オカルト哲学 3-56

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第56章 告解と施しについて


 次に、最も強力な浄化の方法は、自発的に自らの過ちを告解(懺悔)する事である。セネカ*1が「テュエステース」の悲劇で述べるように、自ら犯した過ちに対して深く悲しむのは、純潔への道だからである。これは我々に偉大な高みをもたらし、喜びへの愛着を抑え、愚かしい喜びを魂から取り除き、確かで特有な力を与え、上位の世界へと我らを導くのである。そのため告解は悪徳を除く苦行であるばかりではなく、魂の霊的殉教主義でもあり、霊の剣が全方位から来る苦行なのである。次に、霊の剣とは神の御言葉であり、それについて預言者エレミヤも述べ*2、使徒パウロもエフェソ人への手紙*3で、自らの剣を血から留める者は呪われると述べている。また詩篇記者も、剣は彼らの唇と詠う*4
 そのため、我々の思考、精神の愛着、我らの心と口から出る全ての悪は告解で司祭の前で述べるべきで、司祭は神の御言葉に従って、それらを裁くであろう。そして司祭が神により与えられた力によって、告解がそれに加わり、我らの汚れを浄化し取り除き、それらを善へと向ける。宗教において、これ以上に憎むべき罪を贖う秘蹟は無いのでるあ。ゆえにオウィディウスがポントス王に述べた詩であるように、神々すらもこう述べている。


「痛みをしばしば和らげ、光を回復せよ。
 それらの罪は死すべき定めの人から消え去ろう。
 彼らは自らの罪を後悔するのを見る――」


 また高みへ至るための別の秘蹟もある。すなわち施しであり、これらについて哲学者らがごく僅かのみ語るのを私は読んでいるのを覚えているが、大いに真理を教えていた言葉は、汝施しをせよ。さすれば汝には全てにおいて清くなろうという*5。また、シラ書でも、水が火を消すように、施しは罪を消すとある。また預言者ダニエルはバビロンの王に、施しによって罪を償うよう述べており*6、天使ラファエルもトビアに証言している*7。なぜなら施しは死から魂を自由にし、罪を取り除き、我らを永遠の生へと導くからである。
 ゆえにキリストは我らに、自分たちも他人の罪を許すように自分たちの罪を許し、他者に与えるように与えてくれるよう父に祈るよう命じている*8。また別の箇所でも、汝ら(捨てた者は)幾倍もの報いを受け、永遠の生を受け継ぐであろうと述べる*9。また(最後の審判の日に)邪悪な者に対して、何よりも施しや慈善をしなかった事によって、キリストは速やかに厳しく咎めるであろう。私が空腹のときに食べさせず、渇いていた時に飲ませずと*10。また別の箇所でも、私の兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのであると述べている*11
 またホメーロスもこれらに気づいていたようであり、求婚する若者、アンティノエについての詩でこう述べている。アンティノエ、貧しい乞食を汝はなんと楽しげに殺したことか! 神が天にあるならば汝を滅ぼすであろう。なぜなら神々自身が異邦人や客人らと繋がっており、世界全体を歩き、町々を覆し、人々の苦しみや邪悪さを見るからであると。


オカルト哲学 3-57
↑ オカルト哲学 第三の書


*1 ルキウス アンナエウス セネカ。紀元前1年頃 - 65年。ローマ帝国の政治家、ストア派哲学者、詩人。多くの悲劇、著作もして、ラテン文学の白銀期を代表する。ネロ帝の家庭教師だったが、この暴君を除去する陰謀に加担していた疑いから自殺を命ぜられる。
*2 エレミヤ書 第48章10節。
*3 エフェソ人への手紙 第6章17節。
*4 詩篇 第59篇7節。
*5 ルカによる福音書 第11章41節。
*6 ダニエル書 第4章27節。
*7 トビト書 第12章9節。
*8 マタイによる福音書 第6章12節。
*9 マタイによる福音書 第19章29節。
*10 マタイによる福音書 第25章42節。
*11 マタイによる福音書 第25章40節。