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青岸渡寺 - 巡礼 Wiki

棟。「那智山青岸渡寺本堂」(附 厨子1基)として1904年(明治37年)2月18日、重要文化財(建造物)に指定。桁行九間・梁間五間、一重・入母屋造、向拝一間、こけら葺。天正18年(1590年)建立[2]。宝篋印塔1基。「那智山青岸渡寺宝篋印塔」として、1953年(昭和28年)3月

三室戸寺 - 巡礼 Wiki

oji Uji Kyoto Pref15s3s4592.jpg与楽園(11月、池泉回遊式庭園)本堂文化11年(1814年)に再建された重層入母屋造の重厚な建物で、秘仏の千手観音立像が安置されている。阿弥陀堂三重塔元禄17年(1704年)建立の全高16メートルの三重塔で、もとは兵庫

屋島寺 - 巡礼 Wiki

護下にあった。伽藍[]山門本堂大師堂四天門三体堂千体堂鐘楼堂熊野権現社蓑山大明神宝物館宿坊:なし文化財[]重要文化財本堂(附:厨子) - 入母屋造、本瓦葺き。鎌倉時代の前身堂の部材を用いて元和4年(1618年)建立された。木造千手観音坐像 - 像高94cm。平安時代中期、10世紀

安楽寺_(上板町) - 巡礼 Wiki

:県道139号線 安楽寺 (0.1km)自動車道:徳島自動車道 土成IC (3.4km)文化財[]登録有形文化財(建造物)安楽寺方丈 - 入母屋造茅葺(一部本瓦葺)の方丈。江戸後期の建立。内部の上段の間は、藩主の座所と伝えられている。平成21年(2009年)国の登録有形文化財に登

宝厳寺 - 巡礼 Wiki

った豊臣秀吉の霊廟)の極楽門を移築したものと言われる。極彩色の彫刻と飾金具で飾った華麗な門で、桃山時代の雰囲気を伝えている。観音堂(重文)入母屋造檜皮葺き。西国三十三箇所観音霊場第30番札所で、本尊の秘仏千手観音立像(鎌倉時代)を安置する。傾斜地に建つため、床下に長い柱を立てて支

南法華寺 - 巡礼 Wiki

。御詠歌[]岩をたて水をたたえて壺阪の庭にいさごも浄土なるらん建造物[]テンプレート:右本堂-江戸時代の再建礼堂-室町時代中期以前の建立。入母屋造り・本瓦葺。眼の観音様として親しまれている十一面千手観音菩薩坐像を安置。三重塔-室町時代の明応6年(1497年)の建立。文化財[]重要

成相寺 - 巡礼 Wiki

国立博物館蔵、国宝)には、「世野山成相寺」の書き込みとともに当寺が描かれている。境内[]天橋立を見下ろす成相山の中腹に位置する。山門 - 入母屋造単層の八脚門。バス、タクシーでの参拝の場合は直接本堂下まで車が入るため、山門をくぐる参拝者はまれである。本堂 - 1774年(安永3年

前神寺 - 巡礼 Wiki

ったものの、明治の神仏分離令により廃寺、1878年(明治11年)に再興されて現在に至る。境内[]山門本堂:1972年(昭和47年)の再建。入母屋造で屋根は青い銅板葺き。大師堂金毘羅堂薬師堂石鉄権現堂護摩堂お滝不動 大師堂右の石段を登った場所にあり、滝打修行が行われていた。現在は水

岩屋寺_(久万高原町) - 巡礼 Wiki

設計は愛媛県出身で大蔵省営繕管財局技手などを務めた河口庄一、大工は窪田文治郎らである。宝形造、銅板葺き。正面の向拝の柱は左右とも双子柱とし、母屋の四隅は3本組の柱とする。これは伝統的仏堂建築にはみられないものである。向拝柱は上部を細くしたエンタシスとし、柱上部にはバラの花と房飾り

石山寺 - 巡礼 Wiki

194)建立で、年代の明らかなものとしては日本最古の多宝塔である。内部には快慶作の大日如来像を安置する。東大門(重文) - 参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190年)の建立だが、本堂の礼堂が建立されたのと同時期の近世初期に大幅な修理を受けている。蓮如堂(重文)鐘楼(

観音正寺 - 巡礼 Wiki

失火で焼失した。交通の不便な山中にある寺院のため、消火活動もままならず、重要文化財に指定されていた本尊千手観音立像も焼失した。現在ある木造入母屋造の本堂は平成16年(2004年)に再建されたものである。新たに建立された本尊千手観音坐像は仏師松本明慶の作。旧本尊が1メートル足らずの

紀三井寺 - 巡礼 Wiki

堂脇の石段をさらに上ったところには多宝塔、開山堂がある。本堂(和歌山県指定文化財)江戸時代、宝暦9年(1759年)の建立。観音堂とも称す。入母屋造本瓦葺き、柱間は正面側面とも五間で、千鳥破風を付し、正面には唐破風形・三間の向拝を設ける。虹梁形の貫を用い、頭貫に木鼻を付し、台輪を乗

葛井寺 - 巡礼 Wiki

53年)上棟の棟札があり、竣工は安永5年(1776年)である。南大門 - 寛政8年(1796年)の上棟、寛政12年(1800年)頃の竣工。入母屋造の楼門(2階建て門)である。四脚門(西門、国の重要文化財) - 桃山時代、慶長6年(1601年)豊臣秀頼によって再興された。切妻造、本

粉河寺 - 巡礼 Wiki

ための礼堂(らいどう)を前後に並べた形式になり、西国札所として、多数の参詣者を収容する必要から、礼堂部分を広く取っている。外観は高さの違う入母屋屋根を前後に並べ、千鳥破風を付し、さらに唐破風造の向拝を正面に付した複雑な構成になる。礼堂は入母屋造単層、本瓦葺き。柱間は正面9間、側面

神峯神社 - 巡礼 Wiki

ine jinja 14.JPG大樟 高知県保護文化財神峯神社本殿江戸時代中期の享保3年(1718年)建立。桁行三間、梁間五間、入母屋造り、千鳥破風一間向拝付き、縫破風軒、唐破風付きこけら葺屋根。本来、観音寺であった頃は観音堂となっており拝殿と本殿が一体化した造りとなっ

竹林寺_(高知市) - 巡礼 Wiki

る寺院のひとつであった。また、本尊の文殊菩薩の出開帳を江戸や大阪で行っている。境内[]山門(仁王門)本堂(文殊堂):室町時代の建立[1]。入母屋造杮葺き。細部には扇垂木、詰組など、禅宗様の手法が用いられている。大師堂:寛永21年(1644年)山内忠義によって建立五重塔:昭和55年

東郷平八郎邸跡と東郷坂 - 呉市周辺の遺構まとめ

なっています。また、石造りの基礎がありますが東郷平八郎邸のものなのか不明です。離れ座敷離れ(はなれ)とは一定の広さを持つ屋敷にある付属建物。母屋とは別にあるセカンドハウスのことです。東郷平八郎邸と言えば入船山記念館にあるこの「東郷平八郎邸宅の離れ」が有名ですが、この離れは後年に移

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