エノキアン魔術

ページ名:エノキアン魔術

ジョン ディーとエドワード ケリー


 16世紀のイングランドの高名な数学者、錬金術師にして占星術師(女王エリザベス1世の即位式の吉日を決めるほど信頼されていた)であったジョン ディー(John Dee。1527年 - 1608または1609年)は、ルネッサンス万能人の一人であり、当時のほぼあらゆる知を極めた後には、神の叡智をも求めて、魔術、オカルトに没頭した人物である。
 ディーは、旧約聖書に出てくる父祖エノクが書いたとされる、失われた「エノクの書」に、その答えがあると考え、それらを知る天使(善霊)らと交渉(交霊)する事で、この禁断の知を求めようとした。だが、ディーは、魔術師としては一流であるが(あるいはそれゆえに)霊を視る能力が欠けていた。そのため、水晶玉透視の専門の霊視者を雇う事にして、やがてエドワード ケリー(Edward Kelly。本名はエドワード タルボット。1555年 - 1597年)と出会い、2人は1582年から1589年頃まで日夜交霊の実験を続ける事となった。
 ケリーは、霊視者として雇われたが、彼が本当に望む事は錬金術で物理的な金を造り出す秘法を見つける事だった。ケリーがディーの元へ行った理由は、ディーの家にある膨大な蔵書(当時の大学の一般的な蔵書数が数百だった時代に2,000冊を超えていたと言われる)にある錬金術書が目当てだった。
 この2人の実験に現れた天使らが伝えたのが、エノクの魔術、エノキアン マジックであった。さらにエノキアン語あるいは天使語も伝えられたが、これは英語に似た文法を持つ独自の言語であった。


 ディーの死の間際に、このユニークな魔術体系を扱った文書、日記は(天使の命令により)箱に隠されたが、後に偶然発見された。19世紀のマクレガー マサースもエノキアンを自らの体系に組み込み、黄金の夜明け団で達人位階以上の者のみが知る西洋魔術の「奥義」として扱っていた。黄金の夜明け団の影響のあるクロウリーやダイアン フォーチュンらも、これらを奥義としていたが、なぜ隠したかというと、フォーチュンによれば「悪用したら文明の流れが変わる(崩壊する)」からだという。
 しかし現代では、英語圏ではほぼ内容は公表されているので、読者も悪用をせずに楽しんで読んでもらいたい。以下において、ディーの日記と、後のマサースらの改良版*1の記事を置いていく。

ディーの霊視の水晶玉や、その下に置いた「神の真理の印」など。大英博物館所蔵


 以下のディーの日記は、17世紀の有名な魔術師イライアス アシュモールの序文と脚注がある「Mysteriorum Libri」文書(1581年12月22日 - 1583年5月末まで)と、その後はカサウボンが編集出版した「A True and Faithful Relation of Dr.Dee and some spirits」を基にしている。


ディーの日記 1581年12月22日 天使アナエルの示唆
ディーの日記 1582年3月10日 ケリーとの出会い。天使ウリエルのソイガの書への助言と印章
ディーの日記 1582年3月11日 ウリエルの悪霊への懲罰とミカエルとの出会い
ディーの日記 1582年3月14日 ミカエル、ソロモン王の指輪を示す
ディーの日記 1582年3月15日 ラファエル、神の力(ガブリエル)も登場
ディーの日記 1582年3月16日 ミカエルと40文字の天使らの啓示
ディーの日記 1582年3月16日 後編
ディーの日記 1583年5月28日 少女の霊マディミの登場


 ベンジャミン ロウ(1952年 - 2002年)は、20世紀のエノキアン魔術の達人として有名だった人で、以下にはその記事を置いている。


幻視の短期コース
 エノキアン魔術の準備としての訓練


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*1 ディー原典派からは、マサースの「改良」は、ほとんど原典と似ても似つかないものにしたと批判が昔からあり、マサース派からは、ディーの原典は曖昧で骨組み程度しか残されていないので、マサースは使い物になるようにするためには、肉付けせざるを得なかったと反論している。