私は病気ではありません

ページ名:私は病気ではありません

雅子夫人が発したという意味不明な言葉「公務に行けない理由を病気にしているのは宮内庁です。私は病気ではありません」を指す。
2003年12月帯状疱疹から静養状態突入、2004年7月30日には「適応障害」とまで公式発表していながら、自分が公務をしていないその大前提を自ら否定してみせるという、ほとんどビョーキ(死語)としか言いようがない体たらくである。「病気じゃないなら公務しろよ」とのスレ住民奥様方のツッコミが当然入りまくる発言である。

この発言をタイトルとして冠した『週刊新潮』2008年5月1・8日合併号<「私は病気ではありません」 「宮内庁と女官」への雅子妃の「かくも深き不信感」>記事(後掲)を一読すると、非常に内容の濃いものであることがよく分かる。中でも特に印象深いのが、2005年11月15日紀宮殿下ご結婚披露宴における雅子一人だけ浮きまくった派手な洋装事件。自ら衣装調整を部下である女官に指示もせず、いざ事が起こったら私に恥をかかせたと責を負わせる、トンデモ女上司を持った女官さんたちにはお気の毒としか言いようがない職場環境である。

また元学習院幼稚園園長で、愛子養育専門女官として異例の雇用をされた小山久子氏であるが、この記事発表当時は円満な関係であったようだが、2009年初夏の時点では小山養育女官について雅子が「ニュースキン・マルチ商売にはまっていて迷惑しており辞めてもらいたい」旨の噂を流し辞職に追い込もうとしているといった動きが再び週刊新潮記事になり、東宮職が慌てて新潮発売翌日「マルチ商売している職員なんてうちには存在しない」と否定発表しなければならない事態まで発生している(【小山久子】の項参照)。

徳仁たっての希望で東宮侍従長に就任した警察庁出身の末綱隆氏であるが、この当時あまりの理不尽さに辞職を考えつつも踏みとどまっている状態であったが、結局2009年3月で東宮侍従長を退任し一旦警察庁に戻り同月定年退職、同年4月21日付にて駐ルクセンブルク大使に転身している。

病気治療の名目で公務を休んでいる身でありながら「私は病気ではありません」と言い放つ、そのでかい矛盾を抱えていることに気付いていないのか気付かぬ振りをしてるのか分からぬ東宮家女主人と、そんな相手に仕えなければならない東宮の職員の面々は何ともお粗末様である。


『週刊新潮』2008年5月1・8日合併号<「私は病気ではありません」 「宮内庁と女官」への雅子妃の「かくも深き不信感」>pp.26-29より引用[]

  • 『週刊新潮』2008/5/1・8合併号<「私は病気ではありません」~「宮内庁と女官」への雅子妃の「かくも深き不信感」~>GW直前に全国で貼られたド派手中吊り画像 / 同週刊新潮記事

 先月(=恐らく2008年3月)のとある夜、さる宮内庁幹部が内輪の親睦会出席のため、都内の飲食店を訪れた。参加者は親しい間柄にある他の官庁のキャリア官僚4、5名ほど。
 「年に1、2度、開かれる私的な飲み会ですが、いつもは顔を見せない宮内庁幹部が、珍しくやってきた。仲間内という気安さもあったのでしょう。そのうち、雅子妃に関するグチをポロッと漏らした。“雅子妃は、警護官を選り好みして困る”と零し始めたのです」
 と、関係者は話す。
 雅子妃は、今年(=2008年)1月25日から26日にかけて、長野県で行われた国民体育大会冬季大会開会式に、皇太子殿下と出席されたものの、フィギュアスケート観戦をドタキャン。その後、私的な外出を除いては、2月、3月はほとんどの公務を欠席されている。
 そうした雅子妃の動向に対して、批判的なマスコミ報道は少なくない。宮内庁幹部にとっては頭の痛いところ。関係者は続けて言う。
「宮内庁幹部の話によれば、雅子妃と東宮の女官との関係が必ずしもうまくいっていないそうです。雅子妃は女官に対して不信感を持っているようで、女官があれこれ言いふらすために、その話が回りまわってマスコミに書かれた末、天皇家の確執になっていると思い込んでいるようなのです」
 この親睦会の前の2月13日、宮内庁の羽毛田信吾長官は記者会見で、「(皇太子夫妻の)ご参内の回数は増えていない。両陛下も心配をされていると思う」
 と異例の発言。あえて天皇皇后両陛下と皇太子ご一家との間に“溝”があることを示唆した上で、以前(=2007年2月誕生日会見)に「両陛下とお会いする機会をつくっていきたい」と語られた皇太子殿下に対して、「殿下ご自身が発言されたことなので大切になさっていただきたい」
 と苦言を呈していた。踏み込んだ発言の矛先は、皇太子殿下だけでなく、雅子妃にも向けられている。雅子妃はどう受け止めたか。
 宮内庁長官の発言後、皇太子ご夫妻は、両陛下との“関係修復”に努力されている。3月2日、皇太子殿下は、東宮御所に両陛下を招き、雅子妃や愛子さまも一緒に満開の梅の花を鑑賞された。3月13日には、夫妻で皇居を訪問してもいる。だが、先の関係者によれば、
「皇后陛下と雅子妃との関係は微妙だそうで、“両陛下が東宮にいらしたとき、雅子妃はあまり皇后とお話になっていなかったようだ”と言っていました」
 雅子妃の心中では、宮内庁長官の発言が、わだかまりになっているのだろうか。
 宮内庁担当記者は話す。
「雅子妃は、そもそも、皇室外交を担うという希望を持って嫁いできたのに、海外に行くどころか、宮中に閉じ込められて“お世継ぎ”産む役割ばかりをを求められてきた。宮内庁幹部が、そうした趣旨の発言をしてきたことも事実であり、その精神的な負担が現在の病気の原因となり、皇太子殿下の“人格否定”発言に繋がっている。雅子妃は“宮内庁は自分を守ってくれない”という不信感を抱いているのでしょう」
 公務は欠席されるものの、私的外出での雅子妃の表情を見る限りでは、病状も回復されているようにも見える。しかし、宮内庁との確執がなくなったわけではない。
 先の関係者は言う。
「宮内庁幹部によれば、雅子妃は、“公務に行けない理由を病気にしているのは宮内庁です。私は病気ではありません”と、おっしゃられたこともある。その発言を聞いた人たちは、“そんなことをおっしゃること自体が病気ではないだろうか”と話していたそうですが……」
 かくも深き不信感であったのか。

  • 「お召し物の相談がなかった」

 先にも触れたが、雅子妃は宮内庁だけでなく、身近に仕える東宮御所の女官に対しても不信感を持っている。
「雅子妃は、女官云々というよりも、東宮職全般に対して不信感を抱かれているようです」
 と話すのは、先の宮内庁担当記者である。
「雅子妃が心を許しているのは小和田家と皇太子殿下だけ。3月下旬からの長野・奥志賀高原へのスキー旅行も、実妹の池田礼子さん一家とお出かけになった。静養といえば小和田家と、というのが雅子妃のルールになっているんです。女官を始め、東宮職員もみんな、雅子妃には本音で近づけない。会話がほとんどなく、全く意思疎通が図れていないというのが実情です」
 以前には、雅子妃は女官に直接口頭で指示せず、用事を書いたメモを自室のドアの下から差し出していたことがあった。女官との関係が修復できないほどに悪化したきっかけが、’05年11月、紀宮さま(黒田清子さん)のご成婚時であるという。
「披露宴に雅子妃は派手な洋装で出席された。お立場からいえば和装であるのが常識です。他の皆様が淡い色合いの着物(未成年皇族は除く)だったのに比べ、雅子妃は派手な色のドレス姿だったので、周囲が目を疑ったことがあったのです」
 と話すのは、皇室関係者。
「どうしてそんな服装になったのか、披露宴の後、当時の渡辺允侍従長が東宮の女官に問い質しました。女官は“雅子さまから事前にお召し物の相談がなかった”と答えたそうです。しかし、雅子妃が和装という常識をご存じなかったとしても、女官を通じて雅子妃から御所や秋篠宮家に相談なさってもよかったのではないでしょうか。渡辺侍従長が、そのように女官に重ねて尋ねると、女官は“雅子さまは、私たちの申し上げることはまったくお耳に入れてくださいません”と言ったそうです」
 このとき、雅子妃も、自分だけ服装が浮いてしまったことに苛立ちを隠さなかったという。
「雅子妃は、“どうしてあなたたちが確認しないの。あなたたちのせいで恥をかかされた”と女官に対しておっしゃったそうです。女官は、“そういうことは妃殿下が我々に命じてくださって初めてできることです。我々は、そこまで雅子さまの全てのご面倒を見なければならないのでしょうか”と悩んでいました」(同)
 それ以来、雅子妃と女官とは、疑心暗鬼の状態が続いているという。雅子妃との関係に悩み、短期間で辞めた女官もいる。以来、東宮女官は定員4人から1人欠けた状態が続いていた。
 そこへ4月1日、学習院幼稚園園長の小山久子さんが、新たに愛子さまの「養育専任女官」として東宮御所に“引き抜かれ”た。
「皇太子ご夫妻は小山さんを信頼されており、ご両人の希望で、急遽、決まった人事です。雅子妃の東宮女官に対する不信感を払拭するためでしょう」
 と、先の宮内庁担当記者。
 雅子妃にとっては朗報だろう。だが、東宮職の内部では、公務復帰をめぐって表面化こそしていないが見解の相違があるという。
野村一成・東宮大夫(67)が治療優先派であるのに対し、末綱隆・東宮侍従長(59)は公務復帰派なんですよ」
 と、宮内庁関係者は話すのだ。
殿下のたっての希望で…
 野村東宮大夫は、外務省出身で、駐ロシア大使を経て、06年から現職。雅子妃が幼少の頃、父親の小和田恒氏の部下として同時期にモスクワで勤務したことがある。末綱東宮侍従長は警察庁出身。神奈川県警本部長、警視庁副総監を経て、05年から現職。
「末綱さんは皇太子殿下が学習院大学卒業後、オックスフォード大学に留学した際に警護官として同行し、2人きりでヨーロッパ中を旅行したほどの間柄。殿下の信頼は厚く、末綱さんはいずれ警察庁長官か警視総監と目されていたが、殿下のたっての希望で東宮侍従長に就任することになった。一方の野村東宮大夫は、小和田恒氏の意向で、東宮大夫に就任した」(宮内庁関係者)
 その末綱東宮侍従長が、昨年(=2007年)夏頃、辞意を漏らしていたという。
「末綱さんが辞意を漏らした原因は、雅子妃への不信感と、野村東宮大夫との確執です。末綱さんは、決意を持って東宮侍従長になったわけですが、次第に雅子妃の行動に耐え切れなくなっていったそうです。皇太子殿下は末綱さんに、“やりたいようにやってください”と言っていた。そこで末綱さんがまず手をつけたのが、雅子妃の公務復帰。少しずつでいいから、前向きに公務復帰を検討していただきたくて、雅子妃に何度も何度も“いかがなさいますか”と聞いていたのです」(同)
 ところが、雅子妃の主治医・慶応大学保健管理センターの大野裕教授は、治療のために雅子妃の希望を入れて、公務の負担を減らそうとする。
「野村東宮大夫も、言わずと知れた小和田ルートの人事ですから、とにかく雅子妃の希望最優先。末綱さんがやろうとした公務復帰とは、意見が合わなかったそうです。末綱さんも“こんなはずじゃなかった”と漏らすようになり、ついには辞職まで考えるようになってしまったそうなのです」(同)
 もっとも、今では辞職を思い止まり、職務を全うする決意を固めているという。
 なにしろ現実問題として、雅子妃の公務復帰の目処は全く立っていないのである。
「今年(=2008年)1月、長野県での国民体育大会冬季大会の開会式に出席されたが、案の定、土壇場になって体調不良により視察スケジュールを変更せざるをえなくなった。やはり、まだ無理なのか、という諦めが宮内庁にもあり、その後、公務の日程をあらかじめ入れることが極めて困難になっているのです」(前出の宮内庁担当記者)
 最近の例では、4月17日、赤坂御苑で開かれた天皇皇后両陛下主催の「春の園遊会」に欠席。24日、都内で開かれる日本人のブラジル移住100周年を記念した「日本ブラジル交流年」の式典にも、名誉総裁に就任した皇太子殿下だけの出席で、雅子妃は欠席される。

  • 異例な付き添い通学

 さる宮内庁幹部は困惑し、雅子妃にこう苦言を呈する。
「公務に出席する、しないということが、東宮側から一方的に宮内庁に伝えられてくるので、非常に困っています。ドタキャンをするとなったら、先方への尻拭いは宮内庁がやるんですよ。雅子妃ご自身が先方にご説明されるのであれば、一方的な通達はいくらあっても構いませんが、それはありえない。雅子妃は、本当に、その辺のことが分かっていらっしゃらない。ご自分のお立場を全く理解なさっていないと思います」
 詳しい病状に関しても、宮内庁はまったく蚊帳の外。
「公務を休むことは構いません。病気なんですから。しかし、病状を公表しないにしても、身内に対しては、きちんと説明をすべきです。公務というのは皇室全体に関わる話ですから、勝手に休んで、ハイそうですか、とはいかないんです」(同)
 ところが、誰も雅子妃に直接意見を言える人物はいない。すべては「病気治療中」という理由で、宮内庁や東宮職も腫れ物に触るような扱いである。
「雅子妃は愛子さまの小学校ご入学で手一杯。4月中は引率しての登校となりますから、雅子妃はそのためにお疲れになっていて、とても公務どころではありません」
 と、東宮関係者は言うくらい。だが、連日、妃殿下が付き添って通学するというのは異例なことである。さる皇室ジャーナリストはこう語る。
「たとえば浩宮さまの時には侍従が、紀宮さまには女官がそれぞれの役目にあたっていました。表向きは、愛子さまと一緒に外出される機会が増えることが病状の回復の一助になるという理由なのからでしょうが、実は、少しでも愛子さまがそばにいないと精神的に不安定になるのではないか、との懸念があるのかもしれません。本来ならば、女官の付き添いだけで、愛子さま1人でお過ごしになる時間を持つことも、初等科での教育的役割のひとつですが、その第一歩からして後退せざるをえなくなったのは残念なことだと思います」
 さらにこうも言う。
「健康回復のバロメーターのひとつとなるのは、春と秋に催される園遊会に出席されるかどうか。園遊会では、長時間立ち続けなくてはならず、臨機応変に言葉を交わさなけれなりません。体力的にも精神的にも大変です。園遊会にご出席ならば、かなり回復されたと見ることができますが、今回も雅子さまはご欠席でしたね」
 そもそも、発病した経緯を顧みれば、宮内庁や東宮職が、雅子妃の不信感を取り除かない限り、「心の病」が完全に癒えることはないであろう。「私は病気ではありません」とはいうものの、公務復帰への道のりはまだまだ遠いと言わざるをえない。




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