薔薇十字団の真の歴史 1

ページ名:薔薇十字団の真の歴史 1

第1章 17世紀間近のドイツ神秘哲学の状況


 新プラトン哲学の伝統は、その精巧なテウルギアの体系とともに、中世の時代全体を通じてある程度は永続化していた。ラテン教会の正統神学の傍、スコラ哲学の騒ぎの只中で、我々は魔術師、カバラ学者、錬金術の達人らによって、この超越的神秘主義の深遠な泉から直接、間接的に援用していった秘密神智学の存在を見つける。その影響の軌跡は、聖アウグスティヌス、大アルベルトゥス、天使博士の聖トマス、その他の西洋キリスト教徒の輝ける光らの書に見つけられる。9世紀で既にヨハネス スコトゥス エリウゲナの形而上学諸原理の全体は、この哲学の事実上のリバイバルであった。エリウゲナは偽ディオニュシオスの「天上位階論」「神名について」などの大著をラテン語に翻訳した。これらはプラトン主義のキリスト教への応用であり、「神秘家らへ豊富な宝庫を提供した。」*1


 この翻訳は幅広く読まれ、高い評価を受けたが、ドイツで特にそうであった。この国では14世紀の初めにエックハルトによって(ディオニュシオス)アレオパギタは権威と見做されていたからである。この時代、ドイツは神秘主義の中心地であって、ユーベルヴェークによると*2、初期は主にドミニコ会修道士らの説教によって広がっていったという。その意図は、思索の教化によるキリスト教を発展させ、理性を超越的に用いる事によって完成させる事にあった。「この全体の発展の創始者にして完成者はマイスター エックハルトであった。」エックハルトは絶対者、すなわち神から離れた創造物は無であり、「それらに拠る時間、空間、二元性」もまたそれ自身では無であり、「倫理的存在としての人の使命は、この創造物の無を超越し、直接的な直観によって、自らを絶対者との即座の合一へと導く事にある」と教えていた*3


 エックハルトの後を継いだのはタウラー、ドイツ神秘主義の偉大な光であり、霊と低位の生命の諸神秘に深く熟達した者であった。その1世紀後のプラトン哲学のリバイバルとともに、ニコラウス クザーヌス枢機卿が来る。「稀な天才、有能な数学者で、自ら熟達していたピュタゴラスの諸概念を、その数学の知識の助けとともに非常にオリジナルな方法により整え再出版した。」*4このエックハルト神秘主義の代理者は、ジョルダーノ ブルーノの深遠で詩的な諸概念に対して基礎的な諸原理を与えた。ブルーノは「数論を刷新させ、10進数体系の詳細な説明を与えた。彼にとって、神は世界と人類の中で発展してきた大いなる統一であった。統一は数の無限の連なりの中で発展するからである。」*5


 ジョルダーノ ブルーノの1600年の死とともに、宗教、科学、哲学史における大いに重要で興味深い時代が我々にもたらされる。これまでの200年の(ルネッサンスという)知のリバイバルは、ヨーロッパの知的境界を照らし広げてきた。だが宗教改革は幾つかの国々で、ゆっくりとこれらを取り除き、最も思弁的な分野の研究の自由を阻害するようになっていた。これにより、個人的な研究が家の頂上近くで晒され、妖術師らのサバトの囁きが市場で不浄に描かれた。この時代精神は、プラトンやアリストテレスの胸像の前で十字架や燃えるロウソクを置くのを禁じた。神学の革命に続いたものは、古き哲学の権威らへの反逆であった。この反乱の種は、アリストテレスとその逍遥学派の後継者らが古典注釈者らに崇められ、彼らはアリストテレスの学派のフリをしつつも、その教義を歪め、価値を貶めていたのに見る事が出来よう。宗教改革の発祥の地としてドイツはヨーロッパのどの国よりも大きな知的自由を楽しんでいたが、それはまた全ての議論可能な分野での対立する諸意見の混沌でもあった。古き規律は緩められ、古き試験は失敗し、伝統の鎖はあらゆる部分で壊され、休みなき熱狂的な研究の精神は広がり、日々の新しい諸事実は古き方法を破壊していった。コペルニクスはその真の太陽系の発見により天文学に革命を起こし、ガリレオは既に温度計を発明し、栄光の未来への境界線上にいた。1世紀前のコロンブスの発見は、西洋世界へなおも果てしない眺望を開いていた。偉大な精神の持ち主らが、あらゆる地域で1000の失敗者らの中に現れていた。聖書の独立した研究は喜びと情熱とともに追求されていた。そしてあらゆる都市で、解放された人々の心には、約束された未来への希望と期待が育っていた。


 今や、進歩の時代、懐疑の時代、大いなる知的活動の時代という中で、ほとんど常に神秘主義の多様な相が流行していたのは稀な事である。そして16世紀の終わりにはある神秘主義学派が、ドイツ全土へと広がり、さらにデンマーク、フランス、イングランド、イタリアへと伝えられていった。この派は魔術師、錬金術師らの群衆によるもので、彼らは直接的、間接的に高名なパラケルススの信奉者だった。


 かのホーヘンハイムの卓越した酔っ払い、アグリッパの同時代人でありながらも、その大志はより高く、その能力はより幅広く、さらにそれが出来るとして、このトリテミウスの輝ける弟子*6よりも不幸だった男は、ロイヒリンとピコ デッラ ミランドラが代表するカバラの大いなる学院の知的生産物であった。パラケルススは神智学的密儀の理論的知識と、あらゆる種類の魔術の並ぶ者無き実践的熟達を統合させ、薬学の改革者であると同時にオカルト学の発明者でもあった。全ての正統派の錬金術師、魔術師、隠された知識の教授らの中で、パラケルススは伝説のヘルメース自身を除いた最高峰の密儀の大祭司である。パラケルススの短く激しい生涯は、1541年に悲劇的に幕を閉じたが、彼が残した諸書は死後に膨大な読者を生み、その大胆な思索は、伝統的な諸権威の影響からドイツ精神が解放されるための道具となったのは疑いない。


 16世紀も終わろうとしている頃、経験的研究の光によりパラケルススの諸原理を追求する弟子らを見出せる。彼らは以下の種類を追求していた。第1には、金属の変容、すなわち大いなる作業の秘密、化学をカバラと古典占星術のために使う応用である*7。第2には、普遍的医薬で、それにはカトリコンすなわち生命のエリクサーとパナケア(万能薬)も含まれる。エリクサーとはその保有者に長寿あるいは不死を与え、パナケアは体力を回復させ、病んだ器官を健康にするものである。第3は、哲学者の石*8、大いなる普遍的な総合であり、達人に変容や大いなるエリクサーではなく、微細な知識を授ける。だが、これらはその知識に拠るのである*9。そして、ヘルメース伝統のより高く霊的な側面をよく説明している、ある現代の著者はこうも述べている。「この石は絶対の哲学の基盤である。これは至高にして、不動の理性である。(略)哲学者の石を見つけたというのは、絶対者を見つけた事である。」*10すなわち、全ての存在の真の存在理由である。そのため、神の啓明により与えられる不謬の知識と知恵への大志のある秘儀参入者は、時には円の直交として語られるもの、すなわち人と神の全ての学問の範囲、領域を探求する。


 これらの探求者や、発見者と考えられたり自称したりする者らの間で、徐々にイルミナティ(啓明者)の上級の学院の名声を受けるに値する組織へと発展していった。彼らは「Turba Philosophorum(哲学者らの集会)」にある用語を用いて、より高尚な目的を隠すために錬金術を追求するフリをしていた。16世紀末のこの派の主な代表はハインリヒ クンナートであり、その著書「Amphitheatrum Sapientiae Aeternae(永遠の知の劇場)」の中でこれらの諸原理は最も洗練された形で表現されている。この派の学徒らは、これらの著者らによって、物理的な黄金を探求する事から、腐敗せずに純粋に霊的な宝を見つける事まで導かれていた。そして彼らはこれらの宝がある「王の閉ざされた宮殿」へと入れる神秘的な鍵を保有していると称していた。さらに物理的な変容、実践錬金術師の唯一にして至高の目的は、完全に重要でない立場へと落とされた。もっとも、これらは達人により行われ、その深遠な進歩を測る目安とされた。この物質の理論の、その低位のプロセスすらも否定し、霊的でない者には達成は不可能だと宣言していた。そして、錬金術の術語が超越的な意味合いで使われたように、形而上学の用語も、一般に知恵や霊性などと呼ばれるものに高められていった。


 これら錬金術師らの集団での、この並外れた意見の分裂の結果、自然の諸秘密の探究者らの群衆、プロフェッショナルの達人らの聴衆を形成していた者らの心に、必然的に大きな混乱が起きた。毎年、ドイツの印刷所から多数の本とパンフレットが出版され、それらは大いなる作業の秘密を含むと称して、歴史上初めて、平明で誤解しない用語で語られると主張していたが、それらの著者は前任者らよりも理解できる内容であるのを証明できずにいた。その研究は完全で前例のない成功をしたと称する著者らに取り囲まれていた学徒らは、自らでは何の進歩も達成できず、新たな技法は、成功を保証すると言われていたが、それらの作業で古い方法と同じほどに不毛であった。そしてこの主題への一般の興味は、数えきれない詐欺師らを刺激し、彼らは価値無き思索物と嘘のレシピの出版によって大きな利益を得ていた。このような状況では、孤立した研究者らは、自然と集団による余裕を得る助けを求めるようになり、同じような考えの者らと会合し、秘密の諸学に関する様々な問題を議論し合っていた。お互いの教義や実践は比較し合い、人々は同じ領域で研究していた遠くに住む者らと意見を交わすために、遠く幅広く旅をしていた。こうして、秘教学の進歩と自然の諸法の研究のための組織を確立する機運は熟していった。薔薇十字友愛団が初めてその存在を公にし、その奇妙な歴史と、その主張の性質によって、普遍的な注目を引き寄せたのは、まさにこのような興味深い時代での事だったのである。


薔薇十字団の真の歴史 2
↑ 薔薇十字団


*1 原注。Tenneman's "Manual of the History of Philosophy," ed. Bohn, p. 207.
*2 原注。"Hist. of Phil. Trans.," Morris, i., p. 468.
*3 原注。前褐書 469ページ。
*4 原注。Tenneman, p. 257.
*5 原注。Cousin, "Course of the Hist. of Mod. Phil.," ii., p. 48.
*6 アグリッパのこと。しかしパラケルススもまたトリテミウスの弟子だったので、話はややこしくなる。
*7 原注。「汝がカバラ学者や初期の占星術らの実践を理解しないならば、神は汝にスパジリックを造らせず、ウゥルカーヌスの作業のために自然を高めたりもしないだろう。」パラケルスス、「自然のチンキについて」より
*8 原注。「哲学者の石(the Stone of the Philosophers)と哲学の石(the Philosophick Stone)の間には大きな違いがある。前者はこの哲学に属し、その最初の準備の段階と見做され、真に石である。なぜならこれは硬く、重く、砕けやすく、脆いからである。(略)哲学の石は秘密の熟達した作業により第3の段階の完成へと高められたら、哲学者の石と同じものとなり、全ての卑金属を、その接する発酵の性質に従って純粋な金か銀へと変容させる。」「ヘルメースの勝利」より。
*9 原注。卑金属は哲学の石の保有者により完全な金へと変容し、ベルナルド トレヴィサンによると、生命のエリクサーは、賢者の黄金の飲料水と呼ばれていた水銀水にこの石を投げる事で得られる。
*10 原注。エリファス レヴィ「高等魔術の教理と祭儀」「魔術の密儀」の199と201ページ。