足利事件

ページ名:足利事件

登録日:2024/03/14 Wed 19:25:39
更新日:2024/04/15 Mon 22:49:55NEW!
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誘拐 冤罪 栃木県 足利市 裁判所 無能な警察 誘拐殺人事件 菅家利和 忘れてはいけない



1990年5月12日、栃木県足利市内のパチンコ店で4歳の幼女が行方不明となり、翌朝同市内の渡良瀬(わたらせ)川河川敷において遺体で発見された事件。


足利市内の幼稚園のバス運転手をしていた菅家利和という人物が有罪判決を受けて服役したが、その後、菅家さんのDNA型が被害者の下着に付着した犯人の精液とは一致しないことが明らかになり、再審のうえ無罪が確定した。


事件発生

栃木県足利市内のパチンコ店で父親がパチンコをしている間に、同店駐車場から女児・M.Mちゃん(当時4歳)が行方不明になる。被害者の女児は当時赤いスカートと白いシャツという服装であった。
翌日に渡良瀬川の河川敷から幼女の全裸死体が発見された。幼女の衣服に付着していた体液から、犯人の血液型はB型と判明した。
事件発生の時間に現場付近の運動公園にいた多数の人物が、赤いスカートを履く被害者の女児を連れて歩く不審な男の姿を目撃しており、警察にも証言している。そのうち、日本テレビの番組が探し当て取材協力を要請した買い物途中の主婦、買い物途中の女性美術教師、ゴルフ練習をしていた男性などは、テレビ取材にも応じている。
この事件は、当時のテレビニュース番組で被害者の特徴が繰り返し放送され、情報提供を求むビラも配られ、人の目に触れる機会が多かった。また、被害に遭った女児の服装は事件当時の夕方でも目立ちやすく印象に残りやすい「赤いスカート」(赤は、膨張色、進出色、警戒色であり、暗い場所でも視認されやすい色である)であった。つまり、この事件は、多くの人たちに目撃され、記憶に残りやすい事件であった。目撃者の1人である女性美術教師は近年になってもその時の光景をスケッチに描けるぐらいで、実際に当時警察でもスケッチを提示し、日本テレビの取材でも同じようなスケッチを提示している。
ゴルフ練習をしていた男性は目撃した男について「マンガのルパンみたいだった」と話している。
実際にこの目撃証言を裏付けるようにこの不審な男と被害者の女児が歩いていった先の中州で被害者女児の遺体が発見されている。
それに対し、菅家さんの「自白」内容にあった、被害者女児を自転車の荷台に乗せて土手を下る男の姿を見た証言は存在しない。


逮捕・有罪確定

足利市内では、1979年と1984年にも行方不明となった幼女が遺体で発見される事件が起きており、いずれも未解明であったこともあり、栃木県警は本件発生後、足利警察署に捜査本部を置いて大がかりな捜査を行った。その結果、菅家のDNA型および血液型が犯人と一致したとして、1991年12月1日朝に菅家を任意同行。取調べで虚偽自白に追い込み、翌2日未明に逮捕した。宇都宮地検はわいせつ目的誘拐、殺人、死体遺棄罪で起訴。栃木県警は、本件前におきた2件も菅家の犯行とみて追及し、認めさせたが、宇都宮地検は嫌疑不十分で不起訴としている。
菅家は、一審の第6回公判で否認に転じたが、宇都宮地裁は1993年7月7日に無期懲役の有罪判決を下した。東京高裁も控訴を棄却。2000年(平成12)7月17日に最高裁が上告を棄却し、同月27日に有罪が確定して、菅家さんは千葉刑務所で服役することになった。


DNA型鑑定による再審開始

本件が発生したのは、DNA型鑑定が犯罪捜査に使われるようになり始めたばかりの時期であった。警察庁科学警察研究所で行われているMCT118型鑑定では、当初、同じ型の人は1000人に1.2人であると喧伝され、新聞は「指紋なみ」の高い個人識別力があると報じたが、後にそれほどの精度ではないことが判明している。そのうえ、最高裁での上告審で、弁護人から依頼された法医学者が、菅家の髪の毛を使って同じMCT118型鑑定を行ったところ、犯人とは別のDNA型であることがわかった。それでも最高裁は、科学警察研究所の鑑定は信頼できるとして、上告を棄却した。
弁護団は、DNA型の違いを理由に、2002年に再審を請求したが、宇都宮地裁は2008年2月に棄却。しかし、東京高裁がDNA型の再鑑定を認め、検察側、弁護側それぞれが推薦する法医学者2人によって新たな鑑定が行われた。その結果、どちらも菅家のDNA型は犯人とは一致しないという結論だった。2009年6月4日、東京高検は刑の執行を停止して、菅家を釈放した。再審開始が決まる前の釈放は異例である。6月23日に東京高裁が再審開始を決定した。DNA鑑定により無実の罪で服役することとなった人物が、今度はDNA鑑定により無実が証明されたことになる。


各機関の謝罪と反省

栃木県警は、本部長が菅家さんに謝罪し、本件で受賞していた警察庁長官賞など四つの賞を返納した。宇都宮地検も、検事正が謝罪した。
2009年10月に宇都宮地裁で始まった再審で、検察側は無罪の論告を行った。2010年3月26日、同地裁は「菅家氏が本件の犯人でないことはだれの目にも明らかになった」として無罪の判決を出した。判決言い渡しの後、裁判長が「菅家さんの真実の声に十分に耳を傾けられず、17年半もの長きにわたり自由を奪ったことを誠に申し訳なく思います」と述べ、3人の裁判官が頭を下げて謝罪した。
再審無罪判決の後、警察庁、最高検察庁、日本弁護士連合会がそれぞれ本件の検証報告書を発表した。警察の報告書では、DNA型鑑定を過大評価し、菅家を虚偽自白に追い込んだことや、自白の吟味が不十分であったことなどが反省事項としてあげられたが、菅家が取調べ時に捜査員から暴力があったと訴えている点については否認した。検察の報告書でも、鑑定の過大評価や自白の吟味・検討が不十分であったことなどが反省点とされた。
日弁連の報告書では、捜査段階と一審段階での弁護人の弁護活動についての検証が行われている。それによると、捜査段階で弁護人は、短時間の接見を3回行っただけで、なすべき助言をしておらず、菅家との信頼関係が築けなかった。一審の裁判においても、十分な打合せを行わず、菅家の確認をとらずに、捜査段階の自白調書などを証拠採用することに同意。菅家が否認した後にも適切な対応をしていなかった。弁護士が菅家を犯人だと思い込み、弁護人としての役割を果たしていなかったと報告書は結論づけている。
控訴審段階から別の弁護士が弁護人となって、ようやく本格的な弁護活動が行われるようになった。
裁判所の対応も批判されている。とくに、弁護側から出された新たな鑑定を無視して有罪判決を確定させた最高裁に対して、日弁連報告書は、「終審としての任務を放棄した」と厳しく論難した。
まったく無実の人が、本件を含めて3件もの殺人事件の自白に追い込まれていたことが明らかになって、取調べの全過程を録音・録画する可視化を求める流れが加速。菅家自身も、可視化を要求するさまざまな集会に参加して発言した。


真犯人

なお、本件は2005年に公訴時効が成立しており、今後真犯人がみつかっても、逮捕・起訴されることはない。しかし、この事件。真犯人と思しき人物が浮かんでいるのである。


冤罪の影で警察が発表をしていなかった「初期目撃証言の存在の事実」、「警察が前科前歴から割り出し重要参考人として指定していた数人の男たちの存在の事実」が近年の当事件に関連する報道や取材、調査により掘り起こされ明るみに出ている。中でも日本テレビの記者・清水潔は、真犯人を特定し、捜査機関に情報を提供している事実を明らかにしている。
一方、ルポライターの小林篤が2011年4月15日発行の『g2』に寄せた足利事件関係のルポには、日本テレビの清水記者が『アールテレビ局』の『アル記者』という呼称で登場。アル記者は2007年夏に小林に電話をかけてきて、足利事件に関する小林の著書を読んで冤罪の可能性が高いと思ったことを告げ、「取材協力」や「レポーターとしての参加」を頼んできたという。小林によると、レポーターは辞退したが、取材先などのデータや独自に調査していた容疑者「X」の情報をアル記者に提供。それから2人は共同取材をするようになったが、アル記者が「私は真犯人を知っている」として文藝春秋2010年10月号で真犯人追及報道をした時から袂を分かったという。
監視カメラに映っていた男について、かつて足利事件を捜査していた捜査員は、行動調査していた中でも容疑性の高い『Aランク』と呼ばれていた男数人の中の一人に、犯罪の前科・前歴なども酷似した男がいると語っている。


関連事件

事件そのものと類似する事件としては同一犯の疑惑がある太田市パチンコ店女児失踪事件や同県で発生した栃木・今市小1女児殺害事件*1などがある。冤罪事件に関しては、過去に氷見事件のように後に真犯人が逮捕された、あるいは松本サリン事件のように真犯人の存在が明確になった事で冤罪が判明し、真犯人も検挙された事件案件があるが、当事件は後者の経緯に近い。

*1 こちらはK.Tという逮捕当時32歳の男が逮捕されているが、冤罪が指摘されている。

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