オカルト哲学 3-62

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第62章 聖別とその方法について


 聖別とは、高める試みの事であり、それにより霊的な魂は比率と相似に応じて我々の作業に引き寄せられ、魔術の伝統が正しく順当に行われる事により満たされ、我々の作業が理解の霊によって活性化されるのである。聖別の効果は特に2つの事により完全なものとなる。第1は、聖別をする作業者自身の性質であり、第2は祈りそのものの性質である。
 作業者自身も、聖なる生活、聖別の力を求められる。聖なる生活とは自然で荒野での生活であり、聖別の力は想像力により得られるが、これについて私は以前の章で既に述べている。そして、作業者は堅固で疑いない信仰とともに、この性質と力が自分の中にあるのを知る必要がある。
 次に、祈りには何が求められるかであるが、祈りには神に定められたかのように聖別する特別な力がある。我々が聖書で多く読むように、あれこれの大いなる事柄や、聖霊の徳質による教授があり、教会の叙品式によれば、これらは多くの場所で今なお存在する。あるいは、この聖性は祈りそのものにあり、教授の性質からではなく、聖なる文字、歴史、奇跡、働き、効果、恩寵、契約、秘蹟、その他の秘蹟的な作業といったような聖なるものを祝する事から来ている。これらは、内的、外的、あるいは類似的に聖別されるものと繋がっているように思える。
 では次に、これらについて幾つかの例を挙げるとしよう。それによって、容易にこれらについて理解できるだろうからだ。
 水の聖別については、以下の記念を行う。神が大空を水の中に置き*1、地の楽園エデンの半ばに、聖なる泉を作り、そこから4つの大河が流れるようにし*2、神は水によって巨人族らを滅ぼす正義をなし、地全体を大洪水を起こし*3、紅海でファラオの軍勢を滅ぼし、同じように民を乾いた地とした紅海の半ばを渡らせ、ヨルダン川の半ばも渡らせ*4、岩から奇跡的に水を吹き立たせて*5、サムソンの祈りによりロバの顎骨から生ける水の泉を生み出し*6、水を神の哀れみと罪からの救いの道具とし*7、キリストはヨルダン川の水で浄化し聖別されたからである*8。また、生ける泉、生ける水、生ける川と神が呼ばれるように、これらの事柄に適切な神の御名を招聘するようにする。
 同様に、火の聖別においては、以下の記念を行う。神が正義、裁き、復讐、罪の浄化のために火を作り出した。また世界を神が裁く時には、その御前にて火で燃やされるように命ずるであろう*9。また神はモーセに対して燃える柴の中に現れ*10、イスラエルの民の前には火の柱としてあり*11、契約の幕屋の中で火が絶えることなくあるよう命じ*12、水の下で火を消さないようにもした*13。また、神は焼き尽す火や溶かす火と呼ばれるように、また神の輝き、神の光、神の光輝といったような適切な神の御名も用いなくてはならない。
 また油の聖別においては、前のものらと同じく、出エジプト記での塗油の記述*14や甘い香りの香のような、それらと関連する儀式を行わなくてはならない。また油注がれた者を意味するキリストのような適切な御名も用いるようにする。また黙示録でも、2本のオリーブの木から取り出し、神の御前のランプの中で燃える聖別された油があった*15
 また場所の聖別においては、以下の場所の記念を行う。シナイ山、契約の幕屋、至聖所、ソロモンの神殿、キリストの受難の神秘を通じたゴルゴタの丘の聖別や、キリストの血が流れた野、またキリストが変容し天へと昇ったタボル山などである。また神の場所、神の御座、神の椅子、神の幕屋、神の祭壇、神の座、神の住居といったような御名も用いるようにする。
 同様に他の物への祝福も我々は行うようにし、聖書から御名を探し、宗教の宣言から、あれこれと適切なものに思えるものを用いる。
 例えば、何らかの神秘を含んだ紙や書を聖別したいならば、モーセがシナイ山で与えられた十戒の石板や、律法や預言者らの聖別や、聖霊によって広められた聖書の記念を行う。また、神の証言、神の書、命の書、神の知識、神の知恵といったような御名も用いる。
 また剣を聖別したいならば、第二マカバイ書*16で神からユダ マカバイへ送られた剣で、イスラエルの民の敵を滅ぼしたのを記念する必要があろう。またかの預言者らが言う汝は両刃の剣を取れや*17、福音書での自分の上着を売って剣を買えという言葉や*18、ダビデ王の歴代誌で天使が血の剣を鞘に戻すよう命じたり*19、その他にも多くの事が、預言者らの書や黙示録の中で見つけられよう。また神の剣、神のロッド、神の杖、神の復讐といったような御名も用いるようにする。
 今では、これらの真の聖別と祝福の例で充分であろう。これらにより、個人的な聖別や祝福については、容易に理解できよう。
 だが、別の強力で効果的な聖別や贖いの儀式もあり、それらは迷信の一種である。すなわち、あらゆる秘蹟の儀式を、聖別や贖いの意図のために別の事柄へと転用するものである。例えば、洗礼や、堅信、葬儀といったような儀式である。
 さらに誓約、寄進、供犠にも、その実行者にも、誓約されたり供犠された人物や物にも、特有の聖別の力がある事も知る必要がある。


オカルト哲学 3-63
↑ オカルト哲学 第三の書


*1 創世記 第1章6節。
*2 創世記 第2章10節。
*3 創世記 第7章19節。
*4 ヨシュア記 第3章17節。
*5 出エジプト記 第17章6節。
*6 士師記 第15章19節。
*7 おそらくは、ヨハネによる福音書 第3章5節。
*8 マタイによる福音書 第3章16節。
*9 詩篇 第97篇3節。
*10 出エジプト記 第3章2節。
*11 出エジプト記 第13章21節。
*12 出エジプト記 第27章20節。
*13 おそらく列王記第一 第18章38節。
*14 出エジプト記 第30章25節。
*15 ヨハネの黙示録 第11章4節。
*16 第二マカバイ書 第15章15-16節。
*17 おそらく詩篇 第149篇6節。
*18 ルカによる福音書 第22章36節。
*19 第一歴代誌 第21章27節。