古今の秘密の教え 黄道とその宮

ページ名:古今の秘密の教え 黄道とその宮

黄道とその宮


 惑星、恒星、星座の研究により、古代の宗教、哲学、諸学がどれだけ深遠な効果を生み出したかを現代で正確に推測するのは難しい。ペルシアのマギ僧が星を見る者と呼ばれていたのには、故無しでは無いのである。エジプト人は特にこの分野で名高かった。なぜなら惑星の力と動き、その国々や個人の運命への影響への計算に彼らは熟達していたからである。原始的な天文観測の遺跡は世界中で見つけられているが、多くの場合、現在の考古学者らは、これらが建てられた真の目的には気づいていない。古代の天文学者らは望遠鏡を知らなかったが、真鍮や銅の板から打ち出したり、御影石を削って造った道具によって、彼らは多くの驚くべき計算をなしている。インドではそのような道具は現在なお使われていて、それらは高度な正確さを示している。インドのラージプーターナー地方のジャイプールの町にある巨大な石の日時計の観測所は、現在でも働いている。中国の北京の城壁にある有名な観測所では、膨大な青銅の道具で構成され、そこには今ではレンズの無い中空の管の望遠鏡もあった。


 多神教徒は星々は生けるもので、個人、国家、民族の運命に影響を与えられると見ていた。天の星々が人の運命に参与しているという初期のヘブライの父祖らの信念は、聖書研究家らには明らかである。例えば、士師記(第5章20節)では「諸々の星は天より戦い、その軌跡を離れてシセラと戦った」とある。カルデア人、フェニキア人、エジプト人、ペルシア人、インド人、中国人は全て黄道を理解しており、それらは共通の性質を持ち、様々な権威らが、天文学と占星術の揺籃期のこれらの国々の1つを発見者と見做していた。また北米や中米のインディアンらも黄道を理解していたが、宮の数やパターンは、東半球のものとはその詳細の多くが違っていた。


 黄道zodiacという言葉は、ギリシア語のζωδιακός (zodiakos)から来ており、その意味は「動物達の円」、あるいは一部の者らは「小さな動物達」と信じている。これは古き多神教の天文学者らによって、16度の幅を持ち、大地を循環しているように見える太陽の帯に名付けられた。第32位階メイソンのロバート ヒューイット ブラウンは、ギリシア語のzodiakosは、zo-on、「動物」を意味する言葉から来ていると述べ、さらに「後者の言葉は原始エジプト人から来ており、zoは命を、onは存在を意味する言葉を複合させたものである」と付け加えている。


 古代ギリシア人と、後にその文化の影響を受けた他の民族らは、この黄道帯を16度の幅と30度の長さの12の部分に分割した。これらの分割は黄道のハウスと呼ばれた。太陽は毎年の巡礼の間、これらを順に通過していく。そして、これらの四角形の領域に結び付いていた星々の集まりから、想像上の生き物らが造られ、その多くの姿は動物――あるいは部分的に動物――なので、後にこれらは黄道zodiacの星座あるいは宮として知られるようになった。


 この黄道の生き物らの起源は、羊飼いらの想像の産物で、彼らは夜に星々を見上げて、その心に天の動物や鳥の姿を描いたという人気のある説がある。だがこの説は、「羊飼い」が実際には古代の羊飼いの神官らと見做さない限り支持できない。黄道の宮が、現在に表されている星座から導かれた可能性は低い。それより遥かに可能性があるのは、これらの12のハウスに割り当てられた生き物らは、太陽が黄道の帯のそれぞれ違った部分を占める時に持つ、力の質と激しさの象徴である事である。


 この主題について、リチャード ペイン ナイトはこう書いている。「特定の動物が表すものとして用いられている記章的な意味合いは、一般化された幾つかの特定の性質にすぎず、それゆえに心の自然な働きにより容易に発明されたり発見されたりする。だが、特定の動物の名前を持つ星々の集まりは、これらの動物とは何の類似点も無い。それゆえ、天の特定の場所を区別するための因習的な徴に過ぎない。これらは特有の人格化された属性に捧げられたのであろう。」(「古代の術と神話学の象徴言語」を参照)


 一部の権威は、黄道は元は(12の代わりに)10に分割されたハウス、あるいは「太陽の宿」だったという意見を持っていた。古代では、年、月、季節を測るために用いた、2つの違った基準――1つは太陽、もう1つは月――があった。太陽暦では、それぞれが36日で構成される10ヶ月で構成され、残りの5日は神々へと捧げられていた。月暦はそれぞれが28日で構成された13ヶ月で構成され、残りの1日は置かれた。この時代の太陽の黄道はしばしば、それぞれが36度の10のハウスで構成されていた。


 黄道の12宮の最初の6つの宮は、慈悲深いと見做された。なぜなら太陽が北半球を旅する間、これらを占めていたからである。ペルシア人が信じていた、アフラ・マズダが宇宙を調和と平和によって統治する6,000年間は、これらの6つの宮の象徴であった。次の6つの宮は悪意あるものとされたが、この時期には太陽は南半球を旅していて、ギリシア、エジプト、ペルシアでは冬だったからである。そのためこれらの6ヶ月は、アフラ・マズダの力に勝つのを求める、ペルシアの悪神アンラ・マンユによる苦しみと不幸の6,000年間の象徴である。


 ギリシア人による改革の前に黄道は10の宮で構成されていたという意見を持つ者は、その例として、天秤宮は乙女の蠍の宮(この時代には1つの宮である)を分割し、その間に挟まれたもので、それによって上昇する北半球の宮らと下降する南半球の宮らの間に「バランス」が確立されるようにしたという例を挙げている(ハーグレイヴ ジェニングスの「薔薇十字団、その儀式と密儀」を参照)。またこの主題について、アイザック マイヤーは以下の様に述べている。「黄道の星座は最初は10であり、密接な両性具有の人あるいは神を表していた。後にはこれらは変えられ、天蝎宮と処女宮が分かたれて11となり、その後に天蝎宮から天秤宮が取られて、現在の12になったのである。」(「カバラ」より)


人体と外宇宙との関係について示す図

キルヒャーの「エディプス エジプティアクス」より


 この装飾の境界には、動物、鉱物、植物の名前の集まりが含まれていて、その人体の部分と照応する関係は、点線によって示されている。点線にある大文字の言葉は、身体の部分、器官、病、関連する薬草や他の物質について示している。1年のうちの良い時期は、黄道の宮により示され、そのハウスは十字架によって、それぞれ3つのデカンへと分割されている。この影響は、諸惑星の印が人体のそれぞれの側に置かれている事で、さらに強調されている。


春秋分と夏冬至


 黄道の面は、天球上の赤道と約23度28分で交差する。この交差する2つの点(AとB)は春分と秋分と呼ばれる。


 毎年、太陽は黄道を全て1周し、始まりの地点――春分――へと帰る。また、毎年、割り当てられた時の期間の天の完全な円周を造るのに、わずかに足りずに終わる。結果として、去年に赤道を通過した黄道の宮の地点よりわずかに遅れた場所の赤道を通過する。黄道の各宮は30度で構成されるが、太陽は72年ごとに1度ずつずれていく。そのため、1つの星座(宮)全体では、約2,160年ごとにずれていき、黄道全体では、約25,920年でずれる事になる(権威らは、これらの数について同意していない)。この逆行の動きは、春分点歳差と呼ばれる。これによって、大太陽年あるいはプラトン年を構成する約25,920年の軌跡で、12の星座のそれぞれが約2,160年ごとに春分の場所を占め、それから先の宮へ場所を与える事になる。


 古代人の間では、太陽は常に春分で通過する時の星座の姿と性質により象徴されていた。過去2,000年間近く、太陽は春分には双魚宮で赤道を通過していた。その前の2,160年間は 白羊宮で太陽は通過しており、その前は金牛宮で春分に通過していた。この星座に雄牛の姿と気質が割り当てられたのは、古代では雄牛は野を耕すのに用いられ、この耕して種を植える季節が、太陽が金牛宮として名付けられた領域を通過している時期だったからだろう。


 アルバート パイクはペルシア人がこの宮に抱いていた意見の念と、彼らの間で流行っていた占星術の象徴の技法について記し、こう続けている。「ゾロアスターの秘儀参入の洞窟では、太陽と諸惑星は頭上にある宝石や金によって現わされ、黄道もまたそうであった。太陽は金牛宮の背中から現れ、起き上がった。」またおうし座の中には、「7姉妹」――聖なるプレアデス――フリーメイソンリーでは聖なる梯子の最上部にある7つの星々として有名なものも見つけられた。


 古代エジプトでは、この時期――春分が金牛宮だった時――に、聖なる雄牛アピスが太陽神に捧げられていた。北半球を太陽が通過する際に、そこにある天の宮の動物の同等物を通じて太陽神は崇拝されていた。これは古代人が「天の雄牛の角により年の卵は破られた」と言う時の真の意味合いである。


 サンプソン アーノルド マッキーは、「古代人が示した神話学的天文学」の中で、エジプト象徴主義での雄牛について、2つの非常に興味深い点を記している。マッキー氏は地軸の変動と我々が呼ぶ地球の動きが、赤道と黄道の帯の相対的な位置の大きな変化をもたらしたという意見を持っていた。元は黄道帯は赤道に対して直角の位置にあり、巨蟹宮は北極と、磨羯宮は南極と面していたと彼は信じている。卵を取り巻く蛇のオルペウスの象徴は、地球がそのような状態にあった時の、太陽の動きを示そうとしていたのかもしれない。マッキー氏は「クレタの迷宮」でさらに持論を進めて、グノーシスの名前アブラクサス(Abraxas)や魔術のアブラカダブラ(abracadabra)の術式などは自らの理論を実証すると述べている。アブラカダブラについて、氏はこのように述べている。


「だが雄牛のゆっくりと消失していく動きは、文字が徐々に消えていくことで最も幸福に祝されていた。これは大いなる天文の出来事をかくも強調して表現していた。そのためアブラカダブラは雄牛、唯一の雄牛である。古代のこの言葉はab'r-achad-ab'raの様に分割できる。すなわち、Ab'rは雄牛の意味であり、achadは唯一のとなる。またAchadは太陽の名前の1つであり、太陽は「唯一」輝く――太陽は見える時には唯一の星である――という結果を与える。残りのab'raと共に、全体では雄牛、唯一の雄牛となる。名前の繰り返しにより文字を欠けているものの、この出来事の記憶を保存するために編み出された、最もシンプルで、かつ最も満足いく方法である。また上記の儀礼で雄牛に与えられたソラピスあるいはセラピスの名前は、この説に全ての疑いを超えさせている。(略)この言葉(Abracadabra)は11度目の減少する段階で文字としては消え去る。そして驚くべき事に、3つの頭を持つ体は11の巻き付きのある蛇により畳まれ、ソラピスにより置かれる。そして蛇の11の巻き付きは三角形を形成し、abracadabraの11の消えていく線が作るものと類似した形となるのである。」


 世界のほとんどあらゆる宗教は、占星術の影響の軌跡を示している。ユダヤ人の旧約聖書に書かれたものはエジプト文化の影響が見え隠れしているが、占星術、天文学の寓意に満ちている。ギリシアとローマのほぼ全ての神話は、星の集まりの中に見出せるであろう。一部の著者らは、ヘブライ文字の元の22文字は星の集まりから導かれたものであり、星座の恒星は子音になり、諸惑星と月と太陽は母音となり、天の壁に書かれた星々は言葉を綴ったという意見を持っていた。常に違った組み合わせで来るもので言葉は綴られるが、適切に読むならば、未来の出来事を告げると信じられた。


 黄道帯が太陽が諸星座を通る道として認識されるにつれ、季節を分ける印ともなった。古代の年を測る体系は、春秋分と夏冬至を基にしていた。年は常に春分とともに始まり、太陽が赤道を北の黄道帯へと通過した記念として3月21日は祝われていた。夏至には太陽が最も北の場所へと到達したのを祝し、それに当てられた日は6月21日である。その後、太陽は赤道へと降りていき、さらに赤道を通過するのが秋分、9月21日である。そして冬至、12月21日に太陽は最も南の場所に到達する。


 黄道の4つの宮は、常に春秋分と夏冬至に割り当てられていた。もはやこれらの宮は古代に割り当てられた星座の位置と一致していないが、それらの名前は現代の天文学者らも計算の基礎として受け入れられている。そして春分は白羊宮の星座で起きるとされた。そのため黄道帯を形成する天の群れの頭に、全ての獣らのうち子羊が置かれるのは適している。紀元前数世紀に、多神教徒はこの星座を崇めていた。ゴッドフリー ヒギンズはこう述べている。「この星座は『神の子羊』と呼ばれていた。また『救い主』とも呼ばれ、人類をその罪から救うとされた。この星座は常に『主ドミヌス』の名で称えられていた。そして『世界から罪を取り去る神の子羊』と呼ばれた。崇拝者らはその祈祷の中で懇願し、常にこの言葉を唱えていた。『神の子羊、世界から罪を取り除く者よ、我らをあわれみ、汝の平和を我らに与えたまえ』」。それゆえ、神の子羊は白羊宮で毎年北半球へと再生する太陽に与えられた称号である。もっとも黄道と実際の星座の位置との較差の存在によって、現在では実際には魚座で起き上がるが。


 夏至は巨蟹宮で起きると見做され、エジプト人はこの星座をスカラベという黄金虫、昆虫の王の名で呼び、エジプト人からは永遠の生の象徴として称えられていた。この星座がこの蟹の生き物により表わされているのは、太陽がこのハウスを通過した後、黄道を後ろに、あるいは下がって進むからである。蟹は生成の象徴である。ここは月、万物の太母、自然の生命の諸力の女主人のハウスだからである。ギリシアの月の女神ディアーナは世界の母と呼ばれていた。女性あるいは母性原理の崇拝について、リチャード ペイン ナイトはこう書いている。


「海の水を寄せたり引いたりする事で、彼女は自然と湿気の統治者と見做された。そして、女性の状態に強い影響を与えているように見られた事で、彼女はまた懐妊、受動的な生成の女主人、制御する者と見做された。彼女は海から自らの配下のニンフら、従属する化身からそれらを受け取ると言われた。そしてしばしば、海の蟹、傷ついたり切断された手足を自発的に体から取り除き、新たなものを再生させる性質のある動物の象徴で表されていた。」(「古代の術と神話学の象徴言語」)この水の宮、自然の母性原理の象徴は、多神教徒らから全ての命の起源と見做され、月が自然で永遠の住居であった。


 秋分は天秤宮の星座で明らかに起きていた。この天秤に触れると、太陽は冬のハウスへ向けて巡礼を始めた。この天秤の星座は、それにより人が1つの問題と別の問題を測る、選択の力の象徴として黄道に置かれた。数百万年前、人類が原初の時、人は善悪を知らない天使のようであった。そして神々が精神の自然のための種を与えた時、人は善悪を知る知識の状態へと「落ちた」。人の自らの環境への精神の反応から、経験の果実を蒸留する。それにより、人はその失われた場所を回復するのみならず、個人化した知性も持った。パラケルススはこう述べている。「肉体はエレメンツから、魂は星々から、霊は神から来る。全ての知性のあるものは、星々から来るものを考えられる(これは、物質の星座というより星々の霊である)。」


 冬至が理論的に取る場所である磨羯宮の星座は、死のハウスと呼ばれる。冬には北半球の全ての生き物はその最低限の減退期にあるからである。この磨羯宮は頭と上半身が山羊で、尻尾は魚の複合生物である。この星座の中で太陽は北半球では最も力を失い、この星座を通過した後には、即座に力を増大させ始める。ゆえに、ギリシア人はユーピテル(太陽神の名前)は山羊により養われたと述べている。黄道の象徴主義への新しく違った側面光がジョン コールの「エジプトのデンデラの町の円形黄道に関する論文」で与えられている。「それゆえ、魚の体から起き上がる山羊(磨羯宮)の象徴は、バビロンの山のような諸建築が低い沼地から起き上がっている最も偉大な性質を表している。この山羊の2本の角は、2つの町、ニネヴェとバビロンの象徴である。前者はティグリス川のほとりに建てられ、後者はユーフラテス川のほとりにである。だが両者とも1つの王国に属する。」


小宇宙

スコトゥスの「哲学の真珠」より



 多神教徒らは黄道は宇宙規模の巨大な人間の体を形成すると信じていた。この体を彼らはマクロコスム(大宇宙)と呼び、12の主な部分に分けられていて、そのうちの1つは黄道の星座らが位置する天の諸力の制御下にあった。宇宙全体が彼らがミクロコスム(小宇宙)と呼ぶ人の体の中に縮図としてあると信じていたので、人間の体の12の主な部分に黄道の宮を当てはめて、「年間で人の体を分割する」今では有名な図へと発展させていった。


 太陽が1つの黄道の宮を通過する2,160年の期間は、しばしば時代と名付けられていた。この体系によれば、太陽が春分に赤道を通過する宮から、時代の名前は取られていた。この方法から、金牛宮の時代、白羊宮の時代、双魚宮の時代、宝瓶宮の時代という名が取られた。これらの期間あるいは時代の間、宗教崇拝は相応しい天の宮から取られた。ここでは、霊が肉体をとるように、太陽はこの宮を人格性としてとると考えられていた。これら12の宮は太陽の胸甲の12の宝石であり、太陽の光はそれぞれへと光を放っていた。


 この体系について考える事により、地球の歴史の違った時代で特定の宗教の象徴が用いられていたかを理解する事ができる。太陽が金牛宮にいた2,160年間には、太陽神は聖牛アピスの体に入ると言われ、雄牛はオシリス神へ捧げられるようになった(聖書の象徴主義と関連した占星術の時代の詳細については、マックスとアウグスタ フォス ハインデル著の「星々のメッセージ」を参照)。白羊宮の時代には、子羊は聖なるものとなり、神官らは羊飼いと呼ばれた。羊と山羊は祭壇で生贄となり、贖罪の山羊(スケープゴート)はイスラエル人の罪を背負うために捧げられた。


 双魚宮の時代には、魚は神の象徴となり、太陽神(イエス)は2匹の小魚を無数に増やした。インマン著の「古代の信仰」の口絵には、頭に魚がある女神イシスが記されている。そしてインドの救い主の神クリシュナ、ヴィシュヌ神の転生者の1つは、魚の口より放たれている。


 イエスはしばしば人々への漁師として引用されるだけではなく、ジョン P. ラウディーはこう書いている。「この魚Fishという言葉は、イエス キリスト、神の子、救い主、十字架の略語でもあった。あるいは聖アウグスティヌスが以下に述べる意味もあった。汝が、Ἰησοῦς Χριστος Θεου Υιὸσ Σωτήρ、すなわちイエス キリスト、神の子、救い主の5つのギリシア語の頭文字を合わせるならば、それらはΙΧΘΥΣ、魚の言葉となる。この言葉の中にキリストは神秘的に理解される。なぜならキリストは海の底のように、この死すべき定めの人間らの深淵、すなわち罪の中に生きる事が出来るからである。」(「不朽のキリスト教」より)多くのキリスト教徒は金曜日、乙女マリア(ウェヌス)へ捧げられた日に、肉を食べずに魚を食べる風習(小斎)を続けている。魚の印は、キリスト教の最古の象徴の1つだった。そして、砂の上に魚の絵が描かれる事で、キリスト教徒に同じ信仰者が近くにいる事を伝えていた。


 宝瓶宮は、水を運ぶ者、あるいは新約聖書で記されている肩に水差しを背負った者の宮と呼ばれていた。時にはこれは、おそらくは両性具有者の天使が瓶から水を大地に注いだり、肩に運んでいる姿で描かれていた。東洋の人々の間では、水瓶は単独で(宮の象徴として)よく使われている。エドワード アップハムは、「仏教の歴史と教義」の中で、宝瓶宮を「青と黄色の間の色をした壺の形をしており、この球は土星の単独のハウスである」と記している。


 ハーシェルが天王星(時には発見者の名前のハーシェル星と呼ばれる)を発見した時、諸惑星の家族に加える際に、宝瓶宮の象徴の後半分が割り当てられた。宝瓶宮の瓶から流れる水は、「永遠の命の水」の名の下で、多くの象徴の中に現れている。このように全ての宮と共に、道を進む太陽は人が至高の神に捧げる信仰の形態を制御している。


 占星術哲学には2つの違った体系がある。その1つはプトレマイオス体系、地上中心説(天動説)である。ここでは地球は太陽系の中心と見做され、その周囲を太陽、月、諸惑星が回転する。天文学的には天動説体系は正しくないが、数千年にわたって、地上の事柄の内容に当てはめた時、その正確さは証明されてきた。偉大なオカルトティストらの書いたものを慎重に分析し、その図を研究するなら、これらの多くが天の諸惑星を配置する(現在とは)違った技法に精通していた事を明らかとする。


 占星術哲学のもう1つの体系は、太陽中心説(地動説)と呼ばれる。ここでは太陽が太陽系の自然と属する中心に置かれ、諸惑星とその月らがその周囲を回転する。だがこの太陽中心の体系のもつ大きな難点は、これは比較的新しい考えなので、(諸惑星の)様々なアスペクトや関係の効果について成功裏に実験し、カテゴリー分けをする充分な時間が無かった事である。地上中心の占星術はその名前が示すように、自然の地上の側面に限定され、一方で太陽中心の占星術は人の高次の知的、霊的な機能を分析するために用いられるであろう。


 覚えておくべき重要な点は、太陽が黄道の特定の宮にあると言われる時には、古代人が真に言う意味は、太陽は実際には対称する宮にあり、太陽を玉座へと付けるハウスへと長い光線を放っているのである。そのため、太陽が金牛宮にあると言われると、その意味は(天文学的には)太陽は金牛宮と対称する宮、天蝎宮にある。この結果、2つの違った哲学の学派が生まれた。1つは地上中心で権教のもので、もう片方は太陽中心で秘教のものである。無知な大衆が太陽の反射するハウス、ここでの例でいえば雄牛を崇拝している間、賢者は太陽の実際にあるハウス、この例では天蝎宮あるいは蛇、隠された霊的密儀の象徴を崇めていた。この宮は3つの違った象徴を持っている。最も一般的なものは蠍であり、古代人からは蔭から刺す者と呼ばれ、欺きと悪用の象徴である。この宮の(より少なく知られる)姿は蛇であり、しばしば古代人からは知恵の象徴として用いられてきた。


 おそらく天蝎宮で最も知られていない姿は鷲である。さそり座の星々の配置は、蠍と同様に翼を広げる鳥にも似ている。天蝎宮はオカルトの秘儀参入の宮であるので、飛ぶ鷲――鳥の王――は、天蝎宮でも至高にして最も霊的な類を表し、大地の毒のある虫を超える。黄道で金牛宮と天蝎宮は対称しているので、それらの象徴はしばしば密接に混ざり合った。ホン E.M. プルンケットは、「古代のカレンダーと星座」の中で、こう述べている。「蠍(金牛宮と黄道で対称する天蝎宮の星座)はミトラ神が雄牛を殺す時に加わり、春分と秋分の精霊として、常に喜びと悲しみの態度で描かれていた。」


 太陽を雄牛として知るエジプト人、アッシリア人、バビロニア人は、黄道をあぜの溝の連なりと呼び、これらを通じて、大いなる天の雄牛は太陽のすきを耕すと考えていた。そのため群衆が雄牛を生贄に捧げる際には、街路を華麗な姿で行進させ、花々で飾り立てられ、神官、神殿の踊り子、音楽家らで取り囲まれていた。だが哲学的に選ばれた者は、このような偶像崇拝の儀礼には参加せず、それらは大衆を構成する精神の類には最も適していると主張していた。これら少数者は、天蝎宮の蛇が、その額――ウラエウス――で証するように、遥かに深い理解を持っていた。


 光線を放つ太陽はしばしば、毛むくじゃらのたてがみで象徴とされた。獅子のメイソンリーでの意味合いについての考察の中で、第32位階メイソンのロバート ヒューイット ブラウンはこう記している。「6月21日、太陽が夏至に到達した時、獅子座――太陽よりも30度のみ前にある――道を導くように現れ、その強力な前足により太陽を黄道のアーチの頂点へと持ち上げる。(略)この獅子座と太陽の力と栄光の座、天のロイヤルアーチの頂点への帰還との見える繋がりは、この星座が古代人から高く評価され崇められていた主な理由であった。占星術師らは、獅子宮を『太陽の唯一のハウス』として認め、太陽がこの宮にある時に世界は創造されたと教えていた。この獅子は東のエジプト人から西のメキシコ人まで崇められていた。ブリテン島のドルイドの長は獅子の姿をしていた。」(「星の神学とメイソンの占星術」より)宝瓶宮の時代が完全に確立されたら、先に地上中心と太陽中心の占星術の違いについての説明で記したように、太陽は獅子宮の中にある。その時、世界の秘密の諸宗教は獅子の前足に引かれて秘儀参入のために再び起き上がるであろう(ラザロが墓から出てきたようにである)。


デンデラの円形の黄道

ジョン コールの「エジプトのデンデラの町の円形黄道に関する論文」より


 知られる最古の円形黄道は、エジプトのデンデラの町で見つけられ、今ではフランス政府の所有物である。ジョン コール氏はこの驚くべき黄道の図を以下の様に記している。「星座が刻まれているこのメダリオンの直径は、フランス式の4フィート9インチである。これには周囲をより大きな円周の別の円が取り囲み、そこにはヒエログリフ文字が含まれている。この第2の円は正方形の中にあり、この正方形の一辺は7フィート9インチの長さにある。(略)黄道の星座らと、他のもので混ざられて構成される、この星の印は螺旋で表されている。この螺旋の一回転してからの尖端には、獅子宮と巨蟹宮がある。疑い無く、獅子宮が頭であろう。この獅子は蛇を踏みつけ、その尻尾が女に掴まれた姿で描かれている。獅子のすぐ後ろに来るのはコーンの穂を持つ処女宮である。その次には、天秤宮の2つの皿があり、それらの上の獅子のメダルの中には、ハルポクラテース神の姿がある。それから、天蝎宮と人馬宮があるが、エジプト人は翼と2つの顔を与えている。人馬宮の後には磨羯宮、宝瓶宮、双魚宮、白羊宮、金牛宮、双児宮と続く。この黄道の最後は、先に既に見たように、巨蟹宮により閉じられている。


 黄道の発見の起源がいつ頃なのかには、多くの議論がある。わずか紀元前数千年であると考えるのは、データを集めてその起源について考えてきた研究者らの一部の持つ、致命的な間違いである。12ヶ月それぞれでの太陽の活動の驚くべき特徴を表す様々な生き物による星座の場所が、正確にその宮、象徴と一致していた時代まで戻らなくてはならない。ある著者は何年にもわたる深い研究の末に、黄道に関する人の概念は少なくとも500万年前まで遡れると信じた。おそらくこれは、現代文明がアトランティスとレムリア文明から受け取った多くのものの1つであろう。約紀元前1万年に、あらゆる種類の知識が弾圧され、タブレットが破壊され、記念碑は打ち倒され、先の文明に関する可能な遺産の痕跡が全て消し去られた時期があった。この破壊の時代の前にあった諸文明については、僅かな銅のナイフ、幾つかの矢尻、洞窟の粗雑な壁画のみが沈黙の証人となっている。イースター島にある奇妙なモノリスのように、世界のあちこちに残っている僅かな巨大建築物は、失った術と学、失った種族の証拠である。人類は極めて古い種族である。現代科学は人類の時代を数万年と数えているが、オカルティズムは数千万年である。「母なる地球はその背中に多くの文明を抱えてきて震えている」という古い格言がある。そのため、最初の白人が現れる数百万年前から、占星術と天文学の諸原理は発展してきたというのは故無しでは無い。


 古代世界のオカルティストらは、進化の原理を最も明瞭に理解していた。彼らは全ての生命を、「なりつつある」様々な段階にある存在だと認めていた。彼らは砂の粒は人間へと「なりつつある」プロセスにあり、それは意識においてであって、形である必要は無いと信じていた。そして人間は惑星に「なりつつある」プロセスにあり、惑星は太陽系と「なりつつある」プロセスにあり、太陽系は銀河系と「なりつつある」プロセスにあり、と永遠に続いていく。そして、太陽系と銀河系の間にある段階の1つが、黄道と呼ばれる。そのため彼らはやがては太陽系は黄道へと分割されると教えていた。黄道のハウスは天の12の階級、あるいは古代の特定の地域では10の神的な階級の玉座となる。ピュタゴラスは10あるいは10進法の単位は全ての数の中で最も完成されたものであると教え、この10の数を低位のテトラクティス、10個の点を上向きの三角形に配置したものを、その象徴とした。


 初期の占星術師らは、黄道をハウスに分割した後に、各星座の3つの最も輝く星を、これらのハウスの共同支配者とした。それから、彼らはハウスを10度ずつの3つの部分に分けて、それらをデカンと呼んだ。これらもまた、半分に分割され、そのため黄道は5度ずつの72の2つ組デカンに分割する結果となった。これらの2つ組デカンのそれぞれに、ヘブライ人は天の知性体、天使を割り当て、この体系より72の神名のカバラの配置となった。そしてこれは、幕屋の7枝の燭台にあった、72の花、蕾、アーモンドの飾りや、イスラエルを代表するため12部族から選ばれた72人と照応していた。


 まだ述べていない2つの宮は、双児宮と人馬宮のみである。ふたご座は2人の小さな双子によって一般に表され、彼らは古代人によれば卵から生まれ、おそらくは雄牛がその角で卵の殻を壊した結果によるものだった。カストールとポリュデウケースや、ロムルスとレムスの物語は、これらの天の双子の神話を拡張した結果であろう。双児宮の象徴は多くの修正を通過してきた。アラビア人が用いるものは孔雀だった。ふたご座の重要な星々の2つは、カストールとポリュデウケースの名をなおも与えられている。双児宮は男根崇拝の守護者と見做され、諸神殿や教会の前にあった2本のオベリスク、柱は、この双子と同じ象徴主義を伝えている。


 人馬宮は古代ギリシア人がケンタウロスと呼んだ、体の下半身は馬で上半身は人間の複合生物で構成される。このケンタウロスは手に弓矢を持ち、遠くの星々を射ようと狙いを定める姿で一般に描かれている。そのため人馬宮は2つの違った諸原理を意味する。1つは、人の霊的な進化を表す。人の姿が獣の体から起き上がっているからである。もう1つは、大志と野望の象徴である。このケンタウロスは矢を星々へと狙いを定めているように、あらゆる人間は自らが到達できるよりも高い位置へと狙いを定める。


 アルバート チャーチウォードは、「原初の人間のサインと象徴」の中で、宗教の象徴主義への黄道の影響について、以下の様に要約している。「ここでの分割は12の部分、黄道の12宮、イスラエルの12部族、ヨハネの黙示録で述べられた天の12の門、至高の段階へと到達する前に、大ピラミッドへと通じる12の入り口、キリスト教教義での12使徒、メイソンリーの12の元の完全点である。」


 古代人は人が神の像として造られたという説は、文字通りに理解すべきだと信じていた。彼らは宇宙は人の体と似た大いなるオーガニズムであり、この宇宙の体のあらゆる面と機能は人のものと照応していると考えていた。神官らが新たに誕生した秘儀参入者らに伝えた、知恵の最も貴重な鍵とは、類似の法則と呼ばれるものだった。そのため、古代人には、星々の研究は神聖な学であった。彼らは天の諸惑星の動きを、無限の父(神)の永遠の活動と見たからである。


 ピュタゴラス学派は、しばしば俗にいう魂の再生の教義を広めていたと不当にも批評されている。秘儀参入されていない者らの間に広まっていたこの概念は、単に盲目のものであるが、聖なる真理を隠していた。ギリシアの神秘家らは人の霊的な性質は銀河――魂の種の播かれた地――から、大いなる黄道帯の12の門の1つを通って、物質の存在へと降りてきたと信じていた。そのため、この霊的な性質は、マギの占星術師らによって様々な黄道の星座を表すものとして造られた、象徴的な生き物の形での生まれ変わりだと言われた。霊が白羊宮を通じて生まれ変わったなら、子羊の体へと生まれたと言われた。金牛宮ならば、天の雄牛の体にである。そのため全ての人間は、その性質により物質世界へと生まれ変われた、12の神秘的な生き物により象徴される。この転生説は人間の見える肉体の事では無く、星々の道を行き、結果として聖なる黄道の動物らの形での循環の軌道を取る不可視で非物質的な霊であった。


 ユリウス フィルミクス マテルヌスの「マテシス」の第3の書で、低位の宇宙を確立する時の天の諸惑星の位置に関して、以下のような引用がある。「それゆえアスクレーピオスと、神的なメルクリウスが特に天文学の秘密を与えたアヌビスによれば、世界の誕生は以下の様であった。彼らは太陽を獅子宮の15度で、月を巨蟹宮の15度で、土星を磨羯宮の15度で、木星を人馬宮の15度で、火星を天蝎宮の15度で、金星を天秤宮の15度で、水星を処女宮の15度で、ホロスコープを巨蟹宮の15度で造った。この生成と、星々のこれらの条件に従い、この生成の確認として彼らが示す証人として、人の運命も上記の配置に従って分配されるという意見を持っていた。これらについては、アスクレーピオスのΜυριογενεσις(1万あるいは無数の誕生)と呼ばれる書から学べるであろう。それにより人の誕生で上記での世界の誕生と調和しないものは何も見つけられないであろう。」人の7つの時代は、以下の順の惑星の支配下にある。赤子は月、幼年期は水星、青年期は金星、成熟期は太陽、中年は火星、老年は木星、老朽と死は土星である。


古代の黄道のヘルメースによるヒエログリフの図

キルヒャーの「エディプス エジプティアクス」より


 最も内側の円には3つの姿を持ち、あらゆる姿にも変われる神、ヘムファタのヒエログリフが描かれている。その周囲の6つの同心円状の帯は、(内側から外側へ向かって)(1)姿と言葉で記される黄道の諸ハウス、(2)ハウスの現代の名前、(3)これらのハウスに割り当てられたエジプトの神々のギリシア語やエジプト語での名前、(4)これらの神々の完全な姿の絵、(5)古代や現代の、時には両方の黄道の宮、(6)諸ハウスのデカン、副分割の数。


古今の秘密の教え イシス女神のベンボの図
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