オカルト哲学 4-17

ページ名:オカルト哲学 4-17

降霊術、死者の霊を起こす術について


 我がオカルト哲学 第3の書の中で、肉体に加わっている霊とは何を意味するか、そして死後には魂はどうなるかを私は教えた。


 汝がさらに知るであろう事は、これらの魂は、特定の親和性が彼らを誘惑するかのように、死後も肉体に愛着しており、暴力的に肉体を捨てる羽目となった悪人の魂らや、埋葬を望む魂らは、その死体の周囲をなおも流体的で騒がしく彷徨っているのである。生前の行いから悪意があると知られているこれらの魂は、その肉体と似たようなもの、気体や液体や気に入った物により、容易にそれらに引き寄せられるのである。


 これゆえ、死者の魂らは、血や彼らの肉体の残存物無しには呼ばれる事は無い。


 これらの影を起こすには、我々は新しい血を焚いて、さらに死者の骨、肉、卵、ミルク、蜂蜜、油、他のその種のものを混ぜる。それらは死者の魂に帰するもので、その肉体を受け取る傾向があるものとする。


 また死者の魂を起こすのを望む者は、これらの魂の類が最も親しんでいる場所か、これらの魂が禁じられた肉体へと刺激するものに類似性がある場所、また過去に愛着があったり、彼らの生涯で印象を受けたりして、これらの魂が引き寄せる特定の場所、もの、人物の傍で行うのも理解すべきである。またこれらの魂に懲罰をするのを準備し、満たされている、黄泉のような性質のある場所もである。これらの場所の多くは、幻視、(精神への)力ある襲撃、突然の幻影といったような非凡な視野の経験により知られる。


 それゆえ、これらの事に最も適している場所は、教会墓地である。だがそれよりも良いのは、罪人の処刑場である。さらに良いのは、最近虐殺が行われた場所である。さらに良いのは、暴力的な死を受けた死体が、まだ罪が償れておらず、葬儀がなされずに、最近埋められた場所である。これらの場所の贖いの儀式は、死者の埋葬に適した正当な聖なる儀式でもあり、しばしば魂らに、その死体へと来るのを禁じて、最後の審判の場所へと放逐するからである。


 そして、これらの事から、死者の霊は容易には起こせないが、例外は生前に悪人として我々が知る魂や、暴力的な死によって死んだ者や、死体が正しく埋葬されるのを望んでいる魂であるのが理解できる。


 さて、私はこの種の場所について述べてきたが、そこに行くのは便利でも安全でも無いだろう。だが死体の主要な部分が残っている場所を選ぶ必要がある。そこで、適切に香を焚いたり、他の的確な儀式を行う。


 また、魂は特有の霊的な光なので、人工的な灯り、特に真の規則に従って構成され、正当な名前と印が彫られている、特定の複合物により燃やされるものには、死者の魂を起こすのに大いに役に立つと知られている。


 さらに、これまで述べてきた事は、魂を起こすのには常に充分とはいえない。なぜならば、これらの理解と識別の超自然的な部分は、天と運命、それらの力によってのみ知られるからである。


 それゆえ、これらの魂を引き寄せるには、正当に司る超自然的で天の諸力によりなす必要がある。これらは、想像、理性、知性と魂を調和するように動かすのである。これらは声、歌、音、楽器や、祈り、召喚、エクソシズム、その他の聖なる儀式といったような宗教的な事柄によるもので、これらを司るものに非常に適しているのである。



↑ オカルト哲学 第四の書