オカルト哲学 4-7

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儀式道具の聖別について


 次には私は、この術で用いる全ての道具と必要物にしなくてはならない聖別について扱うとしよう。この聖別の性質の主なものは2つである。すなわち、聖別する人間の力と、聖別のための祈りの徳である。聖別する人間は聖なる生活を必要とし、聖別する力は高揚と秘儀参入の両方により得られる。そして聖別する人間自身も、それらの徳、力、効果について堅固で疑い無き信念を持つ必要がある。そして聖別を構成する祈りについても、聖性を必要とし、それらは聖書の多くの場所にあるような、この目的のために神が啓明するもののみで構成するか、教会の聖職授任において、聖霊の力を通じて教えられるものにする。他にも信心深い祈りもあり、それらは自身のみならず、聖書にある祝い、歴史、働き、奇跡、効果、恵み、約束、聖餐、秘跡、その他同様のものにあるような、聖なる事柄の祝いも含まれる。これらは、特定の類似性により、聖別する物への適切や不適切な結果をなすのである。


 また、聖なる印や、聖水を撒いたり、聖油を塗油したり、聖なる崇拝に適した香を焚いたりといったような、聖別と贖いをなす類のものと共に何らかの神名を呼ぶのも用いられる。それゆえ、あらゆる聖別の儀式では、主に水、油、火、香の祝福と聖別が用いられる。それらはランプに置いた聖なるロウソクの光の下で行われるが、この光無しには、どの秘蹟も正しくは行えないからである。それゆえ、汚れたものに聖別をなすならば、その前にエクソシズムと贖いがなされねばならないのを知り、堅固に行うべきである。それによって、物は純粋となり、神徳の影響をより受けるようになる。また、あらゆる聖別の終わりには、祈りが正しく行われた後に、聖別する者は聖別した物へ、聖別の神徳と力、神の徳と権威を称えるとともに、熱心に言葉により祝福を与えるべきである。では、汝がより容易に理解できるように、幾つかの例をこれから挙げるとしよう。


 水の聖別においては、神がどのように海の間に天空を、大地全体を潤す4つの川の源である泉をエデンの園に置いたかを祝する。同様に、神が大洪水において巨人族を滅ぼしたり、ファラオの軍勢を紅海で溺れさせるために、水を正義をなすための道具としたかを思い起こすべきである。また神がその民を海の真中で乾いた大地を通らせたり、ヨルダン川を通らせたりしたか、同様に奇跡的に荒野の岩から水を吹きださせたり、士師サムソンの祈りにより、ロバのあご骨から水を吹きださせたか*1、同様に、神が原罪の贖いのための、その慈悲と救いの道具としていかに水を用いたかもである。またキリストはヨルダン川で洗礼を受け、それにより水は聖別され清められた。さらに、これらに適した特定の神名も呼ばれるべきである。生ける泉、生ける水、慈悲の泉といったような神名である。


 また同様に、火の聖別については、神がその正義の実行、懲罰、復讐、罪の贖いのための道具として火を造ったのを祝するべきである。また神が世を裁くために来る時は、大火がその前を進むように命じた事もである。また神がモーセの前で、燃える柴の中で現れた事も思い出す必要がある。また神は(出エジプト記の)イスラエルの子らの前に火の柱として進んだ事もである。さらに火無しには供犠、生贄、聖別の何も出来ないのである。また契約の幕屋で常に火を燃やすように神は教えたのではないか。さらに消えた火も、水の下に隠していたものにより、神は再点火したのではないか。このような事を用いよ。同様に神の御名は、律法と預言者の書で、神は燃やし尽くす火であると言ったような、これらに適しているものを呼べ。またその他にも、火を意味する神名や、神の栄光、神の光、神の光輝といった同様の名前を用いよ。


 そして同様に、油や香の聖別については、このような聖なるものは、この目的に適していると覚えておく必要がある。すなわち出エジプト記での聖なる塗油や、これらを意味する神名である。例えばキリストは油塗られた者を意味する。さらに、それらに含まれた神秘も祝するべきでる。例えばヨハネの黙示録での2本のオリーブの木から造られた聖なる油をランプに入れ、神の面前で燃やされたという様な事である。


 そして、光、ロウソク、ランプの祝福は、火からや、燃える物質が含まれた祭壇から取られた。また他の類似するものは、神の面前で燃やされた7枝の燭台やランプのような(ヨハネの黙示録の)諸神秘の中にある。


 それゆえ、これらの聖別はまず最初に、あらゆる種類の献身行で用いる必要がある。そして、これら無しには聖なる儀式は完全には行えないのである。


 では次に私は、場所、道具、そのような物への聖別について汝に示そう。


 それゆえ、汝が場所や円を聖別しようとする時には、ソロモン王が神殿を建てる際に用いた祈り*2を使うべきである。さらに汝はその場所に、聖水を振りまき、香を焚いて祝福を与えよ。神の御座や、シナイ山や、契約の幕屋や、エルサレム神殿の至聖所といった、聖なる神秘の祝福を祝するためである。またキリストが十字架にかけられたゴルゴタの丘、キリストの神殿の聖別、キリストが変容したタボル山なども祝せよ。そして呼ぶ神名は、神の平和、神の御座、神の椅子、神の幕屋、神の祭壇、神の住居といったような、それらに相応しいものにせよ。これらは、聖別する円や場所の周囲にも書くようにせよ。


 そしてこの術に仕える道具やその他の物の聖別については、聖水を振りまき、香でまぶし、聖油を塗り、聖なる印で封じて、祈りにより祝福するといったような、同様のやり方で進めるべきである。さらに、聖書、宗教からの聖なる事柄で祝する。そして神名は聖別する物に同意するものにする。例えば、剣を聖別する場合には、福音書*3での「下着を二枚もっている者は」云々を思い起こし、また第2マカバイ記での剣が神的で奇跡的にユダ マカバイの元へと送られる様もである。また預言者と関連するものに対しては、諸刃の剣を取れなどを用いよ。


 同様に記録や書や文字や絵といったものが入っている物を聖別したい場合は、聖水を撒き、香でまぶし、聖油を塗り、封印をし、聖なる記念で祝福をし、諸神秘の記憶と聖別のために(神名を)呼ぶ。モーセがシナイ山で神から与えられた10戒の石板の聖別や、旧約や新約の神の契約の聖別や、律法、預言者、聖書、聖霊に満たされたものの聖別などである。そして、神名は神の契約、神の書、命の書、神の知識、神の知恵といったような、これらに相応しいものを用いる。そしてこのような種類の儀式により、個人的な聖別は行われる。


 またこれらの他にもさらに、聖別の別の儀式もあり、驚異的な力と多くの効果がある。そしてこれは迷信の類から来たものである。すなわち、聖別の儀式の時に、聖別したい物へ教会の聖餐のパンを集めたものを持ってくるといった内容である。


 また誓約、寄進、犠牲には個人的なものと同様に、聖別の力もあるのも知るべきである。そして作られたこれらの名前と、これらを作った我々の名前との間には、過去も現在も特有の契約と慣習があり、我々が特定の名前や、香、塗油、指輪、像、鏡といったものや、より物質的ではない神々(の像)や印、ペンタクル、呪文、宣言、絵、聖なる書といったものに献身し、捧げ、犠牲をなすならば、我らの望みと望んだ効果に強く進むのである。これらについては、我がオカルト哲学 第3の書の中で私は多くの事を語っている。


オカルト哲学 4-8
↑ オカルト哲学 第四の書


*1 士師記 第15章15節。しかし水の泉は、ロバのあご骨でサムソンが1000人を殺した後の話である。
*2 歴代誌第二 第6章14節。「イスラエルの神、主よ、天にも地にも、あなたのような神はありません」など。
*3 ルカによる福音書 第3章11節。