ディーの日記 アシュモールの序文

ページ名:ディーの日記 アシュモールの序文

イライアス アシュモール


序文


 記憶にある限り1672年8月20日に、余は我が従者サムエル ストーリーの手から、ディー博士の諸文書を受け取った。これら全ては博士自身の手によるもので、天使らとの対話を扱ったものだった。それらは1581年12月22日から、1583年5月の終わりまで続き、その後はカサウボン博士が出版した残りの対話が続いている。余はこれらを本書に纏めた。


 それらに加えて、本書には「48の天使の鍵」と「地の補助と勝利の知の書」と呼ばれる諸書も入れておいた。これらは内容が独立した本であり、カサウボンの「ディー博士と真の関係」の出版本の418と419ページに記してあるように、天使らはいったんは埋めるように命じて(1586年4月10日)、後には回収している(1586年4月30日)。また、「七王国の神秘の書、第1の書」と名付けられた書と、文字で満たされた正方形や黒い十字架についての内容で始まる、召喚や呼びかけの書も加えた。これら4冊を余はかつて別の書で編集している。


 これら全ては、先に述べた余の従者に数日前に、我が閲読のために(この頃、余はサリー地方のハーシェムの町のウィリアム リリー氏の家にいた)、ロンドン塔の守衛の1人で余の親友のトーマス ウェール氏がもたらしたものである。


 9月5日に、ウェール氏がブロード ストリートにある税務署の余の職場へと来て、先に述べた全ての書と、我が書、すなわち「最も高貴なガーター騎士団の教授、法、儀礼について」と交換するのを望むと余に伝えた。余は同意し、良く縛られ、背表紙が飾られた書を送った。


 9月10日にウェール氏は再び我が元へと彼の妻と共に訪れて、彼女からこれらの書が余の手に渡るまでの経緯を聞いた。それによると、彼女の前夫は菓子職人のジョーンズ氏なる者で、ロンドンのロンバード ストリートの田地に以前は住んでいて、彼らが結婚してすぐに、アルデ ストリートで新しい家を買いに向かい、そこで(家の端にて)スギ材の1ヤード半ほどの長さの木箱を見つけた。その錠前と蝶番は極めて良く働いており、彼らに買うように刺激させた。家主は彼らに、これは外科医のジョン ウッドオール(後に、今では陛下となったチャールズ2世*1の侍医長であり、我が親友のトーマス ウッドオールの父である)の持ち物であり、彼はディー博士の死後に、遺産売却の機会に購入した可能性が非常に高いと語った。


 それから20年後(かのロンドン大火の4年前頃である)に、彼女と先に述べた夫は、この箱をそのいつもの場所から動かしたら、その中に軽いものが鳴るのを聞いたと思った。そこで箱の右端の底を掴んで振ってみたら、明白に音が鳴り、中身があるのを確信した。そして夫は鉄の棒を箱の底の小さな割れ目へと突き刺して開いてみたら、中に個人的な引出しがあるのを見つけ、それを開いたら、そこには様々な文書が入れられているのを見つけた。さらに、小さな箱もあり、そこにはオリーブの実の小数珠が入っていて、同じ樹による十字架が末端にて吊るされていた。


 彼らはこれらの書の価値を理解できなかった。なぜなら、読む事が出来なかったからである。そして彼らのメイドがパイを焼くためや同様の目的のために、半分を燃やしてしまった事があり、以後は彼らは残りの保管をより慎重にするようにした。


 これらの書の発見から2年ほど経ってから、ジョーンズ氏が亡くなり、ロンドン大火が起きた時には、この木箱も容易に動かせなかったので炎に燃えてしまったが、中の書らはジョーンズ未亡人の残りの持ち物と共にムアフィールドへと運ばれ、それから安全に戻された。彼女はこれらを慎重に保存するようにし、先に述べたウェール氏と再婚してから、彼はこれらを知り、彼女の同意のもとに、これらを先に述べたように余のもとへと送ったのである。


 イライアス アシュモール記す


ディーの日記 1581年12月22日
↑ ディーの日記


*1 チャールズ1世が清教徒革命(1642年 - 1649年)で議会派に敗北して処刑された際に、その息子のチャールズ王子はフランスへ亡命していたが、後にイングランド共和国の崩壊に乗じて英国へと帰還しチャールズ2世として即位(1660年)し、王政復古がなされた。