薔薇十字団の真の歴史 6

ページ名:薔薇十字団の真の歴史 6

第6章 薔薇十字団の主張と錬金術や魔術との繋がりについて


 これらの文書群に含まれている主張には、古い文体がほとんど不可欠と思えるので、私はそれらを新版でのいささか過剰な文体よりも、この国の薔薇十字団の時代をより表していると思える元の英訳の古風な文体で我が読者に提供するのを好んでいる。


 さて、「名声」と「信条」に書いてある事を、その文字通りの意味で取るならば、これらの文書の出版は薔薇十字団の評判に対して新たな光沢を加える事は無いだろう。薔薇十字団の達人らは、卓越し高められた存在、超自然的な諸力の持ち主、自然の熟達者、知性界の君主、ほぼ全知にまで啓明された者たちで、全ての欠点と偏見からは絶対的に超えていると考えられてきた。さらに、「何の教義の形も持たないが、唯一の絶対者たる神から得た全てを熟考」し、「各時代を孤独な海として深く悲しみを」帯びていると想像されてきた。だが彼ら自身の認める文書からは、ルター派異端の神智学的な派生としてのみ自らを述べ、その時代の(ドイツの)君主の霊的超越性を認め、教皇をアンチキリストと呼んでいる、彼らの真の姿が現れている。


 (19世紀の)この啓蒙の時代、過去や現在の全ての教授らの知的能力、さらにバクスターやカミングで表されるような預言的なアートへの普遍的な寛容を我々は確立している。現在の神学的無法地帯での無数の思考の自由の価値を我々は知っている。我々は宗教的不寛容のガリラヤや、口論してばかりの宗派主義の狂信的愚行からヤコブの新たなスターが勃興するとは思っていない。我々は獣の数*1を数えたりはせず、イエズス会を非難したりはせず、もはや教皇の影響力が広がる事を恐れ、やがては侵略するのではという強迫観念を抱いたりはしない。反対に、我々は教皇、ダライラマ、その他の宗教の首長らに繋がっている組織への敬意を持っている。我々の多くは、教皇は神の代理人でも罪人でも無いと決めている。我々はジェローム ナポレオン公と小さな角を繋げるような、どの理論を支持する事もしないし、緋色の女やイスラエルの失われた10氏族を決めつけるような説に心を開いたりもしない*2。そのような確信を持っている全ての者らに、我々は狂信者のレッテルを張っているが、薔薇十字団の各宣言書を慎重に考えると、私はこの「Vere de Vere(貴族)階級の徴の落ち着きを持たないやり方の」友愛団のために例外を作る気にはならない。言い方を変えると、彼らの言葉遣いは過剰で、その宗教的偏見に急であるのを見出せ、さらにこの時代の知的平均から聳え立つ巨人である代わりに、彼らもこの時代の同じ情熱に打たれ、彼らを取り巻く人々の全ての意見と同じであるのを我々は見る。薔薇十字の神秘的な仮面の後ろから我々に聴こえてくる声は、知的な玉座、高度な思考の頂点に高められ、広い視野を持った寛容性の穏やかで明るい雰囲気に包まれた者らから来るものではない。これは宗派主義の怒りっぽく無益な争いの強い心から来ており、敵の絶滅の戦いの叫びをあげている。我らの目からは天秤は落ちて、ロマンスは消え去る。我々はここに、「永遠の王国の神秘的な市民」ではない、この時代の一部のドイツ人の実在を見出している。


 これは落胆し幻滅させられる話であろう。だがにも関わらず、我々はハーグレイヴ ジェニングス氏のフィクションや、偽りのロマンスの魅惑的な作り話らから離れた真実を知ったのを感謝する。この精神のもと、彼ら自身により表わされた薔薇十字団へとより密接に進むとしよう。


 私が先に述べているように、「総体的な改革」は、チュートンの衣を着せて(ドイツ語に翻訳して)出版したと見做されていた結社とは、僅かにしか内的な繋がりが無い。この奇妙な本が到達した結論は、明らかに友愛団が望む事として示されたものからは全く逆である。この本は社会改革の試みを、たとえそれが世界の「知識人」の代表者らによって行われたとしても、馬鹿げた無益、失敗として描いている。そして改革者らを世俗の事柄で働くように命じて、そのユートピア建設の試みを、総体的な世界の構築という輝ける規模から、ニシン魚やキャベツの値段を付ける程度までに落としている。この本では人類をその環境が許す程度には善であると見做して、「世界を見つけたままにしておく分別の中に人間の知恵の高みがある」と結論する。一方で「名声」と「信条」では、「今の時代の刷新、哲学の改革と、全ての技芸の不完全さと矛盾への治療のために、ヨーロッパの知識人らに、この秘密結社と共同で働くように」誘っている。この両者の矛盾はまったく完全なもので、「総体的な改革」は、薔薇十字団の歴史や主張に何の光も投げかけないので、我々を以後は引き留める必要も無い。私はまた「クリスティアン ローゼンクロイツの化学の結婚」も、今は脇に置いておく事にする。なぜなら、この書は――ブール教授やド クインシーが述べるように――寓話的なロマンスであるからだ。もっとも、他には第一級の重要性と興味のあるものではある。


 「名声」と「信条」から、薔薇十字団の宗教の意見を集めると、以下の様に分類できる。


 a. 彼らはイエス キリストを神の子として認めている。
 b. 人は神の力により生まれ、イエスのもとで眠り、聖霊を通じて再び起き上がる。
 c. 彼らは人格性のある悪魔、古き敵、「その道具により、あらゆる良き目的を防ぐ」者を認めている。
 d. 彼らは「第1にして新生した教会の全ての形と儀礼を教授された者として、2つの聖餐を用いている」。
 e. これは、彼らがキリスト教会を原初の純粋性へと回復させたと称する、ルターの改革を信じている事から来ている。
 f. 彼らは「世界の始まりより、聖書以上に素晴らしく、称賛に値し、道徳的に健全な書は人類には与えられず」、この聖書が彼らの法の「総体」であると考えている。
 g. 彼らは教皇をアンチキリスト、キリストに対する冒涜者と呼ぶ。彼らは教皇を忌み嫌い、「釘に刺されてバラバラに引き裂かれる時」を待ち望んでいる。彼らは教皇の「最終的な没落」を予言し、兄弟らにこの予言が確実であると、グラットン・ギネス氏*3のような口調で保証している。


 薔薇十字結社の哲学と学問への意見は、我々の注意をより惹く主張である。彼らの神学的な観点と同様に、ここでもそれらは単純に、この時代の特有の学派の代弁である。その方法から区別した大志を見る限り、この時代の学問の平均的意見よりも、この学派は充分に進んでいる。「大いなる自然へと目を開き、神の似姿が横たわるのを見て震え、」という文を読むと、彼らは普遍的な総体を夢見て、それに鋭い観察の働き、経験的方法による実験、深淵な熟考を組み合わせて、事象の下にあるこれらのリアリティーに到達するのを追い求めていた。「より一般的だが象徴的な言葉では」、彼らは全ての世俗の金属の基盤となる形質を探していた。科学の時代の神秘主義、宗教的物質主義として、彼らは古代のテウルギストと繋がっていた。彼らは霊的な意味での錬金術師、神聖魔術の教授であった。それらの弟子である薔薇十字団員らは、この足跡に密接に従っている。そして「名声」と「信条」の主張は、錬金術と魔術の大いなる古き主張の光の下で見る必要がある。これらの文書の中に、我々は以下の内容を見出せる。


 (1)小宇宙ミクロコスモスの教義。ここでは、人は宇宙全体マクロコスモスの潜在性を含む存在と見做される。カバラの諸書の曖昧なヒントから、この示唆的な教えを初めて発展させたパラケルススによれば、大宇宙と小宇宙は一つである。「これらは一つの星座、一つの影響、一つの息、一つの調和、一つの時、一つの金属、一つの果実である。」大宇宙の器官のそれぞれの部分は、「人間の肉体の様々な器官としての小宇宙の器官の照応する部分と密接に繋がり合っており、お互いに影響し合っている。」大宇宙で起きた変化は何であれ、小宇宙の霊を取り巻く霊的な体により感知されるであろう。片方を構成する諸力は、もう片方と同一である*4


 (2)次に我々はエレメンタルの霊の概念を見出せるが、これは薔薇十字団が起源であるとよく勘違いされている。この優雅にして奇抜な説は、たとえホーヘンハイムの見霊者(パラケルスス)の発明で無かったとしても、それ自身の発展がある。フランスではこれらは小説「ガバリス伯爵」により知られるようになり、イングランドでは主に「髪盗人」により、そして後にはドイツの「ウンディーネのロマンス」が何度も翻訳される事で知られるようになった。「ガバリス伯爵」ではこう記している。「哲学者の子らの中に汝が数えられるようになり、汝の目が最も聖なる医薬により強められるならば、エレメンツが単独の完成した生き物としてこの世界に住んでいるのを、知遇や対話により学ぶであろう。アダムの罪により、その悲惨な子孫らは(これらを見る能力を)失ったのである。天と地の間の広大な空間には、鳥やブヨよりも遥かに高貴な生き物が住んでいる。広大な海には、クジラやイルカ以外にも客がいる。地の底はモグラのみに与えられているのではない。そして残り全てよりも高貴な火のエレメントは、虚無で無価値なままにあるべく創られているのではない。」パラケルススはこう記している。「エレメンツは霊では無い。なぜなら、これらには肉、血、骨があるからだ。これらは生きており、子孫を増やしている。これらは食べたり話したり、活動したり寝たりなどをしている。これらは人と霊の間の場所を占めており、その体組織と姿は人間の男女に似ており、その移動の素早さは霊に似ている。」これらを死者のアストラル体であるエレメンタリーズと混同してはならない*5。これらは4つに分類される。「風には数えきれない生き物らに満たされており、それらは人間の姿をして、どこか恐ろしい見た目があるが、実際には柔順である。諸学を好み、繊細で、賢者らに仕えられ、愚かさと無知の敵である。これらの妻や娘は、男性的な類の美がある。(略)海や川には、空よりも多くの住人がおり、古の賢者らはこれらのエレメンタルにウンディーネやニンフの名を与えている。これらで男性は少なく、女性は非常に多く、極めて美しい。人間の娘らは、これらとは比較にならない。大地の中にはその中心にすら、ノームで満ちている。これらは小人の生き物で、鉱山、宝、宝石の守護者である。これらは賢者の子らに、その望む全ての金を与え、僅かのみの報酬を求めるが、よく命ぜられなくてはならない。これらの妻、ノーミデスは小さいが、とても可愛らしく、その衣は極めて奇妙である。サラマンダーについては、これらは炎の領域の火的な住人で、哲学者らに仕えるが、仲間を強く求めたりはせず、それらの妻や娘は微かに見える程度である。これらは美において他の全てのエレメンツに勝る。これらは純粋なエレメントの生き物だからである。」*6


 (3)第3の分類として、薔薇十字団の諸宣言書には、Signatura rerum(物のサイン)の教義を含んでおり、これもまたパラケルススが起源である。これは「名声」で引用される「魔術の書」、この「自然の書」にある神秘的な文字である。これらは「信条」によれば「全ての者の目に開かれても、ごく少数のみが読んだり理解できる。」これらの文字は「天と地とその全ての獣への神の創造の驚異的な働きの中に」押された神の印である*7。この「物のサイン」はパラケルススは「特有の有機的な生体活動」と記しており、しばしば「物の外的な形すらも表現」し、それらの形を観察する事によって、その内なる性質を、たとえ内側を見なくても学べるという。我々は人の内側の性格は、しばしば外的な見た目、それどころか歩き方や、声の音によっても表現されるのを見ている。同様に物の隠された性質は、その外側の形によりある程度は表現されている。「人が自然な状態にあったならば、物のサインを認識し、その真の性質も知っていただろう。だが人が自然の道から逸れ、心が幻影的、外的な現れに捕らわれるにつれ、この力は徐々に失われていったのである。」*8この教義は、パラケルススの最も優れた弟子、ケント地方の薔薇十字主義者、ロバート フラッドによりさらに発展していった。「また自然の書のページの中に秘密裏に植えられた、別の不可視の書法もある。それらは理性の目により読み考えたりするものではなく、我々自身の心の隠された肉的なタブレットの上に、生ける神の霊による描かれたものである。(略)これらの内なる書法により構成される内なる霊的な文字は、肉体の目には万物の現れの原因、起源でもあろう。」*9またフラッドはこのようにも記している。「これらの生ける文字が聖書と自然の大いなる書にも植えこまれていたのは明らかであり、私はこれを奥義アルカナと呼ぶ。なぜなら、これは少数のみに理解され、唯一存在するようにしてあり、書の所有者が死亡したならば、この書の文字は破壊され、その生ける霊的な文字を含んだ内容は別の者へと渡されたからである。」


 (4)これらの思弁の諸原理は、ある種の実践魔術の形と結びついていたように思える。今では魔術という言葉を聞いた一般読者の頭に浮かぶのは、雑なペテン師や、悪魔との契約、地獄の儀式などであろう。そのため、これらに熟達した者の意見では実際に何だったかを述べる必要があるように思える。パラケルススによれば、魔術とは万物の内なる構成の中に見つけられる、大いなる隠された知恵である。「魔術は人の内部と、肉体の外側の組織の真の性質を教える。」そして魔術は「可視、不可視の自然の知識」を含んでいる。魔術は治癒の術の唯一にして真の教師である。医者が魔術に熟達しているならば、彼らの(世俗的な医学の)書は燃やされ、その医薬は海へと投げ捨てられていただろう。「魔術(Magic)と妖術(Sorcery)は完全に違ったものであり、光と闇、白と黒の間ほどに大きな差がある。」この権威者はさらに、魔術の大いなる動者は意志力を完成させる信仰により固められた想像力であり、この強められた想像力は、それ自身のものを造り出せると教えている。「人には可視、不可視の働きがある。可視はその肉体であり、不可視はその想像力である。(略)想像力とは人の魂の中にある太陽であり、それ自身の圏において、地上の太陽がなすように働く。地上の太陽は輝き、それによって大地に植えた種が育ち、植物が伸びていく。同じように想像力も、魂の形を存在へと呼ぶ。(略)霊は術師であり、想像力はその道具で、肉体は形造る物質である。想像力はそれにより意志が思考から天の存在を形作る力である。想像力は奇想とは違う。奇想は迷信と愚かさの要石である。(略)想像力の力は医療でも大きな要素である。想像力は人や動物で病を造り出したり、癒したりする。」*10この理論は幻視、エクスタシー、召喚、その他の事実であると認識されるも、それらの結果が無用である疑似奇跡の全てを覆っている。


 (5)薔薇十字団が物質の金を造り出したかどうかについては、これらの諸宣言書に含まれた内容から推測するのを難しい。彼らは変容の事実を認めており、それを「神からの大いなる賜物」と呼んでいるが、「これは常に自然の知識をもたらしたりはしないが、一方でこの知識はこれや無数の他の奇跡を生み出している。我らは、哲学の知識を得るのを望み、自然が行うよりも早く金属のチンキを造り出す卓越した機智に誘惑されたりはしないのである。」*11この考えについてどう解釈にするにせよ、これは確実に薔薇十字団を、第1章の終わりで私が引用した錬金術の学派の中に置いており、その目的は錬金術の再構築の大いなる作業での、霊的な側面の達成である。彼らにとって、一般化学での金属の変容とは何のかかわりも無く*12、「名声」と「信条」の両方で、純粋な物理的プロセスの教授ら全てを無差別に非難しているように見え、「神無き、告発された金造り屋」と呼んでいる。ここでも他の意見と同様に、彼らはパラケルススの意見に従っている。「全ての汝の錬金術の処方について、全ての汝のレトルト、瓶、坩堝、モルタル、ガラスについて、全ての汝の蒸留、溶解、抑制、凝固、昇華、沈殿、濾過の複雑なプロセスについて、汝が時間と金を費やした全ての愚行について、私は何というべきか。これらの全ての事は無用であり、それらに費やした働きは無駄である。これらは真理に到達する助けとなるよりも障害となるのである。」同様の口調で「信条」は、疑似化学者らが信じ込みやすい好奇心の強い者に示すような「怪物的な象徴と謎」を非難している。ハルトマン博士によると、「パラケルススは化学的手段により金や銀を造り出す事は可能であると確証しているが、それでも彼はそのような試みを無用であると非難しており、そのような化学実験が成功するとしても、それには単純な化学的操作以上の何かが必要である可能性が高い。」*13パラケルススについての最も博識な注釈者の1人であるエリファス レヴィは、「金の中に光が、光の中に金が、万物の中に光がある」と宣言する。そのため、大いなる作業の第一形質は、我々の内側とその周囲の両方にあり、「知的な意志は、光を吸収し、微細な形質の作業を導く。そして化学作業は非常に二義的な道具としてのみで用いられる。」*14


 だが同時に、薔薇十字団は「金の大きな宝」と金運の財布を有していると主張する。彼らはこれを文字通りに解釈するよう意図していた事には何の疑いも無く、「名声」では、これは創始者のC.R.が、ヨーロッパで結社を建てるのためのプロジェクトだったと明白に述べている。「これにより、王達には金、銀、宝石が充分に授けられたであろう。」


 (6)金属の変容と密接に関わっていたのが、「世界の至高の医薬」、生命のエリクサーであり、15世紀の錬金術師ベルナルド トレヴィサンによると、哲学者の石を水銀水へと還元したものだという。これは全ての病を癒し、通常の生物の限界を超えて長生きさせる。この「非常に微細で魔術の諸力を持つ驚異的な万能薬」を実際に保有しているかどうかを主張しないまま、薔薇十字団は本質的には、あるいは少なくとも主要な目的として、医療のための友愛団として我々の前に現れている。「彼らの同意は以下のようなものである。(略)我々は病者を無料で治癒する以外のいかなる事もなすべきではない。」*15ブール教授は「薔薇十字団とフリーメイソンリー」の注釈の中で、こう述べている。この時代のドイツでの悪は膨大なものがあり、この地は「悲惨と混乱の大嵐」が荒れ狂っていた。医学はまだ幼児期であり、またルター改革での修道院の略奪は、同時に病院も破壊していた*16。不衛生と当てずっぽう医療の避けられない結果として、疫病と悲惨が疑い無く非常に広がっていた。古い治療法の完全な無力ぶりは、薔薇十字団の他にも多くの者らに、伝統的権威を見下し、非難するようにさせており、新しく理性的な仮説を基にした、幅広い領域での実験的研究へと向かわせていた。この革命の種はパラケルススの中に見いだせ、その実践神智学――正統的な神秘家の観点からは、医学そのものは神秘主義の枝である――は薔薇十字団の達人らにより実践され、それらは最も強く主張されている部分でもあり、彼らの不協和音の世俗的な内容に、真にして神聖なオカルティズムのオルペウス的調和を加えさせる黄金の繋がりなのである。


 原初の時代から永続してきたという主張、常に燃え続けるランプ、距離に関係なく見るヴィジョンの能力、世界の終末へのアプローチといった彼らの秘密哲学の信念は数え挙げるので充分であろう。私は薔薇十字団の主張には何ら新しいものは無く、その観点にはオリジナル性が無いのを明白に示してきた。これらはパラケルススのルター派の弟子らとして前にも現れている。そして、序文で議論してきたことに戻ると、これらの宣言書には遠い時代の類型とも繋がりが無い。それゆえ、古代では無く近世に、我々は薔薇十字の象徴の説明を求めなくてはならない。「クリスティアン ローゼンクロイツの化学の結婚」の中にある文は、この重要な点の解決の手がかりとなるであろう。


薔薇十字団の真の歴史 7
↑ 薔薇十字団


*1 ヨハネの黙示録にある666の獣のこと。ここでは、無益な神学議論を表しているようである。
*2 ジェロームはナポレオン ボナパルトの弟の1人で、小さな角とは黙示録の預言にある獣の持つ角の1つの事で、ナポレオンこそが黙示録の666の獣であるといったような説であろう。緋色の女もまた、黙示録に出てくる神を冒涜する悪女である。
*3 1835年 - 1910年。アイルランドのプロテスタント宣教師。
*4 原注。フランツ ハルトマン著「パラケルスス」 p.44.
*5 原注。エリファス レヴィによれば、アストラル光、すなわち無限を通じて放散する形質で、物質界および精神物質界の第一形質は、「人間を包む光の概念へと瞬時に変容し、魂を最初に包むものである。」そして、極めて微細な流体と組み合わさる事により、これはアストラル、エーテル、星々の体となる。人が死に、その内なる神の霊が最高天へと帰ったら、2つの死体を残す。1つは地上にあるもので、もう1つは大気にあるものである。「片方は既に不活発となっているが、もう片方は世界魂の普遍的な働きにより、なおも動かされるが、徐々に死んでいき、これを生み出したアストラルのエネルギーへと吸収される運命にある。」(「魔術の密儀」p.97, 105)
*6 原注。「ガバリス伯爵」第2版より。
*7 原注。「友愛団の信条」 第8章より。
*8 原注。ハルトマンの「パラケルスス」pp.51,52より。
*9 原注。ロバート フラッド著「薔薇十字友愛団の擁護の要約」より。
*10 原注。「友愛団の信条」第11章より。
*11 原注。同書より。
*12 原注。この点については、「魔術の密儀」の伝記的、批評的序文の43ページを参照せよ。
*13 原注。ハルトマン著「パラケルスス」177,178ページより。
*14 原注。「魔術の密儀」204ページより。
*15 原注。「友愛団の名声」73ページより。
*16 原注。「我々の現在の病院の起源は、病者と貧困者を扱っていた修道院の手筈に見る必要がある。あらゆる修道院には診療所があり、医師の修道士らにより運営されており、そこでは病者と回復期患者のみではなく、老人、盲者などの住居ともなっていた。」ブリタニカ百科事典9版の「Hospitals」の項より。