり。右の手に青蛇をとり、左の手に赤蛇をとる人すめるとぞ、蛇骨婆は此の国の人か。或説に云、蛇塚の蛇五右衛門といへるものゝ妻なり。よりと蛇五婆と呼びしを、訛りて蛇骨婆といふと。未詳。


かげおんな

ものゝけある家には月かげに女のかげ障子などにうつると云。荘子にも罔両と景と問答せし事あり。景は人のかげ也。罔両は景のそばにある微陰なり。


倩兮けらけらおんな

楚の国宋玉が東隣に美女あり。墻にのぼりて宋玉をうかがふ。嫣然として一たび笑へば、陽城の人を惑せしとぞ。およそ美色の人情をとらかす事、古今にためし多し。けらけら女も朱唇をひるがへして多くの人をまどはせし淫婦の霊ならんか。


煙々羅えんえんら

しづか家のいぶせき蚊遣の煙むすぼゝれて、あやしきかたちをなせり。まことに羅の風にやぶれやすきがごとくなるすがたなれば、烟々羅とは名づけたらん。



紅葉狩もみじがり

余五将軍惟茂、紅葉がりの時山中にて鬼女にあひし事、謡曲にも見へて皆人のしる所なれば、こゝに贅せず。


おぼろぐるま

むかし賀茂の大路をおぼろ夜に車のきしる音しけり。出てみれば異形のもの也。車争の遺恨にや。


火前坊かぜんぼう

鳥部山の烟たちのぼりて、龍門原上に骨をうづまんとする三昧の地よりあやしき形出たれば、くはぜん坊とは名付たるならん。


簑火みのび

田舎道などによなよな火のみゆるは多くは狐火なり。この雨にきるたみのの嶋とよみし蓑より火の出しは陰中の陽気か。又は耕作に苦める百姓の脛の火なるべし。


青行燈あおあんどう

燈きえんとして又あきらかに、影憧々としてくらき時、青行燈といへるものあらはるゝ事ありと云。むかしより百物語をなすものは、青き紙にて行燈をはる也。昏夜に鬼を談ずる事なかれ。鬼を談ずれば怪いたるといへり。


あめおんな

もろこし巫山の神女は、朝には雲となり、夕には雨となるとかや。雨女もかゝる類のものなりや。


小雨坊こさめぼう

小雨坊は雨そぼふる夜、大みねかつらぎの山中に徘徊して斎料をこふとなん。


雁涯小僧がんぎこぞう

岸涯小僧は川辺に居て魚をとりくらふ。その歯の利き事やすりの如し。


■あやかし*10

西国の海上に船のかゝり居る時、ながきもの船こえて二三日もやまざる事あり。油の出る事おびたゞし。船人力をきはめて此油をくみほせば害なし。しからざれば船沈む。是あやかしのつきたる也。


鬼童きどう

鬼童丸は雪の中に牛の皮をかぶりて、頼光を市原野にうかゞふと云。


鬼一口おにひとくち

在原業平二条の后をぬすみいでゝ、あばら屋にやどれるに、鬼一口にくひけるよし、いせ物がたりに見えたり。しら玉か何ぞと人のとひし時露とこたへてきえなましものを。


蛇帯じゃたい

博物志に云、人帯をしきて眠れば蛇を夢むと云々。されば妬る女の三重の帯は、七重にまはる毒蛇ともなりぬべし。おもへどもへだつる人やかきならん身はくちなはのいふかひもなし。


小袖こそで

唐詩に、昨日施憎裙帯上断腸猶繫琵琶功絃とは妓女の亡ぬるをいためる詩にして、僧に供養せしうかれめの帯になを琵琶の糸のかゝりてありしを見て、腸をたちてかなしめる心也。すべて女ははかなき衣服調度に心をとゞめて、なき跡の小袖より手の出しをまのあたり見し人ありと云。


機尋はたひろ

はたひろはある女夫の出てかへらざるをうらみ、おりかゝれる機をたちしに、その一念はたひろあまりの蛇となりて夫の行衛をしたひしとぞ。自二君之出一矣不復理残機と唐詩にもつくれり。


大座頭おおざとう

大座頭はやれたる袴を穿、足に木履をつけ、手に杖をつきて、風雨の夜ごとに大道を徘徊す。ある人これを問て曰、いづくんかゆく。答ていはく、いつも倡家に三絃を弄すと。


火間蟲入道ひまむしにゅうどう

人生勤にあり。つとむるときは匱からずといへり。生て時に益なく、うかりうかりと間をぬすみて一生をおくるものは、死してもその霊ひまむし夜入道となりて、灯の油をねぶり、人の夜作をさまたぐるとなん。今訛りてヘマムシとよぶは、へとひと五音相通也。


殺生石せっしょうせき

殺生石は下野国那須野にあり。老狐の化する所にして、鳥獣これに触れば皆死す。応永二年乙亥正月十一日、源翁和尚これを打破すといふ。


風狸ふうり

風によりて巌をかけり木にのぼり、そのはやき事飛鳥の如し。


茂林寺釜もりんじのかま

上州茂林寺に狸あり。守霍といへる僧と化して寺に居る事七代、守霍つねに茶をたしみて茶をわかせば、たぎる事六、七日にしてやまず。人のその釜を名づけて文福と云。蓋文武火のあやまり也。文火とは縵火也。武火とは活火也。



羅城門鬼らじょうもんのおに

都良香らせうもんを過て一句を吟じて曰、気霽風梳新柳髪と。その時鬼神一句をつぎていはく、氷消波洗旧苔鬚と。渡辺綱がために腕をきられ、からきめ見たるもこの鬼神にや。


夜啼石よなきのいし

遠州佐夜の中山にあり。むかし孕婦この所にて盗賊のために害せられ、子は胎胞の内に恙なく、幸に生長してその讎を報しとかや。


芭蕉精ばしょうのせい

もろこしにて芭蕉の精人と化して物語せしことあり。今の謡物はこれによりて作れるとぞ。


すずりたましい

ある人赤間ヶ関の石硯をたくはへて文房の一友とす。ひと日平家物語をよみさして、とろとろと居ねぶるうち、案頭の硯の海の波さかだちて、源平のたゝかひ今みるごとくあらはれしとかや。もろこし徐玄之が紫石譚も思ひあはせられ侍り。


屏風闚びょうぶのぞき

翠帳紅閨に枕をならべ、顛鸞倒鳳の交あさからず、枝をつらね翼をかはさんとちかひし事も陀となりし胸三寸の恨より、七尺の屏風も猶のぞくべし。


毛羽毛現けうけげん

毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふか。或は希有希見とかきて、ある事まれに、見る事まれなればなりとぞ。


目目連もくもくれん

煙霞跡なくして、むかしたれか栖し家のすみずみに目を多くもちしは、碁打のすみし跡ならんか。


きょうこつ

狂骨は井中の白骨なり。世の諺に、甚しき事をきやうこつといふも、このうらみのはなはだしきよりいふならん。


目競めくらべ

大政入道清盛ある夜の夢に、されかうべ東西より出てはじめは二つありけるが、のちには十、二十、五十、百、千、万、のちにはいく千万といふ数をしらず。入道もまけずこれをにらみけるに、たとへば人の目くらべをするやう也しよし。平家物語にみえたり。


うしろがみ

うしろ神は臆病神につきたる神也。前にあるかとすれば、忽焉として後にありて、人のうしろがみをひくといへり。


否哉いやや

むかし漢の東方朔、あやしき虫をみて怪我と名づけしためしあり。今この否哉もこれにならひて名付けたるなるべし。


方相氏ほうそうし

論語曰、郷人儺朝服而立(二)於阼階(一)註儺所(二)以逐(一レ)疫周礼方相氏掌(レ)之。


滝霊王たきれいおう

諸国の滝つぼにあらはるゝと云。青龍疏に、一切の鬼魅諸障を伏すと云々。


白澤はくたく

黄帝東巡 白沢一見 避怪除害 靡所不徧 摸捫窩賛


かくれざと


【百器徒然袋】



たからぶね

ながき世のとをのねぶりの


塵塚怪王ちりづかかいおう

それ森羅万象およそかたちをなせるものに長たるものなきことなし。麟は獣の長、鳳は禽の長たるよしなれば、このちりづか怪王はちりつもりてなれる山姥とうの長なるべしと、夢のうちにおもひぬ。


文車妖妃ふぐるまようひ

歌に、古しへの文見し人のたまなれやおもへばあかぬ白魚となりけり。かしこき聖のふみに心をとめしさへかくのごとし。ましてや執着のおもひをこめし千束の玉章には、かゝるあやしきかたちをもあらはしぬべしと、夢の中におもひぬ。


長冠おさこうぶり

東都の城門にかけて世をのがれし賢人の冠にあらで、このてがしはのふたおもてありし佞人のおもかげならんかしと、夢ごゝろにおもひぬ。


沓頬くつつら

鄭瓜州の瓜田に怪ありて、瓜を喰ふ霊隠寺に僧これをきゝて符をあたふ。是を瓜田にかくに、怪ながくいたらず。のち其符をひらき見るに、李下不正冠の五字ありと。かつてこの怪にやと、夢のうちにおもひぬ。


■ばけの皮衣かわころも

三千年を経たる狐、藻艸をかぶりて北斗を拝し、美女と化するよし、唐のふみに見へしはこれなめりと、夢のうちにおもひぬ。


絹狸きぬたぬき

腹つゞみをうつと言へるより、衣うつなる玉川の玉にゑんある八丈のきぬ狸とは化しにやと、ゆめの中におもひぬ。


古籠火ころうか

それ火に陰火、陽火、鬼火さまざまありとぞ。わけて古戦場には汗血のこりて鬼火となり、あやしきかたちをあらはすよしを聞はべれども、いまだ燈籠の火の怪をなすことをきかずと、夢の中におもひぬ。


天井てんじょうなめ

天井の高は燈くろうして冬さむしと言へども、これ家さくの故にもあらず。まつたく此怪のなすわざにて、ぞつとするなるべしと、夢のうちにおもひぬ。


白容裔しろうねり

白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ。


骨傘ほねからかさ

北海に鴟吻と言へる魚あり。かしらは龍のごとく、からだは魚に似て、よく雲をおこし雨をふらすと。このからかさも雨のゑんによりてかゝる形をあらはせしにやと、夢のうちにおもひぬ。


鉦五郎しょうごろう

金の鶏は淀屋辰五郎が家のたか、なりしよし。此かねも鉦五郎と言へるからは、金にてやありけんと、夢のうちにおもひぬ。


払子守ほっすもり

趙州無の則に、狗子にさへ仏性ありけり。まして伝燈をかゝぐる坐禅の床に、九年が間うちふつたる払子の精は、結跏趺坐の相をもあらはすべしと、夢のうちにおもひぬ。


栄螺鬼さざえおに

雀海中に入てはまぐりとなり、田鼠化して鶉となるためしもあれば、造化のなすところ、さゞえも鬼になるまじきものにもあらずと、夢心におもひぬ。



槍毛長やりけちょう
虎陰良こいんりょう
禅釜尚ぜんぶしょう

槍毛長 日本無双の剛の者の手にふれたりし毛槌にや。怪しみをみてあやしまず。まづ先がけやの手がらをあらはす。/虎陰良 たけき獣の革にて製したるきんちゃくゆへにや、そのときこと千里をはしるがごとし。/禅釜尚 茶は閑寂を事とするものから、陰気ありてかゝる怪異もありぬべし。文福茶釜のためしもや、ともに夢の中に思ひぬ。


鞍野郎くらやろう

保元の夜軍に鎌田政清手がらをなせしも我ゆへなれば、いかなる恩をもたぶべきに、手がたをつけんと前輪のあたりをきりつけらるれば、気も魂もきへぎへとなりしとおしみて唄ふ声いとおもしろく、夢のうちにおもひぬ。


鐙口あぶみぐち

膝の口をのぶかにいさせてあぶみを越しておりたゝんとすれども、なんぎの手なればと、おなじくうたふと、夢心におぼへぬ。


松明丸たいまつまる

松明の名はあれども、深山幽谷の杉の木ずゑをすみかとなせる天狗つぶての石より出る光にやと、夢心におもひぬ。


不々落々ぶらぶら

山田もる提灯の火とは見ゆれども、まことは蘭ぎくにかくれすむ狐火なるべしと、ゆめのうちにおもひぬ。


貝児かいちご

貝おけ這子など言へるは、やんごとなき御かたの調度にして、しばらくもはなるゝこと無れば、この貝児は這子の兄弟にやと、おぼつかなく夢心に思ひぬ。


髪鬼かみおに

身体髪膚は父はゝの遺躰なるを、千すじの落髪を泥土に汚したる罪に、かゝるくるしみをうくるなりと言ふを、夢ごゝろにおぼへぬ。


角盥漱つのはんぞう

なにを種とてうき艸のうかみもやらぬ小野の小町がそうしあらいの執心なるべしと、夢心におもひぬ。


袋狢ふくろむじな

穴のむじなの直をするとは、おぼつかなきことのたとへにいへり。袋のうちのむじなも同じことながら、鹿を追ふ猟師のためには、まことに袋のものをさぐるがごとくならんと、夢のうちにおもひぬ。


琴古主ことふるぬし

八橋とか言へるこしやのしらべをあらためしより、つくし琴は名のみにして、その音色をきゝ知れる人さへまれなれば、そのうらみをしらせんとてか、かゝる姿をあらはしけんと、夢心におもひぬ。


琵琶牧々びわぼくぼく

玄上牧馬と言へる琵琶はいにしへの名器にして、ふしぎたびたびありければ、そのぼく馬のびはの転にして、ぼくぼくと言ふにやと、夢のうちにおもひぬ。


三味長老しゃみちょうろう

諺に沙弥から長老にはなられずとは、沙弥渇食のいやしきより、国師長老の尊にはいたりがたきのたとへなれども、是はこの芸にかんのうなる人の此みちの長たるものと用ひられしその人の器の精なるべしと、夢の中に思ひぬ。


襟立衣えりたてごろも

彦山の豊前坊、白峯の相模坊、大山の伯耆坊、いづなの三郎、冨士太郎、その外木の葉天狗まで、羽団扇の風にしたがひなびくくらまの山の僧正坊のゑり立衣なるべしと、夢心におもひぬ。


経凛々きょうりんりん

尊ふとき経文のかゝるありさまは、呪詛諸毒薬のかえつてその人に帰せし守敏僧都のよみ捨てられし経文にやと、夢ごゝろにおもひぬ。


乳鉢坊にゅうばちぼう
瓢箪小僧ひょうたんこぞう

へうたん小僧に肝を消して青ざめたりしが、乳ばち坊の泉ばちのおとに夢さめぬとおもひぬ。


木魚達磨もくぎょだるま

杖払木魚客板など、禅床ふだんの仏具なれば、かゝるすがたにもばけぬべし。払子守とおなじきものかと、夢のうちにおもひぬ。


如意自在にょいじざい

如意は痒きところをかくに、おのれがおもふところにとゞきて心のごとくなるよりの名なれば、かく爪のながきも痒きところへ手のとゞきたるばけやうかなと、夢心に思ひぬ。


暮露々々団ぼろぼろとん

普化禅宗を虚無僧と言ふ。虚無僧じやくをむねとして、いたるところ薦むしろに座してもたれりとするゆへ、また薦僧とも言ふよし。職人づくし歌合に、暴露暴露ともよめれば、かの世捨人のきふるせるぼろぶとんにやと、夢の中におもひぬ。


箒神ははきがみ

野わけはしたなく吹けるあした、林かんに酒をあたたむるとて、朝きよめの仕丁のはきあつめぬるははきにやと、夢心におもひぬ。


蓑草鞋みのわらじ

雪は鵝毛に似て飛でさんらんし、人は鶴裳をきてたつて徘徊せし、そのふる簑の妖くはゐにやと、夢の中におもひぬ。



面霊気めんれいき

聖徳太子の時、秦の川勝あまたの仮面を製しよし。かく生けるがごとくなるは、川勝のたくめる仮面にやあらんと、夢心におもひぬ。


幣六へいろく

花のみやこに社さだめず、あらぶるこゝろまします、神のさわぎ出給ひしにやと、夢心におもひぬ。


雲外鏡うんがいきょう

照魔鏡と言へるは、もろもろの怪しき物の形をうつすよしなれば、その影のうつれるにやとおもひしに、動出るまゝに、此かゞみの妖怪なりと、夢の中におもひぬ。


鈴彦姫すずひこひめ

かくれし神を出し奉んとて岩戸のまへにて神楽を奏し給ひし天鈿女のいにしへもこひしく、夢心におもひぬ。


古空穂ふるうつぼ


無垢行騰むくむかばき

赤沢山の露ときへし河津の三郎が行縢にやと、夢心に思ひぬ。


猪口暮露ちょくぼろん

明皇あるとき書を見給ふに、御机の上に小童あらはる。明皇叱したまへば 臣はこれ墨の精なりと奏してきへうせけるよし。此怪もその類かと、夢のうちにおもひぬ。


瀬戸大将せとだいしょう

槊をよこたへて詩を賦せし曹孟徳に、からつやきのからきめ見せし燗鍋の寿亭侯にや。蜀江のにしき手を着たりと、夢のうちにおもひぬ。


五徳猫ごとくねこ

七とくの舞をふたつわすれて、五徳の官者と言ひしためしもあれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ。


鳴釜なりがま

白沢避怪図曰 飯甑作声鬼名(二)斂女(一) 有(二)此怪(一)則呼(二)鬼名(一) 其怪忽自滅 夢のうちにおもひぬ。


山颪やまおろし

豪猪といへる獣あり。山おろしと言ひて、そう身の毛はりめぐらし、此妖怪も名とかたちの似たるゆへにかく言ふならんと、夢心におもひぬ。


瓶長かめおさ

わざわひは吉事のふくするところと言へば、酌どもつきず、飲めどもかはらぬめでたきことをかねて知らする瓶長にやと、夢のうちにおもひぬ。


たからぶね

みなみざめ


たからぶね

波のり船のおとのよきかな




亜邇惡沱うぃきごもり

くらき閨にてぽつぽつと灯点ことおそろし。是暇持余たる者の二次嫁への妄念かや。働ざるがつひきしゅうせひに余念なしといふと夢心におもひぬ。


[#include(name=テンプレ2)]

この項目が面白かったなら……\ポチッと/
#vote3(time=600,2)

[#include(name=テンプレ3)]


  • 妖怪図鑑や研究本では鳥山石燕以前と以後に分けられることがあるほど、妖怪文化への影響力の強いシリーズなんだよね。 -- 名無しさん (2018-07-23 22:32:10)
  • ↑自分で書いちゃった物も含めて、伝統的な化物絵にも解釈を加えて描いたという意味でも妖怪の定義をある意味完成させちゃった人でしょうね。 -- 名無しさん (2018-07-24 12:41:39)
  • 窮奇(中国神話の牛または虎の怪物、風神の面もある)と書いてかまいたち(絵はほぼイタチ)と読んだり、この時代ではまだ「中国にいるなら日本にもいる」理論で様々な妖怪や怪物が同一視されていたようだから、妖怪の設定も日本と中国や大陸のものとが混同されていったのだろうと思うと、ある意味では現代の妖怪文化が誕生した時期ともいえる。もう一つ重要なことは、石燕の妖怪画は怖さ<親しみやすさを与えるものだということ。後期のおふざけ具合がとてもよい -- 名無しさん (2018-07-24 14:27:58)
  • 今昔画図続百鬼の最後に「日の出」が含まれてるのがゲーム「大神」のラスボスの元ネタだとか -- 名無しさん (2018-08-01 21:28:21)
  • 燈台鬼は創作らしいが悲惨すぎるなぁ…あと大昔から中国=人体改造だったのか -- 名無しさん (2023-04-21 00:59:45)
  • ↑中国の昔話はそういう系が多いからね。 -- 名無しさん (2023-04-21 02:07:33)

#comment

*1 “がずひゃっきやこう”、又は“がずひゃっきやぎょう”と読まれるのが定説。画図を“えず”や“がと”等と読んだ例もある。
*2 城内の接待や雑用を取り仕切る武士。後に権力者に阿る者を揶揄する言葉になったが、本来はこうした役職のことであった
*3 幕府や大名に召し抱えられた絵師
*4 水木しげるの唱えた“妖怪千体説”にも通じる分類と云えるかもしれない。尚、弟子の京極夏彦は「千体も要らない、出る場所が違うだけだから」として“妖怪一体説”を唱えている。
*5 『百怪図鑑』等では“髪切”
*6 “おとろ~”と、繰り返しになっていたものを石燕が読み違えたとする説もあり。水木しげるは“おどろおどろ”としている。
*7 『百怪図鑑』等では“わうわう”となっている山姥の類。苧=からむしはめちゃくちゃになった髪の有り様を顕したものらしい。
*8 『ゲゲゲの鬼太郎』では見上げ入道としている姿の妖怪。『百怪図鑑』では“目ひとつぼう”となっている。青坊主とは見習いやら若い僧のことだという。
*9 日本では河童の異名として扱われることが殆どだが、石燕は『本草綱目』を引用し、中国の妖怪として紹介している。
*10 本来は海に出る怪異の全般を指していたとも言われるが、石燕は“イクチ”と呼ばれる怪異を“あやかし”として描いている。これ以降、この怪異は“あやかし”と呼ばれることが多くなり、この怪異と似た“イクチ”という妖怪もいる。…というように逆の流れで紹介されている例も多くなった。

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧