ディーの日記 1583年5月9日

ページ名:ディーの日記 1583年5月9日

1583年5月9日 聖木曜日 朝


 (エドワード ケリーが地方へと旅立つ前に)神の御手の慰めと許しを得るのを望んだので、余は水晶玉を準備した。そして、余はまず我が小礼拝堂で全能の神に、我が侵害により受けた心の苦しみについて告げ、以後は気を付けるように誓った。そして、この嘆願の終わりとして、詩篇 第22篇を唱えて祈った*1


ケリー「全てが白い姿をした者*2が水晶玉に現れ、こう述べました」
アナエル「それは書かれた。それは書かれた。まことに、それは書かれた。
 人間の父ですら、その子らへの愛情は大きなものがある。いわんや、主の憐れみはその僕の長き罪に対しても大きく、語り切れない程である。主の目の光は畏れる者らを見ると(聖書に)書かれているからである。そして、神の憐れみを信じる者は困惑する事は無い。かつてあったものとなれ。かつて汝だった者となれ。主は過去も今も同じだからである。



 だが、汝は警告されねばならない。
 見よ、我が腕は体よりも長く、我は全周囲を回る目を持つ*3。我は神が述べた者である。我が述べたようにあれ」




 そして、この天使は消え去り、すぐにウリエルが現れて述べた。
ウリエル「それはなされた」
 それから、他の2人、テーブル、椅子、古き家具らが現れ、再び回復し、以前よりも美しく見えるようになった。
ウリエル「ゆえに主が我が修復した幕屋は以前よりも10倍輝くと述べるように、汝は以前よりも10倍輝きを受けるに値するようになった。罪びとが起き上がるのは、我らを大いに喜ばせる。神が、我を畏れる者らに良き事をなし、彼らを守れ、なぜなら我が御名を知るからであると言うようにである。義において彼らは我を神だと、慈悲において彼らの大いなる慰める者(聖霊)と見出したからである。それゆえ、我らは神の御名において言おう。かくなされよ、なされよ。と。
 自らを正当化するなかれ。
 謙遜し、勤勉であれ。
 この目的を続けよ。堅固に主を畏れる者らには大きな報酬があるからである」
ディー「では少し質問があります。この書のページの順番は余の判断に委ねるとあるが、余の心にはこの聖なる言語の言葉全ては、右側から左側に書かれるように思える。そのためヘブライ聖書のように、この書の最初は(ラテン、ギリシア、英語の余らの全ての通常の書における)最後のページからにして、終わりは始まりにすべきか。第2の質問は、最初の見開きページでは、残りの47の見開きのように、小さな均等な正方形に書けません。なぜなら、最初の見開きでは、(2ページ目の)9行の他は、全てが言葉であり、一部は多くの文字を含み、一部は少なく、非常に多様だからである。そのため、余は最初の見開きの49行を区別するために、多くの見開きを作るつもりで、それぞれの言葉の最後には、2本の分割の線を上下に引くか、それとも余がその時に思いつくようにすべきでありましょうか」
ウリエル「神が述べたように、汝の判断で行え」
ケリー「今、全ての前に幕が降ろされました。そして全てのものは、前よりも美しく見えます」


 余は感謝をいと高き方へと捧げ、主が余の罪を許された事に大いに喜んだ。神の御名は世界全てで永遠に称えられ、称賛され、崇められんことを。アーメン。
 その後に余は、地に住む全ての者よ、神に喜び歌えなどの短い詩篇を祈った。
 エドワード ケリーはすぐに靴を履いて、ロンドンへと向かった。そしてそこで、鞍、馬勒、その上に敷く布を買った。彼がここで昨日、五旬節の日にある善人から、天使らが用意した3ポンドで小さな雌馬を買ったからである。
 神が彼を導き、助け、守られんことを。アーメン。


ディーの日記 1583年5月23日
↑ ディーの日記


*1 「私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか」のイエスの最後の言葉で有名な詩。
*2 ディー注。アナエルの事である。
*3 この天使は罪を見逃さない目を持っている。